• 14 Jun
    • ソーシャルイノベーション考 ~『社会イノベータへの招待』編~ -1-

       社会起業の「革新性」について、  これまでのイノベーションについての理論をベースに、 今回からは、いよいよ「ソーシャルイノベーション」について、 本格的に取り組んでいくことにします。 まずは、AMAZONなどで「ソーシャルイノベーション」とか、 関連用語で検索。 そこでヒットした一覧の中から、 面白そうな本をピックアップ。 ピックアップした本のなかから、 今回からしばらく取り上げる本は、 『社会イノベータへの招待』  慶応SFCの先生方を中心に編纂された本ですので、 結論はやっぱり、 「SFC大学院で学んでみませんか」 的なお話になるのですが、 社会起業の革新性のみならず、社会性、事業性を考える上でも、 非常に勉強になるため、 関心のある方にはおススメの1冊です。○社会イノベーションって普通の人ができるの!?さて、『社会イノベータへの招待』から、革新性、イノベーションに関する内容をピックアップすると、大前提は「新結合」であることに気づきます。「本書で私たちは、社会イノベーションは『社会的な新しい結びつきを付けること、関係性を変えること』だと考える(P2)」このへんは、シュンペーターとおんなじなのですが、『社会イノベータへの招待』で一貫して貫かれている大前提は、「社会イノベーションの主体は、 特別な人ではなく、普通の人であったし、 今後もそうあるべき」これは、田坂広志氏の「みんなが社会起業家」論と近い考え方といえます。 『社会イノベータへの招待』では、どのように記載されているか?少し長いですが、引用します。 「世間には『社会起業は超越した能力と類稀な意思の力のある人がやること』 『とびきりの変わり者しかできないこと』というイメージがある。実際は、そうではない。一握りの人たちだけで社会を変えることはできない。社会を変えることはあらゆる分野で求められており、変化をつくるスキルはこれからの現代人にとって必要不可欠な能力である(P3)(赤字筆者)」 ……皆さんは、この文章を読んで、どう感じましたか?NPO関係者であれば、当然のこととして、受け止めるのでしょう。いわゆる「意識高い系」が嫌いな人は、この前提にも、反発するのでしょう。 実際のところ、「世の中のイノベーターとかそういった面々を見てみろ! みんな『超越した能力と類稀な意思の力のある人』であり、 『とびきりの変わり者』じゃないか!」と言われれば、反論はできますまい。ジョブズとか孫正義氏とかのビッグネームを事例に上げる以前に、社会企業家レベルでも、一般人からするとそう見えてしまう(本人たちは否定するのでしょうが)。シュンペーターだって、新結合をなす主体としての「企業者」(指導者)の特徴として、(1)洞察力がある(2)とにかく人を引っ張れる(3)前例や伝統なんて気にしない(4)新結合(旧結合の打破)そのものが目的を挙げています。加えて「企業者」には、以下の3つの壁が待ち構えている。(1)これまでのノウハウや決断の根拠が通用しない(2)内部から反対される(3)社会から反対される ……こんなの、一般人にできるの?それって、高望みしすぎじゃあ、ありませんかね?とはいえ、スーパーマンとしてのイノベーター、企業者を、ひたすら高望みしながら待ち続けて、なんか業績を上げたら賞賛して、ちょっと落ち目になったり、気に入らなければ叩き潰す。現状はこんなもんだと思いますし、気に入らない奴を非難して叩き潰すのは、それはそれで快感だというのはわかりますが、本当にそれでいいのだろうか!?もうちょっと、他のやり方はないのでしょうか!? まぁ、これは私自身の問題意識ではあります。そんなこと言ってると、いわゆる「意識高い系」なのでしょうかね。正直、私自身は自分で意識が高いとは思えませんが…… 『社会イノベータへの招待』では、この点に関して、次の2つの観点から取り組もうとしているようにみえます。(1)プラットフォーム構築(2)ソーシャルキャピタル まずは、プラットフォーム構築に際して、それ以前の問題として、民間で社会課題に取り組む上でのメリット、および課題について、『社会イノベータへの招待』での見解を見ていきます。※この記事は、社会起業電脳研究室(旧P-SONIC)のHP記事より転載しております。http://www.psonic.org

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  • 08 Jun
    • 『チームの力』から考える組織運営 -12- ~前例主義の「絶対大丈夫なのか」の壁を超えられるか~

      「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。 第10回からは、「方法の原理」についてふれます。 第12回では、「方法の原理」で前例主義を超えるのは、 究極的には「価値の原理」が組織に浸透していないと無理なのでは、 という点について触れます。 これまでの「すきより」シリーズと同様、 博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-12/○前例主義になるのは、組織が減点主義だから【博】続いて、前例主義について。【助】まぁ、状況が変わったのに、同じ手段(前例)を踏襲しても、   成果は出ないですよね。   そこは、「価値の原理」に立ち返って、   目的を達成できないのであれば、   前例を変えよう、でいいんじゃないですか?【博】助手君にしては、えらく前向きというか、   能天気な回答だね(笑)   「前例主義をやめられるくらいなら苦労しない」   くらい言ってほしいものだけど。【助】私って、そんなシニカルなキャラになってるんですかぁ!   もっと、素直なおバカキャラで   通ってると思ってたんですがぁ!【博】今までの言動を振り返ってみたまえよ(笑)【助】ま、それはともかく、   組織の究極の目的は「自分たちが生き残ること」だから、   前例主義ってのは、その究極の目的に沿ってる、んでしょうね。   前例主義でいた方が組織で生き残れるから、前例主義なわけで。【博】そうこなくっちゃ、助手君らしくない。   要は、組織が減点主義であれば、   前例主義でいた方が、責任を回避するインセンティブになる。   たとえ失敗しても「前例通りやってたんですが」と言えるからね。【助】前例主義の対応策は、リーダーならある種簡単で、   減点主義から加点主義に変えればいい、ということになる。   多少失敗しても、目的に沿った成果を出した方が偉い。   そういう組織になれば、前例主義は減少する。【博】『チームの力』では、広島県の湯崎知事は、   加点主義を重視するリーダーだ、という話が出てましたね。【助】一般的には、そうした従来のやり方を変える変革型リーダーは、   下がついてこないか、最悪押込されるもんなんですがね。   広島県職員が偉かった、というのももちろんあるのでしょうが、   それだけではないはず。【博】その点、湯崎知事は、   たぶん穏当に改革を進めたんだと思う。   まぁ、それでも、具体的に加点主義に変える組織改革は、   評価制度をどうするかといった絡みもあるので、   相当専門的で、かつ難しかったとは思うのですが。【助】まぁ、行政の場合だと、   市民意識では「サービスして当たり前で、不具合があればつるし上げる」ので、   防衛意識として責任回避バイアスが働くのは、   十分理解できるのですがね……○絶対性を織り込んだ問い、ナイーブな批判を いかにして退けるか【助】ただ、上から組織を改革できる立場にいる人は、   そう多くはない。   ヒラの社員などは、どうしようもない?【博】その場合は、上司に対して、   「このまま前例を踏襲していたら、かえって責任問題になりますよ」   と言うしかないだろうね。【助】いやいやいや!    そんなん、うまくいくわけがないじゃないですか!   私が上司の立場だったら、こう言い返してやりますよ。    ・これは、君の単なる思い付きだろう  ・(データを示しても)そのデータが本当である保証はどこにある  ・君の提案が絶対うまくいく、という保証はあるのかい?      ……で、最後に、「答えられないなら、前例維持」。   これで決まり。【博】西條先生は、「絶対にうまくいくのか」といった、   絶対性を織り込んだ問いは、行動を抑制する問いだと指摘します。   対抗策としては、  「状況と目的に照らし合わせれば、この方法がよいと考えますが、   それよりももっと良い方法があれば、ご教授願えますか?」   といった問い返しをするしかない、と指摘します。【助】要は「代案なきナイーブな批判は認めない」ということですよね?   討論ではよくあるお話ですが、   実際はなかなか守られないですがね。   特に、ネット上での議論ではほとんど守られていない。   第一、さっきの問い返しにしたって、  「別によい方法はないし、根拠は示せないけど、   これまでもずっとそうやってきたんだから現状維持が一番」   なんて言われると、どうしようもない。【博】結局は、目的についての「価値の原理」および、   「方法の原理」が組織に浸透していないと、   限界があることは間違いないのだろうね。【助】だから最初に言ったじゃないですかぁ。   「価値の原理」に立ち返れ、って。   逆を言えば、立ち返る価値がないのであれば、   前例主義を打破するなんて、どだい無理ってことですよ♪【博】結局、シニカルなオチかい!<まとめ>・前例主義になるのは、組織が減点主義だから・リーダーであれば、加点主義を目指せば前例主義は減少する・ヒラ社員であれば、上司に「前例を続けることが責任問題になりますよ」と説得する・「絶対に」という、「絶対性を織り込んだ問い」は行動を抑制するので、 極力受け流す・「状況と目的に照らし合わせれば、この方法がよい」という、建設的な議論を促し、 ナイーブな反論は認めないことを、あらかじめ組織に共有する

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  • 31 May
    • 『チームの力』から考える組織運営 -11- ~サンクコストは過去をベースにした意思決定~

      「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。 第10回からは、「方法の原理」についてふれます。 第11回では、「方法の原理」を意識しないと、 サンクコストを超えることは非常に難しい、という点について触れます。 これまでの「すきより」シリーズと同様、 博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-11/○サンクコストによる過去の成功体験の絶対化【博】ここからは、方法の原理をより見失わせやすい要因の一つである、   「埋没コスト」について考えていきたい。【助】「埋没コスト」というか、よく「サンクコスト」と呼ばれるものですよね。   サンクコストってのは、   もう使っちゃって返ってこない時間やモノ、カネのことですよね?   どうあがいても返ってこないんだから、   これからの意思決定にサンクコストを加えちゃダメなんだけど、   サンクコストが「もったいない」心理などで影響を与えてしまう。【博】西條先生も「時間に伴いサンクコストは増大する」と書いています。   原理的には、早期に損切り(ロスカット)しないといけないのだけど、   ずるずるといってしまう。   ギャンブルで「負けを取り戻そう」とするのは、典型的といえる。【助】ただ、サンクコストの問題って、「人命」がからむと、   判断がものすごく難しくなりますよね。   典型的なのは戦争。   作戦が失敗だったとわかっても、それまでに失われた人命を、   サンクコストで損切り扱いするのは、リーダーにものすごく厳しい判断になる。【博】それはもちろんそうなのだけど、   別に人命とまでいかなくても、サンクコストの錯覚を超えた判断は、   ものすごく難しい。   西條先生は、そのことを、方法の原理との関連で考えています。【助】というと?【博】方法の原理は、   「特定の状況において使われる、目的を達成するための手段」   しかし、状況が変わったにもかかわらず、   過去に成功した手段、方法にとらわれて突っ走ってしまう。   西條先生はこれを「方法の絶対化」と呼んでいます。【助】過去の成功体験がサンクコストになってるわけですね。   で、往々にして、過去の成功体験は、   自分の人生の栄光になっているから、   それを「損切り」されたら、   自分の人生そのものを「損切り」される感覚になる。   そりゃ、サンクコストにとらわれますよね。【博】加えて、リーダーだけでなくて、   真面目な人ほど、組織で教え込まれた手段を守ることを目的にしがち。   (方法の自己目的化)   だから、まじめな人が多い組織では、   過去の手段がアイデンティティになっていると、   なかなかそれを変えられない。【助】「バカで真面目な人をチームに入れるな」的な話は、   よく聞かれますが、一つの理由には、   こうした理由もあるのでしょうね。○サンクコストは過去をベースにした意思決定【博】問題なのは、サンクコストにとらわれるとなぜよくないのかといえば、   西條先生曰く、  「埋没コストがそれまで費やしてきた時間、労力、資金といった   "過去"をベースにした意思決定であるためだ」(P119)  「方法の原理とは、状況と目的、つまり"現在"の状況と   目指すべき"未来"を基点とした意思決定にほかならない。   つまり、埋没コストによる意思決定は逆ベクトルの考え方なのだ」(P119)【助】それは間違いないのでしょうが、   サンクコスト問題は結局感情問題なんだから、   それを指摘し、かつ是正できるリーダーとかって、   よほどの大物か、感情のわからない人のどちらかだと思いますけどね?   あぁ、だから経営者にはサイコパスが多いのかぁ。   "「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実"より   http://president.jp/articles/-/19916【博】サイコパスの長所は、  「冷静で感情を抑制できる」「今の瞬間に集中できる」「勇敢で恐怖を感じない」  「不安や抑鬱など逆境に強い」「口が達者で説得力がある」らしいしねぇ……   確かに、サンクコストを超えた意思決定をするにはもってこい、といえるね。【助】最近はやりの進化心理学とかの観点で考えると、   結局、究極のサンクコスト問題はやっぱり戦争なわけで、   戦争が多いければ多いほど、   「サンクコストを超えられるリーダー=サイコパス」が求められ、   遺伝子レベルで、それが伝わっているのかもしれませんね。   そう考えると、欧米でその他の地域よりサイコパス気質者の割合が多いのは、   偶然ではないのでしょうねぇ。   その点、日本でサンクコスト問題を超えるのは、欧米よりも難しいのかも……【博】西條先生は、サンクコストを超える方法については、   いろんな人が道筋をたどっても、「論理的にはそう考えるほかない」といえる、   論理を前面に押し出すのが一つの方法だ、と言ってますが、   どうせ、助手君は、そんなの納得しないでしょ?【助】わかってるじゃないですかぁ(笑)   理性は感情の奴隷なんだから、   論理なんて、後付けでどうだって変えられる。【博】「後付けで意味を変える」といえば、   西條先生も「出来事の意味は後付けで決まる」と言っています。   西條先生は、だから、失敗があっても、   「あの失敗があったから、この結果を残せたんだ」と言えればいいのであって、   サンクコストにとらわれてずるずるいくよりは、   そのほうがいいのだと言ってます。【助】なんか、一種の言い訳っぽいですが、   要は、そういって未来に目を向けよう、ってわけですよね?【博】そう、その通り!<まとめ>・サンクコストは状況が変わったのに過去の手段に固執させやすい・サンクコストは過去をベースにした意思決定・方法の原理は現在と未来をベースにした意思決定・出来事の意味は後付けで決まるので、 サンクコストにとらわれるよりは 「あの失敗があったから、現在がある」と言えるよう、 未来に視野を向けた意思決定をした方がはるかにマシ

