2歩進んで3歩下がって6歩進む

つれずれなるままにもっちゃりと

とにかく。更新することって大切だなぁっておもいました。
うん。
森良太です。よろしく


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生きることが善で、死ぬことが悪だとしたら

人は悪に向かって一直線ってことになってしまう。

 

最近、100円の自販機がよく目に留まる。

結構な確率でホットのミルクティー(俺が好きなやつ)が売っている。

俺は小銭入れをすぐなくすのでいつもポケットに直接小銭をいれている。

先日も、友人が気を利かせて小銭入れをくれた。

白い革製の小銭入れで小銭をいれるポケットとカードが1枚入るスリットがついた

とてもシンプルなものだった。

その簡素な作りに惚れ込んで、出来る限り長く使おうと心がけていたのにも関わらず数日で無くした。

心当たりのある場所と道を3往復してまで探したが(10キロ以上は歩いた)まるで見つからず自分のアホさにほとほと呆れ返り、もう小銭入れはもたない。と心に決めたのだ。(その決意もすぐに揺らぐのだと思うが。)

 

ポケットに手を突っ込んで、小銭の側面を指の腹でなでる。

そして、穴があいていないことを確認して100円を自販機に投入する。

ホットのミルクティーのボタンを押す。

温かいなぁと感じるのも束の間、飲み干すまでには冷たくなってしまう。

「あぁ、何かを例えるのには便利な出来事だなぁ。」

と思う。

例えば情熱なり、恋なり。空っぽになるまで温かさを保つのが難しいことは

世の中にたくさんある。

最近、生きることと死ぬことについてよく考える。

いや、別に最近ってわけでもないな。

ずっとずっと小さいときから、自分が生きていることが不思議でならなかった。

2本の足で立って進むことができて。

こけたら痛い。

小さいときに周りにいた見渡す限りの年長者はみんな生きる為に生きているように思えたが、その理由を考えれば考えるほどいつも言いようのない不安を感じていた。

 

いた。と過去形で書いたが、別に今だってそうだしこれから先もそうなんだろう。

 

意味や理由なんてものは別にないのだ。と納得できるほど素直でもないし

かといって、それが明確に分かる訳でもない。

日々、生かされているという感覚を全身で受け止めながら

自分のことを必要としてくれる人達や、自分が必要に感じる人達に対しての感謝や愛までわからなくなってしまうことが不道徳なことだという感覚も根っこには備わっている。

 

だから、どうすればいいかわからない。

 

と思うことがたくさんある。

ホットミルクティが冷えて、舌に残る甘ったるさに嫌気がさすように

ただ、温度が違うだけで人生というのはまた変わった一面をみせることもある。

 

家にかえって、机に散らばった小銭に目をやる。

いつもかえるとポケットから小銭を出して机に置く。

今日は冷えてアイスになったミルクティも隣に。

とても散らかって見える。

だけど、俺はそれが好きだ。

小銭は価値が見た目でわかるようになっている。

違いを識別できるように記号としての形を与えられた小銭の顔しか人はしらない。

だけど、机に散らばった小銭からは個性を感じる。

くすんだ100円でも、比較的綺麗な100円でも

ホットミルクティは買えるし、違う100円で買ったホットミルクティも同じように冷える。

それを不思議だなぁ。と思う感覚が俺を生かしているのだと思う。

 

上着を脱いで、ハンガーにかけながら滲んできた汗を感じる。

こんなようなときにたまに、飲み干す前に冷えてアイスになったミルクティを美味しいと感じることがある。

 

だから、わからないのだ。生きるということは。死ぬということは。

 

くすんだ100円を見て親近感がわいたりするのも、500円がひときわ立派に感じるのもなんだかものすごくめんどくさいと思う。

人はその気になれば100円で「わからない」を買えるのだ。

生きるということはわからないしめんどくさい。そして美味しいし、空っぽになってまだ飲みたいと思ったりもする。

 

 

 

生きることが悪で死ぬことが善なのだとしたら

そんな極論には誰も耳を傾けないだろう。

 

 

 

まぁ、くそどうでもいい話だな。それも。

 

 

 

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また、何回も

書いては消して。を繰り返している。

 

