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江戸時代を描いた小説を読んでいると、移動のための「歩行」の規模に驚く。

★マーケティング戦略ビューロー@P-styleブログ★-090109当時は自動車や電車が無かったので、まず歩き、他には駕籠か馬くらいしかない。

駕籠や馬は有料で、江戸時代の町民の経済状況から考えれば、武家や旦那衆でなければだいたい歩いて用を済ませたようだ。

「半七捕物帖 / 29話・熊の死骸:岡本 綺堂著」には、次のようにある。

「弘化二年正月の二十四日、きょうは亀戸(かめいど)の鷽替(うそか)えだというので、午(ひる)少し前から神田三河町の家を出て、亀戸の天神様へおまいりに出かけました。」(略)

「どこか山の手の方角に火事があるそうだくらいの噂だったのですが、ともかくもこの大風に燃え出した火はなかなか容易に鎮まる気づかいはないと思ったので、亀戸からすぐに引っ返して来たのは夕七ツ半(午後五時)を過ぎた頃でしたが、もうその頃には青山から麻布の空が一面に真紅(まっか)になっていました。三田(みた)の魚籃(ぎょらん)の近所に知り人(びと)があるので、丁度そこに居あわせた松吉という子分をつれて、すぐにまた芝の方面へ急いで行く」(略)

「半七が三田へ駈けつけた頃には、知り人の家などはもう疾(と)うに灰になっていて、その立退(たちの)き先も知れないという始末であるので、江戸の火事に馴れ切っている彼も呆気(あっけ)に取られた。
「馬鹿に火の手が早く廻ったな。やい、松。これじゃあしようがねえ。今度は高輪へ行け」(略)

この後、神田の家に帰り、翌日。

「あくる朝、半七は再び松吉をつれて高輪へ見舞にゆくと、伊豆屋の家は果たして焼け落ちていた。その立退(たちの)き先をたずねて、それから三田の魚籃(ぎょらん)の知り人の立退き先をも見舞って、帰り路に半七はゆうべの勘蔵のことを云い出した。あれからどうしたかと噂をしながら、ふたりは田町へ行ってみると、車湯も備前屋も本芝寄りであったので、どっちも幸いに焼け残っていた。」(略)

神田から亀戸へ出た足で芝経由で高輪に出て、また神田に帰り、その明くる日また高輪にまで出向いている。地図を見ると二日で25kmほど歩いているようだ。

「半七捕物帖 / 50話・正雪の絵馬」では、証拠の絵馬を訪ねて早朝に神田から新宿経由で中野から杉並の大宮八幡まで歩く。それで日帰りで来た道を戻り、夕暮れには四谷に着いている。もちろん四谷で用を済ました後には神田まで帰っている。距離にしてみれば20kmくらいだろうか。

別に岡っ引きでなくてもこのくらい歩いたらしい。

やはり岡本綺堂の有名な「箕輪心中」には、次のようにある。

「お時が家を出たのはけさの四つ(午前十時)であった。女の足で箕輪から山の手の番町まで往復するのであるから、時のかかるのは言うまでもないが、それにしてもちっと遅過ぎると十吉は案じ顔に言った。お米もなんだか不安に思われたので、七(なな)つ(午後四時)過ぎまで一緒に待ち暮らしていると、お時(とき)は元気のない顔をしてとぼとぼと帰って来た。」(略)

軽く10kmは歩いている。(「小説だから」というのは置いといて)

余談だが昨秋、ふと赤坂から芝の増上寺まで歩いてみた。

紅葉の降りしきる中を、ぶらぶら東京タワーなぞ眺めながら、4km弱の道のりを
散歩したのだが、秋だというのにぽかぽかと汗ばんだ。

帰りは電車で帰ったのだが、どうも翌日若干の筋肉痛で、日頃の運動不足を思い知った。これではいざという時に困る。

日常「歩ける距離」を自分の生活圏にしていた江戸当時、町内の衣食住は町内で賄っていただろう。

現在とは、地域経済のありかたも大きく違っていたわけで面白い。

江戸を思い浮かべる時、その風景には健脚の町人たちがいる。

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