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  • 24 May
    • 『チームの力』から考える組織運営 -10- ~「方法の原理」の成功確率は6%以下!?~

      「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。 第10回からは、「方法の原理」についてふれます。 第10回では、「方法の原理」の捉え方についてふれています。 これまでの「すきより」シリーズと同様、 博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-10/○「方法の原理」の成功確率は6%!?【博士(以下「博」)】みなさん、こんにちは。【助手(以下「助」)】こんにちわ~!【博】今回からは、『チームの力』の2番目の原理である、   「(2)方法の原理」について、     見ていくことにします。【助】ほうほう。【博】西條先生は、「方法の原理」の定義を、   「特定の状況において使われる、目的を達成するための手段」(P106)   ……と定義しています。【助】逆に言えば、どんな状況でも使える方法なんてない、   そういうことですよね?【博】そういうこと。「どんな状況、目的においても機能する『絶対的に正しい方法』はないのだ」(P107)「これまで『正しい』と思っていた方法も、 状況や目的が変われば、『間違った方法』になりうる」(P107)【助】目的については、「価値の原理」でもとりあげたので、   ここではふれませんが、   問題は、「状況をどう正確に把握するか」ではないでしょうかね?【博】というと?【助】クラウゼヴィッツ的に言うならば、   「状況の4分の3は霧の中」というのが現状でしょう。   状況を正確に把握できる確率は、4分の1しかない。【博】その「状況の4分の3は霧の中」って、   何が根拠なんだろう?【助】原著を見ていないから何とも言えないですが、   『名称たちの戦争学』P117の記述を参考にすると……     ・元の状況をX、変化した状況をΔXと仮定する  1.元の状況Xを正確に把握している確率が80%  2.ΔXを発見する確率が80%  3.ΔXが何かを見分ける確率が80%  4.ΔXが敵か、味方か、無関係の民間のものかを見分ける確率が80%  5.ΔXの位置情報等を分析し、その行動の中身を分析する確率が80%  6.ΔX情報がタイムリーに送られ、処理される確率が80%  ・1~6を全てかければ、0.8の6乗で26%   ……ということらしいです。【博】なるほどねぇ。【助】加えて、個人的には「目的の4分の3も霧の中」   くらいの確率しかないと思うので、   方法の原理が成功する確率は、   0.25(4分の1)× 0.25(4分の1)=約0.06   つまり、6%ってところですかね♪【博】うわっ、成功確率、低すぎ……   ちなみに、「目的の4分の3も霧の中」の根拠は?【助】これはさすがにテキトーですが、   「目的が妥当である確率」「目的をリーダーが維持できる確率」   「目的がメンバーに正しく浸透する確率」「目的をメンバーが維持できる確率」   とかをかけていくと、多く見積もっても4分の1くらいでは?【博】もう少し、状況把握の正確性を上げる方法はないものかね?【助】ま、確実な方法の一つは「現場を見ること」でしょうね。   これがないと始まらない。【博】ふんばろうプロジェクトも、現場主導であったから、   これは間違いない。   ただ、それだと、現場に行ったNPOやボランティア団体が、   すべてふんばろうプロジェクトと   同じアクションを起こせないとおかしいことになる。【助】そこは、西條先生および、ふんばろうプロジェクトのスタッフの、   戦局眼によるものが大きかったのかも。【博】戦局眼? 千里眼みたいなものかね?【助】クラウゼヴィッツは、   この戦局眼のことを「クドゥイユ(coup d'oeil)」と呼んでいます。  ・戦場に立つや否や一瞬にして利・不利を見破る「勘」  ・リデルハートは一瞬にして状況を把握できる「戦さの嗅覚」がないものは   将校の資格がない、とまで言い切っている。   らしいです。   ま、クドゥイユとか戦局眼ってのは、   ベテラン消防士が直感で火元を予測するとかいったお話で、   相当の現場体験がなければ、培われるものではないでしょう。   いずれにせよ、現場で活動して、状況を適切に把握する能力は、    リーダーの戦局眼が問われるのでしょうね。【博】ま、まぁ、とはいえ、   だから「方法の原理」が意味がない、というのは早計ではある。   少なくとも、「絶対的な方法がある」と   思い込んでしまうよりはマシだろう。   「方法の原理」は、こうすればうまくいく、というよりは、   これをやらないと確実に失敗する、という類のものだからね。【助】となると、問うべきなのは、   「方法の原理を用いて成功するには?」というよりはむしろ、   「方法の原理をより見失わせやすい要因はなにか?」   ということになりそうですね。【博】西條先生は、その要因について、  (2)-1:埋没コスト  (2)-2:前例主義    この2つの観点で考察している。   これ以後、しばらくこうした観点について触れていきたい。<まとめ>・「方法の原理」とは、「特定の状況において使われる、目的を達成するための手段」・「特定の状況」の4分の3は霧の中・「方法の原理」を成功のための原理と考えると、成功率は6%前後・「方法の原理」は、「踏み外すと失敗する」類のもの・方法の原理をより見失わせやすい要因は「埋没コスト」「前例主義」

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  • 17 May
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -おまけ-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』 シリーズのおまけとして、 ハイトではなく、人類学者アラン・フィスクの 4つの人間関係モデルを紹介します。 (ハイトとフィスクは共同で研究した仲)○フィスクの4つの人間関係モデル フィスクの4つの人間関係モデルは、以下の通り。(1)共同的分かち合い(ハイトの<ケア><神聖>基盤)(2)権威序列(ハイトの<忠誠><権威>基盤)(3)平等対等(ハイトの<公正>基盤、および<自由>基盤の一部)(4)市場値付け(ハイトの<自由>基盤のうち、経済的側面ベース) 以下は、あくまでフィスクの直接の著作ではなく、 ピンカーの『暴力の人類史(下)』でのピンカーの考察ベースに、 この4つの人間関係モデルの特徴についてみていきます。 ・「市場値付け」は、ほかの3つに比べて普遍的とは到底言いがたい まぁ、これを重要視するのは リバタリアンくらいでしょうね。 ・神聖視されるのは、通常「共同的分かち合い」「権威序列」 ここでの「神聖視」とは、 侵犯されると、理性による説得が ほぼ通用しなくなることを指します。 「共同的分かち合い」を、 ハイトの<ケア><神聖>基盤と同一にして、 一度侵犯してしまうと、強烈な部族感情を想起させてしまう。 そのようにみなしているのは興味深いですね。・「共同的分かち合い」「権威序列」を「市場値付け」で扱うと 高確率で議論が「炎上」する 別に、ピンカーはネット炎上についてふれてはいませんが、 不祥事以外のネット炎上には、 こういうパターンが多いような気がします。 ピンカーが取り上げた例だと 投票権や兵役や陪審義務や人体器官の売買、 赤ん坊の養子斡旋(金銭ベース)といった、 多分にボランティアベースの神聖な(?)行為を、 市場値付けで扱うと、 ぶち切れる人が多いといっています。  確かに、怒る人は多そうですよね。 このように、ある人間関係モデルに対して、 違う人間関係モデルで扱うことを、 「タブー」と表現しています。・政治手腕とは、人間関係モデルをどう操るか やっぱり、政策批判については、 「共同的分かち合い」に話を持って行かれると、 持って行った方の勝ちになりやすい。 少なくない政治家にとっては常識なのでしょう。 理性的な政策ベースで社会をよくしたいと考える、 そうした理想主義的な政治家にとってしてみれば、 なんともやりきれないところでしょうが…… その点、たとえば社会保障制度改革なんかだと、 国家財政の維持可能性とかそういった議論ではなくて、 「かわいそうな高齢者」vs「かわいそうな未来世代」 といった、「共同的分かち合い」ベースドな議論に、 なっちゃうのかなぁ。・政策提言で「共同的分かち合い」が前面に出た場合 「市場値付け」プラス、双方が神聖視しているものを譲歩する 政策提言の分野においては、 基本は市場値付け、というかクールヘッドの領域で話を進めるのが、 べき論としては正しい。 ただ、実態はほとんどそうはならない。 ピンカーが紹介しているのは、 イスラエル・パレスチナの当事者に対する和平実験。 双方にとって、一番嫌な和平案は、1.イスラエルは即時撤退、 でもパレスチナ難民は受け入れなくていい 当たり前ながら、これを飲む被験者はいない。 では、和平案1に加え、 十分なバラマキと生活保障を追加したら? この和平案2は、まぁ、 「市場値付け」だと、 基本は飲むべきところでしょう。 被験者も、少なくない人はこの和平案2なら飲むと回答。 しかし、「共同的分かち合い」が強い人にとっては……「さらに怒り、嫌悪して、 すぐにでも暴力に訴えようとする姿勢を取った。 こと政治と宗教の対立となると、 人間行動についての合理的行為者の考えなど、 かくもむなしくなってしまうのである(『暴力の人類史・下』P477)」(強調原文) まぁ、そりゃそうでしょう。 そして、最後の和平案3は、「和平案1プラス、 双方の神聖な価値を互いに一つ譲らせる」 パレスチナは、 イスラエルのものではないことを確約させるとか、 互いに何か神聖な価値を譲歩させ、互いに謝罪させるとか。 これなら飲むという被験者が多かったらしいです。 もちろん、これは被験者レベルの ホットハートでのお話にすぎない。 実際に政治の現場で応用したところで、 うまくいくかどうかは、はなはだ疑問ではある。 日韓関係を見ても、そう言わざるを得ない。 ただ、この和平実験は、  政策提言で「共同的分かち合い」が前面に出た場合、 「市場値付け」プラス、 双方が神聖視しているものを譲歩するのが、 現実問題、解決への近道なのではないか、ということを 示しているように思えます。 たとえば、2017年5月時点では、 ほぼ話題がかき消されたといえる、 築地市場移転問題ですが、 市場値付け的な価値観で考えれば、 豊洲移転以外、議論の余地はないように思えます。 加えて、移転に際して、 業者に何らかの支援をするとかすれば、 先ほどの和平実験の和平案2と同じ状況ができあがる。 じゃあ、これで反対派が納得するかと言えば、「さらに怒り、嫌悪して、 すぐにでも暴力に訴えようとする姿勢」をとることが、 十分すぎるほど予想される。 では、先ほどの和平実験の和平案3と、 似たような状況を作るには、 どうしたらいいのか? 移転反対派と賛成派は、 それぞれどのような神聖な価値を1つ譲歩すべきなのか? おそらく「パフォーマンスを通して手打ちにする」 そうなってしまうのかなぁ、と思うのです。 具体的には、豊洲の地下水を関係者みんなで飲むとか、 豊洲の地下空間を関係者みんなで掃除するとか…… 反対派からすれば、「安心」という神聖な価値をこれで譲歩し、 賛成派からすれば、「これってアホちゃうか?」という、 ある種の屈辱をもって譲歩する。 書いてて、色々と情けなくなるほどの案ですが…… ただ、豊洲問題については、 結局はもっと確実(?)な、 「わかりやすい悪人を袋だたきにして、  みんながすっきりしたところでうやむやにする」 で幕引きがなされるのでしょう。 百条委員会で、すっきりした人が多いようですし……   結局、人はウォームハートレベルの道徳感情を引きずって、 意思決定、行動するしかない。 その前提を受け止めた上で、 もう少し、ましな意思決定ができないものか? ハイトはそこで、「中庸」という、 茨の道であり、逃げの一手ともいえる案を示しましたが、 次回からは、構成構造主義の考え方から、 別の観点の茨の道、あるいは逃げの一手について、 見ていくことにします。

