• 22 Mar
    • チームの力』から考える組織運営 -8- ~誠実なリーダーよりサイコパスリーダーが多い「不都合な真

       「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。第8回は「価値の原理」のリーダーシップ論のうち、リーダーに「誠実さ」が大事と言われるけど、実際は真逆のリーダーが成功しやすい(?)点を見ていきます。これまでの「すきより」シリーズと同様、博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-8/○「誠実な経営者」より 「サイコパス気質経営者」の方が多いのが現状【博士(以下「博」)】みなさん、こんにちは。【助手(以下「助」)】こんにちわ~!【博】今回は、「(1)-4:チームが目的を達成するためのリーダーシップ」を構成する、 (1)-4-1:リーダーシップの3つの定義 (1)-4-2:リーダーは状況の変化に合わせて性格を変えられない (1)-4-3:「己を知る」大切さとその難しさ (1)-4-4:メンターあるいは感性が似ている他者の大切さ、および注意点 (1)-4-5:状況によってリーダーや権限を変える (1)-4-6:誠実さの大切さ、およびそれはごまかせない (1)-4-7:なぜリーダーシップのテクニックは通用しないか (1)-4-8:誠実なチームを作るためには      …このうち、   「(1)-4-6:誠実さの大切さ、およびそれはごまかせない」について、     見ていくことにします。【助】まぁ、誠実さの反対を、「不誠実=不正行為」と考えると、   そりゃ、ま、大切でしょうね。   リーダーが不正行為を奨励、あるいは黙認していたら、   誠実な人はその組織を去るか、あるはストレスを抱えながら仕事する。      結局、その組織は不正行為をする人だけが   生き残りやすい組織になる。【博】この考え方は、実際に検証によって   確かめられているそうです。   西條先生も、 「リーダーが誠実でないことにより、(中略)   誠実なスタッフは次々と辞めていき、   不誠実なスタッフばかり残る。   彼らは組織の内部でも不誠実な行動をするようになり、   不誠実な組織文化が醸成され、   社会に対しても不誠実に振る舞うようになる」(P83)   ……と記載しています。【助】でしょう?   そして、組織において自分が不誠実であることを隠すことも、   また難しい。【博】このことを西條先生は、  「どんな人でも自分の欲望、関心を起点に   物事を判断し、行動するので、   周囲の人にとってみれば、   その人の意思決定や動き方から、   『その人が本当にしたいこと』=『関心(本心)』   は影絵のようにはっきりと浮き彫りになってしまうのだ」(P82)   ……と指摘しています。【助】西條先生の指摘はもっともなんですが、   現実問題、「『誠実さ』が分からない人がリーダーになりやすい」   こういう側面もありますよね?【博】というと?【助】ここでいう「誠実さ」の反対語の一つに、     「サイコパス」をあげることができると思うのですが、   企業のリーダー(CEO)にはサイコパスが多い。  "「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実"  http://president.jp/articles/-/19916【博】まぁ、サイコパスってのは、定義からして、   「攻撃的」「平然と嘘をつく」「道徳心が欠如」   「他人に共感しない」「他人を操る」などの特徴を持つ    人格を指す心理学用語   "「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実"  http://president.jp/articles/-/19916   加えて…   ・社長がサイコパスだったらその会社はどうなるか?   ビジネスの環境変化に対して強いリーダーシップを発揮するが、   倫理や社会的責任を放棄したり、   無謀な投資や不正会計を招いたりする危険性もある。    "「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実"  http://president.jp/articles/-/19916   …そう考えると、確かに「誠実さ」とは真逆だね(笑)【助】もともとサイコパス的気質が強い人が経営者になりやすい、というのと、   経営に携わるにつれて、サイコパス的気質が強まる、という   2つの側面があるようですね。【博】そうなると、経営者の誠実さを問うても仕方がないのかねぇ。   やっぱり、理事会とか外部取締役とか、   経営者より権力のある人たちによるチェックがないといけないのかね。【助】ちょっと救いなのは、   NPO関係者、NPOリーダーなどは、   サイコパス度が低い人が集まりやすいらしい。   http://president.jp/articles/-/19916?page=4   …その点で、西條先生のリーダーシップのあり方は、   NPOリーダーにて、より実践しやすいのかもしれません。【博】そうかもしれないけど、   NPOリーダーには、今後ますます社会から   様々なプレッシャーがかかるだろうことは間違いない。   そうしたプレッシャーに強いのも、   サイコパス気質の特徴の一つらしいので、   やっぱり、NPOリーダーも、今後サイコパスが増えるかもね。【助】正直、それはかなりあると思うんですよねぇ。   「社会を変える」という目的を達成するために、   手段を問わず、冷酷になれるNPOリーダー、みたいな。   その結果、何が起こるのかについては、   様子見が必要なのでしょう。【博】まぁ、社会を変えたい、サイコパス的気質が強いNPOリーダーと、   社会的弱者に寄り添いたい、サイコパス的気質が弱いNPOリーダーとで、   ある種の棲み分けができるんじゃないかね?   <まとめ>・リーダーが誠実でないと、誠実でないメンバーしか残らない・不誠実をごまかすことはできない・現実問題、リーダー(とりわけ企業経営者)は、 誠実さとは真逆の、サイコパス気質を持った人になりやすい・NPOリーダーも、今後は 「社会を変えるために手段を選ばない」サイコパス気質が強いタイプと、 「社会に寄り添う」サイコパス気質が弱いタイプに分かれるのでは?

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  • 15 Mar
    • 『チームの力』から考える組織運営 -7- ~リーダーはメンターや感性の似た人を通して明鏡止水の境

       「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。第7回は「価値の原理」のリーダーシップ論のうち、メンターの必要性などを見ていきます。これまでの「すきより」シリーズと同様、博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-7/ ○明鏡止水の境地に至るには、 修行するよりも他者(メンターなど)を通した方が確実【博士(以下「博」)】みなさん、こんにちは。【助手(以下「助」)】こんにちわ~!【博】今回は、「(1)-4:チームが目的を達成するためのリーダーシップ」を構成する、 (1)-4-1:リーダーシップの3つの定義 (1)-4-2:リーダーは状況の変化に合わせて性格を変えられない (1)-4-3:「己を知る」大切さとその難しさ (1)-4-4:メンターあるいは感性が似ている他者の大切さ、および注意点 (1)-4-5:状況によってリーダーや権限を変える (1)-4-6:誠実さの大切さ、およびそれはごまかせない (1)-4-7:なぜリーダーシップのテクニックは通用しないか (1)-4-8:誠実なチームを作るためには      …このうち、   「(1)-4-2:リーダーは状況の変化に合わせて性格を変えられない」以降について、     見ていくことにします。【助】たとえば、ゼロから1を作り出すタイプの人は、   たいていオラオラタイプというか、   とにかく勇猛果敢に突っ走るタイプですよね。   でも、組織がある程度固まってくると、   今度は守りを固めないと、足下をすくわれる。   しかし、たいていの勇猛果敢リーダーはそれができない。【博】あとは、成功体験が捨てられない、というのもあります。   状況が変わっていても、   成功体験が捨てられないと、それにしがみついて失敗しがち。【助】どうすればいいんでしょうかね?【博】まずは、「己を知る」こと。【助】まずは、自分が猪突猛進タイプか臆病タイプかとか、   そういうのを把握しておけ、って話でしょ?   その手の性格診断云々は、   なんかの話のネタにはいいのかもしれませんが、   それが、リーダーシップという修羅場で、どれだけ役立つかといえば、   はっきり言って、疑問ですけどね?【博】というと?【助】いくら、自分のタイプが頭でわかってたとしても、   所詮「理性は感情の奴隷」なんだから、   リーダーシップという修羅場で発生する、   さまざまな感情レベルで生じる問題においては、   どうしてもバイアスがかかってしまうじゃないですか。【博】たとえ己を知ったつもりになっていても、   バイアスから逃れるのは至難の業である以上、   客観的な第三者の目で見れば、わかりそうなことでも、   結局失敗してしまう、と。   このことを、西條先生は、  「欲望により現実を歪んで把握していたならば、   どんなに知性を巡らし、戦略を積み上げても、   "正しく間違える"ことになる」(P74)  ……と表現しています。【助】「正しく間違える」! 言い得て妙ですね。【博】この問題に対して、経営者たちは、   禅や瞑想で対抗しようとする。  「経営者たちは禅や瞑想に取り組む人が多いが、   それは精神を明鏡止水に保つことで、   自我や欲望から距離を置き、   不安や怖れがない穏やかな状態から   物事をみられるようにするためだ」(P74)【助】明鏡止水! おいしいんだそうですねぇ。   私は下戸ですから、酒はあんまり飲めませんけど……【博】日本酒の話じゃないんだよ!【助】しっかし、やれ明鏡止水の境地とか、明鏡止水の心とか、   アニメ・ゲームの主人公とか必殺技じゃないんだから、   基本、無理くさくないですか?   禅や瞑想はいいのかもしれませんけど、   そんな簡単に明鏡止水モードになれるとは、   思えないですけどね?【博】確かに、自分の心の中に明鏡止水を作るのは、   ものすごく困難に違いない。   ベターなのは、他の人に自分の鏡になってもらうこと。【助】他の人に鏡を持ってもらうんですか?   大鏡だったら、持つ人も大変ですねぇ。【博】そうじゃなくて……   一つは、いわゆるメンターや師匠のアドバイスを   定期的に受ける。【助】メンターって、なんか優しくアドバイスしてくれる感じですよね。   その点、師匠って、何かと、   「そんなことも分からんのか、この馬鹿弟子があっ!」   とか言われそうで怖い。【博】君の師匠観、なんか歪んでない?【助】まぁ、ここでは「どうやってメンター見つけたらいいんだろう」とか、   そういうのはいいです。   リーダーにとって、外部にメンターとか師匠を見つける、というのは、   大切だというのは、多くの人も言ってますし。【博】外部にメンターを見つける以外にも、   組織内部に、自分の鏡となる人を見つける手もある。   どういう人を自分の鏡にしたらよいかについて、   西條先生は、以下のポイントをあげています。   ・自分と違うタイプの人を選ぶ(自分が果敢タイプなら慎重派、あるいは逆)  ・自分と似た感性の人を選ぶ【助】なんかよくわからないなぁ。   タイプが違うんなら、感性も違う気がするけど。【博】西條先生は、自分と似た感性の人について、  「この人なら同じ出来事に対して同じように感じ、   同じように判断をするだろう」と思える人(P76)  …と記載しています。  こういう自分と感性が似た人は、  自分から欲望を抜いた"客観的な自己"のようなもので、  そうした人の意見は妥当な意思決定の  大きな助けになると指摘しています。【助】要は、自分と似た感性の人って、   自分とフィーリングが合う人、   くらいのニュアンスですかね?【博】そうなんだろうね。【助】ただ、それも怪しいですけどねぇ。   私とその人が、本当に感性が似ているかなんて、   単なる思い込みである可能性もありそうなもんですが……【博】まぁ、「話が通じやすい人」=「感性が似ている人」くらいの   ニュアンスでいいんじゃない?   人間関係なんて、そんなもんじゃないのかね?【助】えらい適当な……   まぁ、それはもういいとして、   メンターだろうと、感性が似ている人だろうと、   そのアドバイスを受け止められなかったら、意味なくないですか?【博】というと?【助】昨今、何かと「上から目線」とか言われる現状があるわけで、   アドバイスの類いも、よほど言い方に気をつけないと、   やっぱり「上から目線」扱いになるでしょ?   メンターの場合、それを受け入れている前提があるとしても、   リーダーに組織内の人の意見を受け入れる器が、   どれだけあるか、って話ですよ。【博】そうだね。   加えて、アドバイスを聞いても、   何のアクションもなかったら、   「アドバイスしたのに、スルーされた」と思われてしまう。【助】既読スルーならぬ、アドバイススルー(笑)   ま、笑いごとじゃなくて、ありがちなお話ですが。   やっぱり、西條先生も、この点言及してるんでしょ?【博】もちろん。  「せっかく言ってくれた意見をスルーしたり、   苦言を呈してくれた人を冷遇したりすれば、   誰も意見は言ってくれなくなる。   人間は言っていることではなく、   やっていることをみているのだ。」(P76~77)【助】とはいっても、建設的な意見なんてほとんど出ないのが、   世の常ですけどね。   SNSなどは、その最たるものでしょうけど。【博】そのあたりのお話は、   改めて「方法の原理」にて考えます。○状況に応じて、リーダーシップを変える【博】あとは、状況が変わったら、   リーダーとかその役割、権限を変えることも、   必要になるだろう。   組織立ち上げの時には有効だったリーダーも、   組織の安定期になると、向かなくなることも多いので。【助】それができれば、苦労はしないと思いますけど……   苦労して組織を立ち上げた(作り上げた)リーダーが、   そう簡単に、自分の組織を手放すと思います?【博】そうなんだけどね(笑)   まぁ、そのリーダーに「価値の原理」が浸透していれば、   まだその可能性はある、ということで。【助】まぁ、組織立ち上げ期から、   組織全体に「価値の原理」が浸透していれば、   たとえリーダーが自分の地位に固執しても、   ひょっとしたら、「主君押込」ができるかもしれませんね。   確率は非常に低いですが。【博】あとは、リーダーが猪突猛進タイプで、   ナンバー2がマネジメント役、というパターンも、   ありがちなんだけど、   組織の安定期に、ナンバー2をそのままスライドさせても、   うまくいくかといえば、微妙なことが多い。【助】やっぱり、ナンバー2は、   リーダーがいてこそのナンバー2であることが多いですよね。【博】西條先生は、この点について、 「状況と目的を踏まえ、ステージごとに   リーダーシップをとるべき人を柔軟にシフトしていくことは、   硬直した組織ではなく、   しなやかなチームだからこそできる   有効な方法なのだ」(P79)   …とまとめています。【助】たいていは「柔軟にシフトしていく」ことはできないんですけどね。   どこかで、血と涙が流された結果、シフトがなされる。   それでも、シフトできればそれは大変幸運なことで、   ほとんど、シフトすらできずに終わる。【博】組織はすぐにしなやかさを失って、   腰や関節などが硬直してしまう、ってところですかね……<まとめ>・リーダーは自分で自分を変えることはきわめて難しい・バイアスにとらわれていると、戦略戦術をきちんと立てても、 「正しく間違える」・「メンター」や「感性の合う組織内の人」といった「他者」を通して、 自分のバイアスを確認、是正する・他者の意見を求めながら、無下にスルー、冷遇しない・状況の変化に応じて、リーダーシップをとるべき人を変える

