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January 25, 2012 15:56:27

日本人が牡蠣(カキ)でアフリカの村を救った。|朝日新聞

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出典:アフリカ最西端でカキを食する筆者

01年、そのアルマジで屋台の生ガキを食べたことがある。
 彼が打ち寄せる磯のすぐわきに、屋根と床だけのかんたんな小屋がある。床はコンクリート、カウンターもコンクリート。小屋の前の空き地には日傘のついたテーブルが5、6席あり、カキを注文すると・・・
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※情報提供者のJr.オイスターマイスター三浦祐二氏は元海外青年協力隊員の方で、ボランティア活動でカルマハロ技術訓練校 でコンピュータの先生をされていました。

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【情報】
・ジャーナリスト松本仁一
・Jr.オイスターマイスター三浦祐二氏(元海外青年協力隊員)
・朝日新聞
【Ver.】
2012-01-25公開
【保存用】
アフリカ最西端の生ガキ
2008年02月19日
ジャーナリスト・松本仁一
アフリカ大陸の最南端はどこか、ご存じだろうか。
アフリカ最西端でカキを食する筆者
 南アフリカ共和国の喜望峰?残念、近いけれどノー。喜望峰から南東に約200キロ、「針の岬」(ケープ・アガリャス)とよばれる場所があり、そこが最南端なのである。
 大西洋とインド洋を分けるポイントだ。となれば峻険な突端を想像するのだが、まったく違っていて面食らう。
 砂浜がゆるいカーブを描き、喜望峰のように劇的な断崖も絶壁もない。どこが最南端か、気づかぬうちに通りすぎてしまうような場所だ。
 1980年代、観光振興に力を入れていた南ア政府は、これでは観光客を呼べないと思ったのだろう、当時のボタ大統領の名前で「ここが最南端」という石碑を建てた。
 しかし今でも人気は薄く、観光客の数は圧倒的に喜望峰が多い。
 ではアフリカ最北端はどこか。
 チュニジアのベンサッカ岬。カルタゴ遺跡のすぐ北で、地中海を見下ろす断崖だ。北緯37度、日本だと富山市あたりの緯度と同じである。
 最東端はソマリアのハフーン岬。ソマリアが無政府状態にあり、山賊や海賊が出るため、残念ながらまだ訪れていない。
 最西端はセネガルのベルデ岬だ。大西洋に向かって突き出た岬の突端はアルマジと呼ばれる。
 01年、そのアルマジで屋台の生ガキを食べたことがある。
 彼が打ち寄せる磯のすぐわきに、屋根と床だけのかんたんな小屋がある。床はコンクリート、カウンターもコンクリート。小屋の前の空き地には日傘のついたテーブルが5、6席あり、カキを注文すると、店員の青年がからをむいてくれる。
 1ダースが約180円と安かった。天然もので小粒だが、濃密な味がしてうまい。輪切りのレモンをしぼり、目の前の大海原を眺めながら、ビールをかたわらに食べた生ガキは最高だった。
 このカキ屋台は欧米人観光客の間では有名で、週末は満員行列の盛況だ。日本人旅行者も多く、1人で7ダースたいらげた女性がいたという。
 店の盛況にあずかろうと、周りには生ウニや焼きエビの露店が出ている。それを買ってテーブルに持ちこみ、カキと一緒に食べることができる。ウニはからを半分に割ってくれる。それをスプーンですくって食べるのだが、これも1ダース約100円と安い。
 このカキ屋台、実は日本の青年海外協力隊員が1980年代、セネガル人漁民といっしょにつくったものである。
 83年、ダカールから300キロ南の漁村に、カキ養殖の指導で協力隊の青年がやってきた。彼は入り江のマングローブ林の根元に、天然カキがびっしり付いているのを見つける。こりゃ養殖の指導どころじゃない、と思う。ホンモノがあるじゃないか。
 しかしあたりには生ガキを食べる習慣はない。村人は生ガキが高値で売れることを知らず、身を乾燥して売っていた。町から業者が買いに来るのだが、乾燥カキは2000個分で300円ほどにしかならない。カキ漁業への意欲は低かった。
 青年はバイクに見本の生ガキを積み、首都のレストランやホテルを御用聞きして回る。しかし売れ行きはいまひとつだ。そのとき思いついたのがアルマジだった。
 アフリカ最西端の岬には、欧米の観光客が大勢訪れる。彼らは生ガキを食べる。あそこなら商売になる――。
 見込み通りだった。カキは運んだだけ売れた。乾燥なら10個2円にもならないカキが、生なら12個で180円だ。漁民の目の色が変わった。
 青年の指導で、生ガキ協同組合ができた。ベルデ岬の磯を利用して生け簀をつくる。冷蔵輸送のシステムも完備した。生ガキ組合加入の希望が殺到する。4カ村43戸が組合員になった。
 シーズンは11月から5月末だ。その間に約1万8000ダースが売れる。それまで村では、1戸あたり年に3万円ていどの現金収入しかなかった。それが一気に10万円を超した。
 私がアルマジを訪ねた当時の協力隊員は七尾仁規(26)だった。七尾さんは「私がいなくても、彼らだけでもう十分にやっていけますよ」といった。
 励みになることがありさえすれば、誰だってがんばる。橋や病院を建ててやることだけが援助ではない。「励みになること」を見つけだすことの方が、アフリカの自立支援にはより有効なのだと思った。
 今の協力隊員の課題は、村人の関心を養殖に向けることだ。みんなががんばって取りすぎたため、天然カキが減ってきた。それでも村人は「まだあるのだから、苦労して養殖なんてしなくても」とのんびり構えている。
 「今になくなる。その時あわてても遅い。それを漁民たちと話し合っています」
 協力隊員の本来の仕事である「養殖」が、やっと目に見えるところまできた。

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