久方。

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今日からブログを再開することにした。

一年前のブログはカタルシスとしての意味合いが強く、書いていないときほど好調であることが多かったが、これからは自己管理的な意味合いをほんの少し強めて、常にある程度の好調を維持するために綴りたい。

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普段。

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普段、自分が友達と何を話しているのかと訊かれると答えにたどり着くまでに数分を要するかもしれないし、数分経っても答えが出せないかもしれない。
僕には皆と共有できる何があるだろう。
昔バイトの先輩に聞いたことがある。その先輩とは文学とか政治とか思想とか茶褐色に滲みた紙の匂いのする話をよくしていた。
「普段学校の友達とどういう話するんですか」
結果をいうとその半分が日常の話しということだっだ。
学校という日常。
あの教授はどうだ。
この科目のテストはいつだ。
午後の授業めんどくさいなぁ。
時折スパイスのように混じるのは趣味の話。
やはり主要なのは議論に発展しない怠惰な会話だ。
こういう会話をしていること自体が気持ちいい。
こういう会話を誰かとしていることが幸せということもあるかもしれない。
日常の砂場で、日常で砂遊びをしながら、時折外から持ってきたおもちゃで遊ぶ。
悪いとは言わない。
けれど僕は日常においてそこにある日常の話が多いのには閉口する。
ただ、爛れたような日常が変化に富む仕事に置き換わったとき、普段においてその仕事についての話が多くを占めるとなると何やら違和感を感じるのだ。
だから、それに近いことを訊かれると、少し考えてしまう。
幅広く深い教養をつけて話したり議論することが最もすばらしいこととは言わないが、緩急あってもそのほうが楽しいともいえなくもない。
なにやら漠然とした話になった。
○読んだ本
久しぶりに借りて読んだ本。基本方針として本は買って読むか、そうでない場合は全部立ち読みで済ます。
やっぱいい本は持っていたい。

安田 佳生
千円札は拾うな。

*感想は書かないつもり。どうしても書きたくなったら書きますが。内容知りたい人はamazon飛んでください。いい本はコンテキストが自分の中に沁み込むのがわかる気がする。

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欲情のかませ犬。

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*今回の記事はいつにもまして感覚的な単語と文章のフラグメンツで構成されておりますので他人の自慰行為を観察するという崇高なる趣味をお持ちで無い方はご覧にならないほうが得策といえるでしょう。


或る時、仙人掌を愛でるように撫ぜた僕の手は必然的な偶然と春霞程度の悪意によって肉の釘バットに変わった。行き交う哺乳類の群れはいつもいつもいつもいつもいつも社会の肉隗と内臓の混じる粘液を分泌し攪拌し消化する。ガムを噛む音。口を鳴らす音。嬌声、喚声、放歌。どぅくどぅくどくどくと鼓膜を震わすカクテルは清冽と流れる意識に不意に流し込まれた泡立つ茶褐色の汚水に等しく、髪の毛一本が燃え尽きるほどの時間で僕の正気は油膜に覆われた汚染沼の狂気。悄然と佇立する僕自身は僕自身から突拍子もなく発せられた茫漠たるノイズに寸分の間をおいて驚愕の表情を示すが絶え間なく蠕動する世間は見て見ぬふりをする。何かを踏んだ。柔らかい何か。じゅる。こり。ぺり。ごり。髄液。赤。肺臓。青。打ち棄てられた腸詰めからはみだす排泄物は大部分が固まりきらずに血に混じり赤黒い味噌の様相を呈している。蛋白の海を泳ぐのは蛆か寄生虫か。恍惚とした表情で見上げた空はライムブルーで雲一つ無かった。僕は鼻孔を裂けるほどに広げて肺胞の一粒一粒がはち切れんばかりの空気を3分ほどかけて取り込んだ。眼球の深くで白い光が弾けて広がり頭頂部からゆっくりと抜けていった。数秒か数分か、光が完全に僕の中を通り過ぎる間は悦楽と享楽と快楽と世の中のありとあらゆる楽が僕を内面から舐め回し、愛撫した。余韻を存分に味わうようにゆっくりと目を開けた僕を受け入れたのは一面の花畑だった。ヴェゴニアとラフレシアとウツボカズラのね。あまりの芳香に驚喜した僕は思わず指を気管支に差し込まんばかりに吸飲してみると口の中にちくりと何とも言えない刺激を感じて我に返ったらサボテンが申し訳なさそうに部屋の隅の鉢に生えていた。思い起こせば3ヶ月も水をやっていない。僕は伸びをしてこきゅっと首の骨をならし、コントレックスを取りにドナドナを口ずさみながら台所へ向かった。ただそれだけの話。

