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2016-06-25 12:44:21

薔薇とアザミとシャムロック ・・・今後の運命は?

テーマ:パンカーダニュース

英国のEU離脱。


2016年6月23日の国民投票で離脱派への支持が51.9%となりました。





前回スコットランドのこともあり、「揉めるけど、結局残留なのではないか」と思っていただけに、とても驚きました。


この結果が引き金となり、スコットランドとイングランドの分裂、そして北アイルランドとの分裂・・・と混乱の時代の幕開けになってしまうような気配すら漂っています。



英国アンティークを扱っていると、折々に見えてくるのは、それぞれのつらい歴史です。イングランドとスコットランドの長い長い対立、ひどい戦争。




それだけに、過去にひとつになったときに(それがイングランドがスコットランドを飲み込んだことであっても)薔薇(*1)とアザミ(*2)を美しいステンドグラスに共に並べ、未来への糧とした人々がいたであろうことに、英国人の強さを見てきたように思っていました。




アーツアンドクラフツの象徴的なシンボルのひとつであるシャムロック/三つ葉(*3)は、イングランドでとても愛されているモチーフであり、家具でも時々目にすることができます。




薔薇とアザミとシャムロック。


英国の紋章にも登場しているこれらの草花が、紋章から消えてしまう時が来るのでしょうか。






変換の時代が始まりそうな今、ちょっと昔の映画からのセリフをご紹介いたします。


007 ロシアより愛をこめて/1963年 制作:英国


”My reading of the British mentality... is that they always treat a trap as a challenge.”


“ 罠にあえて挑戦するのが英国人気質だ ”


犯罪組織"スペクターの幹部が、ジェームズボンドへの復讐のための罠をはる時に言ったセリフ。結果、ボンドはもちろん見事に危機をくぐり抜けるのですが・・・。


果たして、今回の危機の行方は、どうなるのでしょうか。





by N

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薔薇(*1)
イングランドを象徴する花。15世紀の薔薇戦争からうまれたチュードル・ローズ(赤い薔薇のなかに白い薔薇がある)が紋章に使用されています。


アザミ(*2)
スコットランドを象徴する花。13世紀、夜の闇にまぎれてスコットランドを攻撃しようと裸足で身を潜めていたヴァイキングたちが、アザミのとげを踏み、その痛さに思わず声をあげたことによって、スコットランドの人々が侵略の危険を察知した、という言い伝えから。


シャムロック(*3)
アイルランドを象徴する草。守護聖人、セント・パトリックを象徴するモチーフです。

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2016-06-16 10:00:00

東洋と西洋をつなぐ18世紀にうまれたモノトーンの風景

テーマ:美術館・博物館巡り
フランスで生まれたコットン・プリント、トワル・ド・ジュイ/Toile de Jouy。

それは「ジュイの布」の名のとおり、フランス、ヴェルサイユ近郊の村、ジュイ・アン・ジョザスで生み出された布のことです。





渋谷、東急文化村のザ・ミュージアムにて「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」がはじまったので、行ってみました。(館内撮影禁止なので、入り口とパンフレットだけご紹介します)





インド更紗がもたらした影響や当時の製造風景を描いた油彩など、トワル・ド・ジュイの歴史背景がとてもよくわかる展示となっています。



18世紀のオリジナルのファブリックや版木の展示、木版と銅版の違いなどの説明によりより深くトワル・ド・ジュイの世界を知ることができます。




現代のプリントは、ほとんどがスクリーンプリントやロータリープリント、もしくは転写プリントという技法が使用されており、それは素晴らしいものですが、やはり銅版のものは線の際立ち方が違いまるでエッチングをみているような気持ちになります。

たとえるなら、活版印刷とデジタルプリントの違い、といったところでしょうか・・・。



パンカーダにも、このテイストの布を使用したランプ・シェードをもつテーブルランプがいくつかございます。







さて、このように単色で景色を表現した意匠として、イングランドの「ウィローパターン/Willow Pattern」を思い出す方も多いのではないでしょうか。


中央に柳、空を飛ぶつがいのキジ鳩やマンダリン(中国の高級官吏)の館、その館を取り巻くジグザグのフェンス、さらに中国風の橋の上に三人の人物などを周辺に配した陶磁器の文様。




