本日、営業系事業、技術系事業ともに新たなステージを迎えた。

営業系事業については、事務所を利用しての本格稼働。

技術系事業については、ある受託案件が一段落。


それぞれ軸をぶらすことなくアジャイルに取り組んでいきたい。


ますます面白くなってきた。

24時間の行動をトレースしてみた。


実質的な労働時間が短いのに加えて、予定の調整とリサーチに大部分の時間が割かれていることが目に見えて分かった。


まだまだ、甘い。


ただ、ある案件についての生産性や作業効率といったものは、割かれた時間と成果物だけでは容易に測れず、その背景にある自己教育やリサーチなどの膨大な時間を加味することが必要である。

と、そんなことは当たり前か。

兎に角、取り掛かれ。

経験が圧倒的に不足していることが多いものについては、実際に取り掛からねば何が必要かとかどうすれば出来るのかがはっきりと浮かび上がらない場合が多い。

困難さや容易さやの妄想と思考実験という自慰行為に耽ることなく、兎に角、取り掛かれ。

もっと批判を、もっと刺激を、もっと意見を。

微温湯のような馴れ合いなんていらない。

熱湯を浴びせ、冷水に突き落とせ。

出来ない奴は、即刻退場して、コーヒー牛乳でも飲んでいるがいい。

誰かがやるだろうなんて、甘い考えは捨てろ。

今すぐお前が、自分の頭で考えてやれ。

依存するのではなく、競い合え。

動けなくなるまでな。

大枠の仕事が幾つか僕に集中している。

現状では、時間をフルに使って効率的に捌けば、全体として一貫したクオリティの仕事は出来ると思う。

だが今後、事業の拡大につれて作業は多岐化多様化するので、そのときに上手くマネジメントしていくための修練を積むという目的のためにも、もっと仕事を振っていきたい。

がっつくような意欲が欲しい。

もちろん僕にも、ですが。

それにしても喉が痛い…。

proactive

[形]《心》順向の, 積極的に促すような.

そんなやつらに勝たねばならない。

決めました。

関係者各位には決定の遅延からご迷惑をかけてしまった。

今後は、ある事象の決定に際して、数多のオプションを可能な限り検討して、それぞれの結果を吟味するばかりでなく、決定までに発生し得る問題に対しても解決策を講じるなり、問題の表層化を予め食い止めるような策をとらなければと思う。

ただ、遅かれ早かれ今回行ったような決定はしなければならなかった。

後悔はない。

ただこの決定を最大限に生かすのみだ。

最初は構想の広がりに任せていた。

その結果、湧き出した考えや降り注いだ熱意は時系列に沿って流れを作り、志向の方向性により二本の支流に分かれた。

現状において、未踏の地への興味関心によって指向される流れは、相次ぐ機会に寵愛されるように恵を得て、長い距離にわたって我が道を切り開き続けんばかりに、流れの激しさを増し、水量と規模を拡大しつつある。

ただ、もう一方の、初期に抱いた親しみある構想や理想的なビジョンによって指向される流れは、延々と続く荒涼たるフィールドを方向を模索しながら流れ続けながらも、ある程度の方向性がつかめた頃に、突然の干ばつや世界のリソースの絶対量などの諸問題によって他方の支流に己が流れを注ぎ込むことが妥当と考えられる事態が頻発したがためにその流れを弱めつつあるのだ。

僕は主にリソースのだ問題から途絶えつつある流れを、ここまで築いてきた方向性を維持しながら守りつつ、もう一方が十分な大きさに拡大したときに水路をつくって一気に勢いを復活させて拡大を図りたいと思っているのだが……。

流れを維持するためにどうしても好調な流れに注ぎ込むべきリソースを多少なりともそいでしまうのだ。

時間・経費・人間関係……。

どうしたものか。

最近京都に行くことが多い。

週に二三回は行っているので、定期を買うかどうかで思案中。

今日も京都でミーティング。

1ヶ月前に比べて、プロジェクトやメンバーそれぞれ、かなり前進した感じがある。

だが、まだまだ目に見える成果はないも等しい。

更なる高みを目指して驕ることなく気を引きしめていこう。

刺激になるような人たちは周りに溢れている。


その後、同志社の町家キャンパス「江湖館」で交流会。

土地ごと町屋買って改築って、、やりますな。

めちゃくちゃ広くて、大画面のプラズマTVや蔵に常設スタジオまで。

しかも首謀者は九州にいるため欠席。

なかなかに面白い。

そして、参加者も十人十色で面白い。

色々なところで人は繋がっているんだなぁと実感した。

特に京都ではその兆候が強いみたい。

もっと広範に柔軟に語れるような器用さが欲しい。

明日も頑張ろう。

今日からブログを再開することにした。

一年前のブログはカタルシスとしての意味合いが強く、書いていないときほど好調であることが多かったが、これからは自己管理的な意味合いをほんの少し強めて、常にある程度の好調を維持するために綴りたい。