2014/03/17(Mon) | Kono Mama no Uta.



卒業した学校に戻る必要はない

師が、その後のわたしを離れたとこで見てくれたらそれでいいし

ずっとその学校の中にいないと、つきあってくれないのなら、

つきあわなくてもいい

サイクルがもうあわないことに、気づくのが早いしあわなくなるのが早いし、

それで自分責める必要はあるのかな?


違和感を感じたときに自分を責めやすくなっている

饒舌で、賛同が多いものと自分を比べてることが多いけど

自分がかつて通ったところに違和感を感じるなら、それは成長しているしるしかも

通ったことのないものは、まだ引き寄せられていないはず


酔いなら必ず醒めるけど、それは悲観することじゃない

醒めてる人はある種孤独だけど

それでも、とひとりで歩いているうちにいつか並んでるひとだって、いつもいた。




光は誰の中にもあるのに

だまされたと思って責める、そこにとどまってても、自分の光にはたどりつけない。


たとえば陰謀論とか 

ひとくくりに責めるとき それが戦争になる

責めること、暴くこと、その反対の正義を主張することがアイデンティティーになっているときって

自分を生きているだろか

あなたの存在はそれに費やされて終えてしまうようなものなの?

いつまで傷ついた人のふりをしているのかしら

本当の愛は、そんなに饒舌に語るものかしら。