生きる稽古 死ぬ稽古 -2ページ目

     生きる稽古 死ぬ稽古

ー毎日が おけいこ日和ー
        

ちょっと補足的に書きたいことがあったので

書き加えておきます。


(たぶんいい映画なのだろう)

というくくりに入れていたのは、

脇を固める役者たちが

魅力的だったということに他ならない。


というのが

「すばらしき世界」

の感想だったわけですが。


↓このブログです。



(西川監督の作品は

「永い言い訳」も観てるよなぁ)

と思い出して

以前のブログを見つけてきました。

↓これです。




なるほど、やっぱりね。
作品を評価する
なんてことをしたいわけじゃなくて
自分が感じたことを
そのままこうやって書きたいと思ってるだけ
なんですけど。
だから〈評価〉ではないです。
(↑重ねて言う滝汗

で、是枝監督とか
西川監督とか、
原作のチョイスは素晴らしいんだけど
映画そのものには
ナニカ物足りなさ、
原作にはあるけど
映画ではなくなったらナニカ、
を感じてしまうんです。

でも、それはなにも
このお二人の作品だけではなくって
やはり活字と映像の違いとか
表現方法の違いとか、
さまざまなことが重なるので
それってしかたがないのかもしれませんね。

ちなみに私が原作と映画を見比べて
どちらも引けを取らない傑作だ
と感じているのは
すぐに挙げられるものとしてはこの三作品です。

黒澤明監督の「どですかでん」
今村昌平監督の「復習するは我にあり」
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」


おまけとして、アメリカ映画の
「羊たちの沈黙」
をあげておきます。

これはあくまでも
原作と映画がどちらも引けを取らない
という観点からのセレクトです。

このブログの結び方がわからないけど、
思ったことをね。

しかし、作品が古いなぁ滝汗

あ、「つなぐ」は比較的新しいけど、
これは原作も映画も良かった!
あげておくね😊


なぜか、この作品は
DVDがピックできないので
原作本を。

他の作品も原作がいいので
そちらも是非!


デリヘルを扱った内容で

主演が伊藤沙莉だということで

観てみました。

 

ちょっとカンフーものが続いたからね、別のものを。

 

 

(多分に演劇臭のする作品だ)

と思ったら、やっぱり芝居を映画化した作品だそうです。

 

もしかしたら舞台はおもしろいのかも、と思わせる内容でした。

急に怒鳴ったり、叫んだりするところなんかが

演劇の世界から抜け出ていない気がします。

 

主演は伊藤沙莉である必要があったのか?

という疑問も残ります、もちろん演技はうまいですけどね。

彼女の役は、なんか口を開くと妙に理屈っぽいところがあって、

そこがリアリティがないように映ってしまって

もったいないなぁ、とチーン

 

 

いろんな性格のデリヘル嬢が出てきますが

いつ話が始まって

いつ終わってもいいような脚本の作り方なので

それぞれのキャラクターも中途半端。

 

駄作とは思いませんが

あんまり印象に残る映画ではなかったですごめんなさい滝汗

ほんのちょっと、これでオワリですチーン

私の住んでいる団地は

いったいいつごろ建てられたんだろう?

と、改めて調べてみたら

なんと昭和47年でしたポーン


50年以上前の建物なんですね。

古ーいゲッソリゲッソリ


でもね、不動産屋さんをまわっている時に

この団地をものすごく推薦されたんですよ。


・自治会がしっかり機能していること

・修繕積立金がたっぷりとあること


この二つがオススメの大きな理由でした。


大規模修繕工事がようやく終わって

(いや、まだこれからの棟もありますけど)

ホッとしているところですが、

こうなってみてると、

不動産屋さんがここをオススメしてくれたことに

ものすごく感謝しているんです。


建物の外壁を塗り替えてくれたのですが

外壁の色がシックでとてもセンスがいいスター

ベランダの手すりも

丈夫に付け替えてくれて安心スター

ガタガタだった郵便ポストを新品にしてくれて使いやすくなったスター

階段がデコボコしてて雨上がりに水が溜まって危険だったけど、綺麗に塗り替え、張り替えをしてくれたから昇り降りしやすいスター



などなど、工事が終わってみれば

とても住みやすくなっていたのです飛び出すハート


外壁の色などは自治会のみなさんが

真剣に選んでくれたのだと思うと

感謝しかありません。


工事の最中はね〜。。。ニヤニヤ

防護網のために日が入らないし

そのせいで植物たちは枯れまくるし

布団は干せないし

とうぜん私たちの日照時間も減ってるわけだし

窓のすぐ隣りを工事の人が歩いているし

音も臭いもすごいし…笑い泣き笑い泣き笑い泣き

と、そりゃこの何ヶ月か

ストレスになることはありましたわ〜チーン


でも終わってみたら快適です

ありがたい気持ちになっております


ますますこの団地暮らしが

好きになりましたわ〜デレデレウインク


私は勝手に自分の中の<ブーム>に則って

映画や本をみているので、時代遅れも甚だしいですチーン

 

