私は、今のような状況の中で、神様に対する感謝を見出しています。それはまた別の機会に書くことにして、昨日からの内容を続けてみます。

 

私たちの周りには、「赤死ね、白死ね」と、言いたい人たちが囲んでいるようなものです。

 

米本氏の文章にも、にじんでいる「赤死ね、白死ね」を見て見ましょう。

 

「赤」とか「白」とかは、米本氏が何々派と呼ぶもので、私は米本氏によって「顕進派」に分類されています。そして、米本氏の目には、何々派と分類して、赤だ、白だ、黄色だ、とケチをつける傾向があると見受けられます。

 

例えば、次のような文章です。

 

「要するに、文顯進陣営としては「裁判の途中経過など知らせるつもりはない」ということなのだが、この主張は実におかしい。パシセラ氏が嘘をついているか、記憶が飛んでいるか。なぜなら、「摂理的葛藤に対する真の視角と理解 日本語訳(総合版)」には裁判情報が掲載されていたからだ。」

 

私は、「摂理的葛藤に対する真の視角と理解」というものには関わっていません。私は、このブログを、誰かに言われて書いているわけでも、組織の中で書いているわけでもありません。

 

米本氏のするような「あの人はこうしたのだから、あなたがしたのと同じだ」と言う見方は、組織や団体、法人がした言動に対して当てはめられるべきものですが、私は組織の一員として、このブログを書いているわけではありません 。

 

米本氏のするような見方は、「この人は赤のグループ、この人は白のグループ」と振り分けて、そのグループに分類した人同士の矛盾点や、その中の一人のことを取り上げて、グループ化した全体を攻撃して、「赤死ね、白死ね」とするのに適しています。

 

将来、米本氏が、「顕進派のA氏がこう言ったのだから、B氏が言ったのと同じである」などという理屈を持ち出したら、皆さんは、それを蹴散らすべきです。

 

文顕進会長は、皆さんが、直接に神様に子女として侍るようになり、神様の家庭をなすことを願っています。そのような人たちが将来たくさん集うようになるときに、「A氏がこう言ったのだから、B氏が言ったのと同じである」と言われる必要も、そのような理屈に黙る必要もありません。色々な人がいるのは当たり前ではないでしょうか?それは、今も同じです。また、皆さんも、「パシセラがこう言ったのだから」と糾弾される必要はありません。

 

文顕進会長の所にいる人たちの中には、「裁判は非道である」とか「裁判を止めるべきだ」ということを伝えたくて、裁判のことを書く人もいるのを知っています。米本氏が言及している「摂理的葛藤に対する真の視角と理解」の中に書かれている記事にも、裁判そのものについては、大したことは書かれていませんが、「裁判を止めるべきだ」という意図が読み取れます。

 

私も、裁判など止めるべきだとは思っていますけれども、そう言ったところで、統一教会が裁判を止めることはないだろうと思っています。特に、2015年の末以降は、そのような考えです。故に、裁判に持ち込まれたことは、裁判でケリをつけるしかない、という考えになります。2012年のはじめに、すでにそのような考え方を示しています。考え方の違いです。http://ameblo.jp/pacificera/entry-12260639469.html

 

統一教会の中には、「裁判を止めるべきだ」と言う人に対して、「それは、あなたたちが負けるからでしょう」と言っている人がいるのを知っています。その人たちは間違っています。それはいずれわかります。でも、米本氏は、その統一教会の人たちと口調を合わせて、以下のようにからかっています。「赤死ね、白死ね」の例です。

 

「パシセラさん、記憶が蘇ったかい?この記事の後、裁判が不利になってきたためか、UCI陣営は裁判のことを一切、言及しなくなった。ワラ」

 

そして、米本氏は、 わざわざ色付きの文字にして、私を「嘘つき!」と呼んでいます。レッテル貼りをして人をあざける、典型的なネットいじめの類いと違うでしょうか?私には、とてもジャーナリストのすることには思えません。

 

こういうときに、「日本のジャーナリストとは、こんなものか. . . 」という思いが、湧きそうになります。でも、そのような普遍化する考えは慎むことにしています。そして、いつものように、自分を攻撃する人のために祈ることに結びつけます。

 

今日書いたことと似ているテーマですが、私たちは、今、「許せ、愛せ、団結せよ」と実践しないといけないときに来ていると思います。文顕進会長のもとにいる人たちにも、色々な人がいるのは当然で、それぞれに課題を抱えています。私も同じことです。 完成した人間などからは遠いです。

 

私たちは、 一人の人につまずいたとしても、それを全体のグループに当てはめて、「皆がそうだ」と思うような考え方はしないほうが望ましいと思います。文顕進会長のもとにいる人が皆悪いとか思わないことです。否定的な思いは限定的にとらえ、肯定的な良いことは、全体に拡散する、そして、「許せ、愛せ、団結せよ」ではないでしょうか?

 

(続く)

 

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