2006-12-10

★いいことしました!

テーマ:歴史

エンストしている見知らぬタクシーを、エンジンがかかるまで押してあげました。


勢いがついたタクシーは、ありがとうのクラクションもなしに走り去っていきました。


そのタクシーの後姿を、手ぐらいは振るだろうと見続ける自分がいました。




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2006-01-22

★ペルーの雄大な自然をバックにした壮大な大河ドラマがスタート!その名も…

テーマ:歴史
なげやり
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2005-10-27

★花の絨毯 2

テーマ:歴史

1. alfombra de flores


セニョールの行進を、お花の絨毯でお出迎え。

まずはチョークで下書きです。

現在午前11時。

作業をしているのは隣の中学校の生徒と先生達。




2.barrera humana


車が入って来れないように生徒が人間バリケードです。

なんか楽しそう。




3.encima de arcilla


下書きも終わり、

花びらが飛ばないように粘土の上に花びらを乗せていきます。




4.con cola sintetica tambien


バックの色づけはノリ(Cola sintetica)っぽい。




5.son las 3 de la tarde ya


午後三時、4時間かけて完成。




6. otras dibujos


絵は他にも。

そろそろ人が集まってきました。




7. viene un carro


あ、向こうから車が来るよ。

みんなが必死に作った絵が、

あんななんでもない車につぶされてしまうの?




8. oi que haces


え?横から行く気?無理やて。




9. vas a entrar? estas loco?


案外いけるもんやね。




10. ustedes tambien?


また来たよおい。

あんたらはでかいから無理。




11. si pueden no?


…案外、いけるもんやね。


端っこちょっとつぶされたけど。





つづく…


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2005-10-27

★花の絨毯 3

テーマ:歴史

 

12. a las once de la manana


朝の11時にはこんな感じやったのが




13. a las 5 de la tarde


夕方5時にはもうこんなことに。


あ、奥の方に何か見える。




14. ya vienen


さーあきたね。

前にいる女性信徒の集団は、後ろのセニョールの像を、

後ろ向きになって見ながら、歌いながら、行進しています。


しかしこの集団、どうやってこの群集を掻き分けて進んでいるのでしょうか。





15. densya gokko


見えますかロープが。




16. densya de go


つまりこれは


電車ごっこシステム。


中は楽そう。


さあ、先ほどの絵ですが




17. tampoco pueden pisar


まだ踏めません。




18.viendo atras


後ろ向きね。

セニョールに背中は向けられません。





つづく…

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2005-10-27

★花の絨毯 4

テーマ:歴史

20. por fin casi son las 6


さあ きたーーーーー。

これが例の奇跡を起こしたリアルなセニョール・デ・ロス・ミラグロスだーーー。

レプリカじゃないぞーーー。


(クリックで画像拡大ね)




senor


みんなしんどそうな顔をしているのがわかりますか。

クリッククリック。

2t ですよなんにしろ。





21. tiran flores


観衆たちは皆二階・屋上から準備していた花びらを投げます。




22. tiran


花びらを




2. flores


投げます。




24. ducha de flores


皆花だらけ(クリックね)




25. dos bandas


更新中ずっと演奏されている音楽は、

二つのバンドがかわりがわりに演奏しています。


さあ、ついに踏まれた絵の結末は?








26. como terimina...


ありゃありゃ…。


まあ 本望ですか。






終わり… 迫力のあるお祭りでした。

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2005-09-22

★世界遺産をGoogle Earthで見よう! ペルー編 前半

テーマ:歴史

みなさん、Google Earthって御存知ですか?



