V町便り

V町暮らし、2年が経過しました。


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スウェーデンで暮らすなかで感じる謎のひとつに、

なぜスウェーデン人は家の中で靴を脱ぐのか

ということがあります。いや、家の中で靴を脱ぐのは、日本では当たり前のことなのですが、私がこれまで見たことのある中部ヨーロッパのお宅(@ドイツ、オーストリア、スイス)では、基本的には家の中でも「靴を履いている」のが普通でした。まあ、外で履いていた靴をそのまま家の中でも履く、というのはそれほど多くなくて、ほとんどの人が玄関口で「室内履き」に履き替える、というパターンでしたが。

ところが、スウェーデンのお宅では、玄関口で靴をぬぎ、「室内履き」に履き替える、ということさえあまりなく、むしろそのまま、

ぺたぺた

と、素足(あるいは靴下)のまま家のなかに入ってしまうケースが多いようなのです。日本と全く同じです。数年前の夏にスウェーデンで通ったスウェーデン語のサマーコースの期間中、私は学生寮に暮らしていたのですが、そこでも、 靴は廊下に並べておいて、部屋のなかでは素足、という学生さんがほとんどでした。靴を履く/靴を脱ぐ、という行為は、すごく単純ではあるんだけど、それを通じて見えてくるものもとても多いと思うので、今日はそれをお題にしてみようかと。


さて、上記学生寮において、スウェーデン人学生さんを観察してみたところ、靴は自分の部屋のドアの前、つまり廊下に置いておいて、自分の部屋の中では素足で過ごす、というのが普通らしく、そして、同じフロアにある共用台所に出てくる、という程度であれば、


ぺたぺた

と、そのまま素足で出てきてしまう学生さんもいました。

それを見るたびに、

「・・・・・あの、その足のままであなたはベッドにもぐりこむのでしょうか。シーツが汚れると思いますが」

と、思っていた私。

私自身はどうしていたかというと、自分の部屋のなかでは完全に「ぺたぺた」で、部屋から廊下に出たり、台所に行ったりするときには、ビーチサンダルに履き替えていました。「外」に出るときには、最初から靴を履いて部屋を出ていました。

これは、私に以下のような認識があったためだと思われます。

・自分の部屋の中は、日本で言うところの「家のなか」。だから靴は脱ぐ。

・廊下や台所は、「外」と「内」の中間。いわば、「ホテルの部屋」の状態。だからビーチサンダルをはいて歩く。素足では歩かない。

 *ホテルの部屋ってのは、日本でも「靴をはいたまま」入る場所。つまり、日本人にとっては、「完全に(家の)なか」と認識される空間ではない。 だから、日本のホテルには「スリッパ」が置いてあるのだ。「土足」で入った床の上を、素足で歩くのはイヤでしょう、という暗黙の了解があるわけだな。*

「外」と「内」を区別する感覚というのは、どこの文化圏にでもあると思うんだけど、日本の場合、どこからが「外」でどこからが「内」なのかを決める決定的な要素となるのが、「はきものを脱ぐか脱がないか」なんだと思われます。日本の住宅の「玄関」の特徴は、「靴を脱ぐ場所」と、「そこから先」の間に、必ず

段差

が設けてあること。その段差の高さは、住宅によって変わるんだけど、ともかくそこに「段差」があることには違いがない。そして、「内」という空間は、その「段差」を越えたところから始まるわけ。

この「段差」は、とても合理的だと思う。「はい、ここで靴を脱いでね」という決まりを、目に見える形であらわしているわけだから。日本で生まれて育った人なら、「あの段差のところで靴を脱ぐ」という行為は、きっと「条件反射」として身についているだろう。考えなくとも、身体が勝手にそう動くんである。

だから、ホテルの部屋でも、部屋のドアを開けたところに、靴が置けるような空間を設け、その先にちょっとした「段差」を設けておけば、日本人宿泊客は自動的にそこで靴を脱ぐんじゃないかと思う。いや私だったら脱ぐな。靴をはいたままで、その段差を越えて「室内に入る」ことは、感覚的にどうしてもできないんじゃないかと思う。実際、日本式の「旅館」の部屋ってそうなってるしね。

でも、こういう「段差」の存在に慣れていない文化圏の人は、きっとその段差も、靴をはいたまま平気で越えてしまうだろう。

ともかく、そのように「段差」をこえて、つまり「一段上がった」ところから「内」の空間は始まるわけだが、日本の「内」の場合、特に現代の家の「内」の場合、それは均一の空間ではない。

なぜなら、その「一段上がった」ところから、スリッパをはく人もいるからである。

ところが、ぱたぱた、とスリッパをはいて室内を移動する人でも、そのスリッパを必ず「脱いで」しまう場所がある。つまり、そのスリッパをはいたままでは

絶対に

入らない空間というのがいくつかある。

まず、畳の部屋。

畳の上をスリッパで歩ける日本人というのは、多分、あんまりいないと思う。少なくとも、日本で生まれて育った人なら、それは感覚的に「できない」 ことに属すると思う。少なくとも私にはできない。なぜかは説明できない。ただ、「どうしても合わない」感じがするだけ。畳の上をスリッパで歩くなんて、なにかとても、暴力的な感じがしてしまうのだ。みなさんはどうでしょう?