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  • 15 May
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -10-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 結論としての、中庸を目指す政策提言、 およびウォームハートについての総括を行います。○中庸を目指す、ハイトのありきたりな政策提言 ハイトに関するこれまでの議論は、 ウォームハートレベルでの典型的な分裂「左と右」の、 源流を探る旅と言えます。 「<象>と<乗り手>」、「6つの道徳基盤」 「道徳や宗教は共同体を作るためにある」 こうした、「左と右」の分析ツールを用いて、 ハイトは社会への提言を行います。 最初に言っておきますが、 この提言は、好意的に表現すれば「中庸を目指す」、 ありていに言えば「ありきたり」です。 要は、リベラル、リバタリアン、保守主義者の、 よいところに目を向けていこう、というお話。・リベラル:社会的弱者を守るために、一定の政府による規制は必要・リバタリアン:市場の力は偉大であることを認識しよう・保守主義者:道徳共同体(要はソーシャルキャピタル)を大切にしよう まぁ、リベラル、リバタリアンのくだりは、 とりあえず、これ以上の説明は不要でしょう。 保守主義者のくだりは、注釈が必要と思います。 ハイトは、ソーシャルキャピタル(厳密に言えば、強いソーシャルキャピタル)を、 道徳資本と表現しています。 ハイトは、あまりに性急に「社会を変える」と、 ソーシャルキャピタルがもろくなってしまうのだといいます。「社会や組織を変革する際、 その変化が道徳資本にもたらす影響を考慮に入れなければ、 やがてさまざまな問題が生じるのは明らかだ。 これこそまさに、 リベラルの抱える根本的な盲点だと私は考えている。 これは、リベラルの改革がたびたび裏目に出る理由を、 さらには共産主義者の革命が独裁政治に陥りやすい理由を説明する(P450)」(強調原文) もちろん、現在の日本や世界各地(特に先進国)では、 すでにソーシャルキャピタルがもろくなっているところが多い。 特に、まちづくりなんかでは、 何かとソーシャルキャピタルが話題に上ります。 その意味で、ソーシャルキャピタルの維持と言うよりは、 その再構築が求められているのでしょう。 ただ、おそらくですが、  ハイトにとって(そしてパットナムにとっても)、 いわゆる「弱いつながり(弱いソーシャルキャピタル)」は、 眼中にない気がしています。 おそらく、そんな<乗り手>ベースな、 <権威><忠誠>、そして<神聖>基盤ベースが弱いつながりなんて、 もろいつながりだ、くらいに思っていてもおかしくない。 NPOなんかでも、結局成功しているNPOの中には、 ビジョンが<神聖>基盤くらいになっているところも多い。 加えて、自然を神聖視しやすいリベラルといったように、 活動分野によっては、より<神聖>基盤を動かしやすいし、 そうでない場合、どうしても道徳基盤に依存しにくい。 依存できたとしても、<ケア>基盤なので、 強い共同体は作りにくい。 まぁ、保守主義者は、ハイトも言うように、「道徳資本の維持には長けているが、 ある種の犠牲者の存在に気づかず、 大企業や権力者による搾取に歯止めをかけようとしない。 また、制度は時の経過につれて更新する必要があることに 気づかない場合が多い(P451)」 それゆえ、リベラルやリバタリアンには、 蛇蝎のごとく嫌われやすい。 そして、特に日本なんかでは、 具体的な政策レベルになると、 保守主義者の政策って、あまりに時代離れしていて、 ついていけないことも多い。 ただ、リベラルの夢が行き過ぎた場合に、 冷や水を浴びせるという意味では、保守主義者は必要だと思うのです。 たとえば、こんな場合。「あの忘れがたい名曲『イマジン』で、ジョン・レノンはリベラルの夢を 実にみごとにとらえていたことに思い当たる。 国も宗教もない世界を想像してみよう。 私たちを隔てる国境や境界を消し去ることができるのなら、 世界はきっと『一つ』になるだろう。 これはいわばリベラルの天国だが、 そんな世界はすぐに地獄と化すはずだと保守主義者は考えている。 思うに保守主義者の直観は正しい。(P470~471)」○6つの道徳基盤で「その人が何について怒るのかを知れ」 中庸を目指すのが、ハイトの政策提言的な結論であるならば、 ウォームハートに関する結論は、以下の通り。(1)ウォームハートは部族的な道徳共同体に取り込まれやすい(2)6つの道徳基盤で、各人のウォームハートを確認(3)結局は、やっぱり傾聴 まず(1)について。「道徳は、人々を結びつけると同時に盲目にする。  『それは反対陣営に属する人々のことだ』と思う人もいるだろうが、 そうではない。 私たちは皆、部族的な道徳共同体に取り込まれてしまうのだ。(P477)」 このことは、私たち皆、 少なくとも意識しておきたいところ。 「意識してどうこうなるものではない」というのは、 まぁ間違っていないでしょうが、 「なんて、あいつは(あいつらは)、こんなにアホなんだろう?」 と思ったら、この点を思い出せたらと思うのです。 (2)については、別の言い方をすれば、 「その人について知りたければ、  その人が何について怒るのかを知れ」(『HUNTER×HUNTER 』第1巻より) 6つの道徳基盤は、理性に先立つものであるため、 各人の道徳基盤をくすぐられると、ぶち切れますよね。 「あなたがよその集団を理解したいのなら、 彼らが神聖視しているものを追うとよい。 まずは6つの道徳基盤を考慮し、 議論のなかでどの基盤が 大きなウエイトを占めているかを考えてみよう(P478)」(強調原文) (3)については、ハイトのこの文書を引用することで足りるでしょう。「したがって、異なる道徳マトリックスを持つ人と出会ったなら、 次のことを心がけるようにしよう。 即断してはならない。  いくつかの共通点を見つけるか、 あるいはそれ以外の方法で わずかでも信頼関係を築けるまでは、 道徳の話を持ち出さないようにしよう。 また、持ち出すときには、 相手に対する称賛の気持ちや 誠実な関心の表明を忘れないようにしよう(P485~486)」 

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  • 10 May
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -9-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第三部「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」について触れてみます。○1つの目的のために同じ場所に集まって身体を動かすと 高い確率で「集団志向スイッチ」が入る 第三部「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」で、 ポイントといえるのは、(1)人間は「ミツバチスイッチ」が入ると、集団志向になる(2)宗教は究極のミツバチスイッチ まず「ミツバチスイッチ」について。 人間は利己的か利他的かと言えば、 まぁ、基本は利己的でしょう。 ただ「人間の本性は利己的である」というのは、 間違ってはないんでしょうが、 それにしては、例外が多すぎる。「確かに人は利己的に振る舞うことが多く、 私たちの道徳的、政治的、宗教的行為のかなりの部分は、 上っ面をはがせば利己心が垣間見えるといった体のものでしかない。 しかし人は集団を志向するのも事実だ(P298)」(強調原文) 普段は人間たいてい利己的なんだけども、 そんな人でも、何かのスイッチが入れば、 利他的になるというか、 より大きな集団や価値のために行動したくなる。 そのスイッチのことを、 『社会はなぜ左と右にわかれるのか』では、 「ミツバチスイッチ」と記載しています。  日本において、広範にミツバチスイッチが押されたのは、 おそらく3・11だったといえます。 ハイトも、9・11当時、ミツバチスイッチが押されたと言ってます。 しかし、もっと狭い範囲であれば、 ミツバチスイッチをオンにする方法はたくさんある。 ぶっちゃけ、一つの目的のために同じ場所に集まって、 身体を動かすと、高い確率でミツバチスイッチが入る。「私は10年間UVAで学生とそれについて議論してきたが、 合唱、吹奏楽演奏、説教の聴講、政治集会への参加、瞑想などによって、 『スイッチが入った』という報告も何度も聞いた(P360)」 ひところ話題になった組体操も、 要は、ミツバチスイッチを入れて、 クラスとかの集団志向性、というか一体感を高めるためのものといえる。 まぁ、組体操が誰得という意見が、社会の広い層に定着したというのは、 <ケア><自由>基盤が、それだけ社会に高次に浸透したと結果と言えるでしょう。  ここまでの内容と、ハイトの6つの道徳基盤との関連でいえることは、 ミツバチスイッチと<忠誠><権威><神聖>基盤とは、 かなり密接な関係にある。 要は、<忠誠><権威><神聖>基盤は、 共同体をまとめ上げるうえで、有効な道徳感情になる。 加えて、集団意識をしらけさせないために、 <公正>基盤が必要なことは間違いない。 フリーライダーがのさばっていたら、集団意識は低下するでしょ? ハイトは、ミツバチスイッチをビジネスに活用できないかと考えて、 変革型リーダーシップの紹介なんかもしています。 ○宗教の究極的な意義は、集団を作ること ハイトは、集団を一つにするミツバチスイッチの中で、 その一種の究極系として、宗教を位置付けています。 宗教というと、ある個人がどの宗教の教えを信じるかといった、 いわば、個人の「信念」の一種として考える向きも少なくない。  布教とか伝道といったものは、 いわば宗教的信念(無神論者からすれば「迷信」)を 一人でもより多くの人に信じさせるか。 布教とか伝道、および宗教的信念にもとづく 一連のさまざまな実践が宗教のカギとなる。 いわば、「信念」および「実践」という観点から宗教を考える。 そういったとらえ方が普通ではないでしょうか。  ただ、ハイトは、 デュルケームの有名な宗教の定義を引用しながら、 宗教の究極的な意義は、集団を作ることなのだと指摘します。”宗教は、神聖な事象、 すなわち日常生活とは区別され、禁じられている事象に関わる 信仰と実践を統合するシステムである。 そしてこれらの信仰と実践は、 遵守するすべての人々を、 教会と呼ばれるひとつの道徳共同体に統合する”(P383) ……このデュルケームの定義は、 宗教の意味を「道徳共同体の構築」と考える人は、 好んで引用しているようです。○宗教の利点(?)はフリーライダーを締め出すこと 宗教の意味を「道徳共同体の構築」とするならば、 その一番の利点(?)は、<公正>基盤を強固にする、 わかりやすくいえば、フリーライダーを締め出すことにある。 「神様が見てる」のみならず、 「神様はフリーライダーを絶対許さない」のであれば、 <公正>基盤を強固にしやすい。「事実、集団が結束を強め、ただ乗り(フリーライダー)の問題を解決し、 他集団との生存競争に勝利するために、 宗教が役立つという証拠は、現在までに数多く見つかっている(P396)」 日本の場合、神様じゃなくて「みんなが見てる」、 つまり「空気」が神様の位置にあるという意味では、 「日本教」と言ってもいいのかもしれませんね。 あと、宗教がフリーライダーを締め出すもう一つの方法は、 実は、一見無駄としか思えないような、さまざまな厳格な実践にある。 「~を食べちゃダメ」「服装はこうでないとダメ」といった、 各宗教ごとの、もろもろの厳格(というかめんどくさい)な教え。 しかし、宗教はめんどくさいからこそ、 不真面目な人(要はフリーライダー)を締め出す効果がある。「言いかえると、 新無神論者が高コスト、非効率、不合理として捨て去る儀式の実践こそは、 人類が直面するもっとも困難な課題の一つを、 つまり親族関係なくしていかに協力が可能かという問題を解決してくれるのだ。(P397~398)」(強調原文) 日本でも、田舎では、 さまざまなめんどくさい掟があったりしますが、 これも、同様の意味があるのだと考えた方がよいのでしょうね。○宗教は強大なソーシャル・キャピタル(社会関係資本) あと、ハイトの議論で見逃せないのは、 パットナムを引用しながら、 宗教は強大なソーシャル・キャピタル(社会関係資本)だと指摘する点。「宗教信奉者が宗教的な慈善活動に多額の寄付をするのはもちろんだが、 彼らはそうでない人々と同程度、あるいはそれ以上に、 アメリカがん協会などの一般の慈善団体にも寄付をしている。 (中略)そうでない人よりも多くの時間を近隣奉仕や市民活動に割く(P411)」 これは、ハイトの調査や、まして独断的な意見ではなく、 パットナムとデイヴィッド・キャンベルが、 共著『アメリカの恩寵--いかに宗教は私たちを引き裂き、統合するのか』で記載した、 調査の結果なのだそうです。 要は、宗教信奉者は自分たちの団体のみならず、 より一般的な人のためにも、より多く活動している。 もちろん、これには2つの観点から 批判(反論ではなく)を行うことは簡単。(1)単に「自分たちがよく見られたいだけでしょ?」(2)近隣奉仕や市民活動をする一方で、どこかで不道徳になってるんでしょ? (1)は、まぁわかりやすいというか、 よくある批判ですよね。 とはいえ、隠徳的なことをやってる宗教信奉者も少なくない。 というより、そこは教義の問題もある。 それ以上に、「別にそれでいいんじゃない?」 と言うことは可能。 この手のナイーブな批判は、結構理屈を超えちゃってるので、 <乗り手>レベルの説得って、あんまり効果がない。  その点、<象>レベルの道徳基盤に依るものが大きいのかもしれない。 (2)は、一見「?」となるかもしれませんが、 これは「モラル正当化」というべきバイアス。 "他で良いことしたからって・・・ -モラル正当化" http://globis.jp/article/1806「これは、ある事柄について良いことをした人間が、 別の事柄については、 『別のところで良いことをしたのだから、このくらいは許されるだろう』と、 モラルの高くない意思決定をしてしまうことを言います。」 具体的には、「環境に優しいエコ商品を買った消費者は、 その後の行動に関して、利己的になったり、 ちょっとした規則を破ったりという、 モラルの低い行為に走りがちなのです。」「より卑近な例としては、 たとえば外で『小さな親切』をした後に家族にきつく当ってしまう、  あるいは、寄付行為をした後に 会社で強引な値引き要求をしてしまうなどが挙げられます。」 バイアスは<象>レベルのお話なので、 なかなか是正は難しい。 まぁ、もちろん、 「じゃあ、いいことしなければいいの?」という結論は導けないし、 べき論でも導くべきではないのでしょう。 ちなみに、パットナムとキャンベルは、「近隣奉仕の精神にとって重要なのは、 宗教に対する信念ではなく、宗教的なグループへの帰属である」(P412) と結論付けているそうです。 宗教的なグループへの帰属が重要ということは、 日本的に置き換えれば、 空気への帰属が重要ということと、そう変わりはない。 そう考えると、少なくとも宗教、道徳共同体内のレベルでは、 「モラル正当化」バイアスは起きにくいかもしれないですね。 以前にいいことしてようが何だろうが、 空気を乱す奴はKYとして処断されるだけなので。

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  • 12 Apr
    • 『チームの力』から考える組織運営 -9- ~リーダーシップは結局はテクニックではなくて人格が問わ

       「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。 第9回は、リーダーシップは結局はテクニックではなくて人格が問われるというお話です。 これまでの「すきより」シリーズと同様、 博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-9/○リーダーシップは結局「誰が言うか」【博士(以下「博」)】みなさん、こんにちは。【助手(以下「助」)】こんにちわ~!【博】今回は「なぜリーダーシップのテクニックは通用しないか」【助】テクニックがあまりに難しいから?【博】そんな問題ではないだろう。   西條先生いわく、よく言われる「褒める」リーダーシップすら、   通用しない場合もあるという。【助】「褒める」リーダーシップといえば、   抽象的にではなく、具体的に、行為を褒めるとか、   そういったテクニックがありますが、   それでも、通用しない場合がある!?【博】要は、「軽蔑している人に褒められようが何されようが、   全然うれしくない」って話です。  「多くのリーダーシップの方法論が世に溢れているのに、   なぜまったく役に立たないのかがわかるだろう。   それは何を言うか以前に、"誰が言うか"によって、   まったく意味が変わってきてしまうためだ」(P88)【助】確かにそうなんですが……   それ言っちゃ、始まらないんじゃないですかね?   逆に言えば、「尊敬されるか否か」が、   リーダーシップに先立つ、って話じゃないですか。   リーダーシップって、尊敬を勝ち取るためのテクニックじゃ、   ないんですかね!?【博】しかも、ここでいう「尊敬」は、   能力面のみならず、総合的な人格レベルのお話になっている。  「尊敬とは、人格もふるまいも素晴らしいと   心から思えるような人に対して、   思わず生じる感情なのだ」(P87)【助】これじゃ、人格者か否かがリーダーシップに先立つ、     そんなお話じゃないですか。   別に否定はしませんが、   この手の人格者は、サイコパス気質の人に、   真っ先に目を付けられて、   難癖つけられて潰されるタイプの人ですよね!?【博】う~ん。日本なんかでは、   人格者タイプの調整型タイプが、   リーダーになりやすいけどね。【助】で、サイコパス気質な経営者率いる   ライバル企業に潰される、と。【博】グローバリゼーションを、そういう側面で見るのも、   一つの考え方かもしれないね。   アメリカでは人口の4%がサイコパス気質と言われているけれど、   日本では欧米の10分の1くらいと言われているらしいしね。【助】あるいは、西條先生の言う「人格者」の定義が、   一般の人格者とは違うかもしれません。   もう少し、西條先生の視点に立ちかえったほうがいいのかも。【博】西條先生は、  「リーダーシップの起点となる"あなた"の人格と   組織の体質は相関していくため、   可能な限り人格を陶冶していくことは、   リーダーに実質的に要請されることなのだ」(p90)   ……と指摘しています。   【助】陶冶(とうや)というと、   一般的には人間形成とイコールですね。【博】教育学の分野では、陶冶についてはいろいろ言われていて、   ペスタロッチは、心(道徳)、手(技術)、頭(知識)の、   3つをバランスよく陶冶することの大切さを述べています。【助】ペスタロッチって、なんかスパゲティみたいな名前ですね。【博】失礼なこと言うな!   あと、ペスタロッチの名言で有名なのが「生活が陶冶する」【助】陶冶論から考えても、結局は人格といっても、   心と技術と知識のバランスがないといかん、ということですよね。   どれかが欠けていても、尊敬はされにくいのかも。   あと、ペスタロッチの言ってる意味とは違いますけど、   結局、日々の生活を通して   自分やメンバーを陶冶しないといかんわけで、   日々の一つ一つの行動や言動が問われますね。○誠実なチームを作るためには自分が誠実になる【博】ペスタロッチの陶冶論と、   「誠実なチームを作るためには」の話は似ていて、   心(関心)がベースになって、   似たような心(関心)を持つ仲間、メンバーが集まってくる。    「やるべきことはシンプルである。   誠実なチームを作りたいと願うならば、   日々誠実に行動すればよいのである。   それが結果として、誠実な仲間を集め、   スタッフを育てることになり、   誠実な企業文化を醸成し、   消費者からも好感をもたれ、支持される組織になっていく」(P92)【助】もちろん、心だけの問題では結局尊敬されない。   目的を達成するための戦略や技術が伴わないと、   リーダーは尊敬をかちとることはできない。【博】目的を達成するための戦略や技術については、   次回以降、さらに別のかたちでふれていきます。<まとめ>・リーダーシップは「何を言うか」以上に「誰が言うか」・人格は、心と技術と知識のバランス "あなた"の人格を起点に、リーダーシップは動いていく・誠実なチームを作りたければ、自分が誠実であれ