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ふたぎののべを。

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今日、おいらは自分の中の腐っている部分に別れを告げた。ロジカルに考えても、怜悧冷徹ならずとも生温い感情のメスで捌いてみても、明らかな非生産と明瞭な枷、あるいは桎梏。すっぱりと、トカゲが危険から逃れるために尾を切り離すように。前に進むにはどうしても必要だったから。後悔は無い。当然ながら執着もしない。さらにこの決別に拍車をかけたことがある。つい数年前まで身近で生活を送ってきた人の、まるでそれが当然のことであるように成し遂げられた偉業と、彼の数段高みに悠然と佇立するが如き現状がおいらから現実を見るために無意識に用いていた濁ったフィルターを取り去ってくれたのだ。主観の極みだが、今のおいらはそれが真実だと思った。今見ている、然るべき世界はいつまでも見られるものではないだろう。怠惰と欺瞞と楽観によって濁った時間が眼前を少しずつ曇らせることを忘れてはいけない。この澱んだ時間から抜け出すしかないのだ。今、だから、今こそ。願わくば、新しく生える尾が実体のある未来を照らしますように。もちろん、それを創り、護り、育てるのはおいら自身だ。自分が今日と思える今日を生きよう。

9/14-17

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今日までの纏めを簡単に。

成分:プライベート。特にネタは含まれていません

9/14
某コンサルティング会社のインターン最終日。実際会社に行ったのは3日だけだったが、実に濃い内容で、非常にためになったと思う。ま、思うというのもあれか。自分がどうするかだからな。まぁいいや。で、皆プレゼンテーションスキルが高くて驚いた。結局原稿無しにぶっつけ本番というのはウチを含めて2グループくらいで、他のグループは原稿を用意して、つかみのネタも交えつつ縷縷と進行していたのが印象に残っている。例外は最優秀のところで、塾講師でプレゼンや喋りは慣れているといったが、ピンクのポロシャツさんの直前に発表者が決まったとは思えないくらいの澱みの無い説得力抜群の喋りには只唖然と見つめる他無かった。あれだけ敬遠していた塾講師をおいらにやってみても良いのではないかと思わせるほどのプレゼンぶりだったね。そして、おいらはというと。。まぁ発表したのだがね。前日にあみだくじで決まってね。二回辿って確認したが確かにおいらだった。。それでまぁ原稿作って当日に望めばいいものをふて寝する有様。結局発表2時間前から発表資料作りながらリーダーの原稿と突き合わせて喋ること大体考えていよいよ発表。虚勢張って最初からとばそうとするも、掴みでいきなりかむ始末。体制を立て直し、発表資料に基づきごまかしながら発表。んでリーダーに交代。リーダーも原稿無しに本番。なんて事無く無難にこなす。見た目からして明晰そうなんだよなぁ。そして質疑応答。他のメンバー答えず、リーダーが片っ端から応対。前半消化不良だったおいらは、リーダーが答えようとするところに無理矢理乱入。ちょっと面白かったらしい(苦笑)でも、おいらは結構いっぱいいっぱいなのさ。言いたいこと言って時間。結果、やっぱTOP3には入れなかったが個人的にはプレゼンやグループワークの良い勉強になった。敗因は、始終まったりした空気(いや居心地が良いのよ、それはそれで)と資料にしろ発表にしろ詰めの甘さ(時間的制限に依る面もあるけどね)、そして何よりプレゼンスキルだな。伝える技術と魅せる技術。これはやっぱり重要だよ。んで会社紹介、懇親会、打ち上げ。