卒業した学校に戻る必要はない
師が、その後のわたしを離れたとこで見てくれたらそれでいいし
ずっとその学校の中にいないと、つきあってくれないのなら、
つきあわなくてもいい
つきあわなくてもいい
サイクルがもうあわないことに、気づくのが早いしあわなくなるのが早いし、
それで自分責める必要はあるのかな?
それで自分責める必要はあるのかな?
違和感を感じたときに自分を責めやすくなっている
饒舌で、賛同が多いものと自分を比べてることが多いけど
自分がかつて通ったところに違和感を感じるなら、それは成長しているしるしかも
通ったことのないものは、まだ引き寄せられていないはず
酔いなら必ず醒めるけど、それは悲観することじゃない
醒めてる人はある種孤独だけど
それでも、とひとりで歩いているうちにいつか並んでるひとだって、いつもいた。
それでも、とひとりで歩いているうちにいつか並んでるひとだって、いつもいた。
光は誰の中にもあるのに
だまされたと思って責める、そこにとどまってても、自分の光にはたどりつけない。
たとえば陰謀論とか
ひとくくりに責めるとき それが戦争になる
責めること、暴くこと、その反対の正義を主張することがアイデンティティーになっているときって
自分を生きているだろか