人口衛星で撮った地球のあらゆる地域の写真を、パソコンで見れるのです。

あなたの住んでる町、住んでた街、行きたい街、

または簡単に行けないエベレスト山の頂上まで。


都市部意外は解像度が低かったりしますが、

たとえば都市外にあるマチュピチュの遺跡なども確認できたりします。

僕の働いていた大阪の職場のビルも確認できたし

今すんでるリマの家の屋根も確認できました。



ダウンロードは こちら  から。


まず自分でダウンロードして、

行きたい場所を探し出すようにしましょう。



でも


わからない人のために今日は僕が見つけた

ペルーの観光名所のGoogle Earth上の経度緯度をUP しておきます。

基本は自分で探しましょう。


まずはペルーの首都から。



リマ (世界遺産指定1988年)


12.02.45.53 s 77.01.48.74 w

さすが首都の写真だけあって解像度が高く、タクシー一台一台まで確認できますね。

リマ市役所に中庭があるなんて知りませんでした。



ナスカの地上絵 (世界遺産指定1994年)


14.43.10.99 s  75.05.16.73 w

場所はちょうどパンアメリカンハイウェイの真上、

展望台の近くのはずです。だから「手」と「木」が見えないといけないんだけど…。

残念ながら絵は全く確認できません。

ただ、たくさんの無数の直線が見えますね。

これも実は星の軌道を現すナスカの地上絵なんです。

ちょっと場所をずらしてみるとまったく似たような線がないのがわかって、

いかにこの地域が地上絵の存在で特別かということがわかると思います。



クスコの街並み (世界遺産指定1983年)


13.31.32.36 s 71.57.58.05 w

ほんとに赤い街です。ピューマの形に見える?



マチュピチュ (1983年世界遺産指定)


13.09.41.33 s 72.32.47.43 w

すごい!ジグザグ道路が見えます。ここを日曜日グッバイボーイは走ってるんですね。



アレキパの街並み (2000年世界遺産指定)


