卵巣がんステージⅢと診断された母を見つめて

卵巣がんステージⅢと診断された母を見つめて

2013年12月、卵巣がんと診断された母と、
仕事で側に居てあげれない自分。

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あっという間の3日間でした。
4月27日~29日、三連休を頂いて東京の実家へ。

去年の今頃、
庭の一部を畑にして母と二人で胡瓜を植えました。
夏が近づくにつれ、
あまりの豊作に食べきれない胡瓜を毎日父が近所の方に配る。

父と母の楽しそうな笑顔は何よりだった。
これから毎年、野菜作りを楽しもうなんて言って。


母が病気になって、畑は出来ないかもって。
それでも正月に帰った時に土づくりだけはしておいた。

自分が出来なくても、
二階のベランダから次々なる野菜を見るだけでも、
きっと楽しいと思う。


初日、両親と共に苗を買いに行く時には笑顔になってました。
楽しい事に触れる事で、人は笑顔になれる。
そんな母を見る父もまた、笑顔に。

今回植えた苗は、胡瓜、ナス、トマト。


ひとつずつ母の笑顔が増える事を願いながら。



苗は接木。


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母が受けたPET CTの結果の日の前日。

何日も前から両親の不安が電話越しに伝わってくる
いや、むしろ父の不安が大きいみたいだ。

中々、状況が進まずここまできたわけだから、
二人の心労も相当なものだと思う。


父に言いました。

父さんが一番近くに居て、一番大変で、一番辛いと思う。
みんな知ってる。
でも、父さんが不安をいつまでも口に出してて
母さんはどんな気持ちかな

遠くに居るわたしが言うのは大変申し訳ないと思う。


もっと前向きでいてよ。



受話器の向こうの父が言いました。

ありがとう。


こっちこそ、ありがとうだよ。


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4月1日、兄がカナダに出発した。
兄の気持ちわかるほど胸が痛い


わたしは名古屋の地に着いてから母の癌を知った。

兄は母の癌を知った後、カナダ行きを決めた。
最低1年は帰って来れないという条件の決断は
正直しびれたと思う。


わたしも以前、結婚していた時期がありました。
子供は居なかったけれど、
もし兄と同じく妻が居て子供が居たら、
カナダ行きを決断したかもしれない。


母親として、ひとりカナダへ行く兄にエールを送る。
兄と電話で話したあと、母は寂しくしてたと父から聞いた。


母さんの事、よろしく頼む。


兄との約束。


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友人の結婚式に出席する為、東京に行ってきました。

一緒に笑ったり、悩んだり、
仕事で共に過ごした男の幸せを見れた。

とても感動的で素敵な一時。


その前日
土曜の夜、母の顔を見て思った事。
小さくなったな。
もともと小柄なひとではあるけど。

その握った小さな手は、
抗がん剤の副作用で、まるで日焼けした背中の皮が剥けるような、
そんな手をしてました。


父が部屋から出て行った後、
母は言いました。

「私がいなくなったら、残ったお金で父さんを施設に入れてあげて。
父さん寂しがり屋だから。」


この日の二日前、
そろそろ手術の話しが出てくると思って向かえた診察の日。

先生が予定していたよりも、腫瘍マーカーの数値に変化が出ない。
元々、腫瘍マーカーの数値がそれ程高くないらしいです。


このまま手術しても癌を取りきれないので、
次回6回目の抗がん剤の後、間隔をあけて
抗がん剤治療をしていきたいと説明があった。


手術を目標に頑張ってきた母。
目標が遠くなってしまった事を、
わたしに感じさせないようとする母の強さ。

握った手を離せない。


父は6回目の抗がん剤終了後、
有明のガンセンターでセカンドオピニオンを受けると言ってました


そんな家族との時間を過ごした後の結婚式。


幸せなふたりと、祝福する大勢の人たち。
出席してよかった。

わたしは心の底から嬉しく思い、
涙が止まらなかった。


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5回目の抗がん剤治療から11日目。

食欲も出てきて、父へのリクエストも増えてきた様子。
母の体調が良くなってくると、
電話で話す父の声も明るい。


今週末、以前勤めていた会社の上司である
友人の結婚式に出席する為、
東京に戻り実家で一泊する。

古くからの友人の幸せの場に行ける事はとても嬉しい。
その場にいるだけで自分まで幸せになれる。


そして、両親に会える事。
これが一番のハッピー。



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