4回目の中間報告でございます。ちょいと忙しいので手短に。


メモ  メモ  メモ  メモ



当初の目標は7週間で6キロということですので、早くも半分以上の期間が過ぎてしまいました!

期間按分して今までに3.5キロ減っていれば順調というわけなのですが、さすがやると言ったらやり遂げる意志の強い椿姫さん!、簡単にクリアしておりますことよ。 お茶の子さいさい、ワッハッハ~!


「偉そうなこと言って、一週目の下痢がなかったら全然駄目だったんじゃないの?」と鋭いご指摘をなさる方もいらっしゃるでしょうが、いいんです、理由はどうであれ上手くいってれば。


今のところ4.5キロ減です わんわん


ほぼ一割減ったわけですからそりゃあお腹の周りがすっきりしてスカートのチョイスも増え、上半身も日本から帰って以来カラダの線の出ないシャツやブラウスで誤魔化してましたが、そろそろぴったりとしたニットや長袖Tシャツ類も復活させています。


クールに、「大したことしなかったんだけど自然に減ったのよね」と言いたいところですが、実は必死で頑張ったんです! 仕事を放っぽって、仕事を効率的にこなしてジムに行き、短い時間でグヮーっと走ったり泳いだりもしたのですが、それよりもこの一週間は(週末を除く平日だけですが)、食べる量をうんと減らしました。幸い残業続きでゆっくり夕食取ってる暇がなかったので、帰宅してからちょっとだけ。残業中にお菓子をつまみ食いしてるのであまりお腹が空いてなかったこともありますが・・・。


それって最悪のパターンじゃん!ということは承知なのですが、全体量は減らしたので、胃袋も私のやろうとしていることを理解してくれたみたいで、あんまりピーピーグーグー要求しなくなりました。運動をした後はしばらく何も食べたくなくなるということもわかったし。


・・・このままいったら拒食症になるかも・・・ ガーン



なーんて冗談はさておき、(だってそうでしょ、なるわけないじゃん、この私がまさか)、もう暫くこのペースで頑張りたいと思います。

でも、そろそろ飽きてきたので(すぐ飽きるB型)、実を言うともう少しレベルアップして短期間で一気に勝負してしまいたいという気もします。


ですから、もしかしたら来週のご報告のタイトルは、「祝日 目標達成、ダイエット終了!」になるかも。


なるかな? ならないかな? ちょっと無理かな?


まあやり過ぎはよくないので、あと一歩なのではありますが、ゴール寸前に体を壊して倒れない程度にしときます。

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ロンドンにいても日系企業で働く私は決算間近の追い込み仕事で残業を余儀なくされ、今週は毎晩タクシー帰宅となりそうです。トホホ


地下鉄だと一時間掛かるところを35分で済むので時間の節約と言えば言えるのですが、新聞読めないし、なんだか無駄にしているような気がしてなりません。今日のような雨降りの日は玄関乗り付けで助かりますが。そう言えば今日は日中アラレも降ったし、きっと寒かったのでしょう。



今夜のキャブは、いつもの道がサッカーの試合が終わって混んでるとかでちがう道を通ったのですが、ハムステッド(Hampstead)という高級住宅地の瀟洒なご邸宅を眺めながら走って良い気分でした。いつもはシティを出るとすぐシャビーな地域に入ってそのまま庶民的な我が家周辺に着いちゃいます。


途中で何軒か日系ではななさそうなカウンター形式のスシ・バーを見つけ、フーンこんなに浸透してるんだとあらためて思いました。よく普通のスーパーやサンドイッチ屋で売っている日本人にはとても食べられた代物ではないひどい類の寿司なんでしょうけどね、きっと。あんなものが寿司だと思われたらたまりませんよ、全く!


ダイエット中だから食べ物屋に目がいくのかもしれませんが、今週はいくら忙しくてもなんとか時間を見つけて毎日ジムに行けるように努力するつもりです。体を動かしてリフレッシュした後はまたしっかり働けるので、結局能率向上に役立っているはず、と言い張ってこそこそとジム通い。


遅く帰宅していくらお腹が空いていても、そこでフルに夕食を食べたら豚になってしまうので、トーチャンの美味しい夕食はほんのちょっとだけ頂いて、寝ちゃうことにします。


さあ、明日も明後日も明々後日もしっかり働いて運動もして元気に過ごしましょう。ジムの体重計にのるのも実は密かな楽しみ!