ともかく、「そこまで」はスリッパをはく人でも、「そこから」はスリッパを脱いでしまう、というほどの強制力を持つのが、畳の部屋なんである。

ただ、住宅によっては、畳の部屋がないところもある。畳でなくて、じゅうたんが敷いてある部屋であっても、やっぱりそこに入るときにはスリッパを脱いでしまうだろうと思われる部屋は、

寝室。それも、ベッドではなく、布団を敷いて寝るタイプの寝室。

これもきっと、畳の部屋=和室の持つ上記のような「強制力」とつながっているんだと思うんだけど、そもそも布団を敷いた状態で、「隣にスリッパが置いてある」なんて、やっぱりこれも感覚的にどうしても合わない感じがするのだ。いや少なくとも私はその違和感に耐えられない。みなさんはどう?

そして最後が、トイレ。

なぜか、日本全国津々浦々、きっとどこを探しても、一般住宅のなかのトイレには「トイレ専用スリッパ」がある。「うっかりそれをはいたままトイレの外に出ること」は決して許されない、あくまでトイレ専用のスリッパが。

逆に言えば、畳ないしはそれに準ずる部屋以外の空間であれば、すなわち玄関先から廊下、居間など、どこでも「ぱたぱた」とはいて移動できるスリッパも、トイレに入ることだけは許されないのである。

こんな「スリッパ」の履き分け、面倒この上ないことだと思うのだが、これまた、きっと現代の日本人は「何も考えずに自動的に」こなしてしまうだろ う。だって、トイレのスリッパはトイレのスリッパ。それは「そこでしか履かないもの」だと、決まっているからである。それを私たちは、すでに完全に「身体で覚えている」のである。

というわけで、よーく考えてみると、日本の「家のなか」というのは、結構複雑な仕組みになっているのだ。「日本では、家のなかでは靴を脱いで生活します」と一言で言っても、ただ「玄関先で靴を脱ぐ」だけでは済まないのであるな。たとえ家の中で「スリッパ」をはく習慣がないお宅であっても、 「トイレスリッパ」だけは、なぜか必ずあるだろうし。

それにしても、トイレスリッパ。あれは「なぜ」あるんだろう?トイレの床は汚れているかもしれない、というんだったら、きれいにしとけばいいだけの話で、あれが「どうしても必要」な合理的な理由は、実は存在しないんじゃないかと思うのだが。「トイレスリッパ」って、合理的・実用的意味ではなく、象徴的な意味を持つものなんじゃないか、という気がしてならないのである。

・・・・と、ここまで私が長々と書いてきたことに関しては、きっと、文化人類学か社会学か心理学か比較文化学か、どの分野かは知らないけど、きっとそういう学問的分野からの研究がじっくり行われているはずで、専門家の手にかかれば明快な説明が聞けるものと思われます。

まあともかく、「靴を脱ぐ」という日本人の習慣の背後には、こうした興味深い現象がいくつも隠れているわけですが、そもそも「靴を脱ぐ」という行為には、私が思いもしなかった側面もあるのであった。

それに気がついたのは、上記のスウェーデン語サマーコースの授業で、ある文章を読んだとき。

その文章は、「子供の頃に両親と一緒にスウェーデンに移住してきたポーランド人女性が書いた体験談」ということになっていた。つまり、「スウェーデン文化を外国人の目から見るとどう見えるか」を説明した文章だった。

内容はこんな感じ。

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両親と初めてスウェーデン人の知人、スティーナのお宅に夕食に招待されたときのことは、今でもはっきり覚えています。私たちは、初めてスウェーデンで個人のお宅に招待されたことに興奮し、緊張していました。私たちのスウェーデン語は、まだおぼつかないレベルでした。うまくディナーをこなせるか、私たちはとても不安でした。

いよいよその招待の晩。母は私に、ポーランドから持ってきた一張羅のワンピースを着せてくれました。私は少しかかとの高い靴を履き、少し大人になったような、誇らしい気持ちになりました。父も母も、一番いい服を着て、一番いい靴を履きました。靴もピカピカに磨きあげました。「ポーランド人が礼儀を知らない民族だと思われてはいけないからね」と、父は言いました。

スティーナのお宅に到着して、父はまず、持参した花束をスティーナに渡し、それから彼女の手の甲にキスをしました。女性に対して敬意を表するポーランド式のあいさつですが、スティーナは少し戸惑っているように見えました。

そのあと、スティーナは、玄関の隅に置いてある棚を指差しました。そして、「あそこが靴をおく場所よ」と言いました。なぜそんなことを言うのだろう、と私たちは不思議に思いました。もしかしたら、あれは特別な棚なんだろうか?父は、何かいいことを言わなければ、と思ったのでしょう、こう答えました。「なるほど。すばらしい棚ですね」。

しかし、スティーナはもう一度言いました。「靴はあそこよ」

私たちはますます怪訝に感じました。だから?だから何?スティーナは昔、学校の先生をしていた人です。もしかすると外国人である私たちに、「靴」という単語の発音を正しく教えようとしているのだろうか?