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  • 08 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -8-

       しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 ハイト6つの道徳基盤のうち、  忠誠、権威、神聖基盤を重視する保守主義者と、 重視しないリベラルやリバタリアンの差はどこにあるのかを考えます。○忠誠、権威、神聖基盤の根拠となる デュルケーム的社会モデル 忠誠、権威、神聖基盤を重視する保守主義者と、 重視しないリベラルやリバタリアン。 両者の差は、いったいどこにあるのか? この差は、「よい社会を築くためには何が必要か?」 この点に関する考え方の違いなのだと、ハイトは指摘します。 ハイトは、よい社会についてのモデルとして、 ジョン・スチュアート・ミルと、エミール・デュルケームの、 2人の考え方を紹介しています。<ミルの社会モデル>・社会は相互利益のために結ばれた社会契約・社会のすべての構成員は平等・誰もが可能な限り自由に移動し、才能を開花させ、 望み通りの人間関係を築けなければならない・理想の社会をつくるために必要なのは「さまざまな人々が、互いの権利を尊重」「自由意志に従って協力関係を結びながら、 助けの必要な人を支援」「社会の利益のために法を改善」「平和で創造的な開かれた場所」 ……いかがでしょうか? これは、リベラルやリバタリアンにとっては、 まぁ、当たり前の理想モデルなのではないでしょうか。 現実にできているかは別にして。 というより、教科書的な理想モデルともいえます。 で、「こんなの無理に決まってる」 「そんなやり方では社会は維持できない」と考える方には、 こんな、デュルケームのモデルはいかがでしょうか?<デュルケームの社会モデル>・社会は、人々がともに暮らし、協力関係を結び、 互いの私利私欲を抑え、異常者やフリーライダーを罰しながら、 時間の経過に従って形成されていくもの・個人ではなく、家族が社会の基本単位・各人は、自立を根本から制限する、 協力で制約的な関係の網の目のなかに生まれてくる・デュルケームは、アノミー(無規律な状態)の危険について警告・デュルケームの理想とする社会は、「自由に振る舞わせると 浅はかな肉体的快楽に溺れてしまいがちな個人を 社会化し、作り変え、ケアする」「互いに包含したり一部が重なったりする多数の集団から構成される、 安定したネットワークを築き上げる」「自己表現より自制、権利より義務」「外部の人間に関する関心より自集団への忠誠を重視する」 ……いかがでしょうか? なんか、体育会系の社会モデルっぽいですよね。  要は、人間が個々人バラバラになると、 何しでかすかわからないし、たいてい楽なほうに流れてしまい、 社会を維持することが難しくなる。 ありていにいえば、人間個々人を全く信用していない。 個々人は、利己的で近視眼的だから、 そんな人間がただよせ集まっただけでは、 必ず無秩序社会(アノミー)になる。 ただ、そんなダメダメな人間も、 共同体の規範や社会階層、指導者の権威、 あるいは宗教的伝統といった要素で、 社会との調和、あるいはセルフコントロールが可能になる。  だからこそ、・結合力の強い共同体が必要「<忠誠>基盤」・社会階層、指導者の権威を維持することが必要「<権威>基盤」・内面レベルでのセルフコントロールの道を開く 宗教や伝統、慣習が必要「<神聖>基盤」 日本において、 最近天皇陛下の生前退位が話題になっています。 生前退位に反対する保守主義者の意見の一つは、 要は皇室の危機なのだそうですが、 言いかえれば、皇室という「<権威>基盤」「<神聖>基盤」が、 揺らいじゃうから反対、ということになるのでしょう。 もちろん、賛成意見の基盤には、「高齢の陛下の身体を考えると……(<ケア>基盤)」「生前退位をスムーズにしておけば、崩御後の混乱、 ていうか自粛ムードという 経済的自由の圧迫を軽減できる(<自由>基盤)」 というものがあるのでしょう。 ま、上記の「<自由>基盤」はちょっと理詰めであり、 道徳感情とは違うかな?○なぜ、西洋のWEIRD文化は、 忠誠、権威、神聖基盤を軽視するようになったのか? では、逆に、なぜ、西洋のWEIRD文化は、 忠誠、権威、神聖基盤を軽視、 あるいは否定するようになったのか? ハイトは、この点については、 かるくふれています。「(エーレンライクは)もっとも直近の要因は、 16世紀に始まるヨーロッパにおける個人主義と、 より洗練された自我の概念の発達だとしている。 これらの文化的な変化は、 啓蒙主義と産業革命の時代にさらに拍車がかかる。 これは、19世紀にWEIRD文化を生み出した 歴史的過程と同じだ(P348)」 要は、啓蒙主義と産業革命の中で、 忠誠、権威、神聖基盤が否定されていくようになった。 それ以外の要因としては、 長い宗教戦争で、ヨーロッパが著しく荒廃し、 「宗教感情(<神聖>基盤)を抑えないと、  もうこれ以上はやってられない」 というところまできたと言う面もあるでしょう。 リベラルの(<ケア>基盤の)勝利の歴史を 描いたと言っても過言ではない、  ピンカーの『暴力の人類史』を参考にして整理すると、・狩猟採集社会から農耕社会への移行時に、 道徳面でも忠誠、権威、神聖基盤を変化させ、 それによって、暴力的な死を遂げる人の数が5分の1ほどに現象→平和化のプロセス・国家が確立する中で、一層暴力的な死を遂げる人の数が現象 (道徳面でも忠誠、権威基盤が強化されたことは間違いない)→文明化のプロセス1・商業の発達により、プラスサムゲーム(相互共同)が発達し、 <自由>基盤の発達がみられた→文明化のプロセス2・産業革命の結果、または啓蒙主義の土台となった 印刷物の増加により、 他者への共感力が高まり、<ケア>基盤が高まった。→人道主義革命・<ケア>基盤はリベラルによってさらに拡大され、 現代のポリティカル・コレクトネスの土台を作り上げた→権利革命 もちろん、ハイトもいうように、 6つの道徳基盤は、人間の本性に根付くものではありますが、 その内容は、歴史とともに変化しています。 現在世界で起こっているポピュリズムの流れは、 ピンカーの言う権利革命への反動といってもいいのでしょう。 ピンカーなら、こうした反動は何度もあったが、 将来、暴力は一層減少する(=<ケア>基盤がより中心的な位置を占める) というのかもしれません。(もっとも、ピンカー自身、 最近の権利革命は行き過ぎの面もあるとは語っています)  今回のポピュリズム反動はどこに向かうのか? それを考える上でも、 次回は、共同体を維持するためのツールとしての、 忠誠、権威、神聖基盤について、 ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』 第三部「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」について、 もう少し触れた後で、まとめ的な話に入りたいと思います。

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  • 06 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -7-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 ハイト6つの道徳基盤からみる リベラル、保守主義者、リバタリアンについてふれます。○ハイトの6つの道徳基盤からみる リベラル、保守主義者、リバタリアン ハイトの6つの道徳基盤の考え方を用いると、 リベラル、保守主義者、リバタリアンが、 それぞれ、どこをこじらせると道徳的反応が起こって、 理性的な話が難しくなるのか、 また、それぞれどこに 道徳的重点をおいているのか。 そういった点が、多少クリアになってきます。【リベラルの場合】1.基本は、<ケア><公正><自由>の3つの道徳基盤がベース  優先順位は「<ケア>」>>>>>>>>>>>>>>>>>「<自由>」>>>「<公正>」「左派は6つの道徳基盤のうちの3つを主柱に道徳マトリックスを築くが、 とりわけ強く依存しているのは<ケア>基盤である。(P453)」 リベラルの場合、<ケア>基盤をこじらせてしまうと、 もう対話は不可能だと言って良い。「リベラルは、自己の利害のために抑圧の犠牲者を非難する者、 あるいは彼らが神聖視する犠牲者グループに向けられた偏見を容認する者に対しては、 激烈な部族的反応を示す(P454)」 「あなたの<正義感>は、どこから?」 リベラルの場合、<ケア>基盤だといっても、 差し支えはない。2.<自由>は、社会的弱者のために必要なもの「抑圧に対する憎悪は、左右どちらの陣営にも認められる。 しかし、より普遍主義的な立場を取り、 <ケア/危害>基盤に大きく依存するリベラルにとって、 <自由/抑圧>基盤は、いたるところにいる弱者、犠牲者、無力なグループに 資するものとしてとらえられている(P278)」 逆に言えば、経済的な自由は、 そんなに重要視していない。 (そこが、リベラルとリバタリアンを分ける決定的な差)「ときに彼ら(リベラル)は、権利(原文傍点)の平等を通り越して、 資本主義システムのもとでは実現不可能な結果(原文傍点)の平等を追い求める。 おそらくそれゆえ、一般に左派は、 富裕な人々には高税を課し、貧しい人々には高度なサービスを提供することを求め、 すべての人に最低限の収入を保証すべきだと主張するのだろう(P278~279)」3.比例配分としての<公正>は、そこまで重要ではない「リベラルには、因果応報の持つネガティブな側面(当然の報い)を 不快に思う傾向がある。 つまるところ、報いは危害を引き起こし、 危害は<ケア/危害>基盤を活性化するからだ(P290)」「リベラルには、思いやりや、抑圧への抵抗と矛盾する場合、 (比例配分としての)<公正>基盤を 進んで放棄する傾向が見られる。(P291)」 だから、リベラルはフリーライダー問題には、 かなり甘いということになる。 というより、「フリーライドせざるを得ない、その人の事情があるのだろう。 まずはそこを理解することから始めよう」 という流れになりそうですよね。 4.忠誠、権威、神聖基盤は基本敵視しているが、  いかなるケースでも否定しているわけではない。 自然の神聖化などは典型なのでしょう。 ただ、ふと思ったのですが、 自然の神聖化というより、自然は「守らないといけない弱い存在」として、 <ケア>基盤が働くのかもしれない。 ただ、放射能への嫌悪なんかは、 やっぱり<神聖>基盤なんでしょうね。 それでも、リベラルの場合、 結局は<ケア>基盤が何よりも重要なので、 放射能への嫌悪よりも、 放射能ゆえに(?)いじめられた子どもたちへの気持ちが、 圧倒的に勝っているようではありますね。 最近の傾向はそうなっているようにみえます。 それにしても、<神聖>基盤を重視する保守主義者が、 放射能を忌避するのは、道徳基盤理論からすれば当然でしょうが、 日本の場合、リベラルを標榜するメディア(朝日新聞とか)が、 保守系メディア(読売、産経など)よりも、 はるかに<神聖>基盤ベースで放射能を忌避していたのは、 興味深い現象であったとはいえます。 <神聖>基盤は、いざスイッチが入ってしまうと、 他のどの道徳基盤よりも、強い拘束力を持つのでしょうかね。 ハイトは、そんなことは言っていないのですが、 案外、そうかもしれません。【保守主義者の場合】1.基本は、6つの道徳基盤すべてを大切にする「リベラルは<ケア/危害><自由/抑圧><公正/欺瞞>の3つ、 保守主義者は6つすべての基盤に依存する」(P291) この点は、見落としてはいけない点といえます。 <ケア>基盤を何よりも重視するリベラルからすれば、 ともすると保守主義者は、<ケア>基盤を大切にしていない、 そう結論づけたくなる。 加えて、保守主義者は、<ケア>基盤を多少犠牲にしても、 他の道徳基盤を守ろうとする気持ちが強い。「リベラルと比べて保守主義者には、 たとえ誰かが傷ついても、 <ケア>基盤を犠牲にして、 それ以外の種々の道徳目標を達成しようとする傾向がある(P291)」 フリーライダーの危害には容赦はしないし、 <忠誠><権威><神聖>基盤を守るために、 ある種の滅私奉公をすることもいとわない。 そうした保守主義に対するリベラルの部族的反発も、 痛いほどよくわかるのだけれど、  保守主義者たちは、<忠誠><権威><神聖>基盤の持つ、 ポジティブな側面を追求しようとしていることは間違いない。  「あなたの<正義感>は、どこから?」 保守主義者の場合、6つの道徳基盤すべてだといっても、 差し支えはない。 2.<自由>は、郷党的な自由、干渉されない自由、および経済的自由 「保守主義者は、もっと郷党的な考え[対象となる範囲が狭い見方]をもち、 人類全般より、自分たちが属する集団に大きな関心を寄せている。 彼らにとって<自由/抑圧>基盤、および圧政に対する憎悪は、 経済的保守主義の信条を支える源泉でもある(P279)」「保守主義者は、干渉されない権利として自由をとらえる、 より伝統的な考え方を持ち、 弱者を保護するために政府の力で自由を侵そうとする リベラルの試みに憤りを示す(P288)」 後々見るように、この点では、 保守主義者とリバタリアンは共通しています。3.比例配分としての<公正>にも重要な価値を置く「政治的にいかなる立場をとろうと、 誰もが比例配分に留意し、不当な利益を得る者に憤りを感じるのは確かだが、  とりわけ保守主義者はその点を重視して、 比例配分に限定した意味での<公正>基盤に大きな比重を置く(P289)」 この点も、保守主義者とリバタリアンは共通しています。4.忠誠、権威、神聖基盤も重視する「残る3つの道徳基盤、すなわち <忠誠/背信><権威/転覆><神聖/堕落>基盤は、 党派による違いが大きく現れる。 リベラルはこれら3つの基盤に関して、 よくてあいまいな態度を取る程度だが、保守主義者はこれらを強く擁護する。」 なぜ、保守主義者たちはこれらの基盤を重視するのか? それは、後に見ていくことにします。【リバタリアンの場合】1.基本は、<ケア><公正><自由>の3つの道徳基盤がベース  優先順位は「<自由>」>>「<公正>」>>>>>>>>>>>>>>>>>>「<ケア>」「リバタリアンは、他のほとんどすべての関心を脇に置いてでも自由を擁護するからであり、 また、干渉されない権利、とりわけ政府の介入を受けない権利としての、 彼らの自由のとらえ方が、共和党の方針と軌を一にする(P289)」 「あなたの<正義感>は、どこから?」 リバタリアンの場合、<自由>基盤だといっても、 差し支えはない。 また、リバタリアンはケアをそこまで重視していない。「リバタリアンは<ケア>基盤のスコアが(保守主義者と比べてさえ)非常に低かったこと、 経済的な(原文傍点)自由に関して 新たに追加したいくつかの質問に対するスコアが 極端に高かったことだ (保守主義者より若干高く、リベラルよりはるかに高い)(P463)」 それは、リベラルが<自由>基盤を侵害してでも、 <ケア>基盤を守ろうとすることの裏返しで、 <ケア>基盤を多少犠牲にしても、 リバタリアンは<自由>基盤を守ろうとする。「『たとえ個人の自由や選択を制限する結果になっても、 政府は公共の利益をもっと追求すべきだと思いますか?』 という典型的な質問を例にとると、 それに『はい』と答える人はリベラルの可能性が高く、 『いいえ』と答える人はリバタリアンか保守主義者のどちらかであろう。 リベラル(進歩主義者)とリバタリアン(古典的リベラル)への分裂は、 まさしくこの問いをめぐって1世紀以上前に生じ、 今日のデータにもそれがはっきりと現れている(P463)」2.<自由>は、郷党的な自由、干渉されない自由、および経済的自由3.比例配分としての<公正>にも重要な価値を置く この点、リバタリアンは保守主義者と基本同一ですね。4.忠誠、権威、神聖基盤は基本敵視しているが、  いかなるケースでも否定しているわけではない。 この点、リバタリアンはリベラルと基本同一です。「リバタリアンは、それらをほとんど無視し、 同性愛者の結婚、ドラッグの使用、 アメリカ国旗を『守る』法律などの社会問題に関しては、 リベラルの立場を支持しようとする(P290)」…少なくとも、リベラル、保守主義者、リバタリアンを分ける、 一つの重要な側面は、「忠誠、権威、神聖基盤を重視する保守主義者と、 重視しないリベラルやリバタリアン。」 こうした図式があることがわかります。 両者の差は、いったいどこにあるのか? 次回は、その点についてみていくことにします。