16.23.53.92 s 71.32.10.98 w

建物が白い火山灰ブロックでできているため「白い街」と呼ばれるこの街ですが

やねは白くないからね。上からは白く見えませんでした。

ちょっと北東に進むと異様な黒い地肌と頂上の白雪、

アレキパの象徴的な活火山ミスティが見えます。

阿蘇のようにカルデラになってたとは知らなかった。

ペルーに来ても観光ができなかった方はこちらでして見ましょう。

後半は残りの五つの世界遺産です。




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2005-09-19

★世界遺産に対するある地元民の認識

テーマ:歴史

こういうニュース  がヤフーで取り上げられましたが

詳細をお知らせいたします。


ブラジル共同通信の情報を基にしたヤフーとは数値が違うところもありますが

うちはペルー新聞最大手El Comercioの情報です。

どちらを信頼するかは読み手しだいということで…。




extragos en nazca



イカ県ナスカの「ハチドリ」の絵の近くパスカナ地方において、

地元の農民、鉱山労働者、酪農家による世界遺産指定地域への侵入及び破壊行為が確認されました。


正確な場所はパンアメリカンハイウェイリマからおよそ415km地点。



写真下部のジグザグの線がその地上絵の一部。


星の軌道、または巡礼のための道路と思われるその線のすぐ上部に

農民によって作られた水路のための溝、そしてまたすぐ上に

パンアメリカンハイウェイにある料金徴収所を避けるために作られた

トラックが通過するための道路が見えます。



casas d esteras



現在既に60家族がその地域にこうやって竹をつぶして編んだシートで作った家に居住しています。

農業や放牧に従事しているとのことですが、

実情はナスカ地域の歴史地域において墓の盗掘をしているのではないかという疑いもあります。



450k㎡という日本で言えばおよそ横浜市に相当する面積を見張っている警備員はおよそ


というか


ずばりそのまま




一人…




たやすく侵入して好きなことできるわけです。



既に警察に訴えは出ていて、彼らを追い出すために手続きは進んでいるのですが

今のところ権威者達は追い出すために何もしておりません。



ペルーに10個しかない世界遺産の一つ。

もっと大切にしましょうよ。


と言っても地元の人からすれば生活の方が大事。


責任は行政側ですね。






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2005-09-06

★ふぅじぃこちゃぁ~ん IN Peru

テーマ:歴史

その女性は絶世の美女でした。


その女性はペルー人でした。


そしてその女性は、第二次世界大戦で活躍した、秘密諜報員だったのです。




「史上最大の作戦」と呼ばれる世界史上いまだ類を見ない ノルマンディー上陸作戦

ナチス・ドイツ領を包囲して攻撃する作戦に出た連合軍は、当時ドイツ軍に占領されていたフランスに

イギリス側から上陸する作戦を立てる。

しかし、ドイツに上陸する場所を悟られてはいけない。

連合国軍側はドイツ側のスパイを利用して、上陸目的地をカレーであるとか、

デンマークであるとか、ノルウェーであるとか、偽の情報を流してドイツ側を欺く。

そしてそのドイツを欺くのに一役買ったのがなんと、美しいペルー人女性だったというのです。



昨日明らかにされたイギリス諜報機関公文書によると、

彼女の名前は Elvira Chaudoir。ペルー人外交官の娘でした。

フランスとベルギーで教育を受けたエリートです。


彼女のした仕事は、ナチスに偽の情報を送ること。


1944年、5月、彼女はスペインのある銀行に

「ロンドンの歯医者宛に50ポンドを送ってくれ」という電報を打ちます。

そしてその電報は、実はナチスに向けられた暗号だったのです。


「連合軍は(フランス南部の)ビスカヤ湾から上陸する」


そういう意味を持っていました。

ナチスはまんまとだまされ、15000人規模の軍隊をビスカヤ近くのボルドーへと移動させます。

ノルマンディーから、直線距離にして400kmは離れている場所です。


そしてなぜかこの記事で繰り返し強調されていること。




彼女エルビラは、当時の諜報員の中でも指折りのグラマーな女性だったということです。



美人…



グラマー…



ペルー人…



つ ま り …












   Princesa peruana



こんな感じだったのでしょうか。


え???なんか文句ありますか?


ペルーで今一番美しくてグラマーな人ですが何か?



そういう人がロンドンでスパイ活動をしていたということは…








una calle de londres con dina




こんな感じやったんすかね。


浮いてるやんけ、めちゃくちゃ。


隠密行動どころやあれへんがな。





まあ(-_-) …







冗談はさておき。



ペルーで当時エリートって言ったら



まっしろけっけの白人に決まってるじゃないすか!!!



何で怒ってるかって?

たかがHPの更新に既に3時間半費やしている自分が情けないんです…(T▽T)。

写真の加工に手間取りました…。



まあ、こんな感じでしょうか→    rita Rita


ディーナ・パウカルもかわいいですよ。



さあ、疑問が残ります。

そのエルビラがたとえ真っ白けっけだったとしても、

どうやってナチスを欺いたのでしょうか。


本当は彼女は、最初はイギリスの秘密諜報機関MI6に雇われていて、その任務でフランスに渡りました。

そしてその渡った地でナチスに買収されます。

そしてそのナチスの任務を実行するために、ロンドンに渡ったところを、

今度はイギリスの秘密諜報機関MI5に雇われ、例の電報を打つのです。


なんなんすか一体彼女。


専門家によると、美人でグラマーな彼女は、

「全く忠誠心って言うものがなかったんだね。ナチスにもイギリスにも。こう言ったそうだよ

 『お金をくれたら、働きます』 そうナチスとイギリスにね」


要するに、小悪魔、つまり、ふじこちゃんです。

式文書によると彼女は


「典型的な、軽はずみで国際的なタイプの人間だった…怠け者だったけど、馬鹿というわけでは全然なかった」


ますますふじこちゃんですな。


そして記事にはこうも書いてあります。


「戦争が終わった後、エルビラは南フランスのある村で暮らした。

 このペルー人女性は同盟軍の侵略の成功に貢献した。

 ただ金のためだけだったが」




…映画化、決定?

