V町便り

V町から引っ越したらブログの名称を変えようと思っていたのですが、引っ越しする見込みが今のところ全くないまま、V町でまる5年が経過しました〜。


テーマ:

Gさんは、私よりも小柄な90歳のおばあちゃん。ずっとダンナさんと一緒に暮らしていたのだが、ダンナさんの認知症が進行し、一緒に暮らすことが困難になってきたため、ダンナさんは半年ほど前に認知症専門施設に引っ越した。そのためGさんは、今は1人暮らし。

彼女のもとを訪問すると、彼女はいつも私にチョコレートをくれる。彼女のお宅の冷蔵庫のなかには、チョコレートとかキャンディとかが常備してあるのだが、それは、彼女自身が時々つまむためと、

「ひ孫たちが来たときのため」

なんだそうだ。なにしろ90歳なので、彼女には「ひ孫」がいるのである。ちなみに、私の通っている施設には、当然ながらひ孫どころか「やしゃご」がいる人もいる。ご本人がわりと早めに母親になり、その子供もわりと早めに親になり・・というのが続けば、当然ながら90歳を越えたあたりで「やしゃご持ち」になるのはそれほど不思議ではないのだ。うむ。何事も早めに始めておくに限るということだ(←意味不明

それはともかく。

Gさんのひ孫ちゃんたち(女の子ふたり。2歳と4歳)は、「ひいおばあちゃんちに行けば、チョコがもらえる。チョコは、冷蔵庫のなかに入っている」ということを知っている。だから、彼女たちはGさん宅に来るやいなや、まずは「冷蔵庫」の前にやってくるらしい。

その話を聞いて、私は「おばあちゃんてのは、世の東西を問わず、どこでも同じようなことをするんだなあ・・」と思った。「おばあちゃんち」=「お菓子」という記憶は、けっこう多くの人のなかに残っているのではないかと思うのだ。私は、「仙台のおばあちゃん」(ハハの母)と小2の夏まで一緒に暮らしていたので、子供の頃に「おばあちゃんちに遊びに行った」という記憶はないのだが、おばあちゃんが、夏になると「ところてん」を作ってくれたことや、仙台名物の「ずんだもち」を作ってくれた記憶ははっきり残っている。私にとっては「ずんだもち」は、「おばあちゃんの味」なのだ。

そういう、私の「おばあちゃん」の記憶をGさんに話すと、Gさんはうなずいて、「そうね、ほんとに、『おばあちゃん』っていうのは特別なのよね・・」と言った。そして、彼女自身の「おばあちゃん」の記憶を話してくれた。

Gさんは子供の頃、V町近郊で、おばあちゃんと一緒に暮らしていた。家は農家で、牛を飼っていた。Gさんが子供だった1930年代は、農家の子供は貴重な「労働力」だった。だからGさんも、小さい頃から家の手伝いをしていたわけだが、怖くてなかなかできなかったのは「牛の乳搾り」だった。

「私は子供で、まだ背が小さかったでしょ。でも相手の牛はとっても大きいわけよ。その牛の足の間から手を入れてお乳を絞るのって、本当に怖くてね。後ろ足で蹴っ飛ばされたら終わりだし、尻尾を振り回されたりしても大けがするし。だから、私が乳搾りをするときには、おばあちゃんが必ず側にいて、手伝ってくれたの。牛をなだめ、尻尾が私に当たらないようにしてね。おばあちゃんが、どんなふうに私の側に立ち、尻尾をおさえてくれていたか、私、はっきり覚えてるわ」

と、Gさんは言って、一息ついて、こうつけ加えた。

「信じられないでしょう?私自身がもう90なのよ?90の私が、自分のおばあちゃんのことを、こんなにはっきり覚えているのよ」

1927年生まれのGさんのおばあちゃんは、間違いなく19世紀生まれの女性だっただろう。日本で言えば江戸末期・明治維新前後の生まれだったかもしれない。今とは何もかもが違う時代に生まれて育ち、子供を持ち、そして祖母になったその女性の記憶を、今でも鮮明に覚えている90歳のGさん。自身がすでに「ひいおばあちゃん」になっても、自分の「おばあちゃん」の記憶は薄れないのだ。

多分、「おばあちゃん」という存在は、この世のすべての「孫」にとって、何か特別なものなんだな、と思う。母親とは違う関係性を作っていける存在。

= = =

私自身の「仙台のおばあちゃん」の記憶は、前述の通り「ずんだもち」に集約されているのだが、おばあちゃんのことを私がよく知っていたかといえば、そんなことはない。おばあちゃんがどんな人生を送ってきたかは、おばあちゃんからではなく、その娘であるハハと、ハハの夫であるチチから間接的に聞いていただけだ。それも、私がある程度大人になってから。おばあちゃんは晩年、認知症を患ったため、残念ながら大人になった私が、おばあちゃんからじかに色々な話を聞く機会はなかった。