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  • 03 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -6-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 ハイトによる道徳感情の見方モデルを考えます。○道徳の見方モデル ~ハイトモデル~ ハイトはその後、シュヴィーダーたちの 道徳の見方モデルを発展させていきます。 ハイトは、道徳感情の基盤は 6つの類型からなるとしています。【ハイトの道徳基盤モデル】(1)<ケア/危害>基盤(2)<公正/欺瞞>基盤(3)<忠誠/背信>基盤(4)<権威/転覆>基盤(5)<神聖/堕落>基盤(6)<自由/抑圧>基盤 6番目の「<自由/抑圧>基盤」は、 後から加えられたものであるため、分けて記載しています。  それぞれの道徳基盤についてふれるまえに、 各道徳基盤の指標となるパラメータを紹介します。 パラメータの具体例は、 それぞれの道徳基盤の紹介の際に触れます。・適応課題 これは、人類の祖先が効率的に生き延びるために、 適応すべきであった社会課題についてふれています。・オリジナル・トリガー それぞれの道徳感情の引き金を引く、 根源的な現象のことを指します。 もちろん、一度引き金が引かれてしまうと、 理性でどうこうするのは難しいです。・カレント・トリガー カレント(current)は、「現在の」という意味。  現代社会において、それぞれの道徳感情の引き金を引く、 現代社会特有のさまざまなモノや 現象のことを指します。・特徴的な情動 それぞれの道徳感情の引き金が引かれると、 どのような情動が生じるかを指します。・関連する美徳 一般的に言われている美徳が、 それぞれの道徳基盤にどう関連しているかを指します。 では、それぞれの道徳基盤についてみていきます。 各道徳基盤の中に記載されている項目は、あくまで一例です。 あと、いくつかは、ハイトの例示ではピンとこなかったので、 私なりの例示を入れたものがあります。【<ケア/危害>基盤】・適応課題:子どもを保護しケアする・オリジナルトリガー:苦痛、自分の子どもへのニーズ・カレントトリガー:赤ちゃん、かわいらしい動物キャラクター・特徴的な情動:思いやり・関連する美徳:介護、親切 この<ケア>基盤は、 とりわけリベラルな人は、 社会的弱者全般(動物、自然含む)に対して働きます。 一方、保守主義者たちは、 もう少し狭い範囲にて、<ケア>基盤が働きます。 (自分の子ども、家族、自分の所属する集団のために犠牲になった人など)【<公正/欺瞞>基盤】・適応課題:双方向の協力関係の恩恵を得る・オリジナルトリガー:欺瞞、詐欺、協力・カレントトリガー:フリーライダー・特徴的な情動:怒り、感謝、罪の意識・関連する美徳:公正、正義、信頼感、因果応報 ここでの<公正>基盤は、 比例配分としての公正という考え方になります。「比例配分を重視する公正さとは、『結果が不平等になろうと、 報酬は各人の貢献の度合いに応じて配分されるべきだ』 とみなすことである(P224)」「<公正/欺瞞>基盤は、 比例配分と因果応報に関するものであり、 人々が自分の努力に見合った利益を確実に手にできるように、 そして働かざる者が分不相応な利益を得られないように 配慮することと関係する(P289)」【<忠誠/背信>基盤】・適応課題:結束力の強い連合体を形成する・オリジナルトリガー:グループに対する脅威や挑戦・カレントトリガー:スポーツチーム、国家・特徴的な情動:グループの誇り、裏切り者に対する怒り・関連する美徳:忠誠、愛国心、自己犠牲 これは、スポーツだと 多くの人が納得しそうなところ。 広島だと、やっぱりカープでしょうか。 あなたがカープファンだったとして、 やっぱりカープへの誇りみたいなものはあるでしょうし、 誰かが突然巨人ファンになったら、怒りが出てくるのでしょう。 ただ、これが国家レベルになると、 突然リベラルな価値観からすると、 軽蔑の対象になるのが面白いですよね。 関連して、ハイトはこんなことを言ってます。「左派の政治家は、国家主義(ナショナリズム)から遠ざかって 普遍主義(ユニバーサリズム)に向かう傾向があるが、 そのため<忠誠>基盤を大事にする有権者にうまく訴えられない(P229)」【<権威/転覆>基盤】・適応課題:階層制のもとで有益な関係を築く・オリジナルトリガー:支配や服従の兆候・カレントトリガー:ボス、尊敬を集めるプロ・特徴的な情動:尊敬、怖れ・関連する美徳:服従、敬意 まぁ、会社なんかでは、 よくありがちですよね。 この道徳基盤も、人間の本性に根付いたものだと、 ハイトは指摘しています。「上下関係を尊重しようとする衝動は 人間の本性の奥深くに刻み込まれており、 それが言葉に組み込まれている言語も数多くある(P230)」  とはいえ、会社でも、 尊敬される上司と、単に権力を振りかざす上司は 全然違いますよね。「権威と単純な力の行使を混同してはならない(P231)」 もちろん、この道徳基盤は、 リベラルな考え方からすると、正直どうかと映る。  それはやっぱり、「階層制=権力=搾取=悪」という図式が、 イメージされるからでしょう。【<神聖/堕落>基盤】・適応課題:汚染を避ける・オリジナルトリガー:廃棄物、病人・カレントトリガー:タブー(捕鯨、イルカ猟、放射能、人種差別)・特徴的な情動:嫌悪・関連する美徳:節制、貞節、敬虔、清潔さ シュヴィーダーモデル「神性の倫理」のところでもみたように、 この道徳基盤は、今でも十分、 多くの人の感情の引き金を引きます。「環境保護運動の道徳的な情熱の根底には <神聖>基盤が認められる(P244)」【<自由/抑圧>基盤】・適応課題: 機会さえあれば他人を支配し、脅し、抑制しようとする 個体とともに小集団を形成して生きる・オリジナルトリガー:信用がない独裁者、圧政・カレントトリガー:政治権力の濫用、富の蓄積・特徴的な情動:怒り・関連する美徳:平等 当初は、この道徳基盤は、 <公正>基盤の一部といった扱いだったようですが、  それだと、リバタリアンの道徳感情を うまくとらえられないという発見があり、 調査の上で追加された道徳基盤になります。 ……ハイトの持ち味は、 これら6つの道徳基盤をベースに、 リベラル、保守主義者、リバタリアンが、 それぞれ、どこをこじらせると道徳的反応が起こって、 理性的な話が難しくなるのか、 また、それぞれどこに 道徳的重点をおいているのかを考察している点にあります。 次回は、その点についてみていきます。

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  • 02 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -5-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 道徳感情の見方モデルを考えます。○道徳の見方モデル ~シュヴィーダーモデル~ では、WEIRD文化と非WEIRD文化含めて、 道徳感情の見方を整理するとどうなるか? まずは、ハイトの師匠(?)にあたる、 シュヴィーダーモデルを紹介します。1.自立の倫理2.共同体の倫理3.神性の倫理 「あなたの<正義感>は、どこから?」 シュヴィーダーモデルでは、 この3つからくることになります。 「1.自立の倫理」は、 端的に言えばリベラルの道徳感情です。 言い方を変えれば、 リベラルはこれしか持っていない。「『人間は第一に、欲求、ニーズ、思考を持つ自立的な個人である』 という前提から出発し、  『人々は、思い通りにこれらを満たせるようでなければならない。  ゆえに社会は、人々がなるべく邪魔をし合わずに  平和共存できるよう、  権利、自由、正義などの道徳概念を発達させる』 と考える(P168~169)」 なんだかんだで、現代人は かなりリベラル的な考え方を共有しているので(この点については改めて)、 これは現代人にはなじみの深い考え方ですよね。 続いて、「2.共同体の倫理」「『人間はまず、家族、チーム、軍隊、企業、部族、国家など、  より大きな集団のメンバーである』 という考えにもとづいている(P169)」 保守系の人は、理解を示す考え方でしょうし、 リベラルな人からすれば、あまり賛同できない考え方でしょう。  ただ、中道的な人(要は大半の人)は、 一定基準で、共同体の倫理も大事にしている、 というのが正しいでしょう。  最後に、「3.神性の倫理」「人は単に意識を備えた動物なのではなく、神の子であり、 それ相応に振る舞わなければならない(P169)」「神聖、罪、清浄、汚れ、崇高、堕落などの 道徳的な概念が発達する(P170)」 ……どうでしょう? 一見、たいていの日本人や先進国の人からすれば、 どこかピンとこないのではないでしょうか。 欧米の場合は、キリスト教の倫理が、 該当するのでしょう。 ただ、実は、この「神性の倫理」は、 現代でも多くの人の道徳感情の基盤になることが多い。 たとえば、現代での捕鯨やイルカ猟への反発は、 やっぱり神性の倫理にもとづいているのでしょう。 あと、放射能も「汚れ」という側面で、 とらえられがちといえます。 一見、リベラルな人は「神性の倫理」と 無縁にみえるかもしれませんが、 こうしてみると、そんなことはないことがわかります。 もちろん、「神性の倫理」は、 少なくない確率で、危害や公正(自立の倫理)に抵触します。「神性の倫理のマイナス面にも気づいた。 神が何を望んでいるかについての信念を、 本能的な嫌悪の感情に基づいて築くと、 大多数の人々(マジョリティ)に 少しでも嫌悪感を覚えさせる少数者(マイノリティ) (たとえば同性愛者や肥満者)は村八分にされ、 ひどい扱いを受ける場合がある。 つまり神性の倫理は、 思いやり、平等主義、基本的人権と相容れないことがある(P178)」 いずれにせよ、 あなたの<正義感>は、こうした感情レベルでの道徳感情が、 ベースになっていることがわかります。○道徳感情のベースが複数あることを認める 感情レベルで私を動かす道徳感情は、 危害や公正(自立の倫理)だけでなく、 他にも複数あることを認める。 こうした思考作業を行う意味は、 「俺は善人(頭が良い)で、あいつらは悪人(バカ)」という、 単純な一般化を緩和する効果があるため。 ハイトは、実際のところ、 もともとリベラルな人間であり、 それゆえに、保守系の人は悪人であり、 かつバカだと思っていたと、正直に告白しています。「私たちは世界を明確に見通す能力を持ち、 人々を助けたいからリベラリズムを支持しているのに、 彼らは純粋に個人的な利害から(「減税せよ!」)、 あるいは人種差別を隠ぺいするために (「マイノリティのための福祉プログラムに資金援助するのは止めよ!」)、 保守政策を支持していると考えていた。」(P181)(強調は原文傍点) 実に正直な告白ですねぇ。 要は、保守主義者たちは、 利益のみを追求し、社会的弱者のことを何とも思っていない、 自己中な、道徳心のカケラも持ち合わせていない奴らだ、ってところ。 ただ、ハイトは、 ことはそう単純ではないことに気づく。「リベラルとしての私たちは、 道徳の基盤として危害と公正さ以外のものがあるとは 考えもしなかったのだ。 それ以外の道徳が思い浮かびさえしないのなら、 保守主義者の道徳的な信念が、 私たちのものと同じくらい真摯だと 考えられるはずもなかった(P181)」 まずは、相手の道徳感情の基盤が、 どこにあるのかを推測、理解するところから始める。 ウォームハート同士の対立を超える第一歩は、 まずはそこなのでしょうね。  