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2005-08-30

★聖ロサの祝日

テーマ:歴史

お手伝いの女の子が、日に日にかわいく、日に日に頬が赤く染まっていく赤ちゃんを見て言った。


「この子ったらほんとにかわいい。まるでバラのようね!」


それがそのIsabel Flores De Olivaが、生涯ロサと呼ばれるきっかけとなった。



レオナルド・ハンセンという修道士が、彼女の容貌をこう表現しています。


「丸く、透き通って、穏やかな顔に、

金色で豊かな髪。

すっきりした額、アーチ状の細い眉。

 大きく黒い瞳。

すっとした鼻に、ピンクの頬。

小さい口、とがったあご…」


つまり…






Rosa con Rosas



こんな感じのかなりの美人だったわけです。


なんか慈悲にあふれた聖人なのにちょっと冷たい感じがしませんか?

違和感がありますか?


…でもね、彼女の人生を読み解いていくと、この冷たく見える表情に違和感を覚えなくなるのです。




1586年、父・Gaspar Floresと母Maria De Olivaの間に生まれた彼女は、

イサベル・フローレス・デ・オリーバという洗礼名を授かります。


白い透き通る肌にぽっと浮き立つピンクの頬から、周りからは常に「ロサ(バラ)」と呼ばれますが

彼女自身はそう呼ばれるのがいやだったそうです。


信心深い彼女は幼少より日々家事、お祈り、苦行へといそしみます。

ある日彼女がお祈りをしているとき、子供のキリストが現れ、こういったそうです。


「ロサよ、お前の愛を、全て私にささげておくれ」


その日より、全ての愛をキリストにささげることを決めました。


それからもしばしば彼女の前にキリストは現れますが、

いつも子供の姿で現れたそうです。

彼女がしばしば子供と一緒に絵に描かれているのは、そういう事情があるんですね。


rosa con nino jesusu



キリスト同様、彼女の人生も自己との戦いの連続でした。


自分に誰よりも厳しかった彼女は、色々な苦行を自らに課します。


子供の頃よりこっそりベッドには木材を入れ、枕には木屑を入れていたそうです。

いい加減そんな寝床に恐ろしさを感じたロサは、一度はそこに寝るのをやめますが、

子供のキリストが現れ、諭されたので、もとのように寝ました。

母親が気付いてやめさせてからは、ベッドに羊毛を入れたのですが、それは枕に使っていた日干し煉瓦や

丸太のように固く敷き詰められてあったのです。


そのほかにも…


トゲのついた冠をつけたり、

鉄のとげに覆われた十字架を胸のところに当てていたり、

自分に鞭打ちを貸課したり、

イエスの十字架の代わりに丸太をかついで歩いたり(おいおい)…。

できるだけキリストと同じ苦しみを味わう努力をしたそうです。


また、その美しい容姿ゆえ、男性の目を常にひきつけずに入られませんでした。

それならと、美しく長い金髪をばっさりと切って、顔が見えないようにベールで覆いました。


ある日良家のお坊ちゃんに結婚を迫られたことがあります。

その頃はちょうど父親が事業に失敗して、家が貧しいとき。

両親は大喜びしますが、ロサは


私の愛はイエス・キリストのためだけのもの


と、頑として断ります。

彼女の人生は多くの逸話にあふれています。

ある日彼女がどの修道会に属するべきか、キリストにお祈りして聞いて以来、

彼女の目の前に白い蝶と黒い蝶が現れるようになったそうです。

白いチュニカと黒いマント。

ドミニコ修道会の衣装そのものでした。


santo domingo



それから彼女はドミニコ会のサント・ドミンゴ教会に、毎日お祈りに通うようになります。


またある日、聖マリアに修道院に入って尼になるべきかお祈りして聞いてみたところ、

彼女は急に立てなくなり、兄弟を呼んで手伝ってもらったのですが、