マンダリンの美しい娘と若い書記との、許されざる悲恋の物語を表わしているともいわれているこの模様は、18世紀末イングランドでうまれたもので、当時のシノワズリの産物のひとつ。

もちろん、シノワズリは家具の意匠にも多大な影響を及ぼしています。





ウィローパターンのオリジナルはトーマス・ミントンとも、ジョサイア・スポードともいわれていますが、実は多くの似たような「中国風の」デザインが集まったもの、という説もあります。

それほどに、このデザインは当時流行し、多くの陶磁器が生産されました。





フランスとイングランド。

どちらも1700年代後半に、布と陶磁器という別々の素材をもとに、華美な色彩を廃したモノトーンの意匠が流行したことは、とても不思議な気がいたします。

そして、そのどちらもが、現代においても根強く愛されている・・・。





土地と時間を隔てても、人の心がどこか繋がっていることを感じられるような気がします。






「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」は7月31日まで。18世紀のオリジナル・ファブリックをぜひ見てみてください。

オフィシャルサイトはこちらです。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_toiledejouy/



by N


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2016-06-02 12:00:00

ジョージアンからヴィクトリアンまで キャビネットメーカー・セダン商会の100年 後編

テーマ:家具史上の人物

一代でセダン商会を築き上げたジョージ・セダン亡き後、事業は息子たち、トーマスとジョージⅡの兄弟が引き継ぎました。


早速、財政上の問題から、1804年、ほぼ倒産の状態となってしまいます。同時期に、トーマスは死去。
やはり創業者は偉大だった、というところでしょうか。

ただ、その後のジョージⅡの活躍ぶりは凄まじかったようです。借金をほぼ返済し、商売をなんとか軌道に戻したところで、やはり彼も生涯を終えます。


この跡を継いだのは、甥のトーマスⅡ。(本名はトーマス・セダン。ここでは便宜的に"トーマスⅡ"と呼びます)1817年には、彼の弟、ジョージⅢが経営に参加。(本名はジョージ・セダン。ここでは便宜的に"ジョージⅢ"と呼びます)


・・・ヨーロッパの人の名前は、どうしてこうも親子、親戚、と同じ名前をつけるのでしょうか?


その疑問はさておき、ここにまた現れた、トーマスとジョージ兄弟。彼らは再び、セダン商会を盛り上げてゆきます。


1827年、彼らはウィンザー城模様替えのため、Nicholas Morelと臨時のパートナーシップを結びます。


このようなクオリティの高い家具を「Morel&Seddon」として数多く納入しました。





この仕事は彼らに多くのものをもたらし、1832年、「T. & G. Seddon」はロイヤルワラントを受けことになるのです。


さて、彼らが本拠地としてきたオルダーズゲート通りのロンドンハウス。ここでは数度の火事が記録されています。ロンドン大火(1666年)以降、建造物は煉瓦造りとなったものの、燃えやすいものを揃えたキャビネットメーカーの仕事場は、火事からは逃れられなかったのでしょう。





1830年、Gray's Inn Roadに工場を新設。当時の設計図をみると、中庭とそれを囲む建物があり、当時の工場風景が忍ばれます。







やがて、ついに彼らはロンドンハウスを出て、ニューボンドストリート67番地/67 New Bond Streetへと移転。





さて、ここで一人、重要な登場人物がいます。

トーマスⅡの息子、トーマス・セダン。(また同じ名前です・・。)実は彼は、画家として後世に名を遺した人物。ここでは画家のトーマス、と呼ぶことにいたしましょう。1850年撮影、画家のトーマス。




1821年にオルダーズゲート通りのロンドンハウスで生まれた彼は、パリで美術を学ぶために留学し、帰国後、家業へと参加します。1848年には装飾的なサイドボードのデザインで賞を受けるなど、将来を嘱望されていました。



さぞ、トーマスⅡは息子に期待していたのではないでしょうか。ただ、美術への道を捨てがたい画家のトーマスはバルビゾン派と交わり、やがてウィリアム・マイケル・ロセッティらラファエル前派の運動へと参加してゆきます。