他と比較できる程のデータがある訳じゃないけど、社員さんの話を聞く限りこの会社は良い会社だね。採用コンサルだけあるわ。反省点は打ち上げ。もっと喋れば良かった。。プレゼンで無理矢理エンジンかけて、終了と同時にアイドリング状態に入り、その後も継続した感じ。なんだか喋るのも面倒になって、乗るに乗れないんだよね。もっと酒飲むべきだったか。嗚呼貴重な人脈金脈が~て感じ。得られた人脈だけでも大事にしなきゃね。GREEとメーリスも駆使しよう。追加。嬉しかったのが、おいらの厚顔無恥で不用意なプレゼンを評価してくれた人がいたこと。何が良かったのだろう。無駄な落ち着きか。恥知らずな喋りか。でも久しぶりに声をはれたのは気持ちが良かった。良いと思われるものは出来るだけ伸ばしていかねば。
9/15
前日の打ち上げから帰宅したのはちょうど日付が変わった頃。実は13-14日あたりにサークル絡みの友人達と急遽万博に行くことが決定していた。出陣は今日の朝、新幹線にて。5時起き。睡眠時間三時間弱。なんだこの強行スケジュール(戯笑)そして、万博へ。人類の進歩と調和…ではなく愛地球博。流石にレジャー施設や娯楽の乏しい70年の程の万博への熱狂は無いだろうと楽観視。が、いきなりバス待ちの行列。更に入場の行列に唖然としつつ入場。そして、トヨタ館の列に驚愕を通り越して憤慨。てめーら、入場していきなり5時間待ちで8時間先の講演をなぜ見ようと思う。列があるなら、取り敢えず並ぶ。日本人の習性を垣間見た気がするね。あ、そうそう。外人さんにサイン貰っている子供がいた。エキスポ70かよ。(笑)当時は外人さんが珍しかったんだね。エキスポ70といえば、当時目玉だった月の石。数時間並んで一瞬だけ石ころを拝むという狂気が往々にしてあった。今回それに近いのがマンモス。氷漬けの。ご丁寧に-15度の表記付きで。2時間待ち。石ころに比べれば短い。だが1分と見られず動く歩道で強制移動。笑うしかない。後は適当にトルコとかリトアニアとかライブとか見て回り、戯れに3時間ドイツに並び、2時間三菱に並んだ。三菱の広角シアターは映像表現の可能性に触れられた気がして良かった。全体を通してまぁまぁの人の多さ。皆目論むことは同じか。だが、有明の悪夢の人口密度と不快指数に比べればまだましと言える。総並び時間もね。恐るべし。あらゆる意味で国際レベルだったな、あれは。名古屋駅に着いたのは11時過ぎ。流石にこれから帰るのはしんどいので、栄まで移動してカラオケで一泊。
9/16
朝。友人となぜか喫茶店「マウンテン」へ行軍。彷徨った末にジモティーのポーターに誘導されてたどり着いたそこはまさに山。ちなみに案内して貰ったジモティーは近所に住んでいるにもかかわらず行ったことが無いという。なんて微妙さ。やけに広い駐車場(登山口)と無数のサボテン(樹海)を超えて入店。メニューは。。え。甘口パスタ?イカスミかき氷?おとなの???(←???が分かる方のみ注文できるとの注意書きあり)と、流石の謎っぷり。友人は海老雑炊、おいらは味噌煮込みスパ(!?)を注文。名古屋に来てこの方刺されなかった蚊の餌食になりながら待つこと20分。ん、なんか二人とも土鍋が来ましたよ。。あ、うん。味噌煮込みうどんのうどんの変わりにパスタが入っているのね。で、深くないかこれ?友人を見る。付属のしゃくが雑炊に完全に埋没し、取り皿の意味に気づいて愕然としている。深くないかこれ。。容積的に2.5人前。800円はテレビショッピングより遙かに妥当だ。味は美味かった。この量で味までも地雷ならば遭難は免れなかったな。そして40分程かけて完食、下山。仰ぎ見た空は青かった。。満腹感と奇妙な疲労感を伴う怪しげな達成感に酔いながら、名古屋へ戻る。適当に高島屋を冷やかし、帰途へ。3時頃帰宅。泥のように眠る。
9/17