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  • 22 Mar
    • チームの力』から考える組織運営 -8- ~誠実なリーダーよりサイコパスリーダーが多い「不都合な真

       「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。第8回は「価値の原理」のリーダーシップ論のうち、リーダーに「誠実さ」が大事と言われるけど、実際は真逆のリーダーが成功しやすい(?)点を見ていきます。これまでの「すきより」シリーズと同様、博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-8/○「誠実な経営者」より 「サイコパス気質経営者」の方が多いのが現状【博士(以下「博」)】みなさん、こんにちは。【助手(以下「助」)】こんにちわ~!【博】今回は、「(1)-4:チームが目的を達成するためのリーダーシップ」を構成する、 (1)-4-1:リーダーシップの3つの定義 (1)-4-2:リーダーは状況の変化に合わせて性格を変えられない (1)-4-3:「己を知る」大切さとその難しさ (1)-4-4:メンターあるいは感性が似ている他者の大切さ、および注意点 (1)-4-5:状況によってリーダーや権限を変える (1)-4-6:誠実さの大切さ、およびそれはごまかせない (1)-4-7:なぜリーダーシップのテクニックは通用しないか (1)-4-8:誠実なチームを作るためには      …このうち、   「(1)-4-6:誠実さの大切さ、およびそれはごまかせない」について、     見ていくことにします。【助】まぁ、誠実さの反対を、「不誠実=不正行為」と考えると、   そりゃ、ま、大切でしょうね。   リーダーが不正行為を奨励、あるいは黙認していたら、   誠実な人はその組織を去るか、あるはストレスを抱えながら仕事する。      結局、その組織は不正行為をする人だけが   生き残りやすい組織になる。【博】この考え方は、実際に検証によって   確かめられているそうです。   西條先生も、 「リーダーが誠実でないことにより、(中略)   誠実なスタッフは次々と辞めていき、   不誠実なスタッフばかり残る。   彼らは組織の内部でも不誠実な行動をするようになり、   不誠実な組織文化が醸成され、   社会に対しても不誠実に振る舞うようになる」(P83)   ……と記載しています。【助】でしょう?   そして、組織において自分が不誠実であることを隠すことも、   また難しい。【博】このことを西條先生は、  「どんな人でも自分の欲望、関心を起点に   物事を判断し、行動するので、   周囲の人にとってみれば、   その人の意思決定や動き方から、   『その人が本当にしたいこと』=『関心(本心)』   は影絵のようにはっきりと浮き彫りになってしまうのだ」(P82)   ……と指摘しています。【助】西條先生の指摘はもっともなんですが、   現実問題、「『誠実さ』が分からない人がリーダーになりやすい」   こういう側面もありますよね?【博】というと?【助】ここでいう「誠実さ」の反対語の一つに、     「サイコパス」をあげることができると思うのですが、   企業のリーダー(CEO)にはサイコパスが多い。  "「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実"  http://president.jp/articles/-/19916【博】まぁ、サイコパスってのは、定義からして、   「攻撃的」「平然と嘘をつく」「道徳心が欠如」   「他人に共感しない」「他人を操る」などの特徴を持つ    人格を指す心理学用語   "「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実"  http://president.jp/articles/-/19916   加えて…   ・社長がサイコパスだったらその会社はどうなるか?   ビジネスの環境変化に対して強いリーダーシップを発揮するが、   倫理や社会的責任を放棄したり、   無謀な投資や不正会計を招いたりする危険性もある。    "「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実"  http://president.jp/articles/-/19916   …そう考えると、確かに「誠実さ」とは真逆だね(笑)【助】もともとサイコパス的気質が強い人が経営者になりやすい、というのと、   経営に携わるにつれて、サイコパス的気質が強まる、という   2つの側面があるようですね。【博】そうなると、経営者の誠実さを問うても仕方がないのかねぇ。   やっぱり、理事会とか外部取締役とか、   経営者より権力のある人たちによるチェックがないといけないのかね。【助】ちょっと救いなのは、   NPO関係者、NPOリーダーなどは、   サイコパス度が低い人が集まりやすいらしい。   http://president.jp/articles/-/19916?page=4   …その点で、西條先生のリーダーシップのあり方は、   NPOリーダーにて、より実践しやすいのかもしれません。【博】そうかもしれないけど、   NPOリーダーには、今後ますます社会から   様々なプレッシャーがかかるだろうことは間違いない。   そうしたプレッシャーに強いのも、   サイコパス気質の特徴の一つらしいので、   やっぱり、NPOリーダーも、今後サイコパスが増えるかもね。【助】正直、それはかなりあると思うんですよねぇ。   「社会を変える」という目的を達成するために、   手段を問わず、冷酷になれるNPOリーダー、みたいな。   その結果、何が起こるのかについては、   様子見が必要なのでしょう。【博】まぁ、社会を変えたい、サイコパス的気質が強いNPOリーダーと、   社会的弱者に寄り添いたい、サイコパス的気質が弱いNPOリーダーとで、   ある種の棲み分けができるんじゃないかね?   <まとめ>・リーダーが誠実でないと、誠実でないメンバーしか残らない・不誠実をごまかすことはできない・現実問題、リーダー(とりわけ企業経営者)は、 誠実さとは真逆の、サイコパス気質を持った人になりやすい・NPOリーダーも、今後は 「社会を変えるために手段を選ばない」サイコパス気質が強いタイプと、 「社会に寄り添う」サイコパス気質が弱いタイプに分かれるのでは?

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  • 15 Mar
    • 『チームの力』から考える組織運営 -7- ~リーダーはメンターや感性の似た人を通して明鏡止水の境

       「すきより」新シリーズ、「『チームの力』から考える組織運営」編。第7回は「価値の原理」のリーダーシップ論のうち、メンターの必要性などを見ていきます。これまでの「すきより」シリーズと同様、博士と助手ちゃんによる、対話形式で行います。※以下のホームページでも閲覧できます。 本格的に対話形式になっていますし、 こちらのほうが図もたくさん入れてますので、 ぜひごらんになってください。(IEのバージョンが古いと、うまく表示されません) http://www.psonic.org/sukiyori/teampower-7/ ○明鏡止水の境地に至るには、 修行するよりも他者(メンターなど)を通した方が確実【博士(以下「博」)】みなさん、こんにちは。【助手(以下「助」)】こんにちわ~!【博】今回は、「(1)-4:チームが目的を達成するためのリーダーシップ」を構成する、 (1)-4-1:リーダーシップの3つの定義 (1)-4-2:リーダーは状況の変化に合わせて性格を変えられない (1)-4-3:「己を知る」大切さとその難しさ (1)-4-4:メンターあるいは感性が似ている他者の大切さ、および注意点 (1)-4-5:状況によってリーダーや権限を変える (1)-4-6:誠実さの大切さ、およびそれはごまかせない (1)-4-7:なぜリーダーシップのテクニックは通用しないか (1)-4-8:誠実なチームを作るためには      …このうち、   「(1)-4-2:リーダーは状況の変化に合わせて性格を変えられない」以降について、     見ていくことにします。【助】たとえば、ゼロから1を作り出すタイプの人は、   たいていオラオラタイプというか、   とにかく勇猛果敢に突っ走るタイプですよね。   でも、組織がある程度固まってくると、   今度は守りを固めないと、足下をすくわれる。   しかし、たいていの勇猛果敢リーダーはそれができない。【博】あとは、成功体験が捨てられない、というのもあります。   状況が変わっていても、   成功体験が捨てられないと、それにしがみついて失敗しがち。【助】どうすればいいんでしょうかね?【博】まずは、「己を知る」こと。【助】まずは、自分が猪突猛進タイプか臆病タイプかとか、   そういうのを把握しておけ、って話でしょ?   その手の性格診断云々は、   なんかの話のネタにはいいのかもしれませんが、   それが、リーダーシップという修羅場で、どれだけ役立つかといえば、   はっきり言って、疑問ですけどね?【博】というと?【助】いくら、自分のタイプが頭でわかってたとしても、   所詮「理性は感情の奴隷」なんだから、   リーダーシップという修羅場で発生する、   さまざまな感情レベルで生じる問題においては、   どうしてもバイアスがかかってしまうじゃないですか。【博】たとえ己を知ったつもりになっていても、   バイアスから逃れるのは至難の業である以上、   客観的な第三者の目で見れば、わかりそうなことでも、   結局失敗してしまう、と。   このことを、西條先生は、  「欲望により現実を歪んで把握していたならば、   どんなに知性を巡らし、戦略を積み上げても、   "正しく間違える"ことになる」(P74)  ……と表現しています。【助】「正しく間違える」! 言い得て妙ですね。【博】この問題に対して、経営者たちは、   禅や瞑想で対抗しようとする。  「経営者たちは禅や瞑想に取り組む人が多いが、   それは精神を明鏡止水に保つことで、   自我や欲望から距離を置き、   不安や怖れがない穏やかな状態から   物事をみられるようにするためだ」(P74)【助】明鏡止水! おいしいんだそうですねぇ。   私は下戸ですから、酒はあんまり飲めませんけど……【博】日本酒の話じゃないんだよ!【助】しっかし、やれ明鏡止水の境地とか、明鏡止水の心とか、   アニメ・ゲームの主人公とか必殺技じゃないんだから、   基本、無理くさくないですか?   禅や瞑想はいいのかもしれませんけど、   そんな簡単に明鏡止水モードになれるとは、   思えないですけどね?【博】確かに、自分の心の中に明鏡止水を作るのは、   ものすごく困難に違いない。   ベターなのは、他の人に自分の鏡になってもらうこと。【助】他の人に鏡を持ってもらうんですか?   大鏡だったら、持つ人も大変ですねぇ。【博】そうじゃなくて……   一つは、いわゆるメンターや師匠のアドバイスを   定期的に受ける。【助】メンターって、なんか優しくアドバイスしてくれる感じですよね。   その点、師匠って、何かと、   「そんなことも分からんのか、この馬鹿弟子があっ!」   とか言われそうで怖い。【博】君の師匠観、なんか歪んでない?【助】まぁ、ここでは「どうやってメンター見つけたらいいんだろう」とか、   そういうのはいいです。   リーダーにとって、外部にメンターとか師匠を見つける、というのは、   大切だというのは、多くの人も言ってますし。【博】外部にメンターを見つける以外にも、   組織内部に、自分の鏡となる人を見つける手もある。   どういう人を自分の鏡にしたらよいかについて、   西條先生は、以下のポイントをあげています。   ・自分と違うタイプの人を選ぶ(自分が果敢タイプなら慎重派、あるいは逆)  ・自分と似た感性の人を選ぶ【助】なんかよくわからないなぁ。   タイプが違うんなら、感性も違う気がするけど。【博】西條先生は、自分と似た感性の人について、  「この人なら同じ出来事に対して同じように感じ、   同じように判断をするだろう」と思える人(P76)  …と記載しています。  こういう自分と感性が似た人は、  自分から欲望を抜いた"客観的な自己"のようなもので、  そうした人の意見は妥当な意思決定の  大きな助けになると指摘しています。【助】要は、自分と似た感性の人って、   自分とフィーリングが合う人、   くらいのニュアンスですかね?【博】そうなんだろうね。【助】ただ、それも怪しいですけどねぇ。   私とその人が、本当に感性が似ているかなんて、   単なる思い込みである可能性もありそうなもんですが……【博】まぁ、「話が通じやすい人」=「感性が似ている人」くらいの   ニュアンスでいいんじゃない?   人間関係なんて、そんなもんじゃないのかね?【助】えらい適当な……   まぁ、それはもういいとして、   メンターだろうと、感性が似ている人だろうと、   そのアドバイスを受け止められなかったら、意味なくないですか?【博】というと?【助】昨今、何かと「上から目線」とか言われる現状があるわけで、   アドバイスの類いも、よほど言い方に気をつけないと、   やっぱり「上から目線」扱いになるでしょ?   メンターの場合、それを受け入れている前提があるとしても、   リーダーに組織内の人の意見を受け入れる器が、   どれだけあるか、って話ですよ。【博】そうだね。   加えて、アドバイスを聞いても、   何のアクションもなかったら、   「アドバイスしたのに、スルーされた」と思われてしまう。【助】既読スルーならぬ、アドバイススルー(笑)   ま、笑いごとじゃなくて、ありがちなお話ですが。   やっぱり、西條先生も、この点言及してるんでしょ?【博】もちろん。  「せっかく言ってくれた意見をスルーしたり、   苦言を呈してくれた人を冷遇したりすれば、   誰も意見は言ってくれなくなる。   人間は言っていることではなく、   やっていることをみているのだ。」(P76~77)【助】とはいっても、建設的な意見なんてほとんど出ないのが、   世の常ですけどね。   SNSなどは、その最たるものでしょうけど。【博】そのあたりのお話は、   改めて「方法の原理」にて考えます。○状況に応じて、リーダーシップを変える【博】あとは、状況が変わったら、   リーダーとかその役割、権限を変えることも、   必要になるだろう。   組織立ち上げの時には有効だったリーダーも、   組織の安定期になると、向かなくなることも多いので。【助】それができれば、苦労はしないと思いますけど……   苦労して組織を立ち上げた(作り上げた)リーダーが、   そう簡単に、自分の組織を手放すと思います?【博】そうなんだけどね(笑)   まぁ、そのリーダーに「価値の原理」が浸透していれば、   まだその可能性はある、ということで。【助】まぁ、組織立ち上げ期から、   組織全体に「価値の原理」が浸透していれば、   たとえリーダーが自分の地位に固執しても、   ひょっとしたら、「主君押込」ができるかもしれませんね。   確率は非常に低いですが。【博】あとは、リーダーが猪突猛進タイプで、   ナンバー2がマネジメント役、というパターンも、   ありがちなんだけど、   組織の安定期に、ナンバー2をそのままスライドさせても、   うまくいくかといえば、微妙なことが多い。【助】やっぱり、ナンバー2は、   リーダーがいてこそのナンバー2であることが多いですよね。【博】西條先生は、この点について、 「状況と目的を踏まえ、ステージごとに   リーダーシップをとるべき人を柔軟にシフトしていくことは、   硬直した組織ではなく、   しなやかなチームだからこそできる   有効な方法なのだ」(P79)   …とまとめています。【助】たいていは「柔軟にシフトしていく」ことはできないんですけどね。   どこかで、血と涙が流された結果、シフトがなされる。   それでも、シフトできればそれは大変幸運なことで、   ほとんど、シフトすらできずに終わる。【博】組織はすぐにしなやかさを失って、   腰や関節などが硬直してしまう、ってところですかね……<まとめ>・リーダーは自分で自分を変えることはきわめて難しい・バイアスにとらわれていると、戦略戦術をきちんと立てても、 「正しく間違える」・「メンター」や「感性の合う組織内の人」といった「他者」を通して、 自分のバイアスを確認、是正する・他者の意見を求めながら、無下にスルー、冷遇しない・状況の変化に応じて、リーダーシップをとるべき人を変える

