本日、民主党代表選。 | 加納有輝彦

本日、民主党代表選。

 本日、民主党の代表選。

 時代精神を体現するようなカリスマを望むまい。しかし、それでも、一国の総理大臣になる代表。
なにがしかの人格の輝きが欲しい。日本人として、同時代人としての高揚感を、せめて少しでも味わいたい。
同じ歴史体験を共有してきたという連帯感みたいな、せめてもの高揚感が欲しい。
 歴史体験の共有というのは、同時代のたかだか数十年の歴史体験だけではない。
日本民族が体験してきた「歴史(日本史)」を、魂で共有しているということも含まれる。

 今回の代表選、そのメンバーの立ち居振る舞い、弁舌を見聞きしてもなんら高揚感がない。

なにゆえ、ここまで高揚しないのだろう。

 鳩山内閣、菅内閣、共に、閣僚の誰一人靖国参拝をしなかった。そして、昨年秋の、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の顛末、国を売る指導者たち。民主党と北朝鮮の関係の深い闇。この絶望的・売国的民主党の深い闇に、おそろしいものを感じていた矢先、菅首相の退陣。妙に軽薄な代表選が始まった。
 猿山のボスの勢力争いのような、悲しき政治屋の政争。

傀儡人形の代理戦争と民主党代表選を皮肉る国会新聞の宇田川氏の言は、まさにその通りと思う。

宇田川氏曰く

 ・北朝鮮や外国人、アウトロー勢力とのつながりの「前原誠司」
 ・財務省という領袖を仰いだ「野田佳彦」
 ・小沢、鳩山を表に出せない「海江田万里」
 ・若手の不満分子の代表「馬渕澄夫」
 ・上記以外の中間派、というより優柔不断勢力の代表「鹿野道彦」



海江田氏が、この期に及んで「生活第一」のマニフェストの原点に戻るという。これだけ、国民の生活を破壊しておきながら、菅内閣の国務大臣だった海江田氏がどの面下げて言えるのか。

 国難の先頭に立ちたいと、前原氏は言った。

 この期に及んで、大震災・大津波発災後、もう半年が過ぎようとしていて、本格的復興ができていない、何にも出来ていない。
 国難といえば、2009年夏の衆院選挙の前から、国難を訴え、民主党の危うさを訴えてきた我々幸福実現党からすると、この期に及んで、国難の先頭に立ちたいという前原氏を見ていると、一部世間の前原評「口先だけ」に、なるほどとうなずけるのである。前原さん、「国難の先頭に立つ」という言葉を軽々しく言ってほしくない。

 「国難の先頭に立つ」とはどういうことか。

まさに命がけなのである。ちっぽけな利害に徹底的に無頓着な馬鹿一の姿なのである。

我々は、党名誉総裁でもある大川隆法幸福の科学グループ総裁の不惜身命の姿を見てきた。
 2009年の初夏、幸福実現党立党以来、国難(主に対中国、対北朝鮮)を訴え、大量の政治思想の書籍を世に問い、この二年だけみても百数十冊という著作を世に問い、何百回という講演をこなし、海外にまでその講演会は及んだ。尖閣諸島事件直後には、「国境を守る人々へ」と題して石垣島でも講演会を持たれ石垣市長はじめ、直接島民に訴えかけた。もはや人間業ではない。毎日毎日、毎週毎週、著作・講演収録、あるいは、講演会が開催されている、そして著作の出版がなされているといっても過言ではない。

 大川隆法党名誉総裁は、2009年の衆院選に際して、こう言われた。
「たとえ、選挙に出ることによって、母体となる宗教法人が潰れても、日本を潰すことはできない。私は、日本に殉じる。」そこまで国防上の危機感があったのである。選挙に落ちようが、世間から何と言われようが、国難に立ちあがったのである。「やむにやまれぬ大和魂」であったと、名誉総裁もあとから回想された。

 このように、まさに、不惜身命で粉骨砕身、日本のために、世界のために正論を説き続けている「御姿」を拝していると、前原氏の「国難の先頭に立つ」という言葉が、正直、許せない気持ちになるのである。

 前原氏は、日本に殉じる気概ありや。民主党が潰れても、日本を潰さないという気魄ありや。

北朝鮮に醜聞あり(弱みを握られている)とする疑いを本当に否定する正義ありや。

いま、求められているのは、党内融和とか、そんな内部事情なんかどうでもいい。民主党が潰れても、日本を潰さない気魄である。

 残念ながら、5人の候補者から、民主党などどうでもいい、日本を潰すわけにはいかないというような気概は見られなかった。

 それどころか、宇田川氏のいう通り、彼らは、傀儡人形にすぎないのだ。

 青山繁晴氏のいう通り、「誰が総理になっても、地獄。」これが残念ながら近い将来の政権の姿であることは間違いなさそうだ。


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