主催公演と言うのは実に割の合わない仕事です。基本的に持ち出しですし、損をするために演奏会企画を進めるということになります。しかし、劇団の主宰興行は数知れないし、バンドもライブを敢行します。何故そんなリスキーな道を歩くのか?それは今まで分からなかったことでありますが、いざ自分がそう言う立場になると分かった事があります。それをしなきゃ、前に進まないのです。自分の殻を破る為に、こういうことをするのです。

 こういった、人に見せる職業をしていると分からなくなる事があります。それは自分が良い仕事だ!と思った事は果たしてそれは世間一般にもそう思われることなのか?と言う事。よく言われるのが「業界の常識は世間の非常識」という格言。私達が当たり前と思っている事が、実は世間一般の理屈から乖離している事も多々あります。例えば雅楽の世界。雅楽などはっきり言って日常生活に必要不可欠なものではありません。そう言った中で演奏活動をしている我々にとってスタンスをどのようにとるか、というのは非常に難しい部分があります。その結果、世間に迎合するようになります。分かりやすく、見やすく聞き易い雅楽を演奏しようと考えてしまいます。あるいはその正反対。お前ら、今から雅楽を演奏するから心して見よ!的な考え方。どちらもイケてません。前者はお客様をバカにしているとしか思えないし、後者は自己満足に過ぎないからです。

 私が思うに、自主公演をするにはその中庸の考えが必要なのではということ。確かにお客様に見易い公演でなくてはならないし、かといっておもねる必要も無く、骨太な雅楽公演をすべきである、と思います。その際必要なのはやはり技術です。見易い公演の為にはしっかりとした解説が不可欠でしょうし、骨太な雅楽公演の為には、何より高い技術が必要です。この全く違う技術を我々雅楽演奏家は求められているのでしょう。

 まず解説。専門用語連発で分からない奴の方が勉強不足だ、という性格の解説は最早時代遅れです。この辺りに関してはまだまだ認識不足と言うか、喋ってる本人(=雅楽団体の上の方の偉い人)が全くその認識が無い、というか。話している内に、自分に陶酔してしまうのですね。一回自分の話しているのを録音なり録画なりしてみたらいいです。如何に訳の分からない事を話しているかが分かりますよ(笑)。

 次に、客に媚びない事。お客様は神様です、とは有名な格言。しかしながら、それは媚び諂うということではありません。あくまで雅楽は雅楽、雅楽本来の姿を観客の意向で変質させてしまう、というのは本末転倒です。私の一番忌み嫌うのは、普通の曲を雅楽器で安易に演奏する事。それは雅楽の質を自ら下げている事に何故気付かない?といつも思います。雅楽器は当たり前ですが雅楽を演奏する為の楽器です。そんな楽器が、例えば歌謡曲などを演奏したところで上手くいくはずが無い。他にそれに向く楽器など掃いて捨てるほどあります。「雅楽は分かりにくいから…」とこの方面に逃げる人、それは全く筋違いです。雅楽には大きな力、があります。何ら恐れることは無い、と思うのですが…