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  • 01 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -4-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について考えます。○リベラルの奇妙な(WEIRD)道徳感情!? 前の回で、ハイトは、 「無害なタブー侵犯ストーリー」調査を通して、 欧米社会では道徳のベースは、 危害と公正に相当のウエイトがおかれるが、 非欧米社会では、危害と公正以外の、 伝統とか宗教とかといったものも、 道徳ベースとしてかなりのウエイトを占めていることを 再確認していました。  ハイトは、危害と公正にウエイトをおく、 欧米社会の道徳の考え方は、 それ以外の人間の道徳の考え方と比較して、 奇妙な(WEIRD)だという論文(「世界でもっとも奇妙な人々?」)を 紹介しています。 weirdは、「奇妙な」という意味ですが、 ここでのWEIRDは、すべて頭文字です。(1)欧米の(Western)(2)啓蒙化された(Educated)(3)産業化された(Industrialized)(4)裕福で(Rich)(5)民主主義的な(Democratic) これらの頭文字をつなげると、WEIRDですね。 「世界でもっとも奇妙な人々?」という論文では、「WEIRD文化に属する人々は統計的な例外をなすので、 人間性を一般化したいのなら、 研究対象としてもっともふさわしくない標本であると主張する(P164)」 のだそうです。 さて、WEIRDな人々とは、 どんな人のことを指すのか? 結論から言えば、 リベラルな人のことを指してます。 ただ、これで終わっても何がなんだかなので、 もう少し、ハイトの文章を紹介します。  まず、WEIRDな人々の特色として、「WEIRD文化の特異性の一つは、『WEIRDであればあるほど、世界を関係の網の目ではなく、 個々の物の集まりとして見るようになる』 という単純な一般化によってうまく説明できる(P164)」(赤字筆者) と説明しています。 この単純な一般化は、 かなりリベラルの考え方の本質をついてると思うのですが、 いかがでしょうか? で、ハイトは、 WEIRD文化の欧米人と、非WEIRD文化の人々(たとえばアジア人)とでは、 ものの考え方や見方レベルで、そもそも異なっているのだ、といいます。「たとえば、『私は……』で始まる文を20あげさせると、 アメリカ人は自己の内面の状態を表現しようとする。 (『幸せだ』『社交的だ』『ジャズに興味がある』など) それに対し、東アジア人は役割や関係をあげようとする(『一人息子だ』『妻帯者だ』『富士通の社員だ』など)(P164~165)」 この「私は……」の日本とアメリカの違いは、 よく話題になりがちなので、 皆さんも、聞いたことがあるのではないでしょうか。 ビジネス系の雑誌とかでこの手の話が話題になるときは、 「だから日本はダメなんだ」的な話になりがちですけどね。 ものの考え方レベルでの、 WEIRD文化と非WEIRD文化の違いをあぶりだすのが、 「私は……」という20答法だとすると、 「線と枠課題」と呼ばれるテストでは、 視覚レベルで、WEIRD文化と非WEIRD文化の違いが、 あぶりだされるのだそうです。<線と枠課題>・被験者はまず正方形の中に一本の線が引かれた図を見せられる。・ページをめくると、もとの図より大きい、もしくは小さい 空白の正方形が描かれている。・課題は、空白の正方形のなかに 前ページで見たものと同じ線を、 絶対的な尺度(新しい正方形を無視して前ページの線と同じ長さ)か、 相対的な尺度(線と正方形の比率が等しくなるように)で引くこと ……結果は、皆さんが予想したであろう通りのものに。「この課題では、欧米人、とくにアメリカ人は、 絶対的な尺度で線を引くテストですぐれた成績を残す。 というのも、 彼らはそもそも線を独立したものと見なし、 正方形とは別のものとして記憶するからだ。(P165)」(赤字、強調筆者)「それに対し、相対的な尺度で線を引く場合には、 東アジア人のほうがよい結果を出す。 なぜなら彼らは、無意識のうちに 部分間の関係をとらえて記憶するからだ(P165)」(赤字、強調筆者)  結論として、「WEIRD文化と非WEIRD文化で、 ものの考え方や世界の見方が異なるのであれば、 そこで暮らす人々が 互いに異なる道徳的な関心を抱いていても、 何の不思議もない(P166)」(強調筆者) とはいえ、WEIRD文化と非WEIRD文化で、 道徳的関心が全く異なるとも思えない。 WEIRD文化と非WEIRD文化をひっくるめて、 包括的に道徳感情を把握することはできないか? 次回以降、そうした道徳感情のモデルについてみていきます。

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  • 02 Feb
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -6-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第4部「ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには」について お送りいたします。 ○ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 「遺伝を受け入れた社会」を訴える さて、なんだかんだいって、 世界ではしばらくは、ポピュリズムの時代が続きそうです。 正直言って、マイノリティや社会的弱者、 およびそちらに真摯に組するNPOたち全体にとっては、 かなりの逆風になるのでしょう。 アメリカでも結構厳しい状況になるのでしょうが、 トランプ支持層に近いリバタリアンは、 政府が社会的弱者を支援することには反発しますが、 一方で、自分たちが積極的にボランティアやNPOへの寄付をする。 その点で、日本で反エリートとしてのポピュリズムが 今以上に浸透すると、 アメリカよりもはるかに悲惨な状況になるのでしょう。 正直、私には、 有効な打開策は思いつきません。 ただ、ポピュリスト(ていうか私たち)が、・きれいごとが大嫌い・社会は平等ではないとわかっているが、 「みんな頑張れば幸せになれる」という建前は信じたい という傾向性を持っているのであれば、 それを逆手に取る考え方もある。 ずばり、 「人間はそもそも遺伝子レベルで平等ではない」!  これなら、きれいごとが大嫌いなポピュリストも、 喜んで受け入れられるし(ていうか、知ってたし)、 「みんな頑張れば幸せになれる」という建前ゆえに、 社会的弱者を排除しようという気持ちも 多少は軽減できる。 もちろん、ある点でこれは、 相当政治的に正しくない意見であることは間違いない。 ただ、個人的には、ポピュリズムの時代の中で、 それでも社会的弱者を包摂しようとするならば、 この考え方を頭ごなしに排除すべきではないと思うのです。 ま、この考え方は、すぐわかったと思いますが、 『言ってはいけない 残酷すぎる真実』をベースにしています。  ただ、個人的には、 『言ってはいけない』のある種便乗本ともいえる、 『日本人の9割が知らない遺伝の真実』から、 この考え方を深めてみたい。・教育が行き届くと、遺伝的な差が顕在化して格差が拡大する(学力の70~90%が、子ども自身にはどうしようもないところで決定される しかも、うち50~60%が遺伝)→だから、同じように頑張っても、相当の個人差が生じる。 その点で、自己責任論は間違い。→同時に「教育を通して格差を軽減する」というのは、 少なくとも先進国では限定的。 (貧困層の初等教育支援はある程度有効)・「人間はそもそも遺伝子レベルで平等ではない」 ことを受け入れた社会づくり→各人が遺伝的適性を見いだせるまで仕事の流動性を高める (社会のキッザニア化、自身のローカルな比較優位を見出す など)→遺伝子レベルで平等ではないし、 遺伝的適性に出会えるかも所詮「運」なんだから、 社会保障の充実は必要だよね ……どうでしょう? これだと、きれいごとを相当排除しつつ、 かつ社会的弱者を包摂する根拠も 打ち立てることができるのでは?  ただ、たぶん、 社会的弱者を支援したいと考える人は、 たいていリベラルな人であろうし、  その手の人が、こうした、 かなり政治的に正しくない意見を、 素直に受け入れられるとは思えない、けれど。

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  • 01 Feb
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -5-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第3部「ポピュリズムの対抗馬は?」の中から、 経済成長、およびおまけで国民の教育の底上げについて お送りいたします。 ○自由貿易ベースだとポピュリストが増え 分厚い中間層を増やそうとするとトランプ政策(鎖国)になる ま、立憲主義や伝統に頼るより、 ある意味ポピュリズム対策として確実なのは、「大多数の国民が、 相対的に不平等感を感じない社会づくり」 ここでは、絶対的な豊かさとかを取り上げても、 全く意味がない。 貧困問題で絶対的貧困率を持ち出しても、 あまり実のある話にならないのといっしょ。 その点、あくまで自由貿易ベースの大切さを説く、 読売や日経の主張は、正しいのですが、 かえってポピュリズムを拡大させることは間違いない。 それ以前に、現実問題、 今は自由貿易でガンガンやってるはずなのだけれど、 先進国共通で低成長なのが現状。 「経済成長すればすべてが解決する」というのは、 もはや夢物語でしかない。 その点、中国新聞は読売や日経より冷めてます。「成長なき時代の民主主義はリスクと負担も 再配分せざるを得ない。 そこへ移民や難民の流入、 続発するテロという問題が大きくのしかかる」(中国) 「脱成長で幸福な社会を」といった夢物語を語らないぶん、 中国新聞社説の冷静さは冴えてます。 個人的に、今年の中国新聞社説は、 昨年のカープ優勝を受けて、 もっと浮かれモードかと思ってたのですが、 カープの話題は一切なく、 冷静な社説を展開する姿勢に、 個人的には非常に感銘を受けました。「大多数の国民が、 相対的に不平等感を感じない社会づくり」という点では、 分厚い中間層が増えれば、 ポピュリズム対策としてはこれ以上のものはないのでしょう。 毎日新聞も、その点を指摘しています。「さらに日本がグローバリズムと共存していくには、 国民の中間的な所得層をこれ以上細らせないことが最低限の条件になる。 民主主義の質に深くかかわるからだ。」(毎日) ただ、往々にして、分厚い中間層を増やす的なお話は、 ほぼトランプ大統領の政策に近いものになる。 そして、それで分厚い中間層が増えることは、 ほぼないといっていい。 まぁ、みんなが平等に貧しくなって、 相対的に分厚い中間層が出てくるかもしれませんね。 たぶん、日本の伝統としては、 まだそれを受容する余地はあるんでしょうけど、 アメリカにそんなものを受容できる伝統はないと思うけど。  ○大衆のレベル底上げ? そんなのできれば苦労しない  さて、大衆迎合主義でかつ、国家や世界がよくなる方法が、 実は一つ存在します。 それは、大衆のレベルが底上げされること。  ……自分でも「アホか」と言いたくなる方法ですな。 そんなんできたら苦労はしないってやつですよ。 みんなが東大に行ける学力があれば、 学歴社会がなくなるとか、 みんながサンクコストとかにとらわれない 合理的意思決定ができれば、 社会はよりよくなるとかいってるようなもん。 さすがに、年頭社説で そんなこと言ってる新聞はなかったですね。 もちろん、貧困層への教育機会の拡大、 とりわけ初等教育の充実という政策レベルであれば、 積極的に推進すべき政策ではあるのでしょう。 ただ、こうした政策はやっぱり 「きれい事をぬかすエリート、リベラル」がいいそうなことであって、 ポピュリズムの状況下では、顧みられにくいのでしょうか。 加えて、それを超える意見や提言は、 反エリート主義としてのポピュリズムからすれば、 はっきりいってウザい以外の何物でもない。 日本でも、その手の意見は「上から目線」として、 唾棄される傾向になってきてますしね。 その点、ちょっと前に読んだ、 『世界を救う処方箋 ~「共感の経済学」が未来を創る~』は、   「上から目線」な国民教育提言のオンパレードでしたね。 逆に笑ってしまうレベル。 たとえば……「テレビはソーシャル・キャピタルを食いつぶす。 国民がより長時間テレビを見る国では、 社会に対する信頼度が低レベルにあり、政治の腐敗度は高い。 テレビの視聴と社会に対する信頼度が反比例するという仮説は 統計的に有意である(P160)」→おかんがいいそうなことを、かなり格調高く言ってますよね。「アメリカ政府は長期的な経済のかじ取りを完全に放棄したようだが、 同じように個々の家庭も自分たちの家計について 冷静に考えるのをやめてしまった(P132)」→なんで、あんたにそんなこと言われなアカンねん。 そんなツッコミがあっても全然おかしくない。 こうした提言が間違っている、といいたいのではなく、 あくまで、それが「上から目線」と見なされて唾棄されるのが、 現在の状況だといいたいだけです。 もちろん、 『世界を救う処方箋 ~「共感の経済学」が未来を創る~』は、 学ぶところが多い名著なのですが、 この手のきれいごとをぬかすリベラルへの嫌悪、反発が、 トランプ大統領を生んだことも、また事実なのでしょう。