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Mother's Dayに母の着物

テーマ:

今日はイギリスでは母の日でした。

娘から手描きの絵のカードをもらいました。近いうちにお見せしますね。

トーチャンからは市販のカードをもらいました。私はトーチャンの母親ではないけど・・。でも「妻へ、母の日に」というカードでしたから、今日は母親である女性全てにお祝いする日なんですね、きっと。



母の日ということで、先月実家から持って来た母のお古の着物を着てみました。天気悪いのでどこにも行きませんでしたが。


どっしりと重い黒地に金色の刺繍の不思議な柄が付いてます。色合いはまるでクリムトの絵のようでしょ?


黒小紋1   黒小紋柄拡大


いかにも昭和の中頃という柄は今では明らかに流行遅れ(着物でも流行りはあるのです)。しかも黒色はオペラハウスの客席では目立たないので着てもぱっとしません。それなら他にどこか着て行くところがあるだろうかと悩まなくてはならない代物なのに今回持って来た理由はこの帯と相性がよさそうだということですが、いかがでしょうか?


この市松の袋帯は私が子供の頃からよく使っていて思い入れがあるので去年実家から、いわば子供時代の思い出と一緒に持って来たのですが、この年になるとさすがに派手過ぎて、やっぱり無理かしらと諦めていたのです。

でもこの着物を見て、色目が似てるのでロンドンでなら着るチャンスがあるかもしれないと思ったわけです。


好みではないので古着屋で千円で売っていても私は見向きもしないだろうし、他の人も買うのであれば「千円なら座布団にでもするかな」ってことになりそうなちょっとヘンテコな着物ですが、縁あって50年も実家の箪笥の中にいてくれたのだから、なんとかいつか陽の目を見せてやりたいと思ってます。母も気に入ってなかったのか、どうも一度しか着てないようですし。


市松帯は裏面がちがうサイズになってますので大きい方でもいいかも。でもやっぱり光りすぎで派手かしら? 白い帯なら無難でしょうか?面白くないし、第一これではこの着物を持って来た意味がないですが。


黒小紋4   黒小紋2


↓ 母がこれを着ている写真もあります。羽織で柄が隠れてますけど。

母と  母と2歳の私

これは私の七五三のお宮参りの写真ですが、母はこの着物をこの日のために新調したのです。子供のイベントは新しい着物を買う良い言い訳ですもんね。私や兄の入学式や卒業式には随分前から母は何着ようかしら、新しい着物買っちゃおうかな、と嬉しそうにああだこうだ言ってましたわ。当時は誰でもそうだったでしょうけど。

この羽織の色はわからないのですが、それにしても、当時の羽織の丈は随分長かったんですね。今着たらちょうどよさそう。


753  私と2歳になったばかりの娘



七五三と言えば、娘が2歳になったばかりの11月にちょうど日本に遊びに行っていたので、地元の神社と名古屋の熱田神宮にお参りしました。上の白黒写真で私が着ている菊柄の着物はその時まだ実家に残っていたのですが、あまりに柄が古臭いのと小物が足りなかったので、娘の一揃いは貸衣装です。今思えば、着物だけでも私のを着せればよかったですけどね。


私の紺色の紅型は、これより15年前に作ってもらったのですが、若いときには地味過ぎたので、この日初めて着ました。それから又長い間仕舞われましたが、最近ロンドンで重宝しています。


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3月22日にロイヤルオペラハウスのEugene Oneginに又行きました。


一回目は舞台袖の臨場感と細かい演技が楽しめる席でしたが(37ポンド)、今回はupper slipで11ポンド。横の高いところから見下ろすこの安い席、天井からも後の壁からも音が跳ね返って素晴らしい音響です。見やすい字幕もしっかり読み、あらためて主人公たちの気持ちもなるほどと思うことが多く、舞台もちがう角度で見て全体像がわかりました。