すごく昔の映画や小説を

楽しんで味わっている。

 

だから現代の事象からは離れたところでの鑑賞

になることがほとんどなんだけど

稀に、考えていることと現実とが

近いところに合わさってくることがあります。

 

映画「すばらしき世界」を観ました。

 

 

2021年公開の日本映画。

 

で、まずこの映画を観て最初に思ったのは

(いい映画だし、ストーリーも素晴らしいんだけど

なんとなぁく、

原作と映画にズレがあるんじゃないか?

で、そこに私がこの映画にイマイチ入り込めないナニカがあるんじゃないか?)

って、ことだったんです。

 

そこで、原作者を調べてみたら

佐木隆三びっくりマーク

やっぱり!!

すごい本を原作に持ってきよったぁ〜〜ポーンポーン

と興奮するとともに、

(ん?原作じゃなくて原案??)

という疑問も持ったのでした。

 

早速読みましたよ。

佐木隆三「身分帳」

 

 

 

 

 

単行本は、すっごく高くなっているから

文庫本も貼っておくね。

 

佐木隆三といえば

「復讐するは我にあり」

が有名です。

 

こちらは映画もスンバラシイので

本と映画の両方を貼っておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐木隆三は、犯罪を犯した人を

特別に我々と違う人だと思うのではなくて

自分と同じ、隣に住む隣人だ

というように考えている作家で

ず〜〜〜〜っと

刑事事件の裁判を傍聴し続けてきた人です。

 

そういう中で

裁判記録や証言と照らし合わせながら

1人の人物を照らし出していく

という作品の作り方をしています。

 

この「身分帳」も

そうやって生まれた作品です。

 

ある男から連絡が来た。

「自分は長い刑務所暮らしで

家族も友人もいない。

自分が事件を起こした犯罪を記録した身分帳というのがあるから

それだけでも読んでくれ」

というようなことから

この作品が生まれました。

 

「すばらしき世界」はこの作品を現代にアレンジして

(スマホなんかも使っちゃって)監督自らが脚本を書いた作品です。

 

佐木隆三は、

作者の主観などほとんど入れずに

この「身分帳」に記載されたことと

本人と会った時のことなどから

ひとりの人間を浮かび上がらせて作品にしています。

 

一方の西川美和監督は

この「身分帳」をもとに映画を撮ろうと決めて

まだ脚本ができていないうちに

役所広司にオファーをしたそうです。

 

だからこの映画は

<役所広司ありき>の作品。

 

そして実際に役所広司の演技は大絶賛されています。

 

実際に、とてもいい映画です。

役所広司の演技も素晴らしい。

でも映画の感想としては、たぶん

<役所広司がいい>という人と

<役所広司でなくてもいい>という人に

分かれると思います。

(私は後者ですすみません滝汗

 

ここで冒頭に書いた

稀に、考えていることと現実とが

近いところに合わさってくることがある。

 

という問題です。

 

「セクシー田中さん」

という漫画がテレビドラマ化されて

その内容が原作と脚本の間で大きく食い違い

そこに端を発して

原作者である漫画家が自殺をしてしまった。

 

それが今日のことです。

 

連日の急展開に、ただただ驚き

ご冥福を祈るばかりです。

 

で、<合わさってくる>というのは、

ここ数日、この

原作と脚本の折り合い

についてずっと考えてきたから

なんですよ。

 

あ、「すばらしき世界」は

そのことで揉めた訳ではないと思います。

テロップの製作委員会のところに佐木隆三の名前がありましたしね。

 

でも、「身分帳」の持つ

独特のキャラクターや

物を見る視点や

彼を取り巻く人間模様など

しっかりと踏襲しつつも

やはりどこか<浮いた感じ>の作品になってしまっています。

 

「復讐するは我にあり」

の今村昌平監督は

原作に忠実だったわけではないけれど

あのおどろおどろしくも生の人間性みたいなものを

映画の中で表現しきっていた。

 

これは原作も映画も

どちらも引けを取らない凄い作品なんです。

 

 

私の勝手な主観ではあるけれど

西川監督は

「佐木隆三の作品を映画化したい」

よりも

「役所広司の作品を撮りたい」

の方が優先してしまったのではないか?