仙台のおばあちゃんは、1910年(明治43年)に宮城県北部の村で生まれた。きょうだいは4人か5人いて(はっきりは知らない)、おばあちゃんは女の子のなかでは上から2番めだった(多分)。一度だけ、着物を着た若き頃のおばあちゃんの写真を見たことがある。いかにも気の強そうな、きついまなざしをした女性だった。

その気の強そうな若き女性が20代半ばを迎えたころに、「見合い話」が来た。相手は近くの村の少し年上の男性。憲兵だという。当時の「憲兵」というのは、田舎のけっこう「いい家」の、見栄えのいい男性にとっては「出世」のシンボルだったらしい。

結婚話としては「いい話」だったはずである。問題は、その相手は今、そもそも日本にいない、ということであった。憲兵として、満州に赴任中だと言うのである。

つまりこの見合い話、「本人不在」の場で進められていたわけだ。すごい話である・・が、それは今の時代だからそう思うわけで、当時としてはそんなこと、珍しいことじゃなかったんだろうなと思う。

若きおばあちゃんが目にしたその見合い写真は、きっと、軍服姿の若い男性のものだっただろう。「いい話」だし、両家ともに乗り気だというので、彼女にとっては「イエス」と言う以外に選択肢はなかったはずだ。

というわけで、若きおばあちゃんは結婚を決意した。そして、写真で見ただけで、会ったことも話したこともない男性と「結婚するため」に、ひとりで満州に渡った・・・

= = =

この、「仙台のおばあちゃんが、写真でしか見たことがない相手と『結婚するため』に単身満州に渡った」という話をしてくれたのは、チチだった。今回の福島滞在時のことである。

「仙台のおばあちゃん、たったひとりで、会ったこともない相手と結婚するために満州に行ったんだよ。まだ20代でね。どんなに勇気がいったかと思うねえ・・」

と、チチは言った。それを聞いた瞬間、私の頭のなかには、一度だけ見たことのある、あの若き頃のおばあちゃんの写真が浮かんだ。きつい目をしてカメラを見据えている、気の強そうなあの着物姿の女性。

あの女性は、昭和初期に、宮城県北部の田舎の村から、会ったこともない男性と結婚するために、たった1人で海を渡り、満州まで行ったのだ。どれほどの覚悟を決めて、どれほどの勇気をふるって、ひとりで異国への長旅に出たのだろう。

仙台のおばあちゃんは、ものすごく気が強い人だった。その気の強さに、娘であるハハは恐れをなしていて、おばあちゃんとハハの関係は必ずしも良好ではなかった。

でも、おばあちゃんのその後の苦難の歴史を考えれば、気が強い人でなければきっと生き残って行けなかっただろうと思うのだ。

結婚相手だった男性、つまりは私にとっての「おじいちゃん」は、「素晴らしい人だった」と、おばあちゃんはよく言っていた。男前でねー、と。仙台の家には、軍服姿のその若きおじいちゃんの写真が飾ってあった。確かに、かっこいい人だったという記憶が私のなかにも残っている。

でも、その男前だった夫は、妻が3人の子供を産んだ後に、風土病で亡くなった。長女だったハハが4歳くらいのとき。未亡人になったおばあちゃんは、子供3人を連れて宮城県北部の夫の実家に戻った。そしてそこで、姑から凄まじい「いじめ」を受ける。子供たちまでいびられる事態になって、おばあちゃんは子供たちを連れて仙台に出て、そこで女手ひとつで子供3人を育てることになる。ときは戦時中。子供3人を食べさせることだけに必死だった母親に、子供たちに暖かく接する余裕なんてあるわけがない。長女だったハハは、自分もまだ子供だったにもかかわらず、外に出て働いている母親にかわり、弟と妹に対する「母親役」を果たすことになった。「おかあさんね、台所中にずっらーと鍋を並べてね、もう必死だったのよ。手際が悪くてね。子供だったんだから、当たり前だけどね」と、ハハがその頃のことを話してくれたとき、私はまだ小学生だった。私にはそんなことできない、と、当時の私はあまりの恐ろしさ(!)に縮みあがったが、大人になった今では、その幼いハハの姿を想像すると泣けてくる。ハハには「子供時代」なんかなかった。

でも、おばあちゃんはおばあちゃんで、必死だったのだ。子供たちを食べさせられるのは自分しかいなかったのだから。おばあちゃんの気の強さは、生まれついてのものであり、同時に、厳しい時代のなかで、さらに鍛えられたものでもあっただろう。

選択肢のない時代に、会ったこともない男性と結婚するために、たった1人で海を渡った宮城県の田舎の女性。同じようにして海を渡った女性は、きっと何千何万といただろう。覚悟を決めて勇気をふりしぼり、船に乗った彼女たちのそのまなざしに、21世紀に生きる私はただ頭を垂れるしかない。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。