あらすじや登場人物についてはオネーギン(その1) を見て頂くことにして、まずは今回新しく作られた舞台にてついて。


 舞台セット

幕が上がると、まず舞台にこの絵が。舞台の全部を占めるほどの拡大版です。これを見た時の観客の反応はというと、「ワーッ」という声が聞かれたわけではなく、絵のサイズに驚きはしたものの、私もそうですが、「えッ!こ、これは?!何か意味があるんでしょうけど・・」と思い、「もしかしてこの新舞台、意味深長なセットや衣装が頭でっかちな類なのだろうか?」と期待半分怖れ半分という雰囲気だったでしょうか。 


onegin 1 「裸で海辺に佇む青年」 by Jean Hippolyte Flandrin (仏1809-1864)



まあ普通に考えればオネーギンの悩む姿ってとこでしょうが、ホモセクシュアルを示唆するという新聞批評がいくつかありました。チャイコフスキーがホモだったことは有名で、それを苦にして自殺したというのが一般的な説ですが、そういう性癖のチャイコフスキーがオネーギンとレンスキーの親友同士をそう解釈したかもしれないと言いたいのでしょうか?

うーん、プーシキンの原作ではそうなってないと思いますうが・・。


他に2枚同じサイズで女性と男性の苦悩する顔のアップの絵が途中少しだけ現れますが、思わせぶりなのはそれだけで、大道具小道具、19世紀初頭の衣装ともかなりオーソドックス。色調はパステル調で明るく、まるでディズニー漫画映画みたい。途中で部屋ごと舞台上で数人によって動かされたりして、「作り物でございます」というのがコンセプトなのでしょうか?


特筆すべきは、水を張った大きな池で、ジャブジャブと水遊びをするシーンもあります。どうせ水があるのですから、本当に雨も降ります。池は第三幕では冬の設定でスケート場になり、数人が実際に滑ります。特殊な素材の床でしょうが、アイススケート靴で本当に氷の上を滑っているように見えるのです。これはなかなか印象に残る場面です。

演出のSteven Pimlott, デザインのAntony McDonaldとも特に有名な人たちではないですが、この舞台を素晴らしいと思った人は少ないようで、初日にだけある演出家とデザイナーのカーテンコールもブーイングこそ出なかったものの、冷ややかな反応でしたし、新聞批評も褒めた記事は私の知る限りひとつもありませんでした。


私は結構気に入りましたけどね。


失望したのは最後の公爵邸での豪華な舞踏会のはずの場面が戸外のスケート場になってしまったこと。ここはやっぱり貴族の洗練された社交界を見せて、タチアナの実家の田舎の舞踏会とのちがいを示して欲しかったです。オネーギンがタチアナに惹かれる大事なシーンなのですし。



 トリビアあれこれ

チャイコフスキーはこの作品をオペラとは呼ばず「叙情的な場面」と名づけ、中年の歌手が大袈裟な身振りで仰々しく歌うのを避けるため、小編成のオケで主人公たちの実年齢に近い音楽学生を起用して初演したそうです。当時「オペラ」というとヴェルディの「アイーダ」のようなグランドオペラのイメージだったので、それとは異なることを示したかったのでしょう。


チャイコフスキーはこの作品に自信があったようですが、あえて通常の順序に逆らって、1878年の学生による初演の後はまず楽譜を発売。それが大変な人気となり、たいそうお気に召した当時の皇帝アレクサンドル3世(ロシア革命で処刑されたニコライ2世の父君)の要請によって大劇場で上演されることになったそうです。


その後シーンを追加したりして今の作品になったようですが、興味深いのは、最後のシーンの終わり方。プーシキンの韻文小説では」とオネーギンの求愛を退け、オペラでもタチアナは一度はほだされて「愛しています」と言うものの結局は操を守って彼を拒否するのですが、なんとチャイコフスキーの初版はタチアナとオネーギンと抱き合うところで幕が下りたそうです。これだと全くちがう物語になってしまいますよね?!