こちらはそのころの作品。





テートギャラリー所蔵、「悪しき評議の丘から眺めたエルサレムとヨシャパテの谷」
Jerusalem and the Valley of Jehoshaphat from the Hill of Evil Counsel, 1854



画家のトーマスは、エジプトにも魅了されていました。数度のエジプト旅行をしつつ、素晴らしい作品を遺しています。





惜しむらくも、そのエジプトで1856年11月、なんと35歳で客死。ラファエル前派の画家たち多くが、その才能と若すぎる死を悲しんだといいます。


・・・ただ、誰よりもつらかったのは、父、セダン商会のトーマスⅡだったはず。偶然にも、彼は弟であり、大切なパートナーであるジョージⅢを同じ年に亡くしています。



パンカーダには、まさにこの後に作られた6脚の椅子 があります。





この刻印「T Seddon」は、ジョージⅢが1856年に亡くなったのちに作られたものでしょう。一人となった彼は、どんな思いで「G」の文字を削除したのでしょうか。





その後、1864年、トーマスⅡがなくなった後のセダン商会の記録は見つけることができませんでした。


以上が、1750年代から約100年、セダン家が紡いできた英国キャビネットメーカーの一幕。


その間、様々な文献からセドン家の足跡を追うことができます。
そして、それはいつも 「the finest of craftsmanship」 という文言とともにありました。

ここにその最後の一雫ともいうべき、美しい椅子があることは、ある種の奇跡。






画家のトーマスが流れを推し進めたラファエル前派、その後継ともいうべきアーツアンドクラフツ運動をおこしたウィリアム・モリスの張地が、歴史の不思議さと美の確かさを物語っています。




選りすぐりのウォールナットを贅沢に使用した美しい椅子は、まさにセダン商会100年の歴史を背負って、凛とした輝きをはなつよう。






・・・セダン商会の100年、いかがでしたでしょうか。


この続きは、このチェアのオーナーとなる貴方に、託されています。



by N


*チェアの詳細はこちら からどうぞ。






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2016-05-26 11:00:00

ジョージアンからヴィクトリアンまで キャビネットメーカー・セダン商会の100年 前編

テーマ:家具史上の人物
産業革命から、大英帝国繁栄の時代、多くのキャビネットメーカーが現れては消えてゆきました。今回はその中でも、ある一族の一幕をご紹介いたします。


始まりは、18世紀半ば、ジョージ二世の時代。





オーストリア継承戦争やフランスとの七年戦争など、きなくさい世情はありましたが、それらを踏み台として、英国はこれからはじまる栄華の道、産業革命への萌芽を確かにつかみつつありました。

ロンドンは大都会への道をまっすぐにすすんでおり、それと同時に犯罪率も増加。最初の専業としての「警察」ができたのもこのころと言われています。





栄えてゆくロンドンへ、1777年、文学者サミュエル・ジョンソン/Samuel Johnsonはこんな言葉をのこしています。





「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから。」

「when a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford.」





さて、そんなロンドンの中心街、オルダーズゲート通り/Aldersgate Street。





現在では大英博物館の少し北あたり、南北にのびる通り。(最も、まだこのころは大英博物館はそこにはありませんでしたが)


そこの「ロンドンハウス」という立派な建物に、1750年頃、20代のジョージ・セダン/GeorgeSeddon(1727-1801)はキャビネットメーカーとして「セダン商会」を開きました。





ジョージ・セダンの生い立ちははっきりしていませんが、一説にはヘップルホワイトと同時期に、かのトーマス・チッペンデール(1718-1779)に弟子入りしていた、という説もあるようです。





「セダン商会」の家具はチッペンデールの影響を色濃く持ちつつ、スタイリッシュなデザインが評価され、英国の発展に合わせるかのように、セダン商会はやがて多くの働き手を抱えるようになっていきます。


ジョージ・セダンは二人の息子、トーマスとジョージⅡ(ここでは便宜的に"ジョージⅡ"とします)がいました。それぞれ、キャビネットメーカー、そしてアップホルスタラー(椅子張り職人)として修業をつんだのち、1785年に経営に参画。