 

「役所広司の魅力をもっとも表現できる

そういう脚本にしなければ!」

と思ったのではないか?

 

という気がしたのです。

そうしてそれは、大成功をおさめています。

 

でもね、この映画、

役所広司もいいかもしれないけれど

脇を固める俳優さんたちが

とってもいいんですよ。

 

 

↑この梶芽衣子さん。

若い頃は「女囚サソリ」など、

ミステリアスでセクシーな役が多かったヒトが

この映画ではほっこりとあたたかい、

そしてダサいおばさん役を好演しています。

 

他にも

橋爪功、白龍、キムラ緑子、六角精児、北村有起哉

といった名優たちが脇を固めています。

 

 

逆に

(この映画にはいらん!)

と思ったのが仲野太賀と長澤まさみ。

どっちも役者としてとてもいいんですよ、

でもこの映画には必要ない気がする笑い泣き

 

太賀くん、私はファンなんですけど

さすがにいろんな作品に出すぎです。

もう少し、自分で選別してほしい。。。

 

やっぱり映画もテレビドラマも

売れなくては話になりません。

そのためには人気のある、そして実力のある役者さんを

起用するのは当然だし

それは何も悪いことではありません。

 

それは分かっているんですよ。

でも役所広司、仲野太賀、長澤まさみ。

私が映画を見ていて<浮いた感じ>に思えるのは

本当に原作を読んでのキャスティングだったのかどうか?

というところのような気がするんですよね。

 

舞台を現代に持ってくるためには

必要なキャスティングだったのかなぁ。。。

むずかしいよなぁ。。。

売れなきゃ、だもんなぁ。。。

しかも、三人とも実力のある役者さんだしなぁ。。。

むしろ彼らが出るからいい!という人の方が多いだろうしなぁ。。。

キャスティングディレクターの人は、

この三人の起用には悩んだだろうなぁ。。。

でも私はむしろ、

太賀君のおとうちゃんの中野英雄に主演をやって

もらいたかったなぁ。。。

 

「身分帳」の実在の人は、痩せ気味で小柄

横山やすしのような風貌だったみたいですけど

中野英雄がやったら、もっとずっしりとした重厚な作品になったのでは?

って、これはシロウトが勝手に思っているだけなんですけどね。

このあたりは作品の評価ではなくて、私の希望とか、そんなものです爆  笑

 

原作者と脚本家の問題は

これからもいろいろと起こってくることでしょう。

最初の契約の通りに行われているかどうか?

ということに尽きるのかもしれませんね。

はぁ、朝からずっしりとした話題でした。

 

長いブログになっちゃったけど

どうしても引用しておきたい部分が。

 

この主人公の男は

なんにでも真剣に対応しようとして自爆してしまう。

大声をあげたり手を出したりしてしまう。

本人は正義感のつもりなのに…

という性格なんです。

 

犯罪を犯さなくても

こういう真っ直ぐな人は

現実社会にいて、

本当に大変な生き方をしているなぁと思うんです。

 

いいか、悪いかじゃなくて

本当に、大変だと・・・。

 

でね。

本の中にこんな会話があるんです。

↓主人公とケースワーカーとの会話。

(「身分長」より)

 

「何もかも大変ですよ。

いちいち腹の立つことばかりで、

これじゃ自爆の時間の問題やないか、と」

 

「自爆ですか・・・・」

「それは山川さんが、

自分を取り巻くあらゆるものに接点を保とうとするからじゃないですか?」

 

「いや、社会や他人と接点を持つために、苦労しちょるんです」

 

「僕は違うと思う。むしろ山川さんが、

何事に対しても真剣であろうとするから、

いつも怒っていなければならない」

 

「真剣で悪いんですか?」

 

「たぶん、僕自身は要領よく生きているんでしょうね。

社会や他人との関係で、自分に必要なもの以外は切り捨てているんです。

それをしないで、すべての事柄に接点を持って対応していたら、

本当に大変だと思います」

 

 

 

 

原作のラストシーンは

「へ?」

っていうくらい唐突に終わります。

 

映画の方は

「え?」

っていうような終わり方です。

 

2つのラストシーンはまったく違いますが

これはまったく違っていいと思います。

それぞれも良さが出ています。

 

いろいろと書いたけれど

いい映画なのよ。

それは伝えておきますね。

 

 

 

 

 

 

 