起床。5時。P&Gのサマースタディーがあることを思い出す。場所は神戸。10分後に出発しなければ間に合わない。しかし、持参すべき資料が手つかずなのに加え、写真が必要だという。24並の荒技と早業で何とか電車に間に合い、車中で資料を作る。空腹だが致し方ない。到着。資料は何とか完成。意識朦朧。概要説明と講義に続いて、グループディスカッション。始終アイドリング。終了。え、終わりですか。おいら自己紹介と帰るときの挨拶しか言葉を発していないんですが。やっちまった。やっちまったよ。不甲斐ないよ。精神的な問題か、肉体的な問題か、原因という言い訳はいくらでもでっち上げられるが、結果は何も変わりはしない。ゆらゆらとなぜか大阪で下車して1~2時間彷徨う。迷った。。なんか傷舐めてるみたいで空しいので、道聞いて帰還。今と目の前の出来事が未来に繋がるという事実と事実が現実として響いてこないアパシー的な虚脱感に未だ囚われてしまうことがないわけではない。後悔なんて誰もしたくない。後悔なんて考えていては先に進めない。後悔しないように先を見据えなければならない。やはり真実なんて無い。そこにあるのは、納得なのだ。ある本にこんな一説があった。――きっと十年後、この毎日のことを惜しまないーそこまでいかずとも、何かしら継続的に満足感や緩やかな愉悦を享受していけるようなことを見つけたい。まぁ一方で、楽しいと思えるならそれで良いじゃん、という考えもあるのだけれど。とはいえ、楽しいことって結局先に述べたようなことかもしれないね。

何に付け消費期限てのがあると思う。言い換えればベストで何かを成す、成す事が出来る時期と言えるだろう。境界を越えてしまった事物は、成せば腹を下したり、効用が失われたり。得られるものと言えば漠然とした諦観と時を経てふつふつと沸き上がる後悔のみ。

決められた空間。決められた時間。決められた対象。

はぁ、今頃何いってんの?

もう見えない。門が閉まる。

もう食べられない。虫が、黴が。

嗚呼一昨日空を撫でた彗星は今日はいずこへ。

もしかすると今日一限は中間試験ではなかったか。

まだ。

もう。

繰り返しは中毒へ。

傷に塩を塗る。

逆むけを捲る。

霜焼けを揉む。

それにいつ気づくだろう。

一方で気づくということが即ち正解とは言い切れない。

完結した輪の中を。車輪の上を。

ぐるぐると。

回り続けるのもまた一興。

クラインの壺。メビウスの輪。ウロボロスの円環。

まぁ何に付け言えること。

精神の安寧は堕落と表裏一体ということだろう。

悟りは諦念の局地。

昨日の君は今日の君とは違う。

毎朝世界が再構築されているとすればどうだろうか。

と、脱線に次ぐ脱線で、この記事の消費期限も残すところあと僅か。


閑話休題。


今日は京都へ。ホリーズカフェ(?)にてミーティング。

キーワード。

論理思考は大事。

あみだくじは危険。

若いうちに苦労を買いましょう。

ボトムアップとトップダウン。

マインドマップとロジックツリー。

鉄がさめれば熱しましょう。

刺激を与えて軸索を伸ばしましょう。


まだ秋には早いが、もう夏には遅い。


--------ここまで--------


「おい、この牛乳鰹節の味がするぞ…」

拝啓ムスカ様。

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ははは、見ろ!人がゴミのようだ!

ゴミのような人は人ではありません。そういった人たちは世界や社会に対する個々の影響力は皆無であり、ゴミという集団ひとくくりによって初めて価値(良い悪いはこの場合おいておきましょうか)を見出されるのです。

世界はゴミで満ちています。ゴミが人のようだといっても過言ではありません。私は、夏の盛り太陽が空から戯れ笑い見下している中で、まさにそれを目撃しました。いや、認識上そうすればいくらか気が楽になるかもしれないから、といったほうが正しいかもしれません。

場所は東京ビッグサイト。日本文化の粋が集結しました。煉獄を感じさせる3日間。30時間近い並び。有明埠頭から臨む朝焼けさえも疎ましいものに蔑んでしまう空気は驚きを通り越して素晴らしいものでした。

一方から見ればゴミの塊。他方から見れば粋の結集。目に見える経済効果。都心から隔離された掃き溜め。見方を変えれば美しく見える。見方を変えれば有用性が判る。そんな戯言。

コミケ3日目正午、燃料気化爆弾が投下されたとしましょう。

日本はどう変わるか。世界はどう代わるか。良くなるのか。悪くなるのか。やつらは有益だったのか。社会に寄生する害虫か。無くてはならない存在なのか。全部消えてしまえば、いなくなればそれがわかるというのか。

自民圧勝の国会が召集・開会されたとしましょう。

某宗教団体若しくは思想団体、はたまた北朝鮮やシナさんがテロリズムか真っ向勝負の戦争か分からないが政治中枢を叩き潰してしまえばどうだろうか。国は変わるか。世論は変わるか。マスコミはどう動くか。繰り返すか。翻るか。