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  • 08 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -8-

       しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 ハイト6つの道徳基盤のうち、  忠誠、権威、神聖基盤を重視する保守主義者と、 重視しないリベラルやリバタリアンの差はどこにあるのかを考えます。○忠誠、権威、神聖基盤の根拠となる デュルケーム的社会モデル 忠誠、権威、神聖基盤を重視する保守主義者と、 重視しないリベラルやリバタリアン。 両者の差は、いったいどこにあるのか? この差は、「よい社会を築くためには何が必要か?」 この点に関する考え方の違いなのだと、ハイトは指摘します。 ハイトは、よい社会についてのモデルとして、 ジョン・スチュアート・ミルと、エミール・デュルケームの、 2人の考え方を紹介しています。<ミルの社会モデル>・社会は相互利益のために結ばれた社会契約・社会のすべての構成員は平等・誰もが可能な限り自由に移動し、才能を開花させ、 望み通りの人間関係を築けなければならない・理想の社会をつくるために必要なのは「さまざまな人々が、互いの権利を尊重」「自由意志に従って協力関係を結びながら、 助けの必要な人を支援」「社会の利益のために法を改善」「平和で創造的な開かれた場所」 ……いかがでしょうか? これは、リベラルやリバタリアンにとっては、 まぁ、当たり前の理想モデルなのではないでしょうか。 現実にできているかは別にして。 というより、教科書的な理想モデルともいえます。 で、「こんなの無理に決まってる」 「そんなやり方では社会は維持できない」と考える方には、 こんな、デュルケームのモデルはいかがでしょうか?<デュルケームの社会モデル>・社会は、人々がともに暮らし、協力関係を結び、 互いの私利私欲を抑え、異常者やフリーライダーを罰しながら、 時間の経過に従って形成されていくもの・個人ではなく、家族が社会の基本単位・各人は、自立を根本から制限する、 協力で制約的な関係の網の目のなかに生まれてくる・デュルケームは、アノミー(無規律な状態)の危険について警告・デュルケームの理想とする社会は、「自由に振る舞わせると 浅はかな肉体的快楽に溺れてしまいがちな個人を 社会化し、作り変え、ケアする」「互いに包含したり一部が重なったりする多数の集団から構成される、 安定したネットワークを築き上げる」「自己表現より自制、権利より義務」「外部の人間に関する関心より自集団への忠誠を重視する」 ……いかがでしょうか? なんか、体育会系の社会モデルっぽいですよね。  要は、人間が個々人バラバラになると、 何しでかすかわからないし、たいてい楽なほうに流れてしまい、 社会を維持することが難しくなる。 ありていにいえば、人間個々人を全く信用していない。 個々人は、利己的で近視眼的だから、 そんな人間がただよせ集まっただけでは、 必ず無秩序社会(アノミー)になる。 ただ、そんなダメダメな人間も、 共同体の規範や社会階層、指導者の権威、 あるいは宗教的伝統といった要素で、 社会との調和、あるいはセルフコントロールが可能になる。  だからこそ、・結合力の強い共同体が必要「<忠誠>基盤」・社会階層、指導者の権威を維持することが必要「<権威>基盤」・内面レベルでのセルフコントロールの道を開く 宗教や伝統、慣習が必要「<神聖>基盤」 日本において、 最近天皇陛下の生前退位が話題になっています。 生前退位に反対する保守主義者の意見の一つは、 要は皇室の危機なのだそうですが、 言いかえれば、皇室という「<権威>基盤」「<神聖>基盤」が、 揺らいじゃうから反対、ということになるのでしょう。 もちろん、賛成意見の基盤には、「高齢の陛下の身体を考えると……(<ケア>基盤)」「生前退位をスムーズにしておけば、崩御後の混乱、 ていうか自粛ムードという 経済的自由の圧迫を軽減できる(<自由>基盤)」 というものがあるのでしょう。 ま、上記の「<自由>基盤」はちょっと理詰めであり、 道徳感情とは違うかな?○なぜ、西洋のWEIRD文化は、 忠誠、権威、神聖基盤を軽視するようになったのか? では、逆に、なぜ、西洋のWEIRD文化は、 忠誠、権威、神聖基盤を軽視、 あるいは否定するようになったのか? ハイトは、この点については、 かるくふれています。「(エーレンライクは)もっとも直近の要因は、 16世紀に始まるヨーロッパにおける個人主義と、 より洗練された自我の概念の発達だとしている。 これらの文化的な変化は、 啓蒙主義と産業革命の時代にさらに拍車がかかる。 これは、19世紀にWEIRD文化を生み出した 歴史的過程と同じだ(P348)」 要は、啓蒙主義と産業革命の中で、 忠誠、権威、神聖基盤が否定されていくようになった。 それ以外の要因としては、 長い宗教戦争で、ヨーロッパが著しく荒廃し、 「宗教感情(<神聖>基盤)を抑えないと、  もうこれ以上はやってられない」 というところまできたと言う面もあるでしょう。 リベラルの(<ケア>基盤の)勝利の歴史を 描いたと言っても過言ではない、  ピンカーの『暴力の人類史』を参考にして整理すると、・狩猟採集社会から農耕社会への移行時に、 道徳面でも忠誠、権威、神聖基盤を変化させ、 それによって、暴力的な死を遂げる人の数が5分の1ほどに現象→平和化のプロセス・国家が確立する中で、一層暴力的な死を遂げる人の数が現象 (道徳面でも忠誠、権威基盤が強化されたことは間違いない)→文明化のプロセス1・商業の発達により、プラスサムゲーム(相互共同)が発達し、 <自由>基盤の発達がみられた→文明化のプロセス2・産業革命の結果、または啓蒙主義の土台となった 印刷物の増加により、 他者への共感力が高まり、<ケア>基盤が高まった。→人道主義革命・<ケア>基盤はリベラルによってさらに拡大され、 現代のポリティカル・コレクトネスの土台を作り上げた→権利革命 もちろん、ハイトもいうように、 6つの道徳基盤は、人間の本性に根付くものではありますが、 その内容は、歴史とともに変化しています。 現在世界で起こっているポピュリズムの流れは、 ピンカーの言う権利革命への反動といってもいいのでしょう。 ピンカーなら、こうした反動は何度もあったが、 将来、暴力は一層減少する(=<ケア>基盤がより中心的な位置を占める) というのかもしれません。(もっとも、ピンカー自身、 最近の権利革命は行き過ぎの面もあるとは語っています)  今回のポピュリズム反動はどこに向かうのか? それを考える上でも、 次回は、共同体を維持するためのツールとしての、 忠誠、権威、神聖基盤について、 ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』 第三部「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」について、 もう少し触れた後で、まとめ的な話に入りたいと思います。

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  • 06 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -7-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 ハイト6つの道徳基盤からみる リベラル、保守主義者、リバタリアンについてふれます。○ハイトの6つの道徳基盤からみる リベラル、保守主義者、リバタリアン ハイトの6つの道徳基盤の考え方を用いると、 リベラル、保守主義者、リバタリアンが、 それぞれ、どこをこじらせると道徳的反応が起こって、 理性的な話が難しくなるのか、 また、それぞれどこに 道徳的重点をおいているのか。 そういった点が、多少クリアになってきます。【リベラルの場合】1.基本は、<ケア><公正><自由>の3つの道徳基盤がベース  優先順位は「<ケア>」>>>>>>>>>>>>>>>>>「<自由>」>>>「<公正>」「左派は6つの道徳基盤のうちの3つを主柱に道徳マトリックスを築くが、 とりわけ強く依存しているのは<ケア>基盤である。(P453)」 リベラルの場合、<ケア>基盤をこじらせてしまうと、 もう対話は不可能だと言って良い。「リベラルは、自己の利害のために抑圧の犠牲者を非難する者、 あるいは彼らが神聖視する犠牲者グループに向けられた偏見を容認する者に対しては、 激烈な部族的反応を示す(P454)」 「あなたの<正義感>は、どこから?」 リベラルの場合、<ケア>基盤だといっても、 差し支えはない。2.<自由>は、社会的弱者のために必要なもの「抑圧に対する憎悪は、左右どちらの陣営にも認められる。 しかし、より普遍主義的な立場を取り、 <ケア/危害>基盤に大きく依存するリベラルにとって、 <自由/抑圧>基盤は、いたるところにいる弱者、犠牲者、無力なグループに 資するものとしてとらえられている(P278)」 逆に言えば、経済的な自由は、 そんなに重要視していない。 (そこが、リベラルとリバタリアンを分ける決定的な差)「ときに彼ら(リベラル)は、権利(原文傍点)の平等を通り越して、 資本主義システムのもとでは実現不可能な結果(原文傍点)の平等を追い求める。 おそらくそれゆえ、一般に左派は、 富裕な人々には高税を課し、貧しい人々には高度なサービスを提供することを求め、 すべての人に最低限の収入を保証すべきだと主張するのだろう(P278~279)」3.比例配分としての<公正>は、そこまで重要ではない「リベラルには、因果応報の持つネガティブな側面(当然の報い)を 不快に思う傾向がある。 つまるところ、報いは危害を引き起こし、 危害は<ケア/危害>基盤を活性化するからだ(P290)」「リベラルには、思いやりや、抑圧への抵抗と矛盾する場合、 (比例配分としての)<公正>基盤を 進んで放棄する傾向が見られる。(P291)」 だから、リベラルはフリーライダー問題には、 かなり甘いということになる。 というより、「フリーライドせざるを得ない、その人の事情があるのだろう。 まずはそこを理解することから始めよう」 という流れになりそうですよね。 4.忠誠、権威、神聖基盤は基本敵視しているが、  いかなるケースでも否定しているわけではない。 自然の神聖化などは典型なのでしょう。 ただ、ふと思ったのですが、 自然の神聖化というより、自然は「守らないといけない弱い存在」として、 <ケア>基盤が働くのかもしれない。 ただ、放射能への嫌悪なんかは、 やっぱり<神聖>基盤なんでしょうね。 それでも、リベラルの場合、 結局は<ケア>基盤が何よりも重要なので、 放射能への嫌悪よりも、 放射能ゆえに(?)いじめられた子どもたちへの気持ちが、 圧倒的に勝っているようではありますね。 最近の傾向はそうなっているようにみえます。 それにしても、<神聖>基盤を重視する保守主義者が、 放射能を忌避するのは、道徳基盤理論からすれば当然でしょうが、 日本の場合、リベラルを標榜するメディア(朝日新聞とか)が、 保守系メディア(読売、産経など)よりも、 はるかに<神聖>基盤ベースで放射能を忌避していたのは、 興味深い現象であったとはいえます。 <神聖>基盤は、いざスイッチが入ってしまうと、 他のどの道徳基盤よりも、強い拘束力を持つのでしょうかね。 ハイトは、そんなことは言っていないのですが、 案外、そうかもしれません。【保守主義者の場合】1.基本は、6つの道徳基盤すべてを大切にする「リベラルは<ケア/危害><自由/抑圧><公正/欺瞞>の3つ、 保守主義者は6つすべての基盤に依存する」(P291) この点は、見落としてはいけない点といえます。 <ケア>基盤を何よりも重視するリベラルからすれば、 ともすると保守主義者は、<ケア>基盤を大切にしていない、 そう結論づけたくなる。 加えて、保守主義者は、<ケア>基盤を多少犠牲にしても、 他の道徳基盤を守ろうとする気持ちが強い。「リベラルと比べて保守主義者には、 たとえ誰かが傷ついても、 <ケア>基盤を犠牲にして、 それ以外の種々の道徳目標を達成しようとする傾向がある(P291)」 フリーライダーの危害には容赦はしないし、 <忠誠><権威><神聖>基盤を守るために、 ある種の滅私奉公をすることもいとわない。 そうした保守主義に対するリベラルの部族的反発も、 痛いほどよくわかるのだけれど、  保守主義者たちは、<忠誠><権威><神聖>基盤の持つ、 ポジティブな側面を追求しようとしていることは間違いない。  「あなたの<正義感>は、どこから?」 保守主義者の場合、6つの道徳基盤すべてだといっても、 差し支えはない。 2.<自由>は、郷党的な自由、干渉されない自由、および経済的自由 「保守主義者は、もっと郷党的な考え[対象となる範囲が狭い見方]をもち、 人類全般より、自分たちが属する集団に大きな関心を寄せている。 彼らにとって<自由/抑圧>基盤、および圧政に対する憎悪は、 経済的保守主義の信条を支える源泉でもある(P279)」「保守主義者は、干渉されない権利として自由をとらえる、 より伝統的な考え方を持ち、 弱者を保護するために政府の力で自由を侵そうとする リベラルの試みに憤りを示す(P288)」 後々見るように、この点では、 保守主義者とリバタリアンは共通しています。3.比例配分としての<公正>にも重要な価値を置く「政治的にいかなる立場をとろうと、 誰もが比例配分に留意し、不当な利益を得る者に憤りを感じるのは確かだが、  とりわけ保守主義者はその点を重視して、 比例配分に限定した意味での<公正>基盤に大きな比重を置く(P289)」 この点も、保守主義者とリバタリアンは共通しています。4.忠誠、権威、神聖基盤も重視する「残る3つの道徳基盤、すなわち <忠誠/背信><権威/転覆><神聖/堕落>基盤は、 党派による違いが大きく現れる。 リベラルはこれら3つの基盤に関して、 よくてあいまいな態度を取る程度だが、保守主義者はこれらを強く擁護する。」 なぜ、保守主義者たちはこれらの基盤を重視するのか? それは、後に見ていくことにします。【リバタリアンの場合】1.基本は、<ケア><公正><自由>の3つの道徳基盤がベース  優先順位は「<自由>」>>「<公正>」>>>>>>>>>>>>>>>>>>「<ケア>」「リバタリアンは、他のほとんどすべての関心を脇に置いてでも自由を擁護するからであり、 また、干渉されない権利、とりわけ政府の介入を受けない権利としての、 彼らの自由のとらえ方が、共和党の方針と軌を一にする(P289)」 「あなたの<正義感>は、どこから?」 リバタリアンの場合、<自由>基盤だといっても、 差し支えはない。 また、リバタリアンはケアをそこまで重視していない。「リバタリアンは<ケア>基盤のスコアが(保守主義者と比べてさえ)非常に低かったこと、 経済的な(原文傍点)自由に関して 新たに追加したいくつかの質問に対するスコアが 極端に高かったことだ (保守主義者より若干高く、リベラルよりはるかに高い)(P463)」 それは、リベラルが<自由>基盤を侵害してでも、 <ケア>基盤を守ろうとすることの裏返しで、 <ケア>基盤を多少犠牲にしても、 リバタリアンは<自由>基盤を守ろうとする。「『たとえ個人の自由や選択を制限する結果になっても、 政府は公共の利益をもっと追求すべきだと思いますか?』 という典型的な質問を例にとると、 それに『はい』と答える人はリベラルの可能性が高く、 『いいえ』と答える人はリバタリアンか保守主義者のどちらかであろう。 リベラル(進歩主義者)とリバタリアン(古典的リベラル)への分裂は、 まさしくこの問いをめぐって1世紀以上前に生じ、 今日のデータにもそれがはっきりと現れている(P463)」2.<自由>は、郷党的な自由、干渉されない自由、および経済的自由3.比例配分としての<公正>にも重要な価値を置く この点、リバタリアンは保守主義者と基本同一ですね。4.忠誠、権威、神聖基盤は基本敵視しているが、  いかなるケースでも否定しているわけではない。 この点、リバタリアンはリベラルと基本同一です。「リバタリアンは、それらをほとんど無視し、 同性愛者の結婚、ドラッグの使用、 アメリカ国旗を『守る』法律などの社会問題に関しては、 リベラルの立場を支持しようとする(P290)」…少なくとも、リベラル、保守主義者、リバタリアンを分ける、 一つの重要な側面は、「忠誠、権威、神聖基盤を重視する保守主義者と、 重視しないリベラルやリバタリアン。」 こうした図式があることがわかります。 両者の差は、いったいどこにあるのか? 次回は、その点についてみていくことにします。