だけど、「国民的詩人作家プーシキンのヒロインのモラルを貶めるとはけしからん」というツルゲーネフやドストエフスキーら当時のロシア文学界のお偉いさん方に睨まれて、原作通りの結末に変えたそうです。


プーシキンは37歳で決闘により死亡したそうです。相手は妻とスキャンダルを起こした男性。下らない(?)ことで昔はすぐ決闘したんですね。勿体ないことです。

(プーシキンってこんな人です。短いけどなかなか波乱万丈な人生) 

        ↓

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/poet19/pushkin/pushkin.html


onegin 2  タチアナの実家での田舎の舞踏会。

「楽しく過ごしてる?」と尋ねるレンスキー、「退屈で死にそうだよ」と答えるオネーギン。(本当はちがうこと言い合ってますけど)


 今回のパフォーマンス

(第一幕目はタチアナが主役、第二幕はレンスキー、第三幕はオネーギンで主役で、それぞれの聞かせところもほぼそこに集中という大胆な構成になっています)


タチアナのアマンダ・ルークロフト、高音は駄目でも、声量もあって中低音はなかなか魅力的な彼女、この役は向いてます。でも長い長い手紙シーンは退屈で居眠りしちゃいました。ジムで運動して疲れてたし、この席からはハンサムな指揮者Philippe Jordanの身振り手振りの熱演も見えませんからね。


レンスキーのロランド・ビリャゾンの出来は初日の方がよかったように思えます。それとも、初日は近くで観たので彼の一生懸命な演技に引き込まれてつい歌も上手に聞こえたけど、遠くから音としてだけ聞くと、美声でもない彼の声は魅力に欠けるってことでしょうか?でも、いつもより声の伸びはたしかに悪かったと思います。


ディミトリ・ホロストフスキーは、近くで見るとちゃんとニヒルなオネーギンを顔で表現しているのですが、遠目にはわからないので、ただ突っ立ってるだけのように見えてしまいお気の毒。第一幕では声が出ず、今日は調子悪いのかしらんと心配でしたが、自分が主役の第三幕ではさすが、遠目からでもわかるタチアナへの迫りぶりとともに声もよく出て、これはやはりはまり役。


公爵のEric Halverfsonはこの夜はお疲れ気味のようで、いつもはよく響く低音もいまいち迫力不足。



3回目はどうする?

歌手がキャンセルした場合の予備にもう一回分安い切符が2枚買ってあったのですが、2回とも出るべき人が出てくれたので3回目はどうしようかと思っていたところ、観たかったけど売切れでがっかりしていた人がいらしたので喜んでお譲りすることにしました。売切れだったら一人で何度も観ては申し訳ないですもんね。


それにしても、売切れとは。

これは、ホロストフキーは出過ぎでもオネーギンは別と思う人が多いのか(私もそう)、それとも大躍進中のテノールのヴィリャゾン人気か?


また一週間が過ぎ、3回目の中間報告でございます。


    



1週目は下痢で3キロ落ち(報告1) 、2週目は節食にも拘わらずリバウンドで現状維持((報告2) 、ということでしたが、


今回もまた「必死に運動しました!食べ物減らしました!」というレポートでは退屈でしょうから、趣向を変え、「4週間後のダイエット完成時のご報告」の下書きを公開することに致しましょう。



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仮タイトル : 私はこうしてダイエットに成功した   (2006年4月20日) 

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日本で付いた贅肉を落とための7週間のダイエットが終わり、目標通り6キロという私の体重からしたらかなりの割合となる贅肉を落とすことができました。


空腹に耐えながら食事制限をし仕事が忙しい時期にも拘わらず時間を割いて毎日ジムにも通った努力の結果であり、自分の意志の強さに我ながら驚いています。

これも皆様のご声援によるところ大であり、感謝の念に絶えません。本当にありがとうございました。


ブログで宣言するといういささかドラスチックな手段に出たのも良い結果につながったにちがいありません。何度も挫折しそうになったのですが、「ブログを読んでくださる方々を失望させてはいけない」という強い気持ちが誘惑から救ってくれました。


たかがダイエット、でも目標を達成した満足感は格別で、他にも努力して改善できる点もあろうかと、大袈裟に言えば人生が明るくなりました。


この数週間、私の愚痴や苦しみを読んで下さったこと、重ねて御礼申し上げます。


スリムボディ  ← (自分の写真を添付する)


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「成功した場面を想像するところから実現へのステップが始まる」、と言ったのは、デカルトかフロイトか椿姫か・・・。


「なんだよ~、こんな記事で誤魔化すなんて、又しこたま食ってブヨブヨしてんじゃねえのか?」と思われる方もいるかもしれませんが、そんなことはございません。スローペースではありますが、順調に引き締まりつつあり、来週は良いご報告ができる見通しです。


だから本当に声援してね!