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  • 31 Jan
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -4-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第3部「ポピュリズムの対抗馬は?」の中から、 伝統についてお送りいたします。 ○日本のポピュリストの最大の障壁は 伝統的に(たぶん)霞が関官僚 続いて考えたいのは、伝統。 産経の1月3日社説は、ポピュリズムは一切触れずに、 除夜の鐘騒音問題についてふれてました。 「除夜の鐘うるさいんだよ、やめろバカ!」 という意見が多数になったとして、 そうした民意を抑制するのに、 「伝統」というスタンスは、一つの意味を持つのでしょう。  「それは我が国の伝統にそぐわない」という言い方は、 ある種の保守主義者の常套文句ですよね。 リベラルな方々すれば、「それってただの思考停止じゃね?」 とか言うのでしょうけれど、 伝統には、少なくない人の道徳感情をくすぐる強い力があるので、 それを活用することで、未来がよりマシになるのであれば、 検討に値するのでしょう。 まず、トランプ大統領で盛り上がって(?)いるアメリカではどうか? 政府レベルでは、 伝統的に「独裁者」としてのポピュリスト大統領が登場したとしても、 大統領にできることは、実際のところ多くない。 アメリカは、建国以来、 「いかに独裁者を出さないか」が伝統になっているので、 大統領はシンボルとしての権限は非常に強いけど、 実際のところ、できることは限られてる。 その点、トランプ大統領といっても、 できることは限られている。 一方で、アメリカでは「ポピュリスト」を肯定的にとらえる伝統も、 また存在しています。 あまり知られていないですが、 アメリカでは、一時的に「ポピュリスト」を名乗る 政党が設立されたことがありました。 その名も「人民党」  実質10年もってない泡沫政党とはいえますが、 個人的には、トランプ大統領には、人民党のエートスを感じます。 Wikipediaによれば、・追いつめられていた小麦農家などを支持基盤とし、 農本主義と、銀行、鉄道、エリートに対する敵意という急進的な運動形態を採った。→農家を製造業、銀行をグローバリズム、鉄道を移民と置き換えると、 トランプ大統領の政策(?)と重なる部分は多いですよね・「ポピュリスト」や「ポピュリズム」という言葉は、 確立された利益や主流政党に反対して、 反エリート主義の主張で使われることが通常である。→まさにトランプ大統領は、反エリート主義の申し子といえます。 この伝統と、ひところ話題になった反知性主義は、 同様の伝統に帰一しているのでしょう。  さて、日本ではどうなのか? 大衆迎合主義を空気迎合主義とイコールにするなら、 日本はポピュリズムに対して対抗しうる伝統は皆無といえる。 では、ポピュリズムを「反立憲主義」とするなら? その点でも、やっぱり日本は、 ポピュリズムに対して対抗しうる伝統は皆無。 日本の伝統に、立憲主義が血肉化されていくプロセスは、 やっぱり皆無といっていいので。 それでは、反エリート主義としてのポピュリズムは? 明治以降、実質「科挙」といっていい試験を土台にして、 官僚たちがエリートとなってきた伝統はある。 これだと、デモクラシーというより、 一種のメリトクラシーを土台としたエリート主義ですが。  その点、良くも悪くも、 日本のポピュリズムの最大の障壁は、 霞が関官僚になるんでしょうね。 加えていえば、 国民の熱狂を土台として、 議会や官僚とかを中抜きする皇帝型ポピュリストは、 日本では、少なくとも国政レベルでは 生き残ることは難しいでしょう。 ま、地方レベルでは、けっこういけそうな気がします。 典型的なのは、橋下氏であり、 最近では、小池都知事もかなり近い雰囲気を感じます。

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  • 30 Jan
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -3-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?((2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第3部「ポピュリズムの対抗馬は?」の中から、 立憲主義についてお送りいたします。○ポピュリズムに無批判に迎合できないとして、どうするか? さて、ポピュリズムは民主主義のある種の本質であるとして、 さりとて、現状のポピュリズムに無批判に迎合しても、 未来がよりよくなる可能性より、 より悪くなる可能性が高くなりそうではある。 もちろん、従来のきれいごと大好きな エリートたち主導の社会運営で、 未来がよりよくなる保証は全くない。 ただ、政治や社会の未来を考えるうえで大切なのは、 「よりマシな方を選ぶしかない」ということ。 その点で、従来のやりかたがよりマシであれば、 多少の改善を目指しつつもそれでいくしかないし、 ポピュリズムのほうがマシなのであれば、 それでいくしかない。 ただ、個人的には、 政策提言などの分野では、 感情ベースよりも理性ベースのほうが、 よりマシな未来になると思っているので、 ポピュリズムに無批判に迎合することは、やはりできません。 その点では、さすがに各紙メディアと意見を同じくするところ。 ではどうするか? いくつかの考え方があります。(1)国民より上の存在を設定する(1)-1.立憲主義(朝日、赤旗、中国)(1)-2.伝統(産経?)(2)国民の不満を減らす(2)-1.あくまで自由貿易ベースで成長(読売、日経)(2)-2.「分厚い中間層」の復権(毎日)(3)国民の教育○憲法(法律)を国民より上に置く まずは立憲主義について。 一応、しんぶん赤旗も、「新しい年を、改憲策動を打ち破り、 立憲主義・民主主義・平和主義を貫く新しい政治へ、 転機となる年にしていきましょう。」(赤旗) とか言ってますので、入れておきます。 余談ですが、実は、 しんぶん赤旗は年頭社説では、 トランプやポピュリズムについては、一切触れていません。 いつも「アメリカいいなり」が合言葉のしんぶん赤旗なら、 トランプ大統領を大歓迎すべきだと思うのですがねぇ。 「TPP破棄してくれてありがとう!」的なことは、 言ってもよさそうなもんなんですけど…… しんぶん赤旗は、 ある種ぶれないところが強みだったのでは? まぁ、いいですけど。 話を戻して、立憲主義ってのは、 朝日新聞によると、「公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、 国民の自由や基本的人権を守るという考え方――」 ということになっています。 日本は独裁国家ではなく、国民主権なので、 公の権力の源泉は国民にある(ことになっている)。 それを制限し、その乱用を防ぐということは、 憲法(法律)を国民より上におき、 ポピュリズムが暴走して 個人や少数者の基本的人権を踏みにじらないようにする。 しんぶん赤旗みたいに、 立憲主義・民主主義・平和主義を 同列におく向きは多いのですが、(いずれも、高尚なこと言ってるので、箔がつくという意味では同列ですが) その点、 「立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる。」 「立憲主義は、その疑い深さによって  民主主義の暴走への歯止めとなる。」 と、「立憲主義>民主主義」の位置づけを 明確にした朝日の姿勢は、評価したいと思います。 (なに、この上から目線) 中国新聞も、三権分立の考え方にふれながら、 朝日に近いことを言っています。「民主主義は三権分立によって互いをチェックする原点に立ち戻り、 自浄作用を働かせなければならない」(中国) ただ、現行の立憲主義の難しさは、 国家の緊急時に備える法的根拠が持ちづらい、という点。「一昨年のパリ同時多発テロを経験したフランスでは、 非常事態宣言の規定を憲法に書き込むことが論じられたが、 結果的に頓挫した。 治安当局の権限拡大に対する懸念が強かった。」(朝日) これを突き詰めれば、「立憲主義=平和主義」になるんでしょうが、 緊急時の法的対応根拠が、表立って明文化されていないというのは、 障害発生時の対応を考えていないシステムみたいなもので、 個人的には、少し怖くなるところがある。「これで万一、日本の安全保障にかかわる不測の事態が起きた時に、 政党政治が正しく機能するのかどうか、いささか心もとない」(中国) ま、中国新聞の場合は、要はアベ独裁、野党の無能さが この社説の前提になってるわけですが、 法的根拠の問題がクリアになっていないのは、 いささか、というより、ものすごく心もとない。 で、もっと怖いのが、 緊急時の法的対応根拠が明文化されていないと、 結局、空気ですべてが動いてしまって、 立憲主義がかえって粉々に吹き飛んでしまうのでは? ただでさえ、日本では、 立憲主義とかあるいは法の支配といった考え方は、 空気の支配の前に無力になりがちなので。 その点、『シン・ゴジラ』みたいに、 緊急時に緊急法案をその都度制定して対応することができれば、 現実問題、御の字なんでしょうかね。

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  • 29 Jan
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -2-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第2回「そもそもポピュリズムの何が問題なの?」を、 お送りいたします。  ○ポピュリズムは民意の表れであり、 民主主義の本質なのでは? ただ、やれポピュリズムだ大衆迎合主義だとはいうけれど、 多数の民衆の合意によって選ばれた決断であれば、 それは「民意」ですよね? 何かと「民意」をふりかざすメディアが、 民意を積極的に評価しないというのは、 なんだかおかしなお話という気もします。 ま、この手の「民意」というのは、 自分たちメディアの信奉するきれいごとに賛同してくれる人たちの意見なんで、 それに反対する人の意見は、基本「民意」ではない。  個人的には、それは当たり前のことだと思っているので、 それにどうこう言ったところで始まらないのですが。   それはともかく、ポピュリズムとはいうけれど、 それが「民意」であることは間違いない。 じゃあ、そもそもポピュリズムの何が問題なのか? 一見、答えは自明なように見える。1.ポピュリズムは、自国(ひいては世界)をダメにするから2.ポピュリズムは、個人や少数者の権利を踏みにじるから3.ポピュリズムは、独裁の温床になるから 1の考え方のキーワードは「反グローバリズム」「保護主義」 この点からポピュリズムをけん制するのは、読売、日経になります。「保護主義を強めれば、雇用や生産が復活し、 自国民の生活が楽になると考えるのは、短絡的だ。 自国市場を高関税で守れば、消費者は割高な商品の購入を強いられる。 他国が対抗策をとれば、輸出産業も打撃を受ける。」(読売)「だからこそ、日本は自由主義の旗を掲げ続ける責務を負っている。 戦後、資源のない小国が豊かになれた理由を忘れてはならないし、 未来を貿易に託す新興国をサポートする役割もある。」(日経)  2の考え方のキーワードは、あえていえば「反リベラリズム」。 この点からポピュリズムをけん制するのは、 朝日や中国新聞ですね。「根っこにあるのは個人の尊重だ。」(朝日)「ポピュリズムには偏見や憎悪をあおる危うさがある」(中国) ただ、中国新聞の場合、議論を一歩深めて、 現在のポピュリズムは、 リベラリズムをベースにしながら、 リベラリズムに組しない移民やイスラム教を 非難する動きもあることを説明しています。「リベラルの価値観を掲げ、 イスラムは民主主義に反する、 と非難する理屈も支持されているという。」(中国) 3の考え方は、欧米ではポピュラーな考え方。 要は、古代ローマが「元老院による民主政」から、 「民衆の支持を基盤にした皇帝による帝政」に移行したように、 社会が不安定になると、民衆は「強いリーダー」を求めるので、 民衆が万雷の歓呼の中で独裁者を擁立する。 いま、映画館で『スターウォーズ・ローグワン』やってますが、 スターウォーズのエピソード1~3ってのは、 「民主政→帝政」にどのように移行していったか、という話だともいえる。 朝日は、この点でもポピュリズムをけん制しています。「民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。 独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い。」(朝日)  中国新聞は、ポピュリズムは、 「民衆の支持を基盤にした皇帝による帝政」 そのものだといいます。「ポピュリストが依拠するのは 国民投票や住民投票といった 直接民主主義の手法なのだ」(中国) ただ、いずれの答えも、「それでも、頑張っている俺たちが報われないのでは意味がない」「なぜ、奴ら(現在は主に移民や社会的弱者)のために 俺たちが税金を払ったり、職を奪われないといけないのか」「俺たちをよくしてくれるなら、別に誰でもいい」 こうした感情的反発の前には、はっきりいって無力。 そして、この手の感情的反発が、 少なくない人たちの「民意」であるならば、 民主主義という考え方からして、 それをくみとってはいけない理由がどこにある? 難しいところですね。 あと、もう少し俯瞰した考え方として、「たとえ大衆迎合主義でみんなが貧しくなったとしても、 それは、つまるところ『民衆多数の決断』なのだから、 それを選択することは、民主主義という考え方からして正しい」 という考え方もできそうです。 この考え方のミソは、 誰にも責任転嫁することができない、という点。 だから、その結果を「自分事」として受け止め、 一人一人が対処しようという気になりやすいのでは? って、さすがにそれは理想に過ぎるか。 国民投票でほぼ100%近い賛同、ってパターンなら、 まだ別なのでしょうけど、 実際のところ、トランプ大統領や英国EU離脱のように、 意見が真っ二つになることが多いのでしょうし。 ま、そもそも「大衆よりもエリートの意見や政策が正しい、って そんな保証がどこにあるの?」「政治家やメディア、学者と言ったエリートが、 どれだけ本気で自分たちに寄り添ってくれているのか?」 という考え方もありえる。 ただ、この考え方は、 エリートたちへ反省を促す、くらいならいいかもしれませんが、 それを踏み越えて、自分たちが政策を作る段になると、 確実に強烈なブーメランになって跳ね返ってくる。 強引にまとめると、 ポピュリズムは民主主義という考え方からすれば、 「民主主義における獅子身中の虫」というよりは、 その本質と言ってもいいのかもしれない。 もちろん、ポピュリズムが自国や少数者をダメにしがちなのは、 間違いないのでしょう。 でも、主権が国民にあるという考え方であれば、 国民の意思決定の主軸は感情であり (というより、理性は感情の奴隷ですしね) 感情レベルでの反発が広がれば、 その「民意」をくみとる人が現れるのは、 まったく自然なことではある。 ちょうど、古代ローマが民主政から、 エリート層(元老院)が腐敗して、 いつのまにか、究極のポピュリストである皇帝が誕生したように。