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  • 03 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -6-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 ハイトによる道徳感情の見方モデルを考えます。○道徳の見方モデル ~ハイトモデル~ ハイトはその後、シュヴィーダーたちの 道徳の見方モデルを発展させていきます。 ハイトは、道徳感情の基盤は 6つの類型からなるとしています。【ハイトの道徳基盤モデル】(1)<ケア/危害>基盤(2)<公正/欺瞞>基盤(3)<忠誠/背信>基盤(4)<権威/転覆>基盤(5)<神聖/堕落>基盤(6)<自由/抑圧>基盤 6番目の「<自由/抑圧>基盤」は、 後から加えられたものであるため、分けて記載しています。  それぞれの道徳基盤についてふれるまえに、 各道徳基盤の指標となるパラメータを紹介します。 パラメータの具体例は、 それぞれの道徳基盤の紹介の際に触れます。・適応課題 これは、人類の祖先が効率的に生き延びるために、 適応すべきであった社会課題についてふれています。・オリジナル・トリガー それぞれの道徳感情の引き金を引く、 根源的な現象のことを指します。 もちろん、一度引き金が引かれてしまうと、 理性でどうこうするのは難しいです。・カレント・トリガー カレント(current)は、「現在の」という意味。  現代社会において、それぞれの道徳感情の引き金を引く、 現代社会特有のさまざまなモノや 現象のことを指します。・特徴的な情動 それぞれの道徳感情の引き金が引かれると、 どのような情動が生じるかを指します。・関連する美徳 一般的に言われている美徳が、 それぞれの道徳基盤にどう関連しているかを指します。 では、それぞれの道徳基盤についてみていきます。 各道徳基盤の中に記載されている項目は、あくまで一例です。 あと、いくつかは、ハイトの例示ではピンとこなかったので、 私なりの例示を入れたものがあります。【<ケア/危害>基盤】・適応課題:子どもを保護しケアする・オリジナルトリガー:苦痛、自分の子どもへのニーズ・カレントトリガー:赤ちゃん、かわいらしい動物キャラクター・特徴的な情動:思いやり・関連する美徳:介護、親切 この<ケア>基盤は、 とりわけリベラルな人は、 社会的弱者全般(動物、自然含む)に対して働きます。 一方、保守主義者たちは、 もう少し狭い範囲にて、<ケア>基盤が働きます。 (自分の子ども、家族、自分の所属する集団のために犠牲になった人など)【<公正/欺瞞>基盤】・適応課題:双方向の協力関係の恩恵を得る・オリジナルトリガー:欺瞞、詐欺、協力・カレントトリガー:フリーライダー・特徴的な情動:怒り、感謝、罪の意識・関連する美徳:公正、正義、信頼感、因果応報 ここでの<公正>基盤は、 比例配分としての公正という考え方になります。「比例配分を重視する公正さとは、『結果が不平等になろうと、 報酬は各人の貢献の度合いに応じて配分されるべきだ』 とみなすことである(P224)」「<公正/欺瞞>基盤は、 比例配分と因果応報に関するものであり、 人々が自分の努力に見合った利益を確実に手にできるように、 そして働かざる者が分不相応な利益を得られないように 配慮することと関係する(P289)」【<忠誠/背信>基盤】・適応課題:結束力の強い連合体を形成する・オリジナルトリガー:グループに対する脅威や挑戦・カレントトリガー:スポーツチーム、国家・特徴的な情動:グループの誇り、裏切り者に対する怒り・関連する美徳:忠誠、愛国心、自己犠牲 これは、スポーツだと 多くの人が納得しそうなところ。 広島だと、やっぱりカープでしょうか。 あなたがカープファンだったとして、 やっぱりカープへの誇りみたいなものはあるでしょうし、 誰かが突然巨人ファンになったら、怒りが出てくるのでしょう。 ただ、これが国家レベルになると、 突然リベラルな価値観からすると、 軽蔑の対象になるのが面白いですよね。 関連して、ハイトはこんなことを言ってます。「左派の政治家は、国家主義(ナショナリズム)から遠ざかって 普遍主義(ユニバーサリズム)に向かう傾向があるが、 そのため<忠誠>基盤を大事にする有権者にうまく訴えられない(P229)」【<権威/転覆>基盤】・適応課題:階層制のもとで有益な関係を築く・オリジナルトリガー:支配や服従の兆候・カレントトリガー:ボス、尊敬を集めるプロ・特徴的な情動:尊敬、怖れ・関連する美徳:服従、敬意 まぁ、会社なんかでは、 よくありがちですよね。 この道徳基盤も、人間の本性に根付いたものだと、 ハイトは指摘しています。「上下関係を尊重しようとする衝動は 人間の本性の奥深くに刻み込まれており、 それが言葉に組み込まれている言語も数多くある(P230)」  とはいえ、会社でも、 尊敬される上司と、単に権力を振りかざす上司は 全然違いますよね。「権威と単純な力の行使を混同してはならない(P231)」 もちろん、この道徳基盤は、 リベラルな考え方からすると、正直どうかと映る。  それはやっぱり、「階層制=権力=搾取=悪」という図式が、 イメージされるからでしょう。【<神聖/堕落>基盤】・適応課題:汚染を避ける・オリジナルトリガー:廃棄物、病人・カレントトリガー:タブー(捕鯨、イルカ猟、放射能、人種差別)・特徴的な情動:嫌悪・関連する美徳:節制、貞節、敬虔、清潔さ シュヴィーダーモデル「神性の倫理」のところでもみたように、 この道徳基盤は、今でも十分、 多くの人の感情の引き金を引きます。「環境保護運動の道徳的な情熱の根底には <神聖>基盤が認められる(P244)」【<自由/抑圧>基盤】・適応課題: 機会さえあれば他人を支配し、脅し、抑制しようとする 個体とともに小集団を形成して生きる・オリジナルトリガー:信用がない独裁者、圧政・カレントトリガー:政治権力の濫用、富の蓄積・特徴的な情動:怒り・関連する美徳:平等 当初は、この道徳基盤は、 <公正>基盤の一部といった扱いだったようですが、  それだと、リバタリアンの道徳感情を うまくとらえられないという発見があり、 調査の上で追加された道徳基盤になります。 ……ハイトの持ち味は、 これら6つの道徳基盤をベースに、 リベラル、保守主義者、リバタリアンが、 それぞれ、どこをこじらせると道徳的反応が起こって、 理性的な話が難しくなるのか、 また、それぞれどこに 道徳的重点をおいているのかを考察している点にあります。 次回は、その点についてみていきます。

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  • 02 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -5-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について、 道徳感情の見方モデルを考えます。○道徳の見方モデル ~シュヴィーダーモデル~ では、WEIRD文化と非WEIRD文化含めて、 道徳感情の見方を整理するとどうなるか? まずは、ハイトの師匠(?)にあたる、 シュヴィーダーモデルを紹介します。1.自立の倫理2.共同体の倫理3.神性の倫理 「あなたの<正義感>は、どこから?」 シュヴィーダーモデルでは、 この3つからくることになります。 「1.自立の倫理」は、 端的に言えばリベラルの道徳感情です。 言い方を変えれば、 リベラルはこれしか持っていない。「『人間は第一に、欲求、ニーズ、思考を持つ自立的な個人である』 という前提から出発し、  『人々は、思い通りにこれらを満たせるようでなければならない。  ゆえに社会は、人々がなるべく邪魔をし合わずに  平和共存できるよう、  権利、自由、正義などの道徳概念を発達させる』 と考える(P168~169)」 なんだかんだで、現代人は かなりリベラル的な考え方を共有しているので(この点については改めて)、 これは現代人にはなじみの深い考え方ですよね。 続いて、「2.共同体の倫理」「『人間はまず、家族、チーム、軍隊、企業、部族、国家など、  より大きな集団のメンバーである』 という考えにもとづいている(P169)」 保守系の人は、理解を示す考え方でしょうし、 リベラルな人からすれば、あまり賛同できない考え方でしょう。  ただ、中道的な人(要は大半の人)は、 一定基準で、共同体の倫理も大事にしている、 というのが正しいでしょう。  最後に、「3.神性の倫理」「人は単に意識を備えた動物なのではなく、神の子であり、 それ相応に振る舞わなければならない(P169)」「神聖、罪、清浄、汚れ、崇高、堕落などの 道徳的な概念が発達する(P170)」 ……どうでしょう? 一見、たいていの日本人や先進国の人からすれば、 どこかピンとこないのではないでしょうか。 欧米の場合は、キリスト教の倫理が、 該当するのでしょう。 ただ、実は、この「神性の倫理」は、 現代でも多くの人の道徳感情の基盤になることが多い。 たとえば、現代での捕鯨やイルカ猟への反発は、 やっぱり神性の倫理にもとづいているのでしょう。 あと、放射能も「汚れ」という側面で、 とらえられがちといえます。 一見、リベラルな人は「神性の倫理」と 無縁にみえるかもしれませんが、 こうしてみると、そんなことはないことがわかります。 もちろん、「神性の倫理」は、 少なくない確率で、危害や公正(自立の倫理)に抵触します。「神性の倫理のマイナス面にも気づいた。 神が何を望んでいるかについての信念を、 本能的な嫌悪の感情に基づいて築くと、 大多数の人々(マジョリティ)に 少しでも嫌悪感を覚えさせる少数者(マイノリティ) (たとえば同性愛者や肥満者)は村八分にされ、 ひどい扱いを受ける場合がある。 つまり神性の倫理は、 思いやり、平等主義、基本的人権と相容れないことがある(P178)」 いずれにせよ、 あなたの<正義感>は、こうした感情レベルでの道徳感情が、 ベースになっていることがわかります。○道徳感情のベースが複数あることを認める 感情レベルで私を動かす道徳感情は、 危害や公正(自立の倫理)だけでなく、 他にも複数あることを認める。 こうした思考作業を行う意味は、 「俺は善人(頭が良い)で、あいつらは悪人(バカ)」という、 単純な一般化を緩和する効果があるため。 ハイトは、実際のところ、 もともとリベラルな人間であり、 それゆえに、保守系の人は悪人であり、 かつバカだと思っていたと、正直に告白しています。「私たちは世界を明確に見通す能力を持ち、 人々を助けたいからリベラリズムを支持しているのに、 彼らは純粋に個人的な利害から(「減税せよ!」)、 あるいは人種差別を隠ぺいするために (「マイノリティのための福祉プログラムに資金援助するのは止めよ!」)、 保守政策を支持していると考えていた。」(P181)(強調は原文傍点) 実に正直な告白ですねぇ。 要は、保守主義者たちは、 利益のみを追求し、社会的弱者のことを何とも思っていない、 自己中な、道徳心のカケラも持ち合わせていない奴らだ、ってところ。 ただ、ハイトは、 ことはそう単純ではないことに気づく。「リベラルとしての私たちは、 道徳の基盤として危害と公正さ以外のものがあるとは 考えもしなかったのだ。 それ以外の道徳が思い浮かびさえしないのなら、 保守主義者の道徳的な信念が、 私たちのものと同じくらい真摯だと 考えられるはずもなかった(P181)」 まずは、相手の道徳感情の基盤が、 どこにあるのかを推測、理解するところから始める。 ウォームハート同士の対立を超える第一歩は、 まずはそこなのでしょうね。  