正直、森良太として伝えたいことが価値を生んでしまうのであれば

俺は音楽の悪魔に魂をお裾分けした意味がなくなってしまうのじゃないかと

いつも不安になる。

なんというか、俺個人のことなんか誰にも理解してほしくないのである。

というか、誰にだって理解できないと思っている。

そういう、一種の孤独みたいなものがなくなってしまったら

カップラーメンみたいな曲を量産するようになるんじゃないかと思う。

あくまで想像でしかないけど、それがなんとなく嫌で首を縦に振ることができずにいる。

孤独と愛情は11:59と12:00くらい近くて遠い。

 

言葉というものにはとても不思議な力がある。

言葉は現実を色んな色で照らすことができるし、質量のないなにかに質量を与えることだってできる。魔法みたいなものだ。

ただ、言葉ですら今の自分を正確に表すことができるとは思えない。

それくらい人間の心というやつは多次元的でややこしいものだとおもう。

いままで書き連ねてきたことは、俺自身のことであり、あなたのことでもある。

つまり、俺はあなたのことを理解することなんて到底できないのである。

それを分かり合えたと思った瞬間、それはおそらく消費期限つきの「理解のようなもの」に変わってしまうのだと思う。

世の中にはそういう「本当みたいなもの。」がたくさんあふれているんだと思う。

「愛」という言葉でなんとなくデコレーションされている「欲」だったりとか。

まぁそんな無粋な例ばかり並べていてもぜんぜんロマンチックじゃないからやめておくけれども。

 

正直になればなるほど気持ちはめんどくさい。

本当のことって、わかってもらえないと本当以外のことになってしまうから。意地でもわかってほしいと思ったりするし

本当じゃないことって、わからなくてもわかっても本当じゃないことだから。

 

身も蓋もないことをいうけれど

俺が歌いたいのは「愛情」一点なのである。

本当のことを歌いたいとかそういうことでもない。

全ての原動力は「愛情」だと本気で思っているから

気に入らないことばっかりなのも、いつだってハングリーなのも、僕を殺す君の言動さえも全て愛情に帰結するための萌芽で、必要な情動(パトス)であり、凪いだ海のようなエートスなのである。

 

 

あなたが産まれて、死ぬまでの全ての点を繋ぐ為に

最後のそのうねりの名前を確信をもって言い当てれるように

歌をただ、鳴らしていきたいと思ったりしながら

 

最近生きていました。

 

 

年明けにアルバムがでます。

今までよりも男性的機能を根幹において作り上げた作品になりました。

どうしてそうしたのか。は、もっともっとさきにちゃんと線として理解できると思うので今は「へぇ。」と思っていてください。

 

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夏がだんだんと暑さに飽きたのか、それとも秋を思い出したのか。

風に匂いが付き始め、夜が少しずつ長くなってきました。

 

想像力がすっぽりと、働くことをさぼっているせいで

頭の中にはペーズリー模様の煙がぷかぷかと浮かぶばかりで

なんか、その向こうも、ここから後ろも

なんにも見えないみたいな日が続いてます。

暑さのせいなのか、無意識のうちに癖になった抑圧を無視することのせいなのか。

それは全然わかりませんけれども

最近はただ、目の前にある本を顔の近くでぺらぺらとめくって唇に感じる紙の感触と

埃みたいな匂いを嗅いだりしながら

あ、あと30分で家でなきゃなー。

なんて考えながらそのまま28分過ごす。

みたいな、なんともぼーっとした日々を送っています。

んや、厳密にいうとぼーっとというか

ぱらぱらーの隙間にみえる「酒の壜」だとか「自我の分離過程」だとかなんだかわからないけど目につく言葉の一つ一つが脳みそに刻まれたりはしてるわけです。

瓶じゃなくて壜ってかいてんのはなんでだろなーとか考えながら

古い本だし、土ついてるからなんかもしかしたらガラスの瓶じゃないからかなーとか。

まぁ、でもそんなことを考えて26歳の男が部屋で机に肘ついて本をぺらぺらめくってることなんておそらく隣の部屋の人間は死ぬまで知る由もなく生きていくでしょうし、その瞬間を知っているのは少なくとも自分一人であるということを実感すると

脳みその片隅にぶどう色したシミみたいな寂しさがじわっと滲んだりしてきます。

 