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  • 27 Jan
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -1-

      社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年ももう1月経とうとしています。 1月の世界的なニュースと言えば、 やっぱりトランプ大統領就任でしょうか。 2017年は、トランプ大統領に 世界がひっかきまわされるのでしょうね。 そのことは、日本の新聞メディアでも、 年頭社説の時点で訴えられていました。  そんなわけで今回、 恒例(?)の「各新聞の年頭社説を比較する」シリーズ、 2017年版をやりたいと思います。 ここ最近の記事はこちらから。 "各新聞の年頭社説を比較する・2015年版 過去編" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-11975171380.html "各新聞の年頭社説を比較する・2015年版 現在・未来編" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-11978424602.html "各新聞の年頭社説を比較する・2014年版"  http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-11746393837.html "各新聞の年頭社説を比較する・2013年版" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-11448825716.html "各新聞の年頭社説ナナメ読み2012 その1" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-11135251286.html "各新聞の年頭社説ナナメ読み2012 その2" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-11139473325.html 2016年はいろいろあってやらなかったですが、 (いろんな人もやってるし、別にいいかなと思ったこともあり) ただ、今年は、やっぱりやっておかないとね♪ なんてったって、去年は、 「メディア大敗北の年」でしたからねぇ。 各メディアであれだけトランプ氏を叩いても、 結果、ふたをあければトランプ大統領。 ほとんどのメディア関係者は、 さぞ打ちのめされた思いだったでしょう。○「トランプ・ショック」後のメインテーマはやっぱりポピュリズム で、今回検証したのは、 <全国紙> 朝日新聞、毎日新聞、しんぶん赤旗 読売新聞、産経新聞(産経は年頭社説はないので1/3社説)<地方紙> 中国新聞、東京新聞 今回は、「トランプ・ショック」を 引きずっているところがほとんど。 結果、今回は以下のトピックでお送りします。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには○今回のポピュリズムは 「きれい事をぬかす賢いエリートリベラル」への反発 まずは、各紙年頭社説で ポピュリズムについて取り上げているのは以下の通り。「トランプ氏の勝利と、それに先立つ英国の欧州連合(EU)離脱決定は、 ヒトやカネの自由な行き来に対する大衆の逆襲だ。 グローバルな資本の論理と、 民主主義の衝突と言い換えることもできるだろう。」(毎日)「『反グローバリズム』の波が世界でうねりを増し、 排他的な主張で大衆を扇動するポピュリズムが広がっている。 国際社会は、結束を強め、 分断の危機を乗り越えなければならない。」(読売)「昨今、各国を席巻するポピュリズムは、 人々をあおり、社会に分断や亀裂をもたらしている。 民主主義における獅子身中の虫というべきか。」(朝日)「トランプ氏についてはポピュリズム(大衆迎合主義)の 危うい面を指摘すべきだろう」(中国) ……えらい、悪く言われてますなぁ、ポピュリズム。 それはともかく、これらの社説を見る限りでは、 今回のポピュリズムは、グローバリズムに対する 反発ということになっている。 まぁ、それはある種間違いないのでしょう。 要は「俺の取り分を奪う奴ら(移民)は出て行け!」というお話。 もちろん、移民が出て行ったら 取り分が増えるかと言えば、そんなことはない。 ただ、これは感情レベルの問題なわけで、 もう理論理屈が通じるレベルではない。 で、そういう感情に迎合して煽るのがポピュリスト。 一連の社説の前提となっているのは、こういうお話。 でも、今回のポピュリズムは、 それだけでもないだろう、というのはある。 今回のポピュリズムで見逃してはならないのは、 「きれい事をぬかすエリート、リベラルへの反発」という点。 もちろんこの中には、 新聞などのメディアも含まれています。 そのことは各紙自覚しているようで、 「それでも、きれい事が大事なんだ!」と開き直ってます。「理想を高く掲げずして人類の前進はありえないのです。」(東京新聞)「環境は厳しい。反移民感情や排外主義が各地で吹き荒れ、 本音むき出しの言説がまかり通る。 建前が冷笑されがちな空気の中で、 人権や自由といった普遍的な理念が揺らぐことはないか、懸念が募る。」(朝日) もちろん、エリートを既得権層ととらえることも可能。 きれいごとぬかして、自分だけ甘い汁吸ってんじゃないよ! ってやつ。「成長なき時代の既得権の乱用だけが続けば、 人々の不安や怒りに火がつくのは当然だ」(中国) ちなみに、とりわけ欧米などでは、 賢いエリート層は、たいていリベラルということになっているので、 (統計レベルでも、有意な相関として現れているらしい) 「きれい事をぬかすエリート」と「きれい事をぬかすリベラル」は、 ほぼ同じ人のことだと言ってもいいのかもしれない。 このことを別の言い方で言えば、 「知能による分断」という言い方もできます(そういう意見もあります) いずれにせよ、ポピュリズムにより社会が分断するのではなく、 社会はすでに分断されていて、 それが表面化した一つの側面がポピュリズムだというのが、 見方としては正しいのでしょう。 その点、日本社会は欧米との比較でいえば、 そこまで社会の分断が深刻になっているとは思えませんが、 それも時間の問題と思われます。

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  • 29 Dec
    • 【年末企画】100万年後のことを言うと誰が笑う? -最終回-

       『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』をベースに、  あえて年末に「はるかな未来に目を向けて視点変換」をはかる、 ライフハックを提案するシリーズ。 今回は、最後に漫画版ナウシカについて触れながら、 ほとんどの人は、『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』で 紹介されている未来を受け入れず、 どこかで「破滅と寄り添う道」を選択するのではないか、 そんな点について考えます。○未来に対して科学的な変化で備えるか 自然、現実との共生を模索するのか ここからはおまけというか、 ごく個人的に、『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』を読み終えて、 ふと頭にうかんだことを、つらつらと書いてみたい。 まず、この本を読みながら、 何度か頭に思い浮かんだのが、 漫画版の『風の谷のナウシカ』   漫画版の『風の谷のナウシカ』は、 アニメ版よりも、登場人物が多い。 アニメ版の登場人物はほぼそのまま登場しています。 個人的には、『風の谷のナウシカ』では クロトワが好きなキャラなんですが、 漫画版では、あの飄々としたキャラはそのままで、 かつ「凄腕の戦闘機乗り」という設定が追加されているのが、 面白かったですね。 ま、それはさておき、 以後はネタバレ注意。  話の都合上、かなり核心のネタに触れるので、 漫画版の『風の谷のナウシカ』を先に見たい方は、 一度ここでページを閉じてください。  ……… …… … いいですかね? では、ネタバレしながら先に進めます。  漫画版『風の谷のナウシカ』と、 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』の関連で 個人的に感じたことをいくつか。(1)腐海も蟲も、旧世代の人の「地球テラフォーミング」の一環 アニメ版でも、人類が地球にまいた毒素を、 腐海や蟲が浄化している話が出ていました。  アニメ版では自然作用という印象が強かったですが、 漫画版では、それは旧世代の人の「地球テラフォーミング」の 一環であったことが語られます。 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』で登場する、 細菌とカビの未来都市みたいなものかもしれません。(2)旧世代の人は、人類の肉体改造を行っていた 要は、人類が毒だらけの環境でも生きられるように、 旧世代の人は、後代の人類の肉体改造を行っていたことが語られます。 (どうやってか分からないですが、どうやらこっそり改造していたらしい) 改造しすぎて、逆に毒のない清浄な環境では、 人類は生きられなくなってしまってる。 (たぶん、わざとそうしたんでしょう) やっぱり、『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』で登場する 合成生物学のようなものかもしれません。 加えて、不死の生物(ヒドラ)も、 漫画版ナウシカでは登場します。 頭をぶち抜けば溶けて死亡する化物タイプと、 人間がヒドラになって不死になってるタイプの、 両方が登場しています。(3)旧世代の科学者たちは、自分の頭脳を機械(?)にアップロード 最後のほうになって、 旧世代の科学者たちが、巨大ブラックボックスに、 頭脳をアップロードしていた(と思われる)ことが判明します。 巨大ブラックボックスは、機械というよりは、 「生きているコンピューター」とでも言ったほうが、  正確な表現に近いでしょうか。(4)旧世代の文明をバックアップ 旧世代文明が絶滅した後も、 徐々に文明のバックアップをリストアして、 後の人類たちに開示しているわけです。(徐々にバックアップデータを復元するのがミソで、 そうすることで、知的権威を維持できるわけですね)(5)「理想の人間」もバックアップ とりあえず、地球テラフォーミングが済んで、 地球から毒素がなくなる日を見越して、 暴力性のない理想の人間のバックアップしていることが、 最後のほうで判明します。   ……こうしてみると、漫画版のナウシカでは、 旧世代の心ある(?)一部の人たちは、  『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』ばりの対策を、 いろいろと練っていたことがわかります。 で、ナウシカはどうしたかって?「そんなの、私たちいらないYO!」とばかりに、 アップロードした頭脳とか、旧世代文明とか、 たまご状態で保存されていた理想の人間を、 すべてぶち壊します。 もう、徹底的にぶち壊しです。 漫画版ナウシカでは、 ナウシカはなんと巨神兵を味方につけているので、 ぶち壊すのはたやすい。(漫画版では、巨神兵はアニメ版よりもかなり完全な形で復活しています。 ていうか、「巨神兵、東京に現る」の姿そのままです)  ただ、別にナウシカが変化を拒絶して生きているわけではなく、 現実と目の前の変化との妥協の連続の中で、 進みゆく大量絶滅(腐海がどんどん広がっているわけで)を、 なんとか生き延びようとしていることは言うまでもありません。 それは、地球工学とはある種真逆の、「たとえ自然が滅びのサイクルにあったとしても、 それに逆らうことはせず、そのなかで身を委ねつつ、 かつ生き延びる方法を模索する」 というスタンスといえます。 日本人の心象風景に合ったスタイルですね。  おそらく、『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』で 言われている諸処の対策に対して、 ほとんどの人は、受け入れることができないと思います。 やっぱり、漫画版ナウシカみたいな人が出てきて、 それに抵抗することになるのは、間違いないでしょう。 まぁ、パンデミック対策とかは問題ないのですが、 その先の未来ですよね。 救いなのは、『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』で 言われていることは、 ほとんど相当先のお話であり、 まだまだそれを受け入れる余裕が、 私たちの可能性として残されている点ですね。 さて、あなたは、 子孫たちに対して、 どのような存在として、覚えられたいですか?   そんなことを考えながら、 年末を過ごすのも、あるいは楽しいかもしれませんよ!? それではみなさん、良いお年を!

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  • 28 Dec
    • 【年末企画】100万年後のことを言うと誰が笑う? -7-

