寺山修司の映画論。

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や。そんなん書けないやん。

相変わらず無能さを露呈してます。

痰に血が混じっていました。ぼんそわぁる。

http://www.tanakahiroshi.net/


こんな映画を見てきました。

敢 え て、公開日に行きましたよ。同日公開の戦国自衛隊なんて目もくれずに梅田スカイビルに直行。大阪で唯一らしいね。立ち見も出るほどの盛況で、売店もトリリズム全壊。人間爆弾のポスターも。


で。鳥肌実。

http://www.torihada.com/

参照。


ええ。逝ってますよ。彼は。一応芸人です。ファーライトチックな芸人です。

芸が故に露出しない。ゲイが故に露出する。コアを絵に描いたような漢です。


そんな彼、結構映画でてるんですね。おいらのお気に入りは「けものがれ、俺らの猿と」。町田康原作の、やっぱとんじゃってる映画であります。是非見てください。悶々とした暑さと蝉の声が肌にまとわりつく嫌な感じを存分に味わってください。これで今年の夏、あなたはぐろぐろぐるぐるすぱいらる。


話し㌧じゃいました。

で、タナカヒロシ。こんな映画は久々ですな。結構なキャスト陣が見受けられますが、全員うまい棒みたいな扱い方されていてある種新鮮な感じ。そしてとらえどころのない主人公。

「訴えたいことがないんです」

そんな鳥肌の主張にマッチしたタナカヒロシの生き様。曰く普段の彼とタナカヒロシは近しい存在で、人間鳥肌実は結構シャイなやつらしい。彼のあり方の両極端を示したという意味ではけものがれと同時に語れるかもしれない。比べてみるのもいいかもね。ま、そんな物好き、愛 し て る ぞ。

とにかくこの映画、無意味が凄く意味のあるものに思えるけど、結局一体全体どういう事?ってな疑問符がいかれた曲、人を小馬鹿にしたような曲と共に流れるスタッフロールと共にぐろぐろぐるぐるすぱいらる。つまり、こんな映画になぜこんなにも人が関わっているのだという怖ろしい考えとか、どういう経緯で興行されのかっていう政府の陰謀をも疑ってしまいそうな謎。ここまで映画自体に論評を与えにくい映画は希だろ。それを狙ってるようで狙ってないようなどうでも良い雰囲気と微妙な間ときわどいノリ。やっぱ面白いって言って良いのかもしれないなぁ。


昔アラブの偉いお坊さんがッ!



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縷々縷々縷々……

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Youは次のHPにあるフラッシュアニメを見るのが良いだろう。


本家

http://happytreefriends.atomfilms.com/index.html

日本分家

http://acthtf.hp.infoseek.co.jp/

今回ばかりはあえて何も言うまじ。


ルールー瑠っ流っルー屡婁留るるるー。

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八百の嘘

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「・・・・・・・・」

56回目の溜息をついたところで、母が僕の部屋へ勝手に入ってきてなにやら喚き散らしている事に気づいた。頭が、凄く重い。意識は泥水のように混濁し、時折意識の底から浮かび揚がる思考は形を成す間もなく霧散する。母が言葉を発していることは認識できるものの、壊れたラジオから流れる断片的なノイズのようで意味を解することが出来ない。

「の・・・。おと・・・わ」

何もかも煩わしく億劫だ。ノイズを消し去るべく絞り出すように答える。

「いま、いそが、しい」

「・・うした・・・、・・ったい?まいに・・ぼやあ・・・しちゃって・・・」

ノイズは続く。

「・・・・・ちゃんと約束したんでしょ?」

なんだって?今なんと言った?

その言葉に反応するように世界が色を取り戻した。吐き気のするほど、明るく厳しい、現実の色を。

そうだ。彼の名前だ。

母は僕の内面の変化を知ってか知らずか、机の上に伏せったままの僕に言葉を投げかけ続ける。

「一人でちゃんとやってみせるって」

沈黙。そして大きく息を吐いた。

「元気出しなさい」

哀れむでも励ますでもなくそう言った。いつもながらのどこか突き放したような言い回しではあったがその根底にある暖かいものは十分に感じ取ることが出来た。

僕は母が部屋を出て行くのを足音で感じ取ると、徐に左手で拳を作りコツンと頭をぶった。そうすることで自分自身と現実世界とを結びつけたかったのだ。結果、功を奏したのか陰っていた僕の心に木漏れ日のような光が差し、それはあっという間に夏の日差しの強さに変わり、僕の進むべき道を照らし出した。躁鬱病か?と自身を皮肉って見る余裕もある。だが、更に皮肉なことに、そう言えば彼は僕のカウンセラー的な存在でもあったなぁ、と次の瞬間には彼の丸顔が浮かび、再び斑の影が心に落ちた。だめだ!僕は影を追いやるように声に出して後ろ向きな自分を批判し、今後の前向きな生き方をしめした。

