勝海舟の知られざる横顔 | 致知出版社公式アメーバブログ



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★ 渾身これ慈悲の人 ★

江戸無血開城を成功へと導いた
幕末の偉人・勝海舟。

「渾身これ慈悲の人」と称された
その実像とは──

石川 真理子(作家)

※『致知』2016年6月号【最新号】
※特集「関を越える」


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その晩年に薫陶を受けた
徳富蘇峰(とくとみそほう)は、
海舟を評してこう書き記しています。


「予(よ)の眼に映ずる先生は、
 実に渾身これ慈悲であった」


これは大変鋭い見方で、
確かに海舟の根本には
深い慈しみがありました。


なぜなら、海舟には
人間のみならず鳥や虫のような
小さな生き物をも殺すことのできない
優しさがあったのです。


(略)


思うに人は繊細であればあるほど
他人の痛みが分かってしまうことから、
生きていくのが辛くなります。

しかし、どんなに辛くても、
人は生きていかなければなりません。

海舟はそういう自分を
知っていたのでしょう。


だからこそ

「弱い自分を叩き直さなければ」

との強い思いを持っていたのです。


13歳から20歳すぎまでの間、
海舟は屈指の剣客として知られた
島田虎之助のもと、道場に
寄宿して剣術修行に励みました。

それも掃除や炊事など
日常の雑務をこなしながらです。


それに寒中には、師の指示に従い、
日中の稽古が終わると
夜稽古までしていました。

しかも、木剣による稽古は
明け方まで続けられ、道場に戻ると
すぐに朝稽古を始めたというのです。

これだけの苛烈な稽古を
毎日続けたのですから、
同門生は誰もついていくことが
できなかったのも頷けます。

これはあくまで私の個人的な考えですが、
優しさというのはそこに
強さが加わらなければ、
本当の優しさにはなって
いかないと思うのです。


そのためには自らを追い込んで
追い込んで強くなろうと
しなければいけません。

海舟は剣術の修行を通じて、
それを実践したのです。

だからこそ、徳富蘇峰をして海舟を
「渾身これ慈悲の人」と言わしめたのです。

また……


※勝海舟はこう断言しています。
 
「人物になるとならないのとは、
 ひっきょう自己の
 修養いかんにあるのだ」
 
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