米本氏というジャーナリストが、また裁判について書いています。さっと反論を書くのは簡単ですが、「できるだけ多くの人に読んでもらいたいため、18日までは更新しません」とのことですから、少し日にちをかけて、書くことにしましょう。

 

米本氏の書いた内容は、私に対する攻撃のような形式をとっていますが、私は、それが、文先生の教えを信じた人たち全てに対する「赤死ね、白死ね」の一環である、として対処します。

 

私がなぜ、今こうした内容を取り上げるのか、と思う読者もおられるかもしれませんけれども、統一教会に今も所属しているとしても、いないとしても、文先生の教えを受けた人たちにとっては、よく認識しておくべき状況が示されているからです。

 

統一教会では自分たちをどう見ているのか、様々に意見は違うでしょうが、世の中では、すでに統一教会は教祖が分裂して終わりに向かう団体であると見られていると思って、ほぼ間違いないと思われます。米本氏もそのような考えを匂わせる内容を書いているのを読んだことがあります。

 

私たちは本来、どんな宗教であっても、神様と霊性を重んじる、世界の人たちと共に歩み、唯物主義や無神論から来る間違いを正しながら、世界を導くはずの人たちでした。統一教会という枠の中で生きる人たちではなかったはずです。それは、今、何派に属していようと関係のない、神様からの使命です。これは、日本統一教会のように、教会という組織を中心としてきた教えの中では、理解が難しいかもしれませんが、文先生の教えの中にある内容です。

 

しかし、2009年から表沙汰になった混乱によって、世の中からは、「もう一押しすれば終わる」と思われる人たちの群れになっています。私が「赤死ね、白死ね」と檻(おり)の外から野次を受けている状態として表現するものです。その「赤死ね、白死ね」という檻(おり)が、裁判というものである、と見ることができます。

 

文先生を信じた方達が今するべきことは、文顕進会長を中心として、一つになることです。なぜ、文顕進会長なのかに関する説明は、他の人たちに任せることにしますが、文顕進会長こそが正しい後継者であるという結論に至った神山会長が最後に訴えたのが「許せ、愛せ、団結せよ」です。

 

文顕進会長を中心として一つになっていくには、「許せ、愛せ、団結せよ」が必要だ、ということです。言い換えれば、真の愛です。

 

文先生が米国で「許せ、愛せ、団結せよ」を訴えた頃も、米国の外で吹き荒れていたのが共産主義の嵐でした。米国の外では、民主世界を食い殺そうとしている勢力が暴れているのに、米国は内部で何を争っているのか、という話です。自分たちに「死ね」と言っている外部の勢力を知ると同時に、内部は一つにならなければならない、ということのはずです。

 

皆さんは、共産主義が好きでしょうか?今の時代にはもう共産主義のような嵐は無くなったでしょうか?そうではありません。北朝鮮問題やテロのような、とても強い嵐があると同時に、神様の摂理も同時にとても強く進行しているのです。その中で、私たちは状況を正しく知って、正しく判断しなければなりません。

 

何を正しく判断するべきかと言えば、「裁判がどうなるか」とかそんなことではありません。自分の永遠の命をかけて、「この人だ!」と言うべき人は誰なのか、ということです。そして、「この人だ!」と言うだけではなくて、「許せ、愛せ、団結せよ」を実践しなければなりません。これもとても難しいはずです。でも、必ずできるからこそ、神山会長に霊的に現れた文先生は、「許せ、愛せ、団結せよ」というメッセージを与えたはずです。

 

このメッセージを残して他界した神山会長は、徳野会長が言うような「どこに行ったのかわからない」ではなくて、とても活発に霊界で働いています。

 

 

 

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