マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった/ジョン ウッド

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マイクロソフトのエグゼクティブだった、ジョン・ウッドがネパールを旅行する中でネパールの教育環境に衝撃を受けて、個人として始めた書籍の寄付事業、それが発展していく物語です。

一人でも、強い想いがあり、それを拡散していけば大きなうねりになる。そんなことが分かる良書だと思います。
人のタイプにより、ここまで事業に執着できる人ばかりではないと思いますが、行動すれば何かを少しでも変えていけるのだと思います。

また、彼は慈善事業をはじめるにあたっても、マイクロソフトで学んだビジネスの流儀を持ち込みます。寄付先の見える化や、事務コストの極小化などがその例だと思います。
また、チャレンジグラントという、学校建設等の費用の半分を出資し、残り半分を地元の人々からお金や労働を以って募るやり方などは寄付を活かすやり方だと思います。

グランズウェルも読了。

グランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略 (Harvard Business Sc.../シャーリーン・リー

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ソーシャルテクノロジーによる企業戦略とあるが、あまりテクノロジーに偏った形ではなく、多くの事例ごとに事業の本質として必要な情報を「グランズウェル」から得られるかが紹介されている。サービスの性質ごとにどのような関係性を築くべきかの参考になりそう。

今までの企業側の論理ではなく、テクノロジーの進歩に伴い大衆側(グランズウェル)の力が増してきている。それらは脅威ともなるが、活用の仕方次第では力にもなってくる。
また、ポイントは「つながり」だ。テクノロジーではない。

・グランズウェルを取り巻くテクノロジーの紹介
・各サービスにおけるソーシャルテクノグラフィックスプロファイル
 (サービスに対する参加の傾向)
・グランズウェルの活用事例
 -耳を傾ける
 -話をする
 -活気づける
 -支援する
 -統合する
・グランズウェル対応の進め方

また、グランズウェルは顧客だけでなく、従業員にも有効だ。

グランズウェル自体の理解を社内で進めていくための進め方事例も複数あり、
参考になると思います。
半藤一利の「それからの海舟」読了。

それからの海舟 (ちくま文庫)/半藤 一利

¥819
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ふと書店で見かけて購入しました。
勝海舟自体が気になっていたことと、半藤さんの書籍を一度読んでみたいと思っていたので。

大政奉還を果たすきっかけとなった西郷・勝会談以後の明治の勝海舟の過ごし方の話。政権交代の後始末をどう付けるか。明治30年までに渡る徳川慶喜や旧幕臣へのサポート。薩長側の視点で語られる明治初期の別側面が見えて非常に面白かった。

派手に見えがちな幕末・明治初期ですが、表舞台を支える裏方がいないことには、あの明治維新は成し遂げられなかったと思います。

江戸城の無血開城を果たすために、慶喜の極刑や旧幕臣の食い扶持を保たせるために、西郷と交渉。
また、それを援護射撃するために、薩長派の英国公使パークスを動かすなど、打てる手を打って、ほぼ要求通りの形で交渉を完了し、無血開城を果たす。

その後も旧幕臣が憤る中での江戸城引渡しや静岡への転地、転地後の困窮する幕臣たちの金子の工面等、非常な活躍を見せる。

そんな中、有為な人材の乏しい新政府からも何度も任官の依頼を受けて、とうとう3年程度の任官を果たす。幕末の大政奉還や明治政府への任官を以って、福沢諭吉をはじめ多くの者から軽蔑され、徳川慶喜自身からも疎まれつつも自分の仕事を果たした。

福沢諭吉らが痩我慢の論等で主戦論を展開する中、世界状況を含めた時代を見定め、広い視野で判断し、適切な権限委譲を果たせたのは、稀有な人物だったのでしょう。

それと同時に江戸っ子としての勝っつぁんについても触れられていて、非常に気持が良かった。

一般に語られる幕末・明治史以外が見えて勉強になりました。
大分前に受講した経済セミナーを振り返って、まとめます。
ただ、内容がそもそも広範に渡っているため、まとめにくいですね。。