ますます大きくなるセドン商会。1786年には、400人余りの働き手がいたといわれます。

1788-98頃、義理の息子、Thomas Shackletonも経営に参入。


ここでは、ブランド名'Seddon, Sons & Shackleton'として、スペインのカルロス4世(1748-1819)に素晴らしい家具を納入した、という記録が残っています。





やがて1801年。ジョージ三世の治世が始まった年、ジョージ・セダンは74才で亡くなります。


20代で商売をはじめ、英国の発展とともにロンドン中心で成功を治めたジョージ・セダン。


スペイン王家とのつながりも出来、あとは二人の息子、そして義理の息子に商売を任せ、さぞ満足していたのではないでしょうか。


ただ、セダン商会の波乱の幕開けはこれからなのです。


~後編はこちら からどうぞ~

by N

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2016-05-19 11:00:00

妖精のドア

テーマ:豆知識

昨年から、アメリカ、そして英国で、思いがけず増えているもの。


それは、「Fairies Door/妖精のドア」。


もともとは、アメリカ、ミシガン州のアナーバーという町でジョナサン・ライトという童話作家が、子供たちが喜ぶように、自宅のマントルピース脇に小さな、小さなドアを作ったことが始まり、と言われています。


思いがけない広まりをみせ、家の中はもちろん、家の外につけたりする人が続出。




小さなドアをただ立てかけるタイプから、内部まで作りこんだものまでタイプはいろいろ。共通点はペットや子供のためではなく、「妖精」のためのドアであること。





心のどこかで、ちいさな人々がいることを信じたい、という土壌があってこその流行といえるでしょう。


ドアの設置場所、一番人気は木の根元。




その結果、妖精のドアは増えすぎて、木にネジでとめたりする人もいるため、社会問題になっているようです。

例えば、これは英国、ガーディアン紙のサイトから。


”Fairies' woodland homes face planning control”




デイリーミラー紙のサイトでもとりあげられています。

”Hundreds of fairy doors have appeared in woods and nobody knows who put them there”





世界に問題はいつも山積みですが、この問題に関しては、どこかちょっと嬉しくなってしまうのは私だけでしょうか?


さて、アンティーク家具にも、まるで妖精しか使わないような、ひっそりと小さな開口部をもつものがございます。





1820年代、ジョージアンのニーホールデスク の足元の扉。





幕板・・・と見せかけての引き出し。




こちらはチッペンデール様式のニーホールデスク




やはり足元にはカーヴィングで飾られた扉が。




1900年代、ゴージャスなミラーバックサイドボード




ボウフロントの引き出し下の飾り・・・と見せかけての引き出し。



持ち主だけが知っているような、小さな収納の場所は、実は妖精たちもこっそり使っているのかもしれません。



妖精の世界への小さなドア。


貴方の周りで探してみてください。


・・・実はパンカーダの壁にも、最近1枚の小さなドアが出現したんです・・・





by N



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2016-05-12 10:00:00

ハイブランドの驚くべき美意識~旅するルイ・ヴィトン展~

テーマ:美術館・博物館巡り

千代田区麹町。赤坂見附からもほどちかいホテルニューオータニの裏手で、「旅するルイ・ヴィトン展」が開かれています。

「入場無料なのに、すごい!」 という噂をきいて行ってみました!


そして、噂にたがわず、素晴らしい内容に圧倒されてしまいました・・・・。




もともとはパリのグラン・パレで2016年2月まで公開されていた展示会。コンセプトからデザインまでを、オペラやミュージカルの演出家として活躍するロバート・カーセン/Robert Carsen氏が担当し、旅物語の形式でテーマ別に9つの章で構成されています。


特設会場外観。





超都心、ビルの谷間に突如現れるスカイブルーの躯体。「場所がわからなかったらどうしよう」なんて心配は無用です。


まずは1906年のトランクが、革張りの回り舞台にのってお出迎えしてくれます。



初めのテーマは「木材」。これは創業者ルイ・ヴィトンの初めの仕事が、レイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造兼荷造り職人)だったことへのオマージュから。