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  • 01 Mar
    • 典型的なウォームハート同士の対立「左と右」の根源を探る -4-

      しばらく、 「クールヘッド・ウォームハート」について、 いろんな観点から、掘り下げてみたいと思っています。 過去のまとめはこちら。 "「クールヘッド&ウォームハート」シリーズ名作選" http://ameblo.jp/p-sonic001/entry-12161551360.html 今回は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』から、 第二部「道徳は危害と公正だけではない」について考えます。○リベラルの奇妙な(WEIRD)道徳感情!? 前の回で、ハイトは、 「無害なタブー侵犯ストーリー」調査を通して、 欧米社会では道徳のベースは、 危害と公正に相当のウエイトがおかれるが、 非欧米社会では、危害と公正以外の、 伝統とか宗教とかといったものも、 道徳ベースとしてかなりのウエイトを占めていることを 再確認していました。  ハイトは、危害と公正にウエイトをおく、 欧米社会の道徳の考え方は、 それ以外の人間の道徳の考え方と比較して、 奇妙な(WEIRD)だという論文(「世界でもっとも奇妙な人々?」)を 紹介しています。 weirdは、「奇妙な」という意味ですが、 ここでのWEIRDは、すべて頭文字です。(1)欧米の(Western)(2)啓蒙化された(Educated)(3)産業化された(Industrialized)(4)裕福で(Rich)(5)民主主義的な(Democratic) これらの頭文字をつなげると、WEIRDですね。 「世界でもっとも奇妙な人々?」という論文では、「WEIRD文化に属する人々は統計的な例外をなすので、 人間性を一般化したいのなら、 研究対象としてもっともふさわしくない標本であると主張する(P164)」 のだそうです。 さて、WEIRDな人々とは、 どんな人のことを指すのか? 結論から言えば、 リベラルな人のことを指してます。 ただ、これで終わっても何がなんだかなので、 もう少し、ハイトの文章を紹介します。  まず、WEIRDな人々の特色として、「WEIRD文化の特異性の一つは、『WEIRDであればあるほど、世界を関係の網の目ではなく、 個々の物の集まりとして見るようになる』 という単純な一般化によってうまく説明できる(P164)」(赤字筆者) と説明しています。 この単純な一般化は、 かなりリベラルの考え方の本質をついてると思うのですが、 いかがでしょうか? で、ハイトは、 WEIRD文化の欧米人と、非WEIRD文化の人々(たとえばアジア人)とでは、 ものの考え方や見方レベルで、そもそも異なっているのだ、といいます。「たとえば、『私は……』で始まる文を20あげさせると、 アメリカ人は自己の内面の状態を表現しようとする。 (『幸せだ』『社交的だ』『ジャズに興味がある』など) それに対し、東アジア人は役割や関係をあげようとする(『一人息子だ』『妻帯者だ』『富士通の社員だ』など)(P164~165)」 この「私は……」の日本とアメリカの違いは、 よく話題になりがちなので、 皆さんも、聞いたことがあるのではないでしょうか。 ビジネス系の雑誌とかでこの手の話が話題になるときは、 「だから日本はダメなんだ」的な話になりがちですけどね。 ものの考え方レベルでの、 WEIRD文化と非WEIRD文化の違いをあぶりだすのが、 「私は……」という20答法だとすると、 「線と枠課題」と呼ばれるテストでは、 視覚レベルで、WEIRD文化と非WEIRD文化の違いが、 あぶりだされるのだそうです。<線と枠課題>・被験者はまず正方形の中に一本の線が引かれた図を見せられる。・ページをめくると、もとの図より大きい、もしくは小さい 空白の正方形が描かれている。・課題は、空白の正方形のなかに 前ページで見たものと同じ線を、 絶対的な尺度(新しい正方形を無視して前ページの線と同じ長さ)か、 相対的な尺度(線と正方形の比率が等しくなるように)で引くこと ……結果は、皆さんが予想したであろう通りのものに。「この課題では、欧米人、とくにアメリカ人は、 絶対的な尺度で線を引くテストですぐれた成績を残す。 というのも、 彼らはそもそも線を独立したものと見なし、 正方形とは別のものとして記憶するからだ。(P165)」(赤字、強調筆者)「それに対し、相対的な尺度で線を引く場合には、 東アジア人のほうがよい結果を出す。 なぜなら彼らは、無意識のうちに 部分間の関係をとらえて記憶するからだ(P165)」(赤字、強調筆者)  結論として、「WEIRD文化と非WEIRD文化で、 ものの考え方や世界の見方が異なるのであれば、 そこで暮らす人々が 互いに異なる道徳的な関心を抱いていても、 何の不思議もない(P166)」(強調筆者) とはいえ、WEIRD文化と非WEIRD文化で、 道徳的関心が全く異なるとも思えない。 WEIRD文化と非WEIRD文化をひっくるめて、 包括的に道徳感情を把握することはできないか? 次回以降、そうした道徳感情のモデルについてみていきます。

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  • 02 Feb
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -6-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第4部「ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには」について お送りいたします。 ○ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 「遺伝を受け入れた社会」を訴える さて、なんだかんだいって、 世界ではしばらくは、ポピュリズムの時代が続きそうです。 正直言って、マイノリティや社会的弱者、 およびそちらに真摯に組するNPOたち全体にとっては、 かなりの逆風になるのでしょう。 アメリカでも結構厳しい状況になるのでしょうが、 トランプ支持層に近いリバタリアンは、 政府が社会的弱者を支援することには反発しますが、 一方で、自分たちが積極的にボランティアやNPOへの寄付をする。 その点で、日本で反エリートとしてのポピュリズムが 今以上に浸透すると、 アメリカよりもはるかに悲惨な状況になるのでしょう。 正直、私には、 有効な打開策は思いつきません。 ただ、ポピュリスト(ていうか私たち)が、・きれいごとが大嫌い・社会は平等ではないとわかっているが、 「みんな頑張れば幸せになれる」という建前は信じたい という傾向性を持っているのであれば、 それを逆手に取る考え方もある。 ずばり、 「人間はそもそも遺伝子レベルで平等ではない」!  これなら、きれいごとが大嫌いなポピュリストも、 喜んで受け入れられるし(ていうか、知ってたし)、 「みんな頑張れば幸せになれる」という建前ゆえに、 社会的弱者を排除しようという気持ちも 多少は軽減できる。 もちろん、ある点でこれは、 相当政治的に正しくない意見であることは間違いない。 ただ、個人的には、ポピュリズムの時代の中で、 それでも社会的弱者を包摂しようとするならば、 この考え方を頭ごなしに排除すべきではないと思うのです。 ま、この考え方は、すぐわかったと思いますが、 『言ってはいけない 残酷すぎる真実』をベースにしています。  ただ、個人的には、 『言ってはいけない』のある種便乗本ともいえる、 『日本人の9割が知らない遺伝の真実』から、 この考え方を深めてみたい。・教育が行き届くと、遺伝的な差が顕在化して格差が拡大する(学力の70~90%が、子ども自身にはどうしようもないところで決定される しかも、うち50~60%が遺伝)→だから、同じように頑張っても、相当の個人差が生じる。 その点で、自己責任論は間違い。→同時に「教育を通して格差を軽減する」というのは、 少なくとも先進国では限定的。 (貧困層の初等教育支援はある程度有効)・「人間はそもそも遺伝子レベルで平等ではない」 ことを受け入れた社会づくり→各人が遺伝的適性を見いだせるまで仕事の流動性を高める (社会のキッザニア化、自身のローカルな比較優位を見出す など)→遺伝子レベルで平等ではないし、 遺伝的適性に出会えるかも所詮「運」なんだから、 社会保障の充実は必要だよね ……どうでしょう? これだと、きれいごとを相当排除しつつ、 かつ社会的弱者を包摂する根拠も 打ち立てることができるのでは?  ただ、たぶん、 社会的弱者を支援したいと考える人は、 たいていリベラルな人であろうし、  その手の人が、こうした、 かなり政治的に正しくない意見を、 素直に受け入れられるとは思えない、けれど。

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  • 01 Feb
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -5-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第3部「ポピュリズムの対抗馬は?」の中から、 経済成長、およびおまけで国民の教育の底上げについて お送りいたします。 ○自由貿易ベースだとポピュリストが増え 分厚い中間層を増やそうとするとトランプ政策(鎖国)になる ま、立憲主義や伝統に頼るより、 ある意味ポピュリズム対策として確実なのは、「大多数の国民が、 相対的に不平等感を感じない社会づくり」 ここでは、絶対的な豊かさとかを取り上げても、 全く意味がない。 貧困問題で絶対的貧困率を持ち出しても、 あまり実のある話にならないのといっしょ。 その点、あくまで自由貿易ベースの大切さを説く、 読売や日経の主張は、正しいのですが、 かえってポピュリズムを拡大させることは間違いない。 それ以前に、現実問題、 今は自由貿易でガンガンやってるはずなのだけれど、 先進国共通で低成長なのが現状。 「経済成長すればすべてが解決する」というのは、 もはや夢物語でしかない。 その点、中国新聞は読売や日経より冷めてます。「成長なき時代の民主主義はリスクと負担も 再配分せざるを得ない。 そこへ移民や難民の流入、 続発するテロという問題が大きくのしかかる」(中国) 「脱成長で幸福な社会を」といった夢物語を語らないぶん、 中国新聞社説の冷静さは冴えてます。 個人的に、今年の中国新聞社説は、 昨年のカープ優勝を受けて、 もっと浮かれモードかと思ってたのですが、 カープの話題は一切なく、 冷静な社説を展開する姿勢に、 個人的には非常に感銘を受けました。「大多数の国民が、 相対的に不平等感を感じない社会づくり」という点では、 分厚い中間層が増えれば、 ポピュリズム対策としてはこれ以上のものはないのでしょう。 毎日新聞も、その点を指摘しています。「さらに日本がグローバリズムと共存していくには、 国民の中間的な所得層をこれ以上細らせないことが最低限の条件になる。 民主主義の質に深くかかわるからだ。」(毎日) ただ、往々にして、分厚い中間層を増やす的なお話は、 ほぼトランプ大統領の政策に近いものになる。 そして、それで分厚い中間層が増えることは、 ほぼないといっていい。 まぁ、みんなが平等に貧しくなって、 相対的に分厚い中間層が出てくるかもしれませんね。 たぶん、日本の伝統としては、 まだそれを受容する余地はあるんでしょうけど、 アメリカにそんなものを受容できる伝統はないと思うけど。  ○大衆のレベル底上げ? そんなのできれば苦労しない  さて、大衆迎合主義でかつ、国家や世界がよくなる方法が、 実は一つ存在します。 それは、大衆のレベルが底上げされること。  ……自分でも「アホか」と言いたくなる方法ですな。 そんなんできたら苦労はしないってやつですよ。 みんなが東大に行ける学力があれば、 学歴社会がなくなるとか、 みんながサンクコストとかにとらわれない 合理的意思決定ができれば、 社会はよりよくなるとかいってるようなもん。 さすがに、年頭社説で そんなこと言ってる新聞はなかったですね。 もちろん、貧困層への教育機会の拡大、 とりわけ初等教育の充実という政策レベルであれば、 積極的に推進すべき政策ではあるのでしょう。 ただ、こうした政策はやっぱり 「きれい事をぬかすエリート、リベラル」がいいそうなことであって、 ポピュリズムの状況下では、顧みられにくいのでしょうか。 加えて、それを超える意見や提言は、 反エリート主義としてのポピュリズムからすれば、 はっきりいってウザい以外の何物でもない。 日本でも、その手の意見は「上から目線」として、 唾棄される傾向になってきてますしね。 その点、ちょっと前に読んだ、 『世界を救う処方箋 ~「共感の経済学」が未来を創る~』は、   「上から目線」な国民教育提言のオンパレードでしたね。 逆に笑ってしまうレベル。 たとえば……「テレビはソーシャル・キャピタルを食いつぶす。 国民がより長時間テレビを見る国では、 社会に対する信頼度が低レベルにあり、政治の腐敗度は高い。 テレビの視聴と社会に対する信頼度が反比例するという仮説は 統計的に有意である(P160)」→おかんがいいそうなことを、かなり格調高く言ってますよね。「アメリカ政府は長期的な経済のかじ取りを完全に放棄したようだが、 同じように個々の家庭も自分たちの家計について 冷静に考えるのをやめてしまった(P132)」→なんで、あんたにそんなこと言われなアカンねん。 そんなツッコミがあっても全然おかしくない。 こうした提言が間違っている、といいたいのではなく、 あくまで、それが「上から目線」と見なされて唾棄されるのが、 現在の状況だといいたいだけです。 もちろん、 『世界を救う処方箋 ~「共感の経済学」が未来を創る~』は、 学ぶところが多い名著なのですが、 この手のきれいごとをぬかすリベラルへの嫌悪、反発が、 トランプ大統領を生んだことも、また事実なのでしょう。