映画「少林寺」が1982年公開。

映画「少林寺2」は1983年。

 

↓「少林寺2」の感想です。

それから30年近くたった2011年に公開されたのが

「新少林寺」

です。

 

<リンチェイ少林3部作>として

「阿羅漢」

を観なくてはなりませんが

レンタルビデオ屋でなかなか見つけることができず、

先にこっちを観ることになりました爆  笑

 

 

(いや、他の映画も見ているんですけどね、

まずはカンフーものの感想を、と思いまして…滝汗

 

「少林寺」と「少林寺2」は

まったく別の内容です、と書きましたが、

この「新少林寺」もまた、まったく別のお話。

 

こちらはご近所の勢力争いなどではなく、

もっと大きな国獲り、

そして果ては西洋人の欲まで加わった三つ巴の戦いです。

 

少林寺は達磨大師が始まりとされているようですが、

そこから少林武術が創始され、

僧兵集団を形成していったという説が有力なようです。

 

殺生はしないとか、

盗みをしないとか、

仏の教えに従って修行を続ける

というのが少林拳の極意

と言われていますが

どの映画の中でも殺傷しまくりチーンチーン

 

理不尽に攻め込まれてきたら

罪なき人々を救うには武器を持って戦うべきか?

 

という大命題については

「ミッション」

という映画がそのテーマについて問いかけていますが、

こちらの少林寺シリーズでは

義のために少年坊主たちは戦っていきます。

 

ストーリーの核となるのは

為政者の暴政に苦しむ庶民と

彼らを救うために戦う僧侶

なのですが、

流石に30年も後の作品だけあって

スケールも撮影技術も

脚本も俳優も違います。

 

主演のアンディ・ラウは

無慈悲な将軍から悲壮な修行僧に

そして仏の道を目指しながらも修羅の戦いを挑む僧兵へと

三つのキャラクターを見事に演じきっています。

 

 

↑ジャッキーチェンも脇役として登場します。

「カンフーなんてできないヨー!」

とか言いながら、

ユーモアのある技を披露してくれます。

 

 

黒い僧服をまとっているのはユエ・ハイ。

彼は「少林寺」にも「少林寺2」にも出演しています。

 

七星蟷螂拳の使い手で

武術の世界では相当に有名な方のようです。

 

後列左から2番目はシー・イェンレンという格闘家。

後列の一番右はウー・ジンというアクション監督兼俳優の方。

みなさんのカンフーはものすごく見ごたえありです。

 

 

↑「新少林寺」で有名なシーンのひとつ。

画面としても美しいけど

軸がキリッと立っていてすごいですよね〜〜!!

 

 

随所に少林寺のおけいこシーンがあります。

これが観たくて観てるようなもの。

 

こういう静止画で見ちゃうと

一列目のシー・イェンレンと

二列目のアンディ・ラウは違いますよね?滝汗

シー・イェンレン、格闘家だわ! かっこいいわ!!

 

この映画の中でも

ちびっ子たちのカンフーがみられます。

本当に体がしなやかで

動きが柔らかいの。

ぐっと馬歩(マブ)の姿勢になった時の

その動きの素晴らしさに

感動して泣けました笑い泣き

 

ストーリーでは泣けなかったんだけど

(だって権力者の欲のために、

虫けらみたいに兵隊も市民も殺されるんだよ。

そんなストーリーの何に感動するんだ?)

ちびっ子の動きには泣かされました笑い泣き笑い泣き

 

今はどんな武術家になっているんだろう?

「『新少林寺』に出てました」みたいなスターが出てきたらいいなぁデレデレ

 

最後のテロップが流れる時

少林寺の山門のところで

粉雪の舞う中

1人の少年が少林拳の稽古をするシーンがあります。

 

やがて青年僧たちも加わっての

少林拳になるんですけど、

このラストシーンは本当に美しいです。

 

そしてその背景に流れる音楽がまた素晴らしいの。

アンディ・ラウが作詞して歌っているようです。

 

 

↑これ、聞いてみてください。

 

最後に日本語の歌詞を載せておきます。

(画面をみながら必死に写しました!)