19世紀後半のかんなや工具は、アンティーク家具屋としては見たことのあるものですが、それぞれのクオリティが高いことに思わず見とれてしまいます。




次に現れるのは、アンティークのトランクが沢山。ディスプレイしてある小物も当時のもの、というこだわり。キャプションが展示台に直刷りなのが泣かせます。








展示のタグもこの凝りよう。



展示は船から・・・




車の時代に移っていきます。



トロンプ・ルイユの仕掛けで、フランス郊外のどこまでも続く道を走っている気分に。



そして空の旅。








豪華列車をイメージしたコーナーも。車窓には流れる風景が映し出されています。







ファッションやミュージック、絵画用などのテーマを経たのち、最後は実際に職人の方が作業しているコーナーが設けられています。





展示物をご紹介するときりがないので、少しだけ。



1926年、マハラジャのティーセット。







イブ・サンローラン氏 所蔵の書籍用のトランクもあります。





そして、日本がテーマのコーナーにあるのは・・・





歌舞伎役者のもの、という鏡台トランク。目に鮮やかな紅色はモロッコ革。脚もついていて、ふつうのデスクくらいの高さにもできる、という化粧台にはモノグラムとともに「海老」の紋が踊っておりました。









見どころは沢山。



展示物もさることながら、会場の演出、ディテールのこだわりが素晴らしく、何度でも見たくなってしまいます。(私は二周しました)




会期は2016年6月19日まで、とまだひと月あまりありますが、この内容でしたら、加速度的に混雑していくことは必至。




世界的なハイブランドの底力、そしてとびぬけた美意識を存分に堪能することができます。


心から、おすすめいたします。ぜひ、お早めに行ってみて下さい!


帰り道は、近くのカフェ・オーバカナルで一休みはいかがしょう?すっかりパリの気分になること、うけあいです。






ルイ・ヴィトン展、オフィシャルサイトはこちら。
http://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/heritage-savoir-faire/tokyo-expo#/home


【参考】
入場無料ですが、サイトからオンラインで時間の予約ができます。私の時は混雑はそれほどではなかったので、ゆるい感じでしたが、一応予約した人としてない人の入り口は分けられていました。


混雑してくると、予約優先になるのかもしれません。ご予定がはっきりしているのであれば、予約をおすすめいたします。


オフィシャルサイトでは明示されておりませんが、私が行った時点では、写真撮影OKでした。「必ず撮影したい!」という方は、念のためルイ・ヴィトンクライアントサービス(Tel. 0120-00-1854(10:00~20:00))までお問い合わせください。


by N


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2016-05-05 12:00:00

1914年6月11日

テーマ:季節の話題

もうすぐ母の日。


フラワーショップの店先には、あふれるほどのカーネーションが飾られています。





ただ、今日お話ししたいのは、母の日・・・ではなくて、カーネーションと、それにまつわる100年前のカードのこと。


パンカーダには、アンティークマーケットで手に入れた、古いアルバムがあります。絵葉書やグリーティングカードなど、未使用のもの、実際に使用されたものなど沢山のカードが挟まっています。




その中からみつけた、2枚のカーネーションの絵葉書。





てっきり母の日用かな、と思っていましたが、よく見たらタイトルは


「To my dear Granpa」


もうひとつは


「Best Birthday Wishes」・・・。



あて名やメッセージをよく読めば、これはどちらも Hullに住むウッドコック氏にあてたもの。Hullとはキングストン・アポン・ハル/Kingston upon Hullのこと。街を起こした寺院から権利を取得したエドワード1世が1299年に命名したという名前をもつ古い街です。





片方はメリーから、片方はエマから。





ちょっとたどたどしい筆致から、書いたのはきっとまだ幼い二人。きっと姉妹なのでしょう。消印はどちらも1914年6月11日。その当時の習慣のせいなのか、発送元の住所は書かれてません。





地中海沿岸から西アジア原産のカーネーションは、古くからその可憐な佇まいで多くの園芸家を魅了してきました。17世紀にはイングランドやオランダで300種以上の品種がみられたといいます。