それでも立てませんでした。

彼女は、神が修道院に入ることを反対しているのだと悟りました。

一般にはあまり知られていませんが、彼女は死ぬまで在俗だったのです。



さあ、もう一つの逸話。


ロサと呼ばれることを嫌った彼女が、どうして自分からロサと名乗るようになったのか。


…ある神父に懺悔したとき、ロサと呼ばれることが嫌であるということを打ち明けました。すると神父は


娘よ、汝の人生もイエスがいつくしんだバラのようなものではないかね


と答え、その言葉が彼女の心に残ります。

そしてその後聖体拝領の際、マリアに自らの魂を託すことを想像しているとふと彼女は

自分の魂が受け入れられたと感じ、そしてマリア(もう一人のバラ)にこう呼ばれるのを聞いたのです。


「Rosa de Santa Maria(聖マリアの薔薇よ…)」


教会から出て母親に出会った彼女は、


「今日から私のことは聖マリアの薔薇と呼ぶより他に呼び名がないわ」


と宣言するのです。

母親はきょとんとするばかりです。



彼女の日常は、常に世の中で最も貧しい者達のために捧げられていました。

先住民系や黒人系。乞食や、病人。

休むなく事彼らの世話に従事し、なおかつ、自分への苦行も忘れることがありませんでした。


彼女のその行動振りから、彼女のことを既に「聖ロサ」と呼ぶものが現れましたが、

おごりほど怖いものはないと考えた彼女は、

裏庭に小さな小屋を作り、そこにこもって毎日お祈りに従事します。


自らを痛めつける苦行や極度の断食は彼女の健康を蝕みます。


晩年を会計士のゴンザロ・デ・ラ・マサ夫婦のもとで過ごした彼女は

1617年8月24日、なんと31歳の若さでこの世を去ります。

体は既に半身不随の状態になっていたといいます。


苦しみのもとでも尚彼女はこう言い続けていました。


「神よ、もっと苦しみをください…。しかし、同じ分だけの愛をおあたえください」



…死後、彼女はちょっとした奇跡を起こします。


ローマ法皇クレメンテⅨが自分の部屋で「アメリカに聖女はいるのか」と言ったところ

その書斎に花が降り注いだそうです。薔薇かどうかは知りませんが。


そして以後彼は彼女を崇拝するようになり、

彼女に列福式を施し、聖地に礼拝堂を建てさせます。


…次の法皇クレメンテⅩは彼女のために列聖式を行い、聖人の一人として公式に認めました。

1671年4月21日のことです。



現在彼女はリマやペルーの守護聖人であるだけでなく、

アメリカ大陸全般やフィリピン諸島の守護聖人でもあります。

ペルー警察やペルー看護婦組合も護っているそうです。



毎年ペルーでは、今日8月30日は彼女のための祭日。


彼女が生まれ育ったAv.TacnaのSantuario de Santa Rosa de Limaや、

彼女が幼少期に数年過ごしたリマ県カンタ州のQuive町にたくさんの人が集まり

願い事を書いた紙を、乾いた井戸に放り込むのです。


pozo de santa rosa


願い事は病人を多く治癒したロサにちなんで、病気にまつわるものが多いとのことです。


また、ピンクと白のろうそくに火をつけ、その周りを円形に塩と米で囲みます。

願い事を書いた紙をその二つのろうそくで燃やし、七日間の間毎日三度アベ・マリアのお祈りを続け

その後聖ロサの行進に参加する、そういう習慣もあります。


las velas



…しかしね、彼女の人生はほんとに興味ぶかいです。

ここに書かれてるのはほんの一部なんで。

僕はキリスト教徒でもないし信心深いわけでもありませんが

すごい彼女の人生はドラマに満ちているんですね。


僕はどちらかというとそこに宗教性より更に強く、

もっと心理学的・精神病理学的な

何らかのトラウマに基づいた自己抑圧傾向を感じるのですが。

人格障害?

なんて思ったりもしましたが、それなら自分を差し置いて他人を助けるほどの余裕はないかもしれない。

複雑そうだ。



どうですか?