 

アンディ・ラウは

1994年にアンディ・ラウ チャリティ財団を設立して

世のため人のためにお金を使っているようです。

 

この映画でアンディの奥さんの役をやったのはファン・ビンビン。

ほぼスッピンに近いメイクでも

この世のものとは思えない美しさです。

<非の打ち所がない>とは、こういう顔の造作を言うのでしょうね。

でも彼女は2018年に脱税が発覚して

146億円にものぼる追徴金を払ったのだとか滝汗

 

そんなこんなを考えさせられるような

歌詞でもあります。。。びっくりマーク

 

慈悲の心が 永久の平安をうみ

愛の力で 万物は結ばれる

なぜこの因縁に 気付こうとしない

悟りを得て 一切を受け入れよ

道に背き 惑うことなかれ

心に宿る 欲と執着を捨てよ

望むほどに 己を縛り

捨て去るごとに 煩悩は消えゆく

縁を頼りに 苦難を乗り越える

縁なき想いは 内に秘めよう

欲心を断てず 振り帰るときは

あなたの幸せを そっと祈ろう

空を悟れば 心は解き放たれる

真理を知れば 新たな世界が開く

因果の行く末に 思いを巡らせても

生死の瞬間は 誰にもわからない 

人々が欺き合えば 信じ合うすべを失い

猜疑心が 心を苦しめる 

 

前回、ものすごく久しぶりに

「少林寺」を観て以来↓…。

 

カンフー映画を観たい欲求が高まってきまして

続けざまに観たのが

「少林寺2」

です。

 

 

前作の「少林寺」が大ヒットだったものですから

日本では「少林寺2」のタイトル。

 

ひどいもんですチーン

内容はまったく違うのに…チーンチーン

 

こちらは原題を

「少林少子」

と言って、武術家の一家がくりなす

ロミオとジュリエットのおちゃらけ版です。

 

 

映画の冒頭で

<昔々あるところに、二つの家族が住んでいて…>

的なあらすじのアニメーションが出てきます。

これがレトロでとってもいいのですよ!!

 

男の子ばかりの家族と

女の子ばかりの家族が近くに住んでいて

両家はとっても仲が悪い。

でも共通の敵が現れたことで共闘していく。。。という

まぁ、ありきたりなお話です。

 

が、そのありきたりがオモシロイのよウインク

 

 

この映画、子どもたちが何人も出てきます。

コミカルな演技がかわいい。

そして、みんなカンフーが得意です。

 

子どもたちのカンフーはこの映画の見所びっくりマーク

 

 

↑こうやって物干しに足先を引っ掛けて

ぶら下がってから腹筋をします。

 

子どもたちもみんな、何度もこれができちゃうの。

素晴らしい身体能力です。

 

 

内容は別物なんだけど

「少林寺」に出ていた役者さんが

「少林寺2」にも何人か登場します。

 

↑彼、ユエ・ハイは

前作では少林寺のお師匠様、

今回は子どもたちの義理のお父さんです。

 

 

そしてこの映画でも

冴え渡るリーリンチェイのアクションデレデレデレデレ

 

そしてこの映画が素晴らしいのは

ラストの数十分にわたるカンフーシーンです。

 

手前で戦っている主役たちの後ろで

ちびっ子たちがカンフーで大人に立ち向かったりしているから

一瞬たりとも目が離せないのポーンポーンポーン

 

「太極拳は一撃必殺ではないんですよ」

ということを教わっているんですけど

太極拳に限らず、中国武術全般が一撃必殺ではないみたいです。

 

何度も何度も打ち込んで

何度も何度も打ち返されて

それを連続技で互いに繰り出していくんです。

 

手に汗握る攻防戦滝汗滝汗

いや〜〜〜、おもしろいです。

すごいです。

 

チャンチャンって終わるストーリーなのにもかかわらず、

武術シーンでこんなに楽しませてくれるって

素晴らしいことですね飛び出すハート飛び出すハート

 

たぶんワタシ、この映画も以前観ております。

でも、こうやって何年かぶりに観ても

ものすごく楽しませてくれるんですね。

 

この映画に出ていたちびっ子たちも

いいオトナになってるんだろうなぁ。

 

楽しませてくれてありがとうラブラブラブラブ

そう言いたい映画なのでありました。

 

 

 

わたしは自分の体で実験をすることが好きなので

食事については色々と実践したことがあるんです。

宮本美智子さんの本で

砂糖や炭水化物の取りすぎの危険性について学び

さらに金森重樹さんの本で

いかに食べ過ぎているのかを痛感しました。

 

宮本さんや金森さんの本を読んだ後で

きちんと低脂質や断糖などの食事を実践したんです。

 

それぞれの食事の取り方には

色々と批判される部分もあるようで

実践された方の中には

体調を崩したり

精神的にバランスを崩した方もいるという話を聞きました。

 

が、私はどちらの食事の取り方も

いたって健康に体重だけを落とすことに成功しました。

 

そういう意味では素晴らしい食事の取り方だと思っているんです。

 

ただ!