・・・こんな想像はどうでしょう。


6月に誕生日を迎えるウッドコック氏は英国民らしく、大のガーデニング好き。カーネーションがお気に入りで、お庭には、丹精込めたカーネーションが咲き乱れ、お手入れに余念がありません。ときおり届く、離れた町に住む孫たちからの便りを、いつも心待ちにしています。



6月11日、ポストに届いた2枚のカーネーションのバースデーカード。


「感謝」の花言葉をもつピンクのカーネーションが美しく描かれたカードをウッドコック氏はどんな思いで受け取ったのでしょうか。



・・現代の日本。今はまさに、店頭で様々なカーネーションをみることができます。


17世紀の300種、とまではいきませんが、普段みられない色合いや形のものを見ることもできることでしょう。


古い歴史と、「感謝」の花言葉を持つ可憐な花を、お母様に・・・だけではなく、近しい方へ、気持ちをこめてお送りしてもよいかもしれませんね。





by N


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2016-04-28 12:00:00

英国珈琲事情

テーマ:暮らし・生活

英国でホテルやB&Bに泊まり、朝ごはんの時に必ず聞かれること。




「Tea or Coffee?」


(最近は「Brown or White?」(パンの種類)も必ず聞かれますが、それはまた別の時に・・・)


紅茶も好きですが、やはり朝はコーヒー、という私の答えは「Coffee,please」。


そして、でてくるのは大抵日本のドリップコーヒーとは一味違う、フレンチプレスのコーヒー。もちろんホテルのみならず、レストランやカフェでもこのタイプのコーヒーがでてきます。


フレンチプレスに使うのはこのようなポット。




下側に挽いたコーヒーをいれ、お湯を入れてぎゅっと最後にプレスしてコーヒーを楽しみます。味わいは、ちょっと薄いような、それでいてコーヒー豆の苦みと油がダイレクトにはいっているような・・・。これはこれで、慣れればなかなか美味しいものかもしれません。



でもなんで、「フレンチプレス」なのでしょう?


コーヒーの歴史を少しだけ紐解きます。





もともとは宗教的な秘薬であったというコーヒー。ヨーロッパでは、1700年頃までアラブ文化から伝わった「ボイル」が一般でした。「お湯で粉を煮る」というものです。





1711年にはフランスで「インフュージョン(浸出式)」が誕生します。布に粉を詰めて、口を縛ってポットに入れ、お湯を注いで漬けて味を出すというものです。



1800年頃にフランス人のドゥ・ベロワによって「パーコレート(浸透)」が誕生します。これがフレンチプレスの原型。この器具をもとに、改良された器具が続々と登場します。





一方で英国でネルドリップが生まれ、そして20世紀初頭にドイツのメリタ夫人によってペーパーフィルターが生まれます。


フレンチプレス全盛の英国でネルドリップが誕生した、というのはちょっと意外でしたが、紅茶と同じ感覚で、ポットに注いで出来上がる、フレンチプレスが実は手っ取り早くていいのかもしれない、と個人的に推測いたします。





日本で主流のドリップコーヒー(フィルターコーヒー)はアメリカでも主流。

日本の淹れ方はアメリカからの影響が強いのかもしれません。



英国へ行かれた際には、「フレンチプレス」のコーヒー、味わってみてはいかがでしょうか。



【参考】

All About Coffee by William H. Ukers
初版:1922年 アメリカ
http://www.web-books.com/Classics/ON/B0/B701/TOC.html


by N

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2016-04-21 11:00:00

心の渇きを癒す生命の泉

テーマ:アイテム解説

起源が定かではないほど、人間の暮らしのなかで使われてきた「壺」。


今日はその壺にまつわるお話です。


もともとヨーロッパでは、壺は「生命の泉」を表すとされ、そのなかから植物がのびたデザインが大変このまれました。これは古代オリエント由来の「生命の樹」がヨーロッパに伝わったてできたイメージであるとされています。




