おしのさんの東京生活~50代の津軽海峡越え

楽しんで たのしんで。

笑って わらって。

だいじょうぶ。

道産子半世紀 ひょんな事から上京。

色んな事を生み出す『おしのさん工房』始まります。


テーマ:
お盆休みは11日から15日だった。

亡くなった父のお墓は遠い津軽海峡を越え

新千歳空港におりて そこから2時間余り

車を走らせ海を見下ろす高い山にある。



東京なんて出てきて父はお墓の中で

怒っているのかも知れない。

まして再婚の報告も墓前にしていない。



そっと手を合わせてみる。

毎日 働いています。

がんばって。。いるよ。



お盆休みには父の眠る街から次男が

東京の私の所に 遊びに来た。


私にとって『家族』は鬼門でトラブルで

心の傷で トラウマだと感じていた。




子供達が幼い頃の私は 今思えば

私の母親。。お母さんみたいに!

お母さんの言う通りに!

お母さんがやって来たみたいに!

家事も育児もやりくりも親戚付き合いも

がんばって がんばって!

お母さんを安心させて

お母さんを喜ばせて

お母さんに 認められなければ!
  



と。。本気で思っていた。




母親と自分自身の人生も 性格も

好みも 選んだ男も 産んだ子供も

住んでる家も 収入からインテリアまで

何もかもが 違うんだよ!



と。。今の私があの頃の私に 叫んでやり

たい。
 


『お母さんみたいに出来ない私』を

自分で裁いていた。

それ以上に 母親は私を 裁いた。



ありとあらゆる批判や裁きの言葉を

容赦なく私の子供達の前でも吐いては

ダメだ!ダメだ!と掃除のやり直しをし

インテリアまで変えては 勝手に物を

捨てて帰って行った。



その上 父親と母親は暴力沙汰のケンカをし

何度も母親は殴られ家出を繰り返していた。

その中に入り込んでは介入し

そして母親も私の家庭に介入した。


そんな日々の中


私は 精神が病んでしまった。



『うつ病』と診断されても母親は

情けない!恥ずかしい!と言ったかと

思ったら『あなたと私は一心同体なのだ』

と言う。


動けなくなった私は渋々 3人の子供の

母親に面倒を任せ 家事をさせた。
 
それが情けないとまた母親は私を責めた。


子供達が かわいそうだとは

思わないのかい?!


思ってますとも。

思ってますとも。



幼い子供の目に 私はどう写っただろう。



その後 離婚し就職していた上の二人は別に

末娘だけ連れて 母親と同じ暴力亭主

から逃げた。




その間 ずっーーと母親は私のことを


恥ずかしい!

情けない!


と 呪いのように言っていた。



あんた達のママは 恥ずかしいねぇ。

あんた達のママは 情けないねぇ。



子供達は幼い頃から その呪いの言葉を

聞いて育ったせいか。。

ほんとうに 私がそうだったからか。。



私は 子供にも裁かれてしまった。

母親の威厳を持って 言う時は言う!と

言ってみても。

『うつ病のくせに。』と母親から

引き継いだお決まりの言葉が 返って来た。




理解されるより

理解する ことを。。



そんな祈りの言葉さえ 自己卑下な気持ちに

させた。


私さえ しっかりしていたら。

私さえ お金や力があったのなら。

私さえ 普通でまともで親らしかったのなら。





全部 私の責任なのだ。と認めた後には

罪悪感と自己卑下の中に長い間

暮らしていたように思う。






だけど。


私は なぜか

あきらめたく なかった。


何を?って



自分の人生をさ。

あきらめないで

自分らしく

幸せになることを。


ニヤリニヤリ



家族から受けるバッシングは 思い出しても

心が痛むけれどね。


いんだ。いんだ。

言わせておけ。

聞き流せ。

放っておけ。


自分の人生だけを

考えろ!


そうそばにいて8年も 言ってくれた人と

東京に来た。


働いて 楽しんで 残りの人生

自分のために 生きたいんだ俺は。

そう言う人と一緒に居る事を選んだ。




その人との暮らしのお盆休みに 次男が

来た。


私は何日も前から緊張していた。

また何かバッシングされるのでは。

何せ

私は バッシング家族には

東京行きやら再婚やら。。

何も告げず 黙って来たのだ。



なのに

不思議と次男だけは私に ラインをして

くれていた。

母親やらバッシングが得意な長男の話しや

末娘の話しは 一切しないでいてくれた。



それが私への 救いとなっていた。

描いたイラストの写メや ちょっとした

日々の次男の愚痴を聞くのが 嬉しかった。



旅費は夫が 出してくれた。

おこづかいは 私が。



羽田空港に5年ぶりに会う次男の顔を見て

少し泣きそうになった。

お決まりなのか次男は私に「太ったんじゃ

ない?」と言った。


いつまでも40キロ代の若者だと思っている

のか。母親には中年やら老いてほしくない

のか。


ひげ面の筋肉質の背の高い この若者が

私の産んだ あの小さな可愛い男の子

なのか?


一体 何年会ってないのか。

私は浦島太郎の気分だった。


この若者は 私の 息子 なのだ。と

心の中で言い聞かせたりした。



モノレールを降りる頃に次男は

「俺が産まれた産神様の神社に 行きたくて

 調べて来たんだ。

 品川の荏原だったよね?」


そうだよ。と答えて そうだった。と

思った。

私は長男と次男の双子を品川区で産んだ。



電車を乗り継ぎ 暑い暑いと言う青年と

荏原神社へ向かった。


ひげ面の筋肉質の タトゥーが入って 

個性的で誤解されやすいけど優しい

ピアスした背の高い青年は

「ここは龍神様の神社なんだよ。」

そう言うと二回柏手を打って 二礼し

ぱん!と手を打ち 真摯に頭を下げて

祈っていた。



誰もいない神社に 息子と二人きり

祈った。


先に祈り終え 少し後ろに下がって

次男の後ろ姿を見ていた。



生まれた時から こんなに大きくなるまでの

色々な事を その背中に思い出していた。



どうか 息子を よろしくお願いいたします。


もう一度 頭を下げた。



その頃3日息子は 東京に居た。


ぽつりぽつりと 家族の話しになったが


「みんな大人に なってるんだから。

 だいじょうぶ。」と だけ言った。



好きな事をしたいから 今の街を出ると

言う次男。


「安定を捨てるのは 怖いけれど。

 私は好きなことをした方が

     いいと思うよ。」


そう言った。


あきらめない。

あきらめない。

時々 あきらめても

あきらめない。





親子は不思議なものだ。


たいして会話をしなくても 何となく

お互いにわかるものがある。



だからこそ ちょっと息苦しくなったり

するのかも知れないね。



二人で夜 何を話す訳でもなく

黙ってテレビを見ているだけで


あぁ。こんな時間をこの子が小さい時も

過ごして来たなぁと思っていた。



この子の他にもこどもが ふたぁり。

ぜんぶで さんにん。


みんなでテレビを みていたなぁ。



そんな何でもない日が いとおしくて

懐かしくて 胸が詰まった。




別れ際に私は 財布を忘れてしまった。


財布を忘れる事なんて無いのにと慌てる

私に


夫から少し笑って

「息子が帰るの さみしいんだろうな。」

と言われた。



うん。。さみしいかもね。。と


私も 少し笑った。



私の子供達よ。



どうか 自分の人生を



あきらめるなよ。















  







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