断捨離とは、
自分で自分に課しているブレーキを特定して、
そのブレーキを外していくこと。
ブレーキとは、たとえば、
「まだ使えるから、もったいない」(それって、使うんですか?)
「自分の意見を言ったら、嫌われるかも」(本当ですか?)
「親の期待には、答えないといけない」(そうしたいんですか?)
こういう「思い込み」のことです。
もし、あなたの人生に良い影響を与えているなら、
これらの「思い込み」はアクセルになりますが、
つらいなぁ、キツイなぁと感じるのであれば、
つまりあなたの「ごきげん」に貢献できていないなら、
ブレーキとなるのです。
さて、断捨離とは、
知らず自分に課している制限から卒業し、
あらたなステージに入学していくこと。
でね、そのブレーキ、その制限とは、
自分を一番損なうブレーキとは、
自分を一番停滞させる制限とは、
いったい何だろうかと思うことがある。
それはね、「知識」ではないかと思うのです。
いえ、これだと、表現が適切ではないよう。
そうですね、正確にいうと、
知識があるという「囚われ」が、
知識を持っているという「こだわり」が、
逆に、思考停止や行動の阻害に繋がると
やましたは、思うことがあるのです。
知らないことを、知るのは愉しい。
知っていることを、さらに知るのも面白い。
けれど、時々、こんな場面に遭遇することあるのです。
「そんなことは、もう知っています」と、
そんな反応に出逢うことがある。
この「もう知っています」という、
ことさらな主張の背景には、
知識を持っていることに価値を見出している姿が、
垣間見えませんか。
知識の内容以上に、知識を「持っている」ことに焦点が、
あたっているスタンス。
けれど、断捨離が好む姿勢は、
モノとの関係でもそうであるように、
「商品価値」ではなく、所有しているモノに見出す、
自分にとっての「活用価値」。
だから、断捨離が大切にするのは、知識よりも行動。
断捨離が重要視するのは、知っていることではなく、
その知った内容を、行動へと転化していくこと。
「知っていること」を、繰り返し知ることは、
行動へのより大きなトリガーとなりますよね。
だからこそ、断捨離は、何度でも繰り返す。
そうやって、断捨離は、何度でも学ぶ。
そう、断捨離が目指すものは、知行合一。
知行合一とは、知識と行動を一致させていくこと。
「知識は、行動によって知恵となる」
そうですね、知恵となって潜在意識に刻み込まれれば、
それは、必要な時に、いつにでも自分を助けてくれるから。
いかがでしょう。
・・・・・・
もう知っています。
そんなこと知っています。
というのは、大して意味ないことですね。
それがちゃんと定着して行動できていないと。
だから、同じ著者の本を読むと同じようなことしか言っていなくて、
しつこいよ!
とか思う時がありますが、同じようなことを繰り返し読んで体に染みこませる事が大事なんですね。
人間はすぐに忘れる生き物ですから。。
自分が興味ある話には、同じような内容でもしつこいくらいに何度も耳を傾けたいと思います。