「僕はだめだなぁ。いつまでも思い切りが悪くて。しっかりしなくちゃ。くよくよしたって彼が帰ってくるわけじゃなし。ようし! これから気を取り直して明るくくらそう」

そう声を発したところで外から友人が呼んでいる事に気づいた。僕は足早にステップを踏みながら階段を下り、玄関を出た。

友人は相変わらず素敵にセットしたヘアスタイルと、更に相変わらずのにやけ顔で僕を出迎えた。

「おっ、きたな」

そう言い終えると急に神妙な面持ちで、大げさに両手をばたつかしながら次の言葉を続けた。

「ツチノコを見つけたんだ」












さて、ここで問題です。

文中の彼とは一体誰でしょう?

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 明日は明日の風が吹けば桶屋が儲かるけど、そんなこと私にはミジンコほども関係ないことじゃないのかと疑問符とイクスクラメーションマークを頭上に浮かべる人間はここにいます。ケセラセラ。ぼんそわーる。


 やってきました不定期更新。妄想いっぱい元気いっぱい。今日も私は元気です。あなたは元気ですか?……声が小さいですね~。元気ですか~?そうそう。声に出すことが大事ですよね。妄想からセカイへのインターフェイスは手と声と目線、表情、電波。。ぐふっ。まぁいいでしょう。取り敢えず今回はどうでも良いフィクションのご紹介。テーマはサブカルで属性はフィクション。メタな低空飛行でお楽しみください。それではよい旅を。


 今日、学校の帰り道で猫耳幼女メイドロボを拾った。なぜ私がそれを猫耳幼女メイドロボと呼ぶのかは、これから述べる経緯から推測することが容易だろう。
 そもそもの始まりは今日に限って馴染みの帰り道を反れて気紛れに雑居ビルの間にできた法律相談番組でその所有者間の争いが取り上げられるであろう薄暗く薄汚い路地に入ったことから始まった。腐臭放つお兄さん方や、蝿群れ踊る残飯などを越えてしばらく進むとなにやらヲタ臭い物品の数々が通路を遮る勢いで堆く詰まれていた。とはいえ、それほどのことでは私の心は1ミクロンと揺るぐことは無かったのだが、某地震ほどに揺るがす出来事がオタクマウンテンを見上げた瞬間に起こった。足。そう、足が生えていたのである。視神経に映像が伝達されると同時に私の緋色の脳細胞はそれは紛れも無く女、しかも幼女の足であると判断を自動的に下した。なにやらロリロリ事件が多発気味なこの御時世、妙な勘違いは地獄への入り口。私は周囲を1分ほどかけてじっくりと見回し、半径10m以内に生存反応をないことを確認した。そして、生唾を飲み込む意味がわからないのだが、一応飲み込んで、生存反応が全くもって見られないその足の元へと向かった。今思えばなんて馬鹿なことをしたのかと思う。そもそも私はネクロフィリアではないし、精巧なダッチワイフの収集家でもなければ妙な事件に好んで巻き込まれたがるような糞探偵などでは決してない。にもかかわらず、そのとき私の足はたどたどしく、だが着実に歩くアシモのように犬神家のスケキヨばりにオタグッズから突き出した足の元へ自然と向かっていった。論理的に考えると、大宇宙の意思か私の中の誰かがそうさせたに違いないし、そのどちらかであると半ば私は自分自身で思い込もうとしている。なにしろ其処からは記憶が真っ白い空白と消えているのだから。
 気がつくと私はメイド服に身を包み、顔は綺麗というよりも可愛く、体は凹凸のない幼女体形であることに加えて、体を構成する間接の全てがフィギュア張りにメタルのジョイントでできており、あろうことか猫を思わせる耳が頭部より生えているまさに猫耳幼女メイドロボと呼ぶべく存在の膝の上に頭を乗せていたのだ。太ももは間接のジョイントからは創造もできないほど柔らかくも硬くともない何ともいえない弾力があり、気が付いて彼女を認識してから零コンマ3秒も経たず私のズボンには頑丈なテントが設営されていた。そして約1分経過したころ、私はえもいわれぬ恥ずかしさと分けのわからなさで慌てて起き上がり、彼女から距離を取った。勿論前かがみ。そもそもオタを嫌悪する私のオタク記号の集合的存在である彼女に対する生理作用が不可解であるし、モノである存在に彼女という代名詞を与える事自体何かおかしい。私は鈍る脳味噌に血流を注ぎ込み、硝子のようで中にドラゴンボールのウーシンチュウ張りに星が湛えられてそうな瞳で此方を凝視する彼女を無視しつつ考えをめぐらした。
 そもそもメイドロボ拾得以前の記憶を探るとどうもはっきりしない。学校から帰って来る途中という漠然とした記憶はあるのだがそれ以上は思い出せないのだ。学校の名前は何だ? そもそも俺は誰だ? というかなぜこういう非現実的なロボなるものが存在しているんだ? そもそも疑うべくはこの世界の現実性の欠如だろう。となると、ここは非現実ということなのか。そういう前提条件の上にたつと、私の設定が不確定的であることや、ありもしない猫耳メイドロボが唐突に登場していることも説明がつくではないか。しかしどうも思考が飛躍しすぎなような気もする。これは全て夢ということも考えられるが、それでは余りにも陳腐。陳腐? 何だこれは? 思考が誘導されて全くわけもわからない混沌とした観念が意識に流れ込んでいる。意識……いや違う。私はいったい何を錯乱しているんだ。落ち着け……。そうか!私は存在すらしておらずこれは作者に意識の流れに刹那的に存在している観念により構成されているんだ。そして全ての飛躍の原因は作者の焦り! 不条理な展開と好い加減な設定は作者の力不足! そして猫耳幼女メイドロボは作者の真相意識化に在る何かなのだ! 参ったかフロイト! ではない作者、結局てめぇはそういう駄目にんg