どちらも

<食べていいもの>

<食べてはいけないもの>

の制限が厳しいために、

自分以外の人と食事をするということに

ストレスを感じるようになってきてしまいます。

 

自分がストレスを感じるだけではなくて

家族や友人に気を使わせてしまう

ということがあるんです。

 

私には、そこが何より辛かった。

で、どちらも3ヶ月、半年、と

続けていたものの

結局はやめてしまったわけなんです。

 

(この辺りのことを書いたブログをリプログしようとしたら

メンテナンスのため、できないらしい)

 

その後は玄米やオートミールを食べたり

色々と試しながら

今に至っています。

 

食べることが好きだから

料理の本は好きで読むんですよ。

だから、そんなに料理が上手ってわけでもないのに

知識ばかりが増えてしまう。

ハズカシイ。。。

 

でもね、

 

料理家の先生というのは

どうしてこうも深く物事をみつめ

広い視野に立った洞察力を持てるんだろう!!

 

と、料理家の方の本を読むたびに痛感させられます。

 

丸元淑生さんの本からは出汁の大切さを学び

辰巳芳子さんの佇まいの美しさに打たれました。

 

そうしてね、

今回、読んだのが

土井善晴さんの

「一汁一菜でよいという提案」

です。

 

 

 

私はまず、

タイトルの手書き文字に惹かれました。

 

カバーデザインは佐藤卓さんという方だそうです。

 

紙のご飯の色

文字の菜の色

帯の味噌の色

それぞれのバランスを緻密に計算し尽くした結果の「深いもの」

 

だということが、本のあとがきに書かれています。

佐藤卓さんは縄文時代が大好きな方だということなので

このことも私をワクワクさせてくれました。

 

ただね、

このタイトル。

読もうとは思ったものの、

(私には無理だなチーンチーン

っていうのが第一印象です。

 

だって大食いなんだもの滝汗

一汁一菜なんて無理!

 

ですが読むにつれて

内容に引き込まれていきます。

 

なんてすごいことが書かれているんだろうびっくりマーク

そうだよねそうだよね。

こういうことなんだよね。

と、同意することや

感動することや

教えられることが満載の本だったのです。

 

土井先生とは、ざっくりと同年代。

子どもの頃の描写など、

夕暮れの空の色や

物悲しさを覚えるような風の感じを伴って

私の中にも思い起こされてきます。

 

土井先生のおかあさんが

「午後になって買い物に行くのは恥ずかしい」

といったという発言などは

当時の一般的な家庭というものの様子がよく出ています。

 

てんやもん(出前)の後ろめたさ

というフレーズもありました。

私のうちは母が居酒屋をやっていたため

てんやもんをとることが多いうちでした。

そのことに、なんとも言えない後ろめたさのようなもの

というか、ちゃんと家庭料理が食べたい

という寂しさのようなものがあったんです。

そんなことも思い出したりしておりました。

 

語彙量の豊富さもこの本の魅力です。

鍋料理の具材の一つ一つの食べ頃を「煮えばな」というとか、

お米をといでザルにあげておいた米を「洗い米」というとか…。

 

中でもそうだったのか!と思ったのは

旬の食べ物についてです。

「はしりもの」 旬として出始め

「さかりもの」 まさに真っ盛り

「なごりもの」 そろそろ終わりに近いもの

と、旬の中でも使い分けているのだそうです。

 

交差する生命のはじまりと終わりを

五感で感じ意識するところに

旬の楽しみ方の幅、細やかさ、深さがあらわれる。

 

と、書かれています。

言葉が本当に美しいのラブラブ

読んでいて清々しい気持ちになれる本です。

 

そして厳しさと優しさが同居している本でもあります。

土井先生は

「一汁一菜にしろ!」

とは言いません。

「提案」

と言っています。

 

これを基本にして、応用していけばいいんですよ

ということなんです。

 

私は太極拳の師匠から

<体軸>

ということをずっと学び続けていて

「軸の感覚がつかめると

それがいろんな動きの拠り所になるんですよ」

と言われています。

 

一汁一菜も

その<体軸>と同じなのではないだろうか?