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  • 31 Jan
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -4-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第3部「ポピュリズムの対抗馬は?」の中から、 伝統についてお送りいたします。 ○日本のポピュリストの最大の障壁は 伝統的に(たぶん)霞が関官僚 続いて考えたいのは、伝統。 産経の1月3日社説は、ポピュリズムは一切触れずに、 除夜の鐘騒音問題についてふれてました。 「除夜の鐘うるさいんだよ、やめろバカ!」 という意見が多数になったとして、 そうした民意を抑制するのに、 「伝統」というスタンスは、一つの意味を持つのでしょう。  「それは我が国の伝統にそぐわない」という言い方は、 ある種の保守主義者の常套文句ですよね。 リベラルな方々すれば、「それってただの思考停止じゃね?」 とか言うのでしょうけれど、 伝統には、少なくない人の道徳感情をくすぐる強い力があるので、 それを活用することで、未来がよりマシになるのであれば、 検討に値するのでしょう。 まず、トランプ大統領で盛り上がって(?)いるアメリカではどうか? 政府レベルでは、 伝統的に「独裁者」としてのポピュリスト大統領が登場したとしても、 大統領にできることは、実際のところ多くない。 アメリカは、建国以来、 「いかに独裁者を出さないか」が伝統になっているので、 大統領はシンボルとしての権限は非常に強いけど、 実際のところ、できることは限られてる。 その点、トランプ大統領といっても、 できることは限られている。 一方で、アメリカでは「ポピュリスト」を肯定的にとらえる伝統も、 また存在しています。 あまり知られていないですが、 アメリカでは、一時的に「ポピュリスト」を名乗る 政党が設立されたことがありました。 その名も「人民党」  実質10年もってない泡沫政党とはいえますが、 個人的には、トランプ大統領には、人民党のエートスを感じます。 Wikipediaによれば、・追いつめられていた小麦農家などを支持基盤とし、 農本主義と、銀行、鉄道、エリートに対する敵意という急進的な運動形態を採った。→農家を製造業、銀行をグローバリズム、鉄道を移民と置き換えると、 トランプ大統領の政策(?)と重なる部分は多いですよね・「ポピュリスト」や「ポピュリズム」という言葉は、 確立された利益や主流政党に反対して、 反エリート主義の主張で使われることが通常である。→まさにトランプ大統領は、反エリート主義の申し子といえます。 この伝統と、ひところ話題になった反知性主義は、 同様の伝統に帰一しているのでしょう。  さて、日本ではどうなのか? 大衆迎合主義を空気迎合主義とイコールにするなら、 日本はポピュリズムに対して対抗しうる伝統は皆無といえる。 では、ポピュリズムを「反立憲主義」とするなら? その点でも、やっぱり日本は、 ポピュリズムに対して対抗しうる伝統は皆無。 日本の伝統に、立憲主義が血肉化されていくプロセスは、 やっぱり皆無といっていいので。 それでは、反エリート主義としてのポピュリズムは? 明治以降、実質「科挙」といっていい試験を土台にして、 官僚たちがエリートとなってきた伝統はある。 これだと、デモクラシーというより、 一種のメリトクラシーを土台としたエリート主義ですが。  その点、良くも悪くも、 日本のポピュリズムの最大の障壁は、 霞が関官僚になるんでしょうね。 加えていえば、 国民の熱狂を土台として、 議会や官僚とかを中抜きする皇帝型ポピュリストは、 日本では、少なくとも国政レベルでは 生き残ることは難しいでしょう。 ま、地方レベルでは、けっこういけそうな気がします。 典型的なのは、橋下氏であり、 最近では、小池都知事もかなり近い雰囲気を感じます。

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  • 30 Jan
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -3-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?((2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第3部「ポピュリズムの対抗馬は?」の中から、 立憲主義についてお送りいたします。○ポピュリズムに無批判に迎合できないとして、どうするか? さて、ポピュリズムは民主主義のある種の本質であるとして、 さりとて、現状のポピュリズムに無批判に迎合しても、 未来がよりよくなる可能性より、 より悪くなる可能性が高くなりそうではある。 もちろん、従来のきれいごと大好きな エリートたち主導の社会運営で、 未来がよりよくなる保証は全くない。 ただ、政治や社会の未来を考えるうえで大切なのは、 「よりマシな方を選ぶしかない」ということ。 その点で、従来のやりかたがよりマシであれば、 多少の改善を目指しつつもそれでいくしかないし、 ポピュリズムのほうがマシなのであれば、 それでいくしかない。 ただ、個人的には、 政策提言などの分野では、 感情ベースよりも理性ベースのほうが、 よりマシな未来になると思っているので、 ポピュリズムに無批判に迎合することは、やはりできません。 その点では、さすがに各紙メディアと意見を同じくするところ。 ではどうするか? いくつかの考え方があります。(1)国民より上の存在を設定する(1)-1.立憲主義(朝日、赤旗、中国)(1)-2.伝統(産経?)(2)国民の不満を減らす(2)-1.あくまで自由貿易ベースで成長(読売、日経)(2)-2.「分厚い中間層」の復権(毎日)(3)国民の教育○憲法(法律)を国民より上に置く まずは立憲主義について。 一応、しんぶん赤旗も、「新しい年を、改憲策動を打ち破り、 立憲主義・民主主義・平和主義を貫く新しい政治へ、 転機となる年にしていきましょう。」(赤旗) とか言ってますので、入れておきます。 余談ですが、実は、 しんぶん赤旗は年頭社説では、 トランプやポピュリズムについては、一切触れていません。 いつも「アメリカいいなり」が合言葉のしんぶん赤旗なら、 トランプ大統領を大歓迎すべきだと思うのですがねぇ。 「TPP破棄してくれてありがとう!」的なことは、 言ってもよさそうなもんなんですけど…… しんぶん赤旗は、 ある種ぶれないところが強みだったのでは? まぁ、いいですけど。 話を戻して、立憲主義ってのは、 朝日新聞によると、「公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、 国民の自由や基本的人権を守るという考え方――」 ということになっています。 日本は独裁国家ではなく、国民主権なので、 公の権力の源泉は国民にある(ことになっている)。 それを制限し、その乱用を防ぐということは、 憲法(法律)を国民より上におき、 ポピュリズムが暴走して 個人や少数者の基本的人権を踏みにじらないようにする。 しんぶん赤旗みたいに、 立憲主義・民主主義・平和主義を 同列におく向きは多いのですが、(いずれも、高尚なこと言ってるので、箔がつくという意味では同列ですが) その点、 「立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる。」 「立憲主義は、その疑い深さによって  民主主義の暴走への歯止めとなる。」 と、「立憲主義>民主主義」の位置づけを 明確にした朝日の姿勢は、評価したいと思います。 (なに、この上から目線) 中国新聞も、三権分立の考え方にふれながら、 朝日に近いことを言っています。「民主主義は三権分立によって互いをチェックする原点に立ち戻り、 自浄作用を働かせなければならない」(中国) ただ、現行の立憲主義の難しさは、 国家の緊急時に備える法的根拠が持ちづらい、という点。「一昨年のパリ同時多発テロを経験したフランスでは、 非常事態宣言の規定を憲法に書き込むことが論じられたが、 結果的に頓挫した。 治安当局の権限拡大に対する懸念が強かった。」(朝日) これを突き詰めれば、「立憲主義=平和主義」になるんでしょうが、 緊急時の法的対応根拠が、表立って明文化されていないというのは、 障害発生時の対応を考えていないシステムみたいなもので、 個人的には、少し怖くなるところがある。「これで万一、日本の安全保障にかかわる不測の事態が起きた時に、 政党政治が正しく機能するのかどうか、いささか心もとない」(中国) ま、中国新聞の場合は、要はアベ独裁、野党の無能さが この社説の前提になってるわけですが、 法的根拠の問題がクリアになっていないのは、 いささか、というより、ものすごく心もとない。 で、もっと怖いのが、 緊急時の法的対応根拠が明文化されていないと、 結局、空気ですべてが動いてしまって、 立憲主義がかえって粉々に吹き飛んでしまうのでは? ただでさえ、日本では、 立憲主義とかあるいは法の支配といった考え方は、 空気の支配の前に無力になりがちなので。 その点、『シン・ゴジラ』みたいに、 緊急時に緊急法案をその都度制定して対応することができれば、 現実問題、御の字なんでしょうかね。

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  • 29 Jan
    • 各新聞の年頭社説を比較する・2017年版 -2-

       社会起業電脳研究室・室長の森です。 2017年の各新聞の年頭社説を比較しながら、 ポピュリズムについて考える、全4部シリーズ。(1)今回のポピュリズムは、何への反発なのか?(2)そもそもポピュリズムの何が問題なの?(3)ポピュリズムの対抗馬は? ~立憲主義、伝統、経済成長~(4)ポピュリズムの時代の中で、社会的弱者を包摂するには 今回は、第2回「そもそもポピュリズムの何が問題なの?」を、 お送りいたします。  ○ポピュリズムは民意の表れであり、 民主主義の本質なのでは? ただ、やれポピュリズムだ大衆迎合主義だとはいうけれど、 多数の民衆の合意によって選ばれた決断であれば、 それは「民意」ですよね? 何かと「民意」をふりかざすメディアが、 民意を積極的に評価しないというのは、 なんだかおかしなお話という気もします。 ま、この手の「民意」というのは、 自分たちメディアの信奉するきれいごとに賛同してくれる人たちの意見なんで、 それに反対する人の意見は、基本「民意」ではない。  個人的には、それは当たり前のことだと思っているので、 それにどうこう言ったところで始まらないのですが。   それはともかく、ポピュリズムとはいうけれど、 それが「民意」であることは間違いない。 じゃあ、そもそもポピュリズムの何が問題なのか? 一見、答えは自明なように見える。1.ポピュリズムは、自国(ひいては世界)をダメにするから2.ポピュリズムは、個人や少数者の権利を踏みにじるから3.ポピュリズムは、独裁の温床になるから 1の考え方のキーワードは「反グローバリズム」「保護主義」 この点からポピュリズムをけん制するのは、読売、日経になります。「保護主義を強めれば、雇用や生産が復活し、 自国民の生活が楽になると考えるのは、短絡的だ。 自国市場を高関税で守れば、消費者は割高な商品の購入を強いられる。 他国が対抗策をとれば、輸出産業も打撃を受ける。」(読売)「だからこそ、日本は自由主義の旗を掲げ続ける責務を負っている。 戦後、資源のない小国が豊かになれた理由を忘れてはならないし、 未来を貿易に託す新興国をサポートする役割もある。」(日経)  2の考え方のキーワードは、あえていえば「反リベラリズム」。 この点からポピュリズムをけん制するのは、 朝日や中国新聞ですね。「根っこにあるのは個人の尊重だ。」(朝日)「ポピュリズムには偏見や憎悪をあおる危うさがある」(中国) ただ、中国新聞の場合、議論を一歩深めて、 現在のポピュリズムは、 リベラリズムをベースにしながら、 リベラリズムに組しない移民やイスラム教を 非難する動きもあることを説明しています。「リベラルの価値観を掲げ、 イスラムは民主主義に反する、 と非難する理屈も支持されているという。」(中国) 3の考え方は、欧米ではポピュラーな考え方。 要は、古代ローマが「元老院による民主政」から、 「民衆の支持を基盤にした皇帝による帝政」に移行したように、 社会が不安定になると、民衆は「強いリーダー」を求めるので、 民衆が万雷の歓呼の中で独裁者を擁立する。 いま、映画館で『スターウォーズ・ローグワン』やってますが、 スターウォーズのエピソード1~3ってのは、 「民主政→帝政」にどのように移行していったか、という話だともいえる。 朝日は、この点でもポピュリズムをけん制しています。「民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。 独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い。」(朝日)  中国新聞は、ポピュリズムは、 「民衆の支持を基盤にした皇帝による帝政」 そのものだといいます。「ポピュリストが依拠するのは 国民投票や住民投票といった 直接民主主義の手法なのだ」(中国) ただ、いずれの答えも、「それでも、頑張っている俺たちが報われないのでは意味がない」「なぜ、奴ら(現在は主に移民や社会的弱者)のために 俺たちが税金を払ったり、職を奪われないといけないのか」「俺たちをよくしてくれるなら、別に誰でもいい」 こうした感情的反発の前には、はっきりいって無力。 そして、この手の感情的反発が、 少なくない人たちの「民意」であるならば、 民主主義という考え方からして、 それをくみとってはいけない理由がどこにある? 難しいところですね。 あと、もう少し俯瞰した考え方として、「たとえ大衆迎合主義でみんなが貧しくなったとしても、 それは、つまるところ『民衆多数の決断』なのだから、 それを選択することは、民主主義という考え方からして正しい」 という考え方もできそうです。 この考え方のミソは、 誰にも責任転嫁することができない、という点。 だから、その結果を「自分事」として受け止め、 一人一人が対処しようという気になりやすいのでは? って、さすがにそれは理想に過ぎるか。 国民投票でほぼ100%近い賛同、ってパターンなら、 まだ別なのでしょうけど、 実際のところ、トランプ大統領や英国EU離脱のように、 意見が真っ二つになることが多いのでしょうし。 ま、そもそも「大衆よりもエリートの意見や政策が正しい、って そんな保証がどこにあるの?」「政治家やメディア、学者と言ったエリートが、 どれだけ本気で自分たちに寄り添ってくれているのか?」 という考え方もありえる。 ただ、この考え方は、 エリートたちへ反省を促す、くらいならいいかもしれませんが、 それを踏み越えて、自分たちが政策を作る段になると、 確実に強烈なブーメランになって跳ね返ってくる。 強引にまとめると、 ポピュリズムは民主主義という考え方からすれば、 「民主主義における獅子身中の虫」というよりは、 その本質と言ってもいいのかもしれない。 もちろん、ポピュリズムが自国や少数者をダメにしがちなのは、 間違いないのでしょう。 でも、主権が国民にあるという考え方であれば、 国民の意思決定の主軸は感情であり (というより、理性は感情の奴隷ですしね) 感情レベルでの反発が広がれば、 その「民意」をくみとる人が現れるのは、 まったく自然なことではある。 ちょうど、古代ローマが民主政から、 エリート層(元老院)が腐敗して、 いつのまにか、究極のポピュリストである皇帝が誕生したように。

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プロフィール

社会起業電脳兼研究室 室長・森

性別:
男性
血液型:
A型
お住まいの地域:
広島県
自己紹介:
 「社会起業電脳研究室(旧・P-SONICのHP)」というサイトを、個人的に運営しています。 ...

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