みなさま、徳川家康の遺訓ってご存知?
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。
家康の人生ね、まさしく。
ワタクシ、こちらの遺訓があることも知らなかったのに、
これを諳んじる方に先日お会いしたの~
その方、なぜ諳んじてるかって?
それは!大樹寺小学校卒業生だからなのよ~
徳川家菩提寺である大樹寺 。
その隣りに佇む大樹寺小学校では、
1年生の時から、全校集会でこの遺訓を読み上げるですって~
これは道路を挟んで小学校側から見た山門↓
振り返れば、小学校の校庭
校庭を挟んだ奥に、さらに総門が!
分かるかしら? あの門の向こうに小さく見えるのが、
家康が誕生した、岡崎城なのよ~
本堂から山門、総門を通して、
岡崎城から一直線上をつなぐ敷地に建築をする際は、
岡崎市の許可がいるんですって 景観を保護する条例があるよう
そんな家康公お膝下の小学校。
学校行事には、家康を学び尊ぶ機会がたくさん設けられているそう!
「竹千代さまこちらです。」は、運動会の競技の一つよ
ご興味のある方は、ぜひお調べになって
こちらが本堂↓
本堂の裏手にある、松平八代の廟所よ
徳川家康のお墓よ
桶狭間の戦いで逃げ帰った彼の自殺を留めたのが、
こちらの大樹寺の住職。
そして、大樹寺 のご朱印がコチラ↓
家康が旗印にした
「厭離穢土欣求浄土」 が書かれているでしょう
この言葉を胸に、江戸幕府を開いたと信じたいわ
若い時に負った傷や教訓って、一生忘れないものなのね。
その想いを糧にして、やり遂げた彼はやはりただモノじゃないわね
しかし、岡崎市の家康への愛には驚かされるばかりよ
あぁん、三河武士。
では、今夜はココまで。
おやすみなさい