想像力とは  | ariさんは遊んでばっか

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面倒くさいと思いつつ、好奇心は旺盛。
好きなこといっぱい、楽しいこと大好き。

昨日(きのう)より

花粉の便り 受け取りし

我の目鼻も リターンメール



・・・・おそまつ。 あせる 


今年も花粉の季節が来たか・・・・。
やっぱり来たのか・・・・・。

お帰り、花粉。   むっ




あれから、まだ、とも
もう、とも形容しがたい1年が経つ。


東日本大震災。


さっきまで
「NHKスペシャル 38分間~巨大津波いのちの記録」という番組を見ていた。



想像してみる。


仕事中に建物が激しく揺れだす
立っていられないほど揺れ続ける
周りのいろいろなものが倒れだす
壊れて破片が飛び散る
悲鳴が上がる
突然の激しい恐怖に身体が震えだす

揺れが納まったところでなんとか建物から脱出する
家や学校や職場にいる家族はみんな無事だろうか
でも携帯はつながらない
家に帰ろうと思い、車に乗ろうとするが
津波が来るから避難するようにとの警報が響く

後ろ髪をひかれるように高台へと走る
直後に眼下で家が、車が、人が、町が悪夢のように流されていく

放心する

放心する

さらに余震が来る

放心する

家族も家も財産も仕事も思い出も、つい30分前まであった日常も
明日を信じて積み重ねていたいろいろな努力も
何もかもが一瞬にして津波とともに流れていく


避難所生活が始まる
家族を探すが見つからない
ようやく届いた救援物資を分け合って命をつなぐ
余震が続く
精神が壊れないように精一杯頑張る
「被災者の皆さん」と呼ばれる

次第にいろいろな人が来ては
口々に頑張れ、とか
一日も早い復興を、とか
絆、とかいう

物資や義捐金を送ってもらう
ボランティアが来てくれる

でも、
家族をなくし
家を失くし
生活に必要な一切のものがすべてない
見えていたはずの明日が見えない

笑顔なんてとてもつくれない
こうなったからと言って
なにか自分に落ち度があったわけではない

それなのに

気がつけば

安全な遠くの方から
頑張れ、頑張れって言われる
人にたくさんお礼をいう
そして悲しさも悔しさも、無念さも全部心にしまう

一年たっても
やっぱり

本当は笑顔なんてつくれない
取り巻く状況はたいして変わってなんかいない



そんな自分を想像してみる


いや、本当は想像できない
文字に表わすこともできない
一体どれほどの喪失感なんだろうか


でも震災に遭われた人達は
あれは私自身だ
映像にあった釜石はかつて何度も訪れ
たくさんの濃い思い出がある場所で
あの街並みを私は覚えている

津波の来たところや被災した原発の近くや
大地震のあった地域にたまたまその日
自分が住んでいなかったというだけのことで

自分が被災者であっても全然おかしくはなかった
自分があれほどの悲しみを背負っても不思議ではなかった

なにもかも

たまたまのこと

明日の自分の姿かもしれない




想像力とは他人事だと思わない力


すべての想像力を呼び覚まして
自分の心に問いかける


それでは自分は何をするか、と。




実際被災された方が本当はどのような心情でいらっしゃるかは
勿論当事者になってみなければわかりません。
想像でこのような文章を書くことはいけないことかもしれません。

すみません。

でも私は、努めて想像しようと思っています。

そう思ったのは
NHKの「あさイチ」という朝の情報番組で
岩手県宮古市の「たろちゃんハウス」という
仮設のプレハブ店舗が明るく紹介されていましたが
働いていらっしゃる方のお顔には失礼ながら
本当の明るさはなかったように感じられ・・・・。

私は皆様が内心どれほどやりきれない思いの毎日をお過ごしだろうかと
朝から涙が流れました。

言葉や表情に現れるだけが人の心情ではない。

感じ取る想像力を持たなければ、と。



今回はとりわけ
まとまらない文章になりました。