そう、そういう寂しさに気付くことができるのも、幸せといえば幸せです。

昔っからずっと思ってますが

そういう、寂しさやらは趣向品みたいなもので、浸れば浸るだけ気持ちいいもんなんですよ。脳みそは寂しさ中毒なんです。

どうやって、寂しさを紛らわせるか、ってのはすなわち寂しさを欲しているも同義です。

紛らわせることによって得られる安心感は紛らわせる対象がなくなったら得られなくなりますから。

 

 

とかそんなことを書き連ねているとそとでパトカーがうぃーんってサイレンをならしながら通り過ぎていきました。

パトカーの運転手さんはなんらかの手順を経て、サイレンをならして、パトカーのアクセルを強く踏み込みます。足のサイズはどれくらいで、靴下はちゃんとあらってるんだろうか。とか

奥さんの誕生日にちゃんとあえてるのかとか、子供はもしかしたら父親をみてその影を欲してぐれているのかもしれないとか

あることないことがくるくる頭を回ります。

 

でも、どっちにしろ、それもどうでもいいことなんです。

だって、家の横を通り過ぎたパトカーを運転していたおまわりさんと道ばたですれ違ったとしても、それに気付くことはまあできないでしょうから。

 

でも、たしかにさっきそこに、その人はいたんですけど。

 

 

世の中にはどうでもいいことがあふれています。

 

 

それは、どうでも良くないことがあふれているということと同義です。

 

 

 

 

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朝方5時
まあなんというか、いつも通りのこと。この時間から、寝ることを考え始める。
なんとなくだ、こう、なんとなくただぼーっと起きてる時間
そういう時間が俺にとっては脳みそが一番仕事してる時間だったりするんだなぁとふと。

さっき洗濯干しながら
こういう瞬間ってめっちゃ間抜けだなー。生きてんなと思ってたりした。
昔、スティーブンセガールかなんかの映画で護衛の兵士が立ちションしてるところ後ろからセガールに首へし折られて死ぬシーンがあって
こういう最後だけはマヂ勘弁だなーと思った。
おしっこするとき背後気になるのは未だにそのせいなんだろうとも思う。
そう、そんなこと思い出したりしながら
ここ最近ブログ書いてないなぁなんて思ったりして。

厳密にいうと、何回も書こうとしたんだけども、さらーっと書き連ねた言葉をみて全くなんて無駄の多い。しょーもない。と思って消してしまってまた書いての繰り返しでした。



まあ、たまには何か書きましょう最近思ったこととか。



最近、たくさん嘘をついてそれがばれたりだとか、なんかカッコの悪いなあと思う情けないなあと思う経験を幾つかしました。
なんというかそれは人生を振り返ったときに汚点として鮮明と思い出せる(ある意味ではとても美しい)思い出になるだろうという予想ができるくらいには、いろんな人の心にかかる負荷が大きい出来事でした。
そのおかげで、ごく限定的な意味で自分のサイズを明確に知ることができた気もします。
なんとなく、一歩深いところに踏み込んだ気もします。
空の青の青さの中に更に青をみつけたような気持ちになりました。
顕微鏡を覗く自分を適当な距離から見つめているような気持ちにもなりました。

悲しいや寂しいが形を得たので、
悲しいや寂しいがちゃんと栄養になって嬉しいや楽しいを育てたりする実感にも触れました。そだった嬉しいや楽しいは枯れてまた悲しいと寂しいになるわけですけども。
そういうサイクルの中で、使い古したどうだっていいや仕方ないの類も山ほど不燃ゴミとして捨てました。

丸腰で、ただぽつんと

思い出の中の体育館の真ん中に佇んでみると
自分ってのは本当に価値のないちっぽけな存在なんだなぁということに気付くことができます。
それは、なんら大げさなことではなく。

だから、人は人を愛することができ、例えばあいつは来月妻と旅行に行くために休みをとったりできるわけです。

この、貧弱でちっぽけな自分を、できる限りの大切なことを抱きしめるための大きな宇宙にかえるためにまず知らないといけないのは
その無力さなのかもしれません。

俺は歌います。空っぽで歌う。
そこにいる一人一人は、あなたは、空っぽでとても遠くまで声の響く奥行きの無限な空も同然です。
もちろんだからこそそこに境目も区分もなく。
座標という名の個人が散りばめられているだけで、全ては繋がっているんです。
もちろん俺も、あなたも、そのとなりのひとも、もっというと、その隣の人の昔付き合ってた彼氏のお母さんとも繋がってるでしょう。
なんともわかりにくい話ですが
そういうことは、自分が特別で優位だと繋がらずにプラスとマイナスだけの話になってしまいます。
もっともっともっと
複雑で尊く、そして簡単でちっぽけなことなんです。