       『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』をベースに、  あえて年末に「はるかな未来に目を向けて視点変換」をはかる、 ライフハックを提案するシリーズ。 今回は、「今後100万年後レベルの長期展望」について考えます。 地球テラフォーミング、小惑星衝突対策、宇宙進出、肉体改造といった、 夢のあるディストピア(?)が満載です♪○地球に優しい!? それともヤバイ!? 地球テラフォーミング さて、未来都市が細菌とカビでできてるという点で、 もう頭はパンク寸前ですが、 -地球テラフォーミング、小惑星衝突対策、宇宙進出、肉体改造- ここまでくると、ねぇ。 ただ、「地球テラフォーミング」のくだりでは、 大変興味深い話がでてきます。 要は、人類は未来のために、 地球を自分たちの都合のいいように もっと作り替えてしまおうよ、というお話です。「地球工学者としての私たちは、 地球を『修復』する、 つまり人類出現以前の『自然状態』に戻すわけではない。 そんなことをすれば、 すでに数回の大量絶滅を引き起こしてきた 炭素循環の変動に身をゆだねる羽目になってしまう。 私たちがしなければならないのは、 実はまったく自然に反することなのだ (中略) 言い換えれば、人類に都合が良いように 地球を適応させる必要があるのだ(P276)」 ……とりあえず、少なくない環境保護論者なら、 怒髪天を衝くことを、さらっと言ってます。 哲学者とかであれば、 「これこそ、科学者の傲慢だ!」とか言ってくるよ、絶対。 とはいえ、具体的には、 気温を下げて、炭素を除去すること。 これだけ聞くと、環境に優しいプロジェクトに聞こえます。 しかし、具体的なプランとして挙がっているのは、・大量のすすを成層圏に注入して太陽光の放射を管理する・珪藻を大量に海に投下して、炭素ごと海底深く沈める ……といった、 素人考えでも「ヤバイ」と感じるプランが登場しています。「もし人類が種として100万年後まで存続したいなら、 選択の余地はない。 私たちは地球の支配権を握らなければならないのだ。 できる限り責任をもって、 慎重におこなわなければならないが、 生き延びるつもりならこの任務に尻込みすることはできない(P287)」 とか言ってますが、 なかなか、市民レベルでの同意は得られないと思うなぁ。 ○小惑星激突という「想定外」のテールリスクにコストをかける? そして、文明バックアップ 小惑星衝突は、映画「アルマゲドン」とかでもおなじみで、 人類の大量絶滅の原因としては、 ものすごいテールリスクではありますが、なじみ深いですよね。 とはいえ、実際のところは、 数ヶ月後に小惑星衝突が判明、ということはなさそう。「ハリウッド映画のストーリーとは違い、 K-T境界の大量絶滅の時に衝突したような小惑星が飛んでくることは、 おそらく何年も前にわかるはずだ(P289~290)」 そして、対策としても、 映画「アルマゲドン」ばりに爆破する、という選択肢ではなく、 基本は、「軌道上から押し出す」という選択になるとのこと。 ただ、問題なのは、 何年も前にわかるといっても、それは確率論のお話でしかない。 そして、衝突が高確率と決まった時点で対策を取っても、 時すでに遅し。「飛んでくる天体を押し出すために断固たる行動をとるべき時期は、 必ずと言っていいほど、衝突が確実であることを立証できるようになるよりも はるか前なのだ(P295)」 かといって、「衝突確率は500分の1です」だと、 対策に膨大なコストをかけるよりは、  「ま、大丈夫じゃね?」に賭ける人のほうが多いでしょうね。  発表するとなれば、やっぱりパニックも怖い。 そして、一番重要なのは、 対策をとったとしても、 やっぱり衝突は避けられないかもしれない。 そうなると、「衝突後どうするか」も、 考えないといけない。 小惑星衝突対策は、恐竜絶滅の事例に学べば、 基本対策は地下都市になるとのこと。 「そして、そこから(数週間後)から本当の災難が始まるのだ。 おそらく核の冬に似た状況に苦しめられることになる(P298)」 加えて、実際のところ、 小惑星衝突に限らず、いっぺんに地球規模で人類が多数絶滅したら、 現在の文明を維持することは不可能になる。「巨大都市やハイテク社会を機能させるには専門知識を持った大勢の人々が必要なので、 もし地球上の生存者が数百万人しかいなければ、 人々のスキルがうまく組み合わさってニューヨークや東京が復活することなど ありそうにない(P299)」 じゃあどうするか? 文明のバックアップをとっておくというのが、 ありがちですが、やっぱり重要ですよね。「ジンバブエを拠点に活動するソフトウェア開発者アレックス・ウィアーは、 CD3WDデータベースを維持している少人数のグループの一員だ。 このデータベースは比較的小さなコンピューターファイル一式で、 科学技術以前の文明に相当するものについての人類の知識が できるだけたくさん詰め込んである(P299)」「その狙いは、CD3WDデータベースをサバイバル・キットに入れておき、 初期の産業社会の構築について歴史が教えてくれた知識の バックアップコピーを保持することなのだ。 これは、生存には過去の歴史の記憶が必要だということを示す、 もっとも単純で最も奥が深い実例の一つだ(P300)」 本には書いてないですが、 結局、このバックアップを元に、 誰がリストア(復元)するのか、という点で、 新しい社会秩序ができてしまうんでしょうね。○肉体改造と、脳のアップロード、どちらがいいですか? さて、地球がダメという局面になったら、 次は宇宙に進出しないといけないのかもしれない。 あるいは、現在の生物が生きられないような地球環境になっても、 人類は何らかの手段で生きるのかもしれない。 宇宙エレベーターといったお話もあるのですが、 この本では、地球がダメになったあと(?)の、 未来の人間の未来の可能性を2通りに紹介しています。(A)サイボーグかゲノム操作で宇宙でもOKな人間になっている(B)生物が生きられなくても、機械が動けば、   そこに人格をアップロードできる とりあえず、どちらも嫌なんですが。 倫理学的観点で言えば、 抵抗が少ないのは、後者のような気がします。 この本でも、そう考えているようです。「機械に変身して肉体を永遠に失うほうが、 遺伝子をいじって肉体を持ち続けるよりも、 道徳上のジレンマは生じないのかもしれない(P328)」 後者の考え方のキーワードは、やっぱりAI。 もちろん、人工知能のお話です。 ちなみに、今年の紅白歌合戦では、 AIが出場すると聞いて、 「おぉ、もうそんな時代になったか!?」 と一瞬だけ勘違いしたのは私だけ!? 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』では、 今後1~2世紀後には、 人工知能が人間を超える可能性を紹介しています。「ボストロムはまず一つの事柄をはっきりさせておきたいと言った。 もし人類がこのまま存続するなら、彼の考えでは、 今後1、2世紀の間に『知能の爆発』を経験し、 人類より優れた知能を持つ機械を発明することになるのは 避けられないはずだという(P323~324)」 そうなると、紅白歌合戦で、 AI(Artificial Intelligence)が 自分で作詞作曲した歌を、自分で歌うなんてシーンも、 珍しくなくなるのでしょうかね。 で、そこまでになっていれば、 人格をコンピューターにアップロードすることも、 夢物語ではなくなっているのではないかという。「ボストロムは、この超知能とアップロードの未来は 避けられないと信じているので、  人類は決して宇宙に進出しないと確信している。 そんなことは望まないはずだ。(P325)」…ここまでくれば、 映画『マトリックス』の世界ですね。 まぁ、こうなればリア充とかどうとかは、 ほとんど関係がなくなりますよね。 それぞれが、それぞれの望む世界を、 電脳空間上で再現すればいい。 さて、それはあらゆる社会課題や苦悩などが存在しないユートピアか、 はたまたある種のディストピアか? もはやSFの世界ですね。 次回は、最終回として、 それでも人類は、上記の生存戦略を採用しないのではないか。 そんな、ある種ありふれたお話をして、終わりにしたいと思います。

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    • 【年末企画】100万年後のことを言うと誰が笑う? -6-

      『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』をベースに、  あえて年末に「はるかな未来に目を向けて視点変換」をはかる、 ライフハックを提案するシリーズ。 今回は、「今後数世紀レベルの未来生存戦略 -都市を作り替える-」 について考えます。 ○存続の まず手始めは 都市作り 「(5)今後数世紀レベルの未来生存戦略 -都市を作り替える-」では、  未来のために まず変えないといけないのは「都市」である。 これが一貫したテーマになっています。 「つまり、人類の短期的な存続は、 多数の住民を危害から守りつつ環境を保護して持続させるような都市を 築くことができるかどうかにかかっている。 要するに、少しの地震ではびくともせず、 病気の巣にもならず、持続可能なエネルギー源と食料源を 市民に提供してくれる都市が必要なのだ(P203)」 「豊作の まず手始めは 土作り」ならぬ、 「存続の まず手始めは 都市作り」といったところでしょうか。 具体的には、(5)-1:災害に強い都市づくりをつくるための災害科学(5)-2:パンデミックに強い都市作り ここまでは、未来感がないお話ですが、(5)-3:地下都市(5)-4:生きている都市 となると、ある種未来感あふれるお話になります。 「(5)-1:災害に強い都市づくりをつくるための災害科学」で 重要なポイントは、 「人が生き残れるなら建物が壊れても構わない」という点。「災害科学の基本となるのは、 人が生き残れるなら建物が壊れても構わないという考え方だ。 生き残った人々が、また都市を造りなおしてくれるのだから(P229)」 一種の減災の考え方ですね。 ちなみに、東日本大震災は、 災害に備えることの難しさを示す例として紹介されています。○パンデミックに対処するには? 「(5)-2:パンデミックに強い都市作り」では、  パンデミックで難しいのは、特効薬うんぬんではなく、 「各国の対応を取りまとめて 死者数と経済的損害を最小限に抑えるにはどうすべきか」 という点なのだそうです。「パンデミックを引き起こす病気を抑えるのに 必要な薬の多くは、すでに存在している。 けれども、パンデミックそのものを阻止するためには数学が必要だ。 世界中のさまざまな社会で パンデミックがどのように展開していきそうなのかを理解しない限り、 それを食い止めるのに最適なシステムを 立ち上げることはできない(P232)」 具体的には、・誰が感染症にかかっていて現在どこにいるのかを調べる これにはCIAがうってつけ、なんて話も出てきますが、  「グーグル・インフルトレンド」という、 グーグルで検索キーワードの推移を追いかけることによって、 インフルエンザの集団発生を監視する話や、 何よりも各地の保険局(日本的な感覚だと町のお医者さん)が、 現場に第一に接する機関だから、一番重要だという話が出てきます。・社会距離戦略 とりわけ大事なのは学校閉鎖なのだそう。「自宅にとどまる自発的隔離のほうが 学校を閉鎖するよりも効果的なようだが、 学校閉鎖は多くの場合において手堅い方針だ。 なにしろ、病原体がパンデミックを引き起こす最速ルートは、 子どもに感染することなのだから(P240)」・ワクチンの悲惨な現実「問題は、世界の子供たちの大多数が、 ワクチンを購入する余裕のない発展途上国で暮らしているということだ。 ここで、科学が社会の現実にぶち当たる(P241)」「ワクチンメーカーは何百万本ものワクチンを 発展途上国に寄付すると約束しているし、  WHOが先進国に備蓄分の10パーセントを寄付するよう 圧力をかけることもできるのだが、 そんなやり方ではまだ嘆かわしいまでに物足りない(P242)」・いかに治療薬を効率的に行き渡らせるか「全員を病院に行かせればいい、で解決する話ではない。 まず第一に、病院がない地域で患者が発生するかもしれないし、 第二に、パンデミックの最中の病院は すでに病人であふれかえっているだろう。 さらに、病人は実のところ ベッドから出て病院に行くことができないかもしれない(P243)」 解決策(?)としては、  パンデミックが進行中の場合、いちいち検査せずに、 患者の訴える症状に基づいて、速効で薬を渡す。  簡易治療センターをできるだけ多くの場所に --インターネット上にも--設置。 希望に応じて薬を宅配。 ……まぁ、責任問題は誰もがいやがるので、 事前にそういう取り決めをしておくしかないですね。 ・とにかく子どもの治療を最優先 子どもが、最も感染を拡大させるため。「あなたの近所の子供一人がワクチン接種を受けるだけで、 あなたと大人の友人全員がワクチン接種を受けるよりも効果的に、 近所の人々全員を感染から守ることができる(P245)」○福岡での大規模道路陥没は、 地下都市の難しさを示すモデルケース 「(5)-3:地下都市」で想定されているのは、放射線災害。 放射線災害というと、やっぱり原発や核戦争をイメージしますが、 過去の大量絶滅のケースでは、 宇宙線が地球にふりそそいだケースも。「都市の住民にとっては、 放射線の出所が宇宙だろうと核爆弾だろうと関係ない。 生き延びるためには、地下に潜る必要があるだろう(P248)」 地下都市の難しさは、・心理的側面・地震、漏水・食料 だと指摘します。 それ以外にも、たくさんあるでしょうけれど。 それにしても、地下都市がいかに漏水に弱いかという面は、 2016年11月8日の、福岡での大規模道路陥没で、 まざまざと思い知らされましたね。 ○生きている未来都市は、細菌とカビでできている!? 「(5)-4:生きている都市」では、 都市は生物学的有機体、 つまり生きている都市にならないといけないのだといいます。 それは、飢餓と環境破壊を食い止めるため。 具体的には、都市農場のお話が出てくる。「ディクソン・デポミエは 著書『垂直農場--明日の都市・環境・食料』の中で、 未来の都市では食糧を自給するために ガラス張りの巨大な高層ビルの内側に農場を造ったらどうかと 主張している。 すべての階が太陽光発電を利用した温室になるのだ。 (中略) 高層ビル農場に熱と電気と光を供給して作物を栽培するためには 大量のエネルギーを消費せざるを得ないのではないか という批判もでているが、 デポミエの思考実験は的を得ている。 今後は都市の中で、しかも多くの場合は室内で、 莫大な量の食料を生産する方法が必要になるのだから(P262)」 こうした、いわば食糧自給率的なお話に対しては、 「現在もグローバリゼーションが進んでいて、 まして未来がそれに逆行するとも考えにくい。 グローバルに食料を貿易したらいいんじゃないの?」 という批判が往々にしてなされ、 反論もいろいろ出てくるのですが、 まぁ、この場合は野暮というものでしょう。 だって、地下都市とかも視野に入れたら、 グローバルな貿易とか言ってられないでしょ? で、「生きている都市」は、 さらに未来的なお話になってきます。「都市は生物的存在にもなっていくかもしれない。 壁に掛けた藻類のカーテンは夜間に光を放ち、 炭素隔離もおこなってくれるし、 床は微調整を施した細胞状材料でできていて、 私たちに踏まれるにつれて骨のように頑丈になっていく(P266)」 なんか、頭の整理が追いつかないよ……  SFチックなお話ではありますが、 とりあえず科学的な研究は、一応進んでいるよう。「時が経つにつれて、 このような生きている都市の外観は変わり始めるだろう。 合成生物学によって一変するのだ。 合成生物学はまだ歴史の浅い工学の一分野で、 木のような従来の生物材料の代わりにDNAや細胞から 建築材料を作ろうというものだ(P267~268)」  …未来、なんか想像を絶してる。 この変化に、どれだけの人が耐えられるのか? だって、未来の都市の構成要素は、 細菌とカビなんだってよ?「アームストロングは細菌とカビに魅せられている。 彼女をはじめとする合成生物学デザイナーたちは、 未来の都市の構成要素は細菌とカビだと考えているのだ(P269)」 おもしろいのは、こうした未来都市は、 トフラーのいう「生産-消費者」ベースになるという点。「アームストロングの描く超高度なテクノロジーによる生物都市は、 ジュディス・レイザーの夢見る小さくてスローな農業都市と共通点がある。 どちらも、都市の居住者は消費者よりむしろ生産者になるだろうという 確信から生まれている(P271)」 実際のところ、どうなるんでしょうねぇ、未来。