最初の冷たく見える写真が今では違和感なく感じませんか?



うーん、どうなんだろ。思いっきり俗人な僕には到底理解不能なのか。

人間として向上したいとはいつも思うけど、

そういう追い詰め方に僕は意味を読み取れない。

在俗であり続けたのも、多い誘惑に自分をさらし続けるためではないか。




また気が向いたら、「ロサ劇場」でもやるとしますか。







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2005-07-28

★ペルーの国旗

テーマ:歴史


             banderas



このペルー国旗は四代目なんですね。


垂直な二本の線で三つに区切られ、横二つが赤。

しかし一番最初の国旗のデザインはなんと…



              higeoyaji


なんですか?




ひげおやじ?








答えは…




ドレミファドン!



ドレミファドンといえばあれですわ、×てんのマークのマスク。

それそんまんまなんです。


「…二本の対角線により四つに分けられ、上下部分は白、左右部分は赤…」 つまり



             bandera con diagonales



こんなだったんですね。


手前に青い海。奥に山脈。その後ろから太陽が昇っているという。




…1820年9月8日のこと。


王党軍征伐へとイカ地方ピスコに上陸したホセ・サン・マルティン将軍は軍を休ませ、

自らも椰子の木の下で仮眠を取ります。

そしてある夢を見ました。


独立バンザイ!!


民衆が美しい旗を振りながら独立の雄たけびをあげています。


ハッと目を覚ました瞬間、空高く飛ぶフラミンゴの群れが一つの帯となって、北へ向かうのを見たのです。

側近へ声をかけます。


お前達あの北へ向かう鳥達を見たか


―はい、将軍。赤と白でございました。


アンデスフラミンゴと呼ばれるその鳥は、羽根は赤く胴体は白い。他の側近も続いて言いました。


―まるで旗のようでしたな。(←ここらへんちょっとわざとらしい)


あれは旗だ


…首都リマのある北へと向かうその鳥達は、まるで彼らに行く道を示しているかのように見えました。

その時の彼らの目に焼きついたが、そのままペルーの国旗の色となって、

今に至るまで残っているのです。




まあそんなことはいいんですよ。


昨日ちょっとショックなことがあって、ペルーに来てから一番落ち込んでいる今、自分の事しか考えない僕は、

何のための独立記念日かと。騒ぐなと。


そんな僕に、ちょっとした奇跡が起こりました。


ミラフローレスで仕事を終え帰路、いつもよりにぎわうケネディ公園を歩いているとき、

例の円形階段状広場で、民族衣装を着た若い男女が、フェステホと呼ばれる

まさにその国旗が生み出されたイカ地方の、アフロペルーダンスを力強く踊っているのを目にしたのです。


黒人奴隷達によって生み出されたその舞踊は

カホンと呼ばれる箱型太鼓の力強いリズムで

その地特有の衣装を着た若者達の腰を上下左右に揺さぶり、激しいステップを、裸足の足に刻ませます。



             alcatraz



他の観衆と共に徐々に引き込まれていく僕の意識は

若者達が火のついたろうそくを手にしてアルカトラスを踊り始めたときに

少しづつ明るく照らされていきました。


ペアになって踊るその踊りは、お互いの腰につけられた紙片を、

片方がろうそくの火で燃やそうとすれば、もう片方が腰の動きでその火を消そうとする、

とてもユニークでセクシーな踊りです。


若者達がその踊りで一曲終えた後、見ている観衆の中から数人を引き込み、

火を消させる役目をさせたり、火をつける役目をさせたりして、更に激しく踊り続けます。。

飛び込んだ素人さんも大ノリで腰を振るもんだから、

老若男女観衆は大笑いです。


一緒に大笑いしながら僕は思いました。



神様っているんだなあ…



単純な性格は、僕の悪いところでもありいいところでもあると思います。



独立記念日バンザイ!!!



また一つペルーが好きになりました。



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