真実と引き換えに自分の座標を。久々に取り戻したような気がします。

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Brian the Sun6月1日をもちまして、メジャーデビューいたしました。

はるきと出会って今年で10年目なんですけど、メジャーデビューできてよかったなと思ってます。
というのも
俺はボーカルなんで、バンドの大黒柱なわけでして。
ちゃらんぽらんな一面をみせつつも、結局のところバンドを続けてきた理由は
個人的にはメンバーがバンドを離れたとしてもそれぞれの道をしっかり歩んでいけるようになるまでは続けたいなとおもっていたから。というところが原点です。
それにはやはり、バンド自体で結果をださないといけませんから。
と、バンド結成の当初はおもってました
そのうちに、メンバーに加えて大切だと思える仲間がふえて行き
そして、お客さんとも自分たちなりに絆のようなものを紡いで来れたのではないかと思います。

と、そんな風に思いながらやってきて、ふと後ろを振り返るとメンバーや仲間やお客さんに助けてもらいながらここまできたんだな、ということがよくわかります。


なんか、そんな風なことを思いながら生きてこれたのは、俺が人に恵まれたからなんでしょう。




メジャーデビューした心境は?とか
昨今の音楽がどうだとか
まぁ、なんか色々と聴かれたり答えたりしてますけども
正直、なんていうか
何を訪ねられても何を答えても
手応えみたいなものって全然ありません。
先のことなんか何一つわかりません。
大きくうねる時代の中で、俺たちバンドマンやみんなが一つの波を立てること
それのくり返しで歴史が刻まれていく。
今やってることが世間に評価されるかどうか?とか
そういうこともたまに考えたりはしますけど
そんなことよりも、
俺は
自分の目に焼き付いたあの人の泣き顔だったり
あなたの抱える苦しみや葛藤の原因が本当はどこにあるのかだったり
日常がなんとも尊いことや、雨の音が不規則に立てるメロディだったり
そういう感情や、執着や希望やその全ての心の揺れる仕組みを共鳴させることの方が
興味をもてます。

CDが何枚売れて、チャートがどうとか
そういうことを考えながら音楽を続けていくには自分はどうしてもバカ正直すぎて
息苦しくなってしまいますが
それを考えてくれる人が周りにふえたことで、いまのところ俺はどうやら
とても息がしやすいらしい。
ということは確かです。


なんていうか、インディーズからメジャーに行く苦悩とか葛藤とかみんな想像するの好きなんやと思うんですけど
全然ないんすよ。俺。
やりたいことできへん。とか、決まった時期にリリースがどうとか
メジャーいって曲調変わった。とかなんかそういうこと言いたがる人いますけど

思ってるより普通っす。ぜんぜん拍子抜けするくらいには普通に曲も書いてます。

だから心配しないでください。
みんなが好きなBrian the Sunのサウンドは進化こそしても、悪くなることはないですわ。
なんか、普通な葛藤とか悩みとかそういうの、全部食べちゃえるくらいには
森君ののーみそは普通じゃないので
安心してください。

本来メジャーデビューってそういうものだと思います。
アーティストがアーティストに専念するために、チームで音楽作るのがメジャーですよね
きっと本来は、そうなんだと思います。

俺はすげく満足です。
本来の形で動けていて。

なんか、いま一緒に音楽作ってるチームには好きな人しかいないんで、色々楽しいですよ。



まぁでもなにせ
このバカ正直で、素材の味重視みたいな音楽性。けしてわかりやすくはないのに
それを心のそこから味わってくれるお客さんたちがいることで
俺が生きて音を鳴らす意味がやっと生まれるんですよ。
聴いてくれて、心揺らしてくれるあなたたちがいるから
俺も、これからが楽しみなんです。
ありがとうと、とても思うから
もっと曲、たくさん書くし、歌もがんばって歌う。かけるし、歌える。

そういうことです。
俺だけが創ってるものではない
ってことですね。


進んでいくねー。ついてきてねぇー。
ついてこれなかったら適当にしててねー。
縁があるならまたどっかであえるしきっと。

帰る場所になれるような曲をたくさんかける音楽家になりたいですね。


んじゃ。おやすみ。







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