なんでだろ?
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クラスに新しく4人の子が入ってきたのと、そうでなくともあまり会うことがない保護者に、年に一回くらいはご挨拶はしておきたいので、保育所の懇談会に出席してきました。
先生から、日々の子どもたちの様子を聞いても、みんな成長してるなぁと思うくらい。
羨ましいとか?苦しいとか?
まっったく、感じません。
ももたろが遅いだけなんだけど、みんな成長が早くてスゴイなぁとか思ってしまいました。
最後に保護者の自己紹介があって、みんな一言ずつで、たくさん喋ったら悪目立ちしちゃうから、コンパクトに話さなきゃ…
なんて考えていたら、緊張感が増してきてしまいました。
かえってダウン症のことなんて話さないでおいた方がいいのか、
でも、後から話す機会なんてないし、ももたろが色眼鏡で見られるのは避けたい。
少し長くなっても、やっぱり話しておこう。
せっかく、新しい子の保護者が来ているんだし。
なるべく、コンパクトに…
「うちのももたろは、成長が遅い障がいがあります。
障がい児保育ということで、加配の先生が付いてくださってます。
成長が遅いので、まだ言葉で表現できずに手がでてしまうこともあります。
このクラスの子たちはとても優しくて、療育に行って遅刻してくると、「ももちゃん、ももちゃん」と大歓迎してくれます。
そして、誰もももたろを特別変な子扱いすることなく、仲間として認めてくれているのは、保護者の方々のおかげかと思います。」
…このあたりで、なぜか、キューンと胸と鼻にきまして
「ああ、ダメ。泣けてしまう。
今後とも、ご協力ください。」
…と話をしました。
ホロリとしながら。
なんでだろ?
全然、悲しいわけじゃないのに。
私はきっと、悔しいのかもしれない。情けないのかもしれない。
ももたろを差別視しないでほしいと、保護者に言うことの、どこか卑屈な感じがすることに。
そして、世の中に差別があることに、自分でわかっていることに。
子ども自身が持つ、純粋さゆえの残酷さでいじめをすることはあり得ることだけど、
大人が持つ差別感を子どもに吹き込まれて影響を受けてしまい、結果、いじめにつながることは避けたい。
差別視する意図のない人には失礼になってしまうけど、ももたろは少数派だし成長も遅いから簡単に差別されてしまうから、なんとなく卑屈な気持ちになりつつも保護者の方々に協力をお願いしました。
そして、私はももたろは決して他の子に劣るとは思わないし、卑屈になる必要はない、堂々と協力を仰げばいいんだと思い直しつつも
ダウン症という少数派が差別されるかもしれないと、かつては私自身が思っていたからわかることに、情けないような、ももたろに申し訳ないような気持ちになりました。
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保護者の方々に私ができることはしたつもり。
後は本人次第。
巡り合わせもあるし、まったく辛いことを経験しないで生きるのは無理だと思うけど
そんなの、健常と呼ばれる子の間にだってあることだし、苦を知らなければ楽の意味だって知ることはできないし。
担任の先生が、最後に言い添えてくれました。
「ももちゃんのことは、お母さんからの話のとおりです。
そして、このクラスの子たちは本当に優しいです。
ももちゃんへの刺激になるばかりでなく、他の子たちにとっても、自然に仲間として受け入れているいいクラスだと思います。
このクラスがどうなっていくのか見たい気持ちもあって、昨年度に引き続き担任を希望しました。
障がいとかでなく、他の子たちも同じように持つ個性として、一緒に育ち合っていければと思っています。
といった内容だったかな。
正直このあたりは…
あぁ、またやっちまったなぁ。泣けてしまったなぁ~という、恥ずかしい気持ちでいっぱいで、あまりちゃんと聞けてませんでした。
後から、気持ちを整理してみても、やっぱり情けない…
障害児保育になったことも加配がつくことも、市が判断したことで、それは客観的で合理的な区別。
だから堂々としていればいいのだけど、やっぱり私がまだまだ古い人間で、障がいというものを特別視しているんだろうな。
差別しないでと訴えながら、自分の中の差別が拭いきれてないことに気づくなんて、なんて矛盾なんだろう。
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