・新卒者内定に満足している割合10%程度
・3年以内に日本の工場の4割が海外移転してしまう状況
・既存広告が落ち込む中、FBの広告料は前年比70%アップ

・これまでとは異なる非連続の時代の到来
・そういった肌感覚があってから、5~10年後に実際の変化が来る

平均年収
・国家公務員 628万円
・地方公務員 728万円
・民間 430万円
 ⇒公務員給与を民間並みにするだけで10兆円削減

国力↓ 人口↓

厚生労働省制作リポート
・65歳以上:米国の5倍以上の介護大国
・2015年には260万人のアルツハイマー予測
・介護費用月平均9万円
・社会保障給付は自己責任の方向に向かう
・死因:老衰は3%しかない
 ⇒老衰の比率も右肩下がり
・ガンの死因率向上
 ⇒ファーストフードやコンビニの利用率向上も原因?
・アメリカではガンは減少の方向
・アメリカでは医療保険が弱いため、盲腸手術で200万円程度かかってしまう
・ガンは食源病
 ⇒食品ピラミッド
  トランス脂肪酸は危険(マーガリン)

攻めは収入、守りは健康

・トランス脂肪酸: 脳や心臓に悪影響
 ⇒日本人の摂取量は非常に多い
 ⇒成人病胎児期発症説
・人口妊娠中絶:10年前の2.2倍。特にダウン症の比率増

子どものIQ
・高血糖の子はIQが低い
 ⇒低血糖状態になると、家庭内暴力を振るうようになる
・リノール酸、リノレン酸:4:1
・DHAは記憶力を高める
・食事と学力の相関

・日本に輸入されている小麦の品質は低い
・食品自給率は農家保護の観点が強い

・なんで60歳で年金がもらえると思うのか
・20~49歳の83.9%が年収400万円以下という状況
・非正規雇用の割合が33%
・給料は変わらず、手取りが大幅減
・幸福度の1位はデンマーク
・副業

・中間にいる企業はほぼなくなる

・つきあう人を変える
・時間配分を変える
・住む場所を変える

大分久々にブログを書きます。


9/16-18にかけて、宮城県を訪れ、会社のボランティアツアーに参加してきました。


といっても、9/16は移動日で、9/18の午後解散だったため、実質1.5日の行程でした。


9/17の朝に仙台駅近くに集合し、バスに乗り込み女川へ移動。

参加者は各部署からバラバラに20名程度が参加しました。


女川は津波の影響が非常に大きく、人口1万人弱に対し、800人近くの死者を出しました。

港一体はがれきは片付けられていましたが、建物はほぼ基礎しか残っていない状態。

テレビでもよく報道された横倒しになっているビルはそのまま残っていました。

地震と津波により液状化現象が起こってしまい、鉄筋コンクリートのビルが地盤ごと

倒れてしまうことになったようです。


津波の中生き残った高台の病院にて、阿部薫さんという方に話を伺いました。

大分高台にある病院でしたが、この病院自体も一階は津波の被害にあったようです。


阿部薫さんという方は60過ぎの方で、女川の町の中でも比較的奥まったところに

住まれています。阿部さんの家の前までは津波の影響でほぼ家がありません。

阿部さんの家も浸水したようですが、なんとか家は残ったようです。


震災直後は、津波で生き残った方と家の裏側に、避難スペースを自分たちで作り、

そこで、それぞれが持っていたものを持ち寄り共同生活をしてしのいでいたようです。

廃材をもちより、水は奥の小川から汲んできて、煮沸して使用。トイレも森の中でする生活。

風呂も一ヶ月以上入れなかったようです。

食事は雑炊を朝夕のみ。電気がないため、日の出日の入りを計算して、明るい時間帯で

生活できるように工夫をしていたようです。


震災に会った当事者として、震災に対する備え・心構えといったものを色々教えて

頂きました。

震災が発生することを前提に、震災が発生した場合、どのように避難するのか、

生き延びられるようにするかが大事とのことでした。

東京に住む身としては、震災発生時の対応は東北以上の困難が見込まれ、

頭が痛い感じです。(人口密度やいざという時の水源等・・・)


