志津川さ行ってきたぞー!

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昨日、5月12日、志津川さいってきたよ。
志津川、つまり南三陸町ね。

母ちゃんが、仕事なので父ちゃんの歯医者と、
役場、農協などの事務処理もろもろを
してきました。

まぁ、こうなってみないと分からない事ばかし。
農協で契約している共済の契約内容の事、
保険関係の事、役場での事務処理の事、いっぺぇあります。

ちょっとずつだけど変わってきています。

小学校の校庭にびっしりと、仮設住宅が見えた。
セブンイレブンが営業していた!
どうやらローソンも新規オープンするらしい!
携帯の電波は、かなり感度良好!

ん~、本当に徐々に生活の基盤が揃ってきている感じ。
でも、がれきの山は、、、まだまだ。

モアイの首もどっかに行ってるし。

今日、NHKでやってたけど、電話回線とか
少しずつ回復してきているようで、医療のバックアップを
インターネット経由でしている模様。
町に残っている、高齢者はIDカードを血圧計にかざして、
「ピッ」としたあと、そのままデータが自治医科大学に
送付され、現地の先生じゃみきれない部分を
フォローしているらしい。

なんとも!
これは、いままでの志津川じゃありえないサービス!

これも、みなさまのお陰です。
役場でも、事務処理してくれたのは、東京都庁の方。
あとは、鹿児島の方だったかな~。
大阪の職員もいた。

もちろん、自衛隊さんもしっかりいました。
相変わらず、ヘリコプターがぶんぶん飛んでいます。
産まれて初めて、ヘリコプターのぶんぶんを、
肌で感じました!

ちょっと、写真を載せたいけど、
疲れたので、また~。

明日も志津川。
実は、面接です。

頑張るぞー!

おやすみなさい。
そして、みなさんありがとう。

さちえ
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パラグアイからの日記は、もうおしまいです。
今は、日本に帰国しています。

なぜなら、私の実家は南三陸町。
青年海外協力隊に行く前に、実家がこんなことになるなんて、
想像もしていなかった。
誰も、予想なんてしていなかった。
予想していたら、行っていなかったのか。
いろんなこと、考えています。

でも、生まれ育った町がいまの状況になり、
両親が一所懸命仕事していた魚屋もなくなり、
そして、2年間任期を全うして帰りたかった、帰るはずだった家がなくなり、
もう、耐えきれなくて、こらえきれなくて、
帰国する決断をしました。

誰かに読んでほしいとか、そういうんじゃなくて、
自分の気持ちを整理するつもりで書きます。

実際、パラグアイでの活動もかなり順調に進み、
いろんな活動が、予定、見通しが立っていたのも事実。
地震発生後すぐにパラグアイから1ヶ月間の一時帰国をし、
今までだったら、成田から宮城県まで、電車と新幹線を乗り継げば、
簡単にたどり着く場所だったはず。

それが。
成田に着けば、キラキラしているはずの空港が暗くなり、
閉まっているお店も少なくない、やっぱり様子がおかしい。
これが現実。現実だった。

待ちぼうけえをくらうのも、長い時間待つのもパラグアイ流で慣れっこだったけど、
基準を日本に合わせて考えると、やっぱりおかしい。

仙台までたどり着くのに、陸路では入れない状態だった。
家族が元気なのも分かっていたけれど、
ちゃんとご飯食べられているのか、不自由な事起きていないのか、
いろいろと頭の中に巡る。

ちょうど、松戸に住むいとこ達がいるので、4日間お世話になり、
やっとこさ、新潟経由でバスが確保できた。

池袋から新潟まで夜行バスで移動し、
そこで岩沼に実家があるお姉さんと出会う。
道路が凍る新潟で、たくさんの荷物を持ちながら話す。

「仙台目指すんですか?」
「そうなんです~。岩沼です。」
(なんか、目指すって言葉、近いはずの場所に使うイメージがない。
このときは、行くってよりも、辿り着くぞーってイメージが多かったなぁ。)

「家族とか無事なんですか」
「兄が、明日火葬なんです。。。」
「お兄さん、見つかってよかったですね。そして、火葬できてよかったですね」

不思議と、みんなで晴れ晴れした感じで話していた。
こんな会話知らない人とすると思ってもいなかった。
こんなこと起きなければ。

何事も経験してみないと分からないことだけども、
本当に、こんな会話が事実だった。

人間、悲しんでいる場合じゃないことが重なると、
つまり、想像を超える状況が頭の中にたくさんあると、
冷静になれるんだと、平常になるんだと思った。

思考停止じゃなくて、冷静になるんだって。
冷静になれるんだって、ね。
みんなで、笑ったな~。びっくり。

まだまだ、現実を見えていない我ら。
家が無くなるという事、
思い出がひとつも残っていない事、
まだまだ計り知れない事が待っていること、
分かっていませんでした。
この時までは。