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  • 27 Dec
    • 【年末企画】100万年後のことを言うと誰が笑う? -5-

       『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』をベースに、  あえて年末に「はるかな未来に目を向けて視点変換」をはかる、 ライフハックを提案するシリーズ。 今回は、「生存戦略 -離散、適応、記憶、そして変化-」について考えます。○100年後にはシアノバクテリアによって 藻類経済、藻資本主義の時代になっているかも!? 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』のおもしろいところは、 実はここからだと言ってもよいかもしれません。 個人的に、この箇所において、 科学的におもしろいのは、適応のくだりで、 考え方としておもしろいのは、変化のくだりですね。  適応のくだりでは、 シアノバクテリアを使用した、 新しい再生可能エネルギーの可能性についてふれています。 実現するとしても、100年後レベルの話でしょうが。 シアノバクテリアは、約25億年前には、 当時の生物を大量虐殺した張本人ですが、 それが、今後の地球の未来に役立つというのは、 ある種皮肉かもしれません。 とはいえ、シアノバクテリアという、いわばただの藻に 多くの科学者たちが魅了されているのは間違いないようで、 そうした科学者たちの成果によっては、 今後の資本主義のベースになるのは、藻かもしれない。 藻類経済、藻資本主義の時代が、 100年後には当たり前になっているのかも?  そのころには、人類はますます都市に集中しているのは、 かなり間違いないはずで、 藻谷浩介氏のいう里山資本主義とはある種真逆の、 藻資本主義という、いっそう高度になった都市経済の時代が、 100年後のベースなのかもしれないですね。○未来を生き延びるためには 人類は想像を絶する変化の連続を超えないといけない 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』の一貫したポイントは、 未来では人類も環境も 今では想像もつかないほど変化しているはず、という点。 スタートレックみたいに、環境が変化してても、 人類は今とそんなに変わらない、 ということはないはずだという。 そして、20世紀最高のSF作家のひとり、 オクテイヴィア・バトラーの作品をあげながら、 次の大量絶滅に備えられない人々が出てくる理由は、 変化に耐えられないからだと指摘します。「バトラーは三部作『リリスの子供たち』の中で、 生存よりも死を選ぶ人々がいる理由を小説として書いている。 絶滅の危機から持ち直すために求められる 根本的な変化に取り組む覚悟ができないからだ(P193)」 「変化しないといけない」なんてのは、 なんか意識高い系な人が言ってそうというか、 ある種の理想論として、とらえられがちです。 しかし、『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』では、 そうではなく、変化とは妥協の連続だと指摘します。 これは、かなり現実的な意見ですよね。「思考実験としての『リリスの子供たち』の強みは、 人類の存続とは妥協の連続で、その妥協は果てしなく続き、 ますます深まっていくというバトラーの提言にある。(P196)」 とにかく、次の大量絶滅を生き延びるためには、 人類はとにかく変化しないといけないし、 加えて環境を変化させないといけない。 この、ある種の絶望を土台としながらも、 そこから進み続けようとする姿勢は、 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』の一貫した姿勢といえます。「未来まで生き延びるために 『リリスの子供たち』から得られる重大な教訓の一つは、 私たちは変化しなければならないということだ。 そしてその変化は、予想よりもはるかに困難で、 はるかに奇妙なものになるかもしれない(P197)」

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    • 【年末企画】100万年後のことを言うと誰が笑う? -4-

      『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』をベースに、  あえて年末に「はるかな未来に目を向けて視点変換」をはかる、 ライフハックを提案するシリーズ。 今回は、「人類の大量死の歴史」について考えます。 ここまでは過去語りですが、 未来を考えるためには、過去について知っておくことも大切です。○疫病と飢餓の歴史から今後の私たちに生かすべき教訓 「人類の大量死の歴史」 年末に考えるには、 かなりヘビーな内容かもしれませんが…… 原人からホモ・サピエンスに至るまで、 人類は寅さんばりに放浪していたため、 そもそも何度も絶滅しかけていたとか、 ホモ・サピエンスはネアンデルタール人を皆殺しにしたのか、 それとも実は協力していたのかいう話も 面白いといえば面白いのですが、 やっぱり、ここでポイントだと個人的には思うのは、 疫病と飢餓という人類大量死の歴史。 <疫病の歴史から学ぶこと>・文化が発達すればするほど、かえって絶滅しやすい→「みんなが都市に固まって住みがちになるから」ですね<飢餓の歴史から学ぶこと>・移動の自由があると、飢餓の際に救われる命が増える→『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』では記載はなかったですが、 江戸時代なんかは典型的ですね。 あと、毛沢東時代の中国も(これは記載あり)・飢餓は政治的な問題・「特化した景観」や単一栽培の危険性→要は、生物多様性を維持していないと、何かあったときに、 一気に壊滅的な被害が出るというお話。 この点は、少なくない人から蛇蝎のごとく嫌われている、 比較優位の考え方の反論の一つとしてありがち。 ま、実はこの問題提起は、 この後の話につながってくる。 要は、パンデミックに強い都市をどう造り、 都市周辺レベルでいかに食料を自活するか。 個人的には、この手の問題提起に対して、 政治的に正しい(?)答えは、「だから、都市の一極集中は危険だ」「各地方での自給自足をめざそう」 となるかと思っていたのですが、 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』では、 あくまで、都市の一極集中が進む前提で、 話を進めているのが興味深い。 まぁ、政府レベルで強制的に 一つの農家にいろいろ作らせるとか、なんてことをやると、 別の意味で「政治的な問題による飢饉」が起こりそうな気も…… 少なくとも、スーパーに並ぶ野菜とかは、 値段が跳ね上がることは間違いないけど、 どこまで人々の間で合意がとれるのだろう?

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    • 【年末企画】100万年後のことを言うと誰が笑う? -3-

        『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』をベースに、  あえて年末に「はるかな未来に目を向けて視点変換」をはかる、 ライフハックを提案するシリーズ。 今回は、「地球の歴史上、大量絶滅は過去5回あった」について考えます。○人間がいてもいなくても大量絶滅は起こる ただ、人間は過去の大量絶滅の原因を人為的に行っている 一番最近(5回目)の大量絶滅は、いわゆる恐竜絶滅ですが、 それ以外にも、過去4回あったことがわかっているそうです。 ちなみに、この場合の大量絶滅とは、「200万年以内に75パーセント以上の種が絶滅する事象(P33)」 だそうです。 かなり、気が長いといえば、気が長いような気もしますね…  ここでのポイント(と私が感じたところ)は、(2)-1:「ある一種の生物による大量絶滅」は人類が初めてではない(2)-2:気候変動は人類が初めて起こした出来事ではない(2)-3:温室効果ガスによる気候変動は大量絶滅をもたらす 最初の2つは、 「人間さえいなければ、地球は美しい自然のままで、  生物大量絶滅とは無縁だったのに! (隕石落下レベルの大規模天災を除けば)」 という、ほとんどの環境保護主義者が持っている、 感情レベルでの一種の怨恨に対して、 より広い視点からそれを見直すのに役立ちそうです。 ぶっちゃけ、「人間なんて地球のガンだ!」って考えそうなところですが、 ことはそう単純ではない。「もしあなたが、人間は歴史上前例のないやり方で 地球を破壊しつつあると考えているとしたら、 それは生物種レベルについての誇大妄想だ。 地球を汚染してほかの生物を絶滅に追いやったのでさえ、 私たち人類が初めてではない(P24)」 で、「ある一種の生物による大量絶滅」は、 少なくとも2回はあったとのこと。 1回目は、シアノバクテリア(藍藻)という名前の細菌が、 光合成により大気中の酸素を劇的に増やしたために、 当時(約25億年前)、炭素の多い大気の中で育っていた 生物の大半はほぼ大量絶滅。「これは地球史上最悪の大気汚染で、 酸素を呼吸できない生物はやがて、 ほぼすべてが死に絶えてしまった(P31)」 まぁ、そのおかげで、 今の生態系が始まったわけですが。 加えて、この時起こったのは、 現代の地球温暖化とは真逆の事態。 要は、シアノバクテリアのせい(?)もあって 炭素が劇的に減って、 当時は太陽光が少なかったこともあって、 地球はスノーボールに! まさに現在と真逆!「スノーボール・アースは、 地球の気候が極度の『氷室』状態、 つまり温室とは正反対の状態に入ったときに起こる現象だ。 大気に炭素が多く含まれていると、 気温が上昇してうだるように暑い温室内のような気候になってしまうが、 大気に酸素が多く含まれていると、 気温が下がって氷室と呼ばれる状態になる(P29)」 その後、火山が爆発して地球はまた温暖化。 地球の歴史スパンで見れば、 地球は何度も冷暖房状態であったことは間違いない。「だが、人間が地球上で中心的な存在になる前にも、 自然の並べ替えは何度もあった。 気候災害は普通の出来事なのだ(P32)」 2回目は、デボン紀(約4億1500万年から)にて、 万能型の生物(丈夫で強く、広いテリトリーで生きられる生物)が、 地球の生物多様性を極端に狭めたこと。「科学者はこの現象を『種分化の低下』と呼んでいる。 つまり、新たな種の進化が最悪の状態にあるという意味だ(P44)」 今の感覚でいえば、丈夫で強い外来種が、 その地域でしか生きられない種を絶滅させてしまう感覚ですね。 もちろん、その筆頭には人間がいることは間違いない。 生物多様性が失われると、 その万能型の生物の弱点となる現象が発生すると、 生物全体が一斉に絶滅に向かうことになる。 このことは、現在の人間にとっても、 あらゆる点で教訓になるといえます。 環境レベルのお話はもちろんですが、 ビジネスについて考えても、 一つの事業しかやってない、人材タイプが1種類しかないとかだと、 何かあったときに、絶滅に向かうことになる。 優秀な営業マンとか、そういった人の中には、 「俺のコピーが集まれば、それがドリームチームだ!」 とか、そんなこと考えそうになることもあるでしょうけれど、 長期的に見れば、そんなことは全然ないという話です。  とりわけ以下の文は、何かと示唆的ではあります。「できるだけ多くのテリトリーへと広がることで生きながらえたいという衝動は、 ときに裏目に出てしまうのだ。 デボン紀の侵略的生物種が明らかにしたように、 生物の存在がより多くの生物をもたらすことになるとは限らない。 ある生物の生き方が実は、気候変動や放射線と同じくらい たやすくほかの命を奪うこともあるのだ(P47)」 人間が、デボン紀の生物と同じ道を歩みがちというのも、 一つの重要な教訓ではありますが、 やっぱり、温室効果ガスを増やしているという点において、 過去の大量絶滅と同じ道を歩みがちというのは、 環境保護論者の指摘通りではあります。「温室効果による温暖化という シナリオの始まるきっかけはなんであろうと  --巨大火山の噴火でも、産業革命でも-- 気候変動は隕石の衝突よりも 効果的に殺戮を行うのだ(P62)」

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  • 26 Dec
    • 【年末企画】100万年後のことを言うと誰が笑う? -2-

       『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』をベースに、  あえて年末に「はるかな未来に目を向けて視点変換」をはかる、 ライフハックを提案するシリーズ。 今回は、「次の大量絶滅は必ず起こる」について考えます。○次の大量絶滅は、人類の責任いかんにかかわらず必ず起こる 『次の大量絶滅を人類はどう超えるか』の流れは、 だいたい以下の通り(1)次の大量絶滅は必ず起こる(2)地球の歴史上、大量絶滅は過去5回あった(3)人類の大量死の歴史(4)生存戦略 -離散、適応、記憶、そして変化-(5)今後数世紀レベルの未来生存戦略 -都市を作り替える-(6)今後100万年後レベルの長期展望    -地球テラフォーミング、小惑星衝突対策、宇宙進出、肉体改造- まず、「(1)次の大量絶滅は必ず起こる」について。 「次の大量絶滅」なんていうと、往々にして、 「はいはい、人類が生態系をめちゃくちゃにして、  最後は人類も地球も滅亡する、的なアレでしょ?」 という反応になりがち。 確かにそういう側面はあります。 しかし、ここで押さえておきたいポイントは、 人類がどうしようと、 今後100万年後レベルで考えれば、 必ず次の大量絶滅は起こるし、 人類はそれを超えられるはず、という点。「私がここで言いたいのは、 人類の責任かどうかに関係なく、 地球の6度目の大量絶滅は起こるだろうということだ。 誰のせいなのかを考えるよりも、 避けられない未来に備えてそれを生き延びる方法を 見つけ出すことのほうが重要だ。」(P12) 大量絶滅というより、大災害レベルで言えば、 ふつう、「どう生き延びるか」といえば、 普段からの食料備蓄、シェルターとかですよね。 もちろん、それも大事なのですが、 100万年後レベルの大量絶滅を考えると、 それだけだととうてい足りない。  「私たちは、大災害で個人の生命を守ることを目的とした 生存主義者(サバイバリスト)の作戦から、  人類という種全体として 大量絶滅を生き延びるための生存戦略(サバイバル)へと 移行しなければならないのだ(P16)」 そのための生存戦略を考える前に、 これまでの大量絶滅の歴史、および人類の大量死の歴史について、 みていくことにします。

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プロフィール

社会起業電脳兼研究室 室長・森

性別:
男性
血液型:
A型
お住まいの地域:
広島県
自己紹介:
 「社会起業電脳研究室(旧・P-SONICのHP)」というサイトを、個人的に運営しています。 ...

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