娘が中学校卒業し、先週もいろいろありました。

 

水曜日・・・卒業式
木曜日・・・女性教職の交わり会
金曜日・・・病院訪問、夜はクリスチャンの中学生達を連れて廻るお寿司屋さんへ
土曜日・・・クリスチャン婚活のお手伝い
日曜日・・・礼拝と午後は教会の話し合い

 

そして今日は、高校入学説明会でした。

 

昨日の礼拝は第3日曜日の「ウエルカム礼拝」で、賛美やキリスト教の体験談などのプログラムがあって、初めての方にもわかりやすいお話が語られました。

 

3連休ということで遠方からのお客様もいらっしゃり、奈良県から来られた方が「ブログ読んでます。」と声をかけてくださり、うれしく思いました。

 

 

 

日曜日のメッセージより

 

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」
詩篇119篇130節

 

別の訳だと、このような感じです。

 

 

【口語訳】
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。

 

 【新共同訳】
 御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。

 

 

詩篇の119篇は、1篇がとても長い箇所で、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105).などが有名な言葉です。

 

詩篇119篇だけでも長いですが、詩篇全部を暗唱した先生がいらして、「詩篇○篇!」と言えばスラスラ言えたと聞いて、とてもびっくりしました。

 


ほこりの「チンダル現象」

 

すがすがしい朝にカーテンを開けると、窓から光が差し込みます。

 

すると、普段は見えないほこりが、きらきら輝きながら、すっごくたくさん見えるようになります。

 

これを「チンダル現象」と言うそうですが、我が家では、朝にほこりが舞っているのがよく見えるので、主人と顔を見合わせて爆笑してしまうことがあります。

 

ある時、舞っているほこりがキラキラ輝いてきれいだったので、「わぁ~!キレイ~♪」と言ったら主人に笑われました^^;

 

チンダル現象の原因は、私が掃除苦手なことか・・・。汗

 


見えていなかったものが見え始めるとき

 

同じように、聖書の言葉によって私たちの人生に光が当てられ、その光によって、今まで見えていなかったものが見え始めるということを経験することがあります。

 

ローマ人への手紙7章の中で、パウロは

・「律法(聖書の言葉)によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。」と言い、
・「律法が『むさぼってはならない。』と言わなかったら・・・むさぼりを知らなかった。」と言いました。

 

聖書は私たちに次の事を教え、私たちはそのことを知るようになります。

 

・聖書の言葉を通して、自分という存在が「神」によって生かされていることを知る。
・神の前に罪深い者、「わきまえのない者」であることを気づかされる。
・「救いを必要としている者なのだ。」と気づかされ、イエス・キリストの救いを知る。
・イエス・キリストの救いを受け入れた時、喜びと感謝があふれる「生き方の方向」が変えられる。

 

 

どんなに学問があり、知識と経験があっても・・・

 

・自分がどこからきて、どこに向かっているのか?
・人生の生きる意味や目的、本当に幸いな人生とはどのように生きることなのか?
・人生の困難や苦しみにどう対処したらよいのか?
・「死」にどう備えるべきなのか?

 

これらの聖書が教える真理をわきまえていなければ、「何もわきまえていない」ということになってしまいます。

 

聖書は私たちに知恵を与え、キリスト・イエスに対する信仰と救いを得させることができます。

 

世界中で最もよく読まれているベストセラーである「聖書」を読んでみませんか?

 

分からないこともたくさん出てくると思いますが、聖書を学び、理解できることは本当にうれしく、楽しいことでもあります。

 

「神なく望みなく」という賛美があります。

 

教会福音讃美歌367番
新聖歌358番

 

「われ知るかつては 目見えざりしが
目を開かれ神を誉む 今はかくも」という歌詞を思い出しました。

 

 

 

 

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