がんばらないと。
パラグアイでの生活を止めてきて、
パラグアイでの活動を止めてきた、
この決心を、宮城でチカラに変えたいな、と思う。

あぁ~、でも、うちの母ちゃん
凄すぎる。
毎日、怒られている。私。
だめだな。。。

つづく。
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西城魚店から

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地震発生、
パラグアイから一時帰国、
東京で待機、
仙台へ移動、
仙台から南三陸町へ。

もう、パラグアイから出発するときには、
テレビの映像で、もう自分の実家が無い事を確認。

でも、自分の目で確かめない事には
現実を受け入れられない。
きっと、父ちゃんと母ちゃんも一緒だろう。と、
思いながら、出発ギリギリまで日本へ持って行く
物資の整理をみんなに協力してもらいながら
パラグアイを出発しました。

一緒に行った、ゆっこと途中、
飛行機の中で号泣したり、
寝たふりして涙が止まらなかったり、
アメリカの入国審査で待っている時の映像で
また号泣したり、
私は、家族が無事という事がすぐに確認取れていたのですが、
一緒に帰国したゆっこは、ニューヨークに入るまで
家族と連絡がとれず、本当に二人とも、
精神状態が不安定でした。

自分の生まれ育った町が飲み込まれる、
誰が生きていて、誰が生きていないのかも定かではない状態。
こんなことが、自分が生きている間に起きるとは思っていなかった。

地震に対して、教訓を生かして、
町作り、避難訓練、とにかく注意を払っていた町だったのに。

だれが想像していたか。

まずは、家族が無事で、元気に南三陸町で避難生活を送っています。
西城魚店の家族は無事です。
うちのとうちゃんと、かあちゃんが好きで
通ってくれたお客様、宅急便を使っていただいていたお客様、
あの父ちゃんと、母ちゃんは無事です。
でも、あの店はもうありません。
産まれたときから皆さんに目をかけていただいた、
あの店は、もうありません。
父ちゃん、母ちゃん、妹二人、家族5人で、お店を探しましたが
もうどこにもありません。
写真も、看板も見つかりません。
こんなこと誰も想像していませんでした。
父ちゃん、母ちゃん、二人ともまだ夢のようだと言っています。
お店の近所のおばちゃん、おんちゃん、じいちゃん、ばあちゃんたち、
いなくなった人たちが多いです。

まずは、お店を気にかけてくれていた人たちへ
ご報告でした。

西城幸江
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故郷志津川編、着任当時について

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久々のつれづれ日記ですが、
故郷志津川のこと、着任当時のこと
ブログを二つアップしました!

ぜひ、お時間あるとき見て下さいね。

http://flat.kahoku.co.jp/u/paraguay_s_s/
なぜか、リンクがうまく貼れないので、
コピペして下さい。
よろしくお願いします。

半年経過!(ちょっと遅い)

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こんばんは。
パラグアイでの生活もついに半年を経過しました。

早いです。

最初はびっくりしたこともありましたが、
まぁ、ここまでやっときた、あっという間、いろんなコトバがよぎります。


最初の難関は、現地での語学訓練。
えっ、長野県駒ケ根市でのJICA訓練所では
教えてもらってないよー、
というスペイン語の活用が出てきたり、


約1ヶ月間の最初のパラグアイファミリーとの
生活でのたくさんの驚きがあったり、

いやー、いろいろありました。
まずは、棚卸し第一弾ということで。

きのうから、雨が降ったり、止んだりの空模様なので
家の中で本を読んだり、インターネットしたり
トランキーラ(静かな)生活をしています。

写真をご覧になりたい方は、こちらへ。

タケノコ狩りに行ってきたよ!

テーマ:
パラグアイどんなぐあい
ブログ更新!
今回は、タケノコ狩り篇

日本じゃ秋の味覚が、、、、
ここじゃ、春の旬を味わっています。
もうすぐ季節は終わっちゃうけども。
旬をコチラでも味わっています!

http://flat.kahoku.co.jp/f/paraguay_s_s/

パラグアイでの私の腹の具合、満腹ぐあい!

SUSHI

テーマ:
【ブログ】¿西城のパラグアイどんなぐあい?
更新=>http://flat.kahoku.co.jp/u/paraguay_s_s/

さちごりさんのパラグアイ満腹寄稿を掲載!

すいません。URLジャンプしてくれるとうれしいです。