裁判のことを書いている、日本のジャーナリストの米本氏の記事があります。私は、正直、この人の記事をほとんど読んでいません。でも、「こんな記事が出ています」と言ってくる人もいるので、忙しい中ではありますけれど、一応、目を通しました。

 

日本統一教会でも、この裁判のことをわかっている人はほとんどいないと思われますが、ジャーナリストも、情報源が限られているらしく、巷の噂話的なことが書いてあります。

 

そして、書き方はいつものように「あなたが応答しなければ、私はこれこれと断定する」という言い方です。ジャーナリストですから情報が頼りのはずですが、情報の求め方は、相手の足でも蹴飛ばせば、何か出てくるとでも思っているかのような書き方です。私がまるで犬のように、蹴飛ばせば「キャン」とでも言うかのような書き方をしています。

 

何度も書いているように、裁判になったことは、裁判で決着をつけるしかありません。私たちに、裁判に関して説明する責任などありません。

 

米本さんのようなジャーナリストが、私が対象にしている読者ではありません。求めている情報が、私が書いている内容と合致しないのは当然です。

 

私は、このブログを、文顕進会長とともに、信仰の道を歩もうとする人たち、その可能性を持った人たちを対象に書いています。

 

文顕進会長という人は、たくさんの訴訟を統一教会から起こされて、それを乗り越えてきた人です。文顕進会長に従って、共に歩もうとした人たちの中で、「裁判に勝つのは文顕進会長だ」と思って、共に歩む決意をした人は、ほとんどいないはずです。つまり、私がこのブログを書く対象にしている人たちにとって、裁判は予備的な出来事にすぎません。もし、そうでないとしたら、何十回と訴訟を起こされても進んできた文顕進会長と共に歩むのは難しいはずです。

 

文顕進会長と共に歩もうとする人たちのために書いておきますが、米本さんがジャーナリストであるからと言って、そこに公正で正しい内容が書いてあるなどと思わないことです。特に裁判に関して、情報源が限られているのは、今回の記事でも明白です。

 

もし、統一教会本部が公式に、米本さんのリクエストに応えて、裁判に関する見解や情報を流すというのなら、私は関心を持って読むでしょうが、文顕進会長と共に歩もうとする人たちは、そこに本当のことが書いてあるなどと思わない方が良いでしょう。

 

文顕進会長と共に歩もうとする皆様、私たちが関心を持つべきことは、神様の摂理を前進させることです。裁判が、神様の摂理などではありません。

 

 

------------------------------------------------------ 

読み終えたら下のアイコンをクリック、お願いします。(統一教会ブログ村に訪問中) にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村