また、壺はキリストの復活と再生を象徴する洗礼盤の暗喩でもありました。


しばしば壺の左右に配された鳥獣(幻獣)は信徒を表し、聖なるものを守り、分かち合うようなイメージから生まれました。


近年では徐々に宗教的な意味は薄くなりましたが、このような背景からヨーロッパの人々の間で「壺」は花や植物とともにモチーフとしてとても好まれ、多くの作品が生み出されていったのです。




特に建築意匠やファブリックパターンなどでは、その左右対称のフォルムから、植物だけでは表現しきれない重厚感や高貴な印象を表現するために重用されています。



V&A所蔵、1400年代末、イタリア・ヴェニスにあった柱頭。古代ローマをモチーフとした建造物の一部と思われます。




こちらもやはりV&A所蔵、ジュイ更紗の布。1800年代初頭のフランスの布には、ハープやホルンの楽器に加え、コルヌコピア(宝角)、そして壺のモチーフがみられます。




現代のヨーロッパでも、壺は人気あるモチーフのひとつ。


伝統的でクラシカルなテイストを残しつつ、品格ある意匠を表現するには最適な素材となっています。


パンカーダにも、そんな壺のモチーフを美しく家具に取り込んだアンティーク家具がございます。




希少な銘木ローズウッドに緻密なマーケットリーで表現された壺をもつミュージックキャビネット 。キリスト教の信徒を表す幻獣が左右にみられ、中からは生命力あふれる植物がのびています。




シェラトンスタイルのミュージックキャビネット の扉には、フェストゥーン(花綱)と組み合わされて、ひとつの美しい文様へと昇華した壺のマーケットリーがみられます。







ヨーロッパの上質なファブリックで織り出された壺は、周囲の優美な唐草文様とともにチェアの品格を揺るぎないものとして仕上げる確かな力をもっています。






きっと、壺の中に秘めているのは数千年の歴史をもつ生命の水。


フランスの画家、アングル/Jean-Auguste-Dominique Ingres(1780-1867)が36年の歳月をかけて描き上げた「泉/La Source」からこぼれ出る豊かな流れのごとく、傍らに置くだけで、貴方の心の渇きを癒してくれることでしょう。



by N


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2016-04-10 12:00:00

余韻を受け継ぐもの

テーマ:パンカーダのこだわり

美しい一脚のアームチェアがあります。



まるで現代美術作品のようなフォルムをもつこのチェアは、誰のものだったのでしょうか。



実は、このチェアのオーナーは、ジークムント・フロイト/Sigmund Freud(1856-1939)。




オーストリア生まれの精神分析学者としてあまりにも有名な彼は、第二次大戦中、ナチスの侵攻により、長く活躍したウィーンからやむを得ずロンドンへ亡命します。


住んだのはロンドン北部の高級住宅街、ハムステッド。





ここは現在フロイト・ミュージアムとなっており、先述のチェアもここのコレクションとして展示されています。




特別なフォルムをもつこのチェアは、1930年に彼の娘によってオーダーされたもの。


製作者は1837年生まれのオーストリアの建築家・インテリアデザイナー、Felix Augenfeldです。


フロイトは極端に身体をかしげた独特な姿勢で読書や執務をする癖があり、そのために、このようにわざと背もたれが細いものが作られたとか。




結果的に、それがなんとも美しい形になったことは、偶然、それとも父を思う娘の心と才能あるデザイナーがつくりだした必然でしょうか。


チェアは俗に「人間に最も近い家具」といわれます。


「座る」という人間だけではできない姿勢を保ち続ける道具として、チェアはずっと人の身体を支え続けてきました。




それだけに、そこにチェアがあるだけで、人の余韻を感じるように思うのは、私だけではないことでしょう。



亡命先までわざわざ持ち込んだ、この美しいアームチェアの向こう側には、フロイトの強いまなざしが確かに存在しています。





貴方の余韻を受け継ぐチェアも、どこかで貴方に見つけてもらうことを待っているはず。









・・・パンカーダで、お待ちしております。


by N


参考:
ブリティッシュミュージアム オフィシャルサイト
「Freud's Chair/フロイトの椅子」
http://www.bbc.co.uk/ahistoryoftheworld/objects/EPqt8An_Sj2ii9ulOnCr3w


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