嗚呼、サブカル。

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 二時です。丑三つ時です。意識朦朧疲労困憊誇大妄想阿鼻叫喚。

 漂う思考が不規則に生み出す妄想は個人による包括的な嗜好を指向し集合して形を成すのだろうか。ブラウン運動の如く揺れ動くそれらの中から、アトランダムにパーティクルを一つ抽出展開してみることにしよう。


 僕は極端なオタク的な萌え記号に嫌悪感を覚える。たとえば、猫耳メイドロボ触手とかそういった類のもので、最早人を超越した一部のオタクの脳内に構築された私的な逃避お花畑の住人達だ。そんな私的な嫌悪の理由やら、なぜそれらの対象に対して萌えるかという一大論文を拵えうる命題はさておき、今回ちょっと触れてみたいのが「めがねっこ」なのである。
 サブカルの中核の一つをなすギャルゲーを例にとって考えてみよう。なぜギャルゲーを中核として例にとるかというと、サブカル―今回言及するのはオタク的文化という意味合いが強い―というのはある原点に対する萌えに触発されて様々な形で展開される妄想世界と言い換えることが可能で、開発者=供給者でオタク=消費者と仮定して純粋なオタクやサブカルの受益者以外の一般大衆を除外すると、アニメやフィギュアやコンシューマ向けのメディアに派生する最も根本的かつ直接的にも間接的にも消費される製品はギャルゲーであるからだ。
 さて、ギャルゲーにおけるめがねっこというのはステレオタイプだ。フレームの太い、眼鏡という主張を全面に押し出している眼鏡を書けており、たいがいは年上か聡明なキャラ立ちで、おまけに胸がそこはかとなく、でかい。これは先に述べたようなオタク的な記号を纏うということが重要なのであり、現実のように細身のセルフレームやファッションに溶け込むようなスタイリッシュな眼鏡ではいけない。というのは、めがねっこに萌えを感じることは即ち眼鏡という記号に萌えているのと同義であり記号がぼやけず、はっきりと現れている必要があるからだ。これはほかの萌え、たとえば幼なじみや妹―これらの場合は眼鏡のように単一な萌えではなく様々なバリエーション、つまり他の記号を纒いよりそのオタクが萌えるものになるわけだが、今回は単純化してある特定のベクトルを持ったキャラを指す―でキャラ立ちしているということに似ている。小難しい心理学用語を使わないで言うのであれば、あるオタクの思い入れや琴線に触れる、つまり萌えを発現しうるためにはハッキリとした記号の存在が望ましい。さらに突っ込んで、過去の恋愛対象へ感じた好意や変身願望の根本として眼鏡をペルソナ的な意味合いに昇華させて説明しても良いが長くなりそうなので省く。
 話を戻そう。今回言及したいのは、そういった眼鏡という記号への萌えが、めがねっこキャラというステレオタイプの記号に対する萌えに収斂してしまうことである。これは妹や幼なじみキャラとは異なりステレオタイプとなりうる程に眼鏡という記号を有するキャラのバリエーションが無いための現象で、眼鏡萌えは制作者により、既存のめがねっこ萌えへと変換される被害者と言える。原因としてギャルゲー黎明期の制作者達の眼鏡萌えのタイプが共通していたことや眼鏡萌えが少なかったということが挙げられるが、そもそも無為にステレオタイプのめがねっこ萌えにされている者達にも問題があるのではないか。眼鏡萌えのオタクとしてのアイデンティティーを持ち、行動を起こせば何かが変わると思わないのだろうか。いつまでも虐げられている理由などどこにもないのだ。オタクは皆、平等に萌えを享受する権利がある。
今こそたて、眼鏡萌え!

 ちなみに僕は眼鏡萌えではないので、何もする気はないですがね。


 --何にしろ、私の妄想だがね。