それで父は再び、「なるほど、『靴』ですね。そして『靴』を入れる棚は『靴箱』と言うこともできますね」と、答えました。

これでいいだろう、と私たちは思いました。気性が激しい母は、このようなくだらないことで引き止められたことに少し自尊心を傷つけられたようでした。ところが、決然とした足取りで歩き出そうとした母の前に、スティーナが立ちはだかり、はっきりとした口調でこう言ったのです。

「靴を脱いでくださいな」

と。最初はスウェーデン語で、そして、ドイツ語と英語でも同じことを繰り返しました。

靴を脱ぐ?どうしてまたそんなことを?何のために?

こんなにきれいな服を着ているのに、靴を脱いで素足になって、よその家のなかを素足で歩きまわれと言うの?なんてひどい侮辱!とても耐えられないわ!

母の怒りが爆発寸前になっているのに気がついた父は、あわててポーランド語で母にささやきました。「頼むよお前、彼女は悪気があって言っているわけじゃないんだから」

母はひどくこわばった顔つきで靴を脱ぎ、私と父も母にならって靴を脱ぎました。母のその表情から、靴を脱がされて、女性としての誇りを傷つけられたと母が感じていることがわかりました。

その後のディナーは特に大きなアクシデントもなく終わりましたが、スティーナの家を出たとたん、母の怒りがついに爆発しました。

「家のなかを裸足で歩きまわるような野蛮で未開な連中とつきあうのなんて、まっぴらだわ!」

あれから34年がたちましたが、どこかのお宅に招待されたときには、私はいつも室内履きを持参するようにしています。
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この文章を読んで、私は目からウロコが落ちるような気持ちになったのだが、それは、

「靴を脱ぐ、という行為を、侮辱と感じる」
「家のなかを裸足で歩き回ることを、野蛮で未開な状態と感じる」

という感覚もあるんだ、ということを知ったからだった。考えてみれば、「洋服」の着こなしは、「靴」も含めてのことだ。どんなにすばらしい洋服でも、それにきちんと靴が合っていなければ、おしゃれは台無しだ。ましてや、ポーランドの上流階級出身(上では書かなかったが、「私の両親は学者」と文章中では述べられていた)の女性ともなれば、そのあたりの美意識は、自尊心と不可分に結びついているに違いない。

そこに「靴を脱げ」と言われ、素足でぺたぺた歩くことを要求されたら、激怒するのはあたりまえだろう。なるほどー。

で、考えたのである。じゃあ日本人にはなんで「靴を脱ぐ」ことに対してこういう性格の抵抗感がないんだろう?

やっぱりそれは、日本には「洋装」の伝統が全くなかったからなんだろうな。だって、着物であれば、靴というか草履は、そもそも「ほとんど」見えないものだし、着物の着こなしに「草履をはいているか、はいていないか」はそれほど重要な要素ではないだろう。そもそも、草履をはいて外に立っていようが、草履を脱いで畳の上に立っていようが、着物姿にはそれほど大きな違いはない。

なーるーほーどー。いやー。おもしろーい。

さて、この文章を読んだ後、私たちのクラスの面々は、「家のなかで靴を脱ぐ文化・脱がない文化」について議論した。「日本では靴を脱ぐのがあまりにあたりまえなので、そもそもなぜ靴を脱ぐのか、なんてことはあんまり考えません」と私。ドイツ人ヴェロニカは、「私も家では靴を脱ぎます。そのほうが掃除がラクだから」。

意外なことに、出身国に関わりなく「掃除がラクだから、靴は玄関先で脱ぐ」という人が多かったのだが、その中で、

「うーん。僕は脱がないなあ」

と言ったのは、アメリカ人マーク。

「アメリカでは、家で靴を脱ぐ人はあまりいないんじゃないかと思います」

という彼の言葉に、へえー、そうか、と思った私。そういえば、アメリカの映画とかドラマとか見てると、けっこうみんな「靴をはいたままベッドに身体を投げ出す」とかやってるもんね。確かに、わざわざ靴を脱ぐ、というシーンはあんまり出てこないかもね・・・。

などと考えていたら、先生がマークにこう尋ねた。

「あらそう?どうしてなのかしらね?」

マーク、答えていわく。

「多分、靴を脱ぐと、足が臭いからじゃないかと思います」



うわー。

うわー!!!!

そーゆーことだったっすかー!!!!!!!!

アメリカ人が家で靴を脱がないのは、脱ぐと足が臭いからっすかー!!!!!

でも、脱がないでいたら、ますます臭くなるじゃないっすかー!!!!

でもだからこそ、「靴をはいたままベッドに横たわる」とかするのっすかー!!

でもでもでも(以下無限ループ)

・・・・・・・・
・・・・・・・・

というわけで、みなさん。

アメリカ人が家で靴を脱がないのには、

そういう理由があったようです。

ああびっくりしたー。


(いやそれはさておき、どうして彼らは靴を脱がないんだろうねえ?)

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