と思うんです。

 

これが基本。

この基本ができれば

拠り所としていくらでもバリエーションができる。

 

 

↑この本を読んで早速影響を受けた写真デレデレ

 

ただ、パンとコーヒーだけなのに

お膳に乗せて食べると

ありがたみが増すような気がします。

 

優しい一方で、

 

調理の基本である下ごしらえを

手間とは言いません。

 

と、キッパリ言っています。

 

「料理はやっぱり"ひと手間"ですよね」

とはよく聞かれる言葉ですが、

それは労力を褒めているのであって、

必ずしもおいしさにつながるものではありません。

 

とも言っています。

どちらも納得の厳しさです。

 

土井先生は

いちばん大切なのは

一生懸命、生活すること。

と言っています。

 

それがどういうことなのかを

書いているのがこの本なのだと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

太極拳のお仲間さんから

一冊の本を紹介されました。

 

その時にね、

「<はっかくりょうし>という本を知っていますか?

太極拳の型がタイトルになっているんですけど」

と、聞かれたのですが、

なんのことか、わからなかったのです。

 

この本は、

「白鶴亮翅」

という字を書きます。

<はっかくりょうし>とルビがふられていますが、

太極拳の型としては

中国語の発音にちなんで

<パイポリャンチ>

と言っているので、

日本語の読み方では、わからなかったんですね。

 

 

 

 

はい、↑この本です。

 

多和田葉子という方が書かれています。

芥川賞、泉鏡花賞、谷崎潤一郎賞、伊藤整賞…

名だたる文豪の名を冠する賞を軒並み受賞している

すんごいお方のようですが、

私は今回初めて知りました。

 

ドイツ在住で

ドイツ語と日本語とで

作品を書いているのだとのことです。

 

で、この「白鶴亮翅」という作品は

ドイツ、ベルリンで一人暮らしをする主人公が

さまざまな文化的背景の人々と出会う中で

日本やドイツの歴史を紐解きながら

文化や歴史について考察していくようなお話です。

 

ある日、隣に住んでいるMさんから

太極拳学校に行こうとすすめられて

通いはじめた、ということから

このタイトルがついたようですが

太極拳はこの作品の主軸ではありません。

 

作品のあちらこちらで

太極拳学校に行き

チャン先生に習った様子というのが出てくるだけでなんです。

 

タイトルにもなった「白鶴亮翅」というのは

鶴が羽を広げる

という意味の型です。

 

 

この型について

↓チャン先生は次のように教えています。

 

「太極拳はチャイコフスキーの白鳥の湖ではありません。

翼を優雅に広げればいいというものではないのです。

右腕をすっと簡単に持ちあげてしまうのではなくて、

お腹から力を汲んで、

ぐっと肩から背中にのしかかってくる相手を跳ね返すように持ち上げてください。

左手も同じです。

身体の前面を敵の攻撃から守り、相手を下に抑え込んでください」

 

これに対して

主人公が感じたのは次のようなことです。

 

わたしは先生の言うことを意識しながら

体を動かした途端、

左手と右肩に、

実際には存在しない敵の抵抗する力を感じてはっとした。

 

やはりすごい感性の持ち主であります。

シロウトが学んでいるという設定にも関わらず、

こんなふうに鋭いおけいこの描写が

随所に顔を出しています。

 

わたしは電話を切ると、

立ち上がって太極拳で習った白鶴亮翅の型を

鏡の前で何度かやってみることにした。

胸の中の空間がグッと広がるようで快かった。

 

こういう身体の感じ方は素晴らしいなぁ

と思って読んでいたのだけれど、

 

これについてチャン先生は

「ひとつの型だけをやらずに第一式から通して練習してください」

とアドバイスをしています。

 

そして次のおけいこの時には

この白鶴亮翔という型について

↓このようなこともアドバイスしています。

 

「鶴が羽を広げるというと優雅に聞こえますが、

元々太極拳は戦う技であることを忘れないでください。

後ろから襲ってくる敵をはね返す動きで、

最大限の力を出すためには腕だけの力に頼ってはだめです。

お腹から力を誘導してください。

お腹から力が伝わってくるのを感じるまでは

腕を一ミリも動かしてはいけません」

 

あぁ、この本は再び読み直してみると

実に的確な太極拳の指導方法と

そのおけいこをした時の

主人公の体感覚とが

とても瑞々しく書かれていることに

改めて感動させられます。

 

太極拳の手の動きは自分の身体の前面を守ることを忘れない。

ボクシングのように具体的に顔などを殴られないように

拳骨で守っているようには見えないが、

太極拳は胸の前の空間を守り、

ここまでがわたしの領域だからここから中には入らないでくださいね、

と境界線を示しているように見える。

 

↑これも主人公の言葉です。

主人公の言葉と

チャン先生の言葉とが

交互に飛び交いながら

音楽を奏でているように

太極拳について語られていくのです。

 