わかりますかと聞くのも愚問でしょう。分かるとすればそれは自己完結的な思いこみや妄想の類なのですから。

理論と感情は相まみえない。どちらかかから双方を認識することは困難です。自己は他を歪め。自己を写す他は他により歪んでいるのです。結局は納得した方が主観における正解なのです。

ねぇ、ムスカさん。

そんな戯れ言。

ぐるぐるにっき。

テーマ:

8月頭から9月現在まで。

集中講義

デイトレ

コミケ(バイト)

東京観光

バイト

だれる

バイト先潰れる

Yキューブインターン

だれる

P&Gビジネススクール(2ndステージも予定)

だれる

Yキューブインターン

万枚

ライブ

だれる

バイト先探し

だれる

選挙

何してんだろう。全く自分の頭で何か考えて何かやろうとして目標見定めて手を動かして体動かすわけじゃなくてただ単に目先に並んだものが回転寿司の如く流れていくのをつまみ食いしながらたらたらと日々を過ごしているだけなのではないかと思ったりする。そしてふと窓から外を眺めてみると、夕立が屋根を叩いていたり、猿も屋根を打擲していたりするのだが、そんな面白なひと時を共有するステディーが不在であることに悄然とする。それが刺激になって何らかの行動を模索できれば事態はここまで深刻にはなっていない。免疫的に実装された無意識的な諦念によって結局は、だれてしまう。僕は時間の泥濘に足を取られ、腐ったように甘く香る充溢した日常の空気から逃れられず、偽りの安楽世界に身を委ねてしまっているのだ。

逃避。臆病。ひきこもり。優柔不断。厨房。

で、言い訳として欝とかね。

怠惰と内省を繰り返しがいつの間にか現象化しているので、それに至るのにストレスは要しない変わりにそれを経ても何も生まれない。

イノベーションが必要だ!

っていってみる実験。

思いつくままに書いてみる実験。

ふと思い出してGREEを見て、他人に触発されて日記を更新してみる実験。

実験と書いていることに少し含みを持たせているように見せかけて実際何も意味を持たせてはいないと言うことを如実に書いてみて意味を持たせようとする実験。

アムステルダムのコーヒーショップで一服しようか。ガンジス川の河岸でガンジャに浸かろうか。

精神的な修練によりたどり着く悟りも、薬物により至る悟りも根源は同じものなのか。

刺激がほしいと思って得られる刺激は結局刺激でもなんでもなく堕落と退廃へのチケットにすぎないのか。

イクスクラメーションの無い問いに答える意味はあるのか。

答えのない問いに意味はあるのか。

太陽が笑っている。暁が囁いている。鳥が躍っている。蜘蛛の巣が光っている。空気の粒子が細かい。

朝が来た。今日が始まる。昨日が終わってないのに今日が始まる。

なんて不条理でなんて素晴らしいのだろう。世界というのは。

始まりが、始まる。

テーマ:

--始まりが終わり、終わりが始まる。

 

そんなタイトルを付けようとしたけど、語感以前にこれが全ての始まりだからいきなり終わるのもどうかと思うので脳内に於いて即時却下。ただ、次のステップを踏めると自覚した時に、一段目の階段に両足をそろえて無駄にアイドルしたりはせず、迷うことなく右足をあげて今のポジションに終わりを告げたいという気持ちは大いにある。踏みしめるべきステップは数限りなく、見上げた階上は不確定要素で煙りながらも希望と期待とでほんのりと明るい。息が切れ、足が悲鳴を上げて、不安と孤独が這い上がってくることもあるだろう。だが、歩みを止めて階段に座り込み、階下を眺めて何が得られようか。下に見えるのは無意味な回顧と懐古で心を食らう後悔と美化された記憶のみ。嗚呼、青年よ、お前は生きて上を目指すのだ。

 

……はて、どこからが私の妄想でしょうかね。でも妄想でモチベーション維持できるならそれで良いじゃないですか?現実世界が意味のあるものに思えるのならそれで良いんじゃないですか?生きる時間を楽しいと思えるのならそれで良いんじゃないですか?

 

それで良いのだ。

 

それで~いいのだ~。

 

パラノイアっ、新しい妄想よっ!

 

えーっと、何の話してましたっけ?

 

ああ、そうそう。これも全部妄想でしょうけどね。