今回のツアーをコーディネートしてくれたのは、NPO法人On the road(http://www.saigaishien.jp/

その「村長」である堀之内哲也さんが今回のツアーに同席してくれ、色々な話を聞かせてもらいました。


元は京都で書道家だった堀之内さんは、震災のニュースを耳にして、3月下旬には

個人で現地入りして個別に支援をしていたそうです。その過程でOn the roadに合流したようです。

On the road自体は高橋歩さんが主催しているNPO法人で、バングラデシュやインドへの

学校設立等にも取り組んでいるようです。


その後、女川のコンテナ商店街に移動しました。女川で被災した店舗の方々がコンテナを

借りて、仮店舗して運営を行っていました。花屋、洋服・雑貨屋、スーパー、果物屋、居酒屋、

定食屋等色々なお店がありました。

そこで地元のウェットスーツメーカーであるMobby Dick社のウェットスーツ素材のドリンク

ホルダーを購入しました。保冷・保温に役立ちそうです。


その後、石巻に移動。

昼食を頂いた後、店舗の再生に取り組みました。

当初は、がれき撤去や側溝の掃除等を中心に取り組んでいたようですが、それも一巡して

きたようで、新しい支援を検討しており、店舗再生もその一つのようです。

店舗再生は7月以来15件程度対応していたようです。

現在、石巻では大工が不足しており、年末までの店舗再開は難しいようです。

そんな中、On the roadの店舗再開も注目を浴び、引き合いも多いようです。

(といっても、引き合いが多すぎ、現在は年末まで予約でいっぱいのようです)


今回お邪魔したのは、彦べえさん。地酒の取り揃えが豊富なお店だったそうです。

そこを20人のメンバーで手分けをして、店舗の清掃作業に取り組みます。

最初に、今回破棄する什器類を運びだし、その中で残すものについて清掃作業を

実施していきます。

私の担当は厨房全般と換気扇周り。油汚れが非常にすごいです。


店舗再生チームでは、震災影響だけでなく、お店をキレイに再生することを目的と

していたため、店舗再開に向けて全般的に清掃作業を実施しました。

半日程度かかり、お店はかなりキレイに生まれ変わったのではないかと思います。

達成感はすごかったけど、油にまみれたのと洗浄薬品の匂いがくさくてたまらなかった。

この仕事を毎日するのは大変。

お店の人に喜んでもらえたのは良かった!


その後は、店舗再生の最初に取り組んだ店舗、時代屋さんで夕食。

非常にノリの良い店主と、On the roadの方々、また地元でIshinomaki2.0という

取り組みをしている方々と食事会。

震災に向けて自分たちが何をできるかといった話を考えるいいきっかけになりました。

元々知らないメンバーも多かったので社内メンバーでの情報交換も非常に楽しかったです。


次の日は塩釜港で朝食後、再度石巻に戻り、日本製紙石巻工場を見学しつつ、

被災者の慰霊をする広場に。

流された住居の基礎に、大きな立て看板が立ち、「がんばろう石巻」と出ています。

偶然、そこに尾形勝寿さんという方が現れました。今年のB-1グランプリに石巻やきそば

で参加された方です。

その方からも震災当時の様子を伺いました。店舗は津波の後の火災で焼け落ち、

奥様は津波で流された後、未だに消息不明なようです。

ちょうどお話を伺っている最中に、警察犬を載せたパトカーがやってきました。

今日こそは奥さんが見つかるか!といって、その後話し込まれていました。。


その後、日和山公園に移動。石巻を一望できる公園です。

ここで堀之内さんより、震災対応がある程度進んで来たこと、ただし、

現在拾えていない様々なニーズがあること、今後もNPOのような形での

サポートが引き続き必要になること、等を伺いました。


On the roadでは、先日被害の大きかった和歌山の台風被害についても

支援をスタートしているようです。今後も彼らの活動を注視することと、

できうるサポートの形を考えたいと思います。


被災地の現状を見る中で自分の考えたこととしては、こういった被災地支援を

ボランティアのような形だけでなく、様々な形態で実現できないかということです。

人の流れを生み出すことで活性化することも多いはずです。

ボランティア以外でもどんどん現地を訪問し、学び、消費するそんな仕掛けが

うまく作れないかと思いました。


とりあえず、今回支援したお店については再開次第訪問をしてみたいと思います。

ありがとうございました。