本の感想というより

本からの引用が多すぎる、

そういうブログになってしまいました。

 

「太極拳は音楽であり、武術でもありますが、

それだけではありません。

楽器がなくても敵がいなくても、

この姿勢は頭痛や胃炎に効くし、

不安を解消するとも言われます。

つまり単に自分の健康のために

体を動かしていると考えてもいいのです」

 

そう言って笑うチャン先生の肩は

どの方向にもほんの少しもつっぱることなく、

地球の引力に自らの重さを任せて、

あるべき場所に収まっていた。

 

 

久しぶりにトモダチの投稿が
Facebookのタイムラインに流れてきました。


流れてきたと思ったら

本を出版していてびっくりしました😳😳



「ひだまりの歌」

というタイトルです。

著者はいうちちひろ

出版社は風詠社



ちひろちゃんとは

10年に一回くらい会って話します。


それでトモダチと言えるのか?

と言われても

トモダチなんだからしょーがない😄😄


何年ぶりに会ったって

「ひさしぶり〜」

って、

またおしゃべりが始まるんだと思っています。


そういえば私、

あらためて病気のことをきいたことがなかった。

先天性骨形成不全症

という病気なのだと、

この本のプロフィールで知りました。


だからどこへいくのも車椅子を使います。

鉄道のバリアフリーを訴えるために

大阪→東京間を車椅子で歩く野宿の旅をしたこともあります。


アメリカにも勉強しに行ってたみたいです。


ともかく、ものすごく行動的。


なんていうかね、

もう小さい頃から

自分にできることとできないこと

っていうのを理解していて

できないことでヒトにやってもらうことはやってもらう

できることは時間がかかってもいいから自分でやる

というところが、きちんとできている。


そういう〈きちんと〉のところを

淡々とこなしている生き方が

ものすごくカッコいいと思っていた。

そう、今もカッコいいと思っています。



この本は

そんなちひろちゃんが

〈できないかもしれない〉

と思いながらも、

くじけそうになりながらも、

ようやく完成した本なのだと

あとがきに書かれていました。


ちひろちゃん、

〈きちんと〉でなくても

やっぱりカッコいいよ‼️


ちひろちゃんが

今まで生きてきたこととか

小さな庭で感じたこととか

旅の断片とか


そんなアレコレを

文章で

絵で

四コマで

綴ったこの本は

〈トモダチだから〉とか関係なく

ステキな本です。


ちひろちゃん自身も

絵の中に登場するんだけど、

肩のラインとか

指先の感じとか

ホントにリアルにちひろちゃんなの。


(ちひろちゃん、どんだけ自分のこと客観視できてるの〜〜?)

って、今度会ったら聞いてみたい。


これはまさしく、画家の眼ですね。


本の最後のページに

「現在、一日22時間の介助を受け、小さな庭のある部屋で自然の移ろいを感じながら、好きな絵を描く日々を送る」

って書かれています。


もう、そろそろ10年くらいたったよね?

またぜひ会いたいねぇ😊😊😊



昨年、テレビを買ったおかげで

番組録画ができるようになりました。

(いつの時代の話?😂😂)


で、「日曜美術館」は毎週録画して

観ることができています。


新年最初の番組では

ホンマタカシさんの「即興」

という展覧会を紹介していました。

ホンマさんは、

カメラオブスキュラ

という技法を使って

写真を撮っているそうです。


その技法は、

窓に黒い紙を貼って一点の穴を開けます。

その穴を通って反対の壁には

画像が逆さまに映ります。

その逆さまの映像を作品にするのだそうです。 

↓ホンマタカシさんの作品です。


〈New York〉、〈THE NARCISSISTIC CITY〉より 2013年 ©Takashi Homma Courtesy of TARO NASU


カメラを用いない写真家というのは

とても新しいクリエイターだと思います。


彼は、


「シーンとする瞬間が

やってくるのを待つ」


という言葉を使って説明していました。

被写体に向かっていくのではなく、

見守る

向こうからやってくるのを待つ

という姿勢です。


あれ?

これはーーーびっくりびっくりびっくり


ボディワーカーの方々が

おこなっている施術に

通じるものがありますね。


自分が何とかしてやろう

ではなく

対象に何が起こっているのかを見守る

そこで起こる変化を待つ

という姿勢です。


ワタシという存在が

ドコカに向かって

ナニカをしようとする


施術家もクリエイターも

ずっととってきたその手法を手放し

別のアプローチを試みる

というのはとても興味深いことです。


ホンマタカシさんの個展は

↓で開催されています。