今日は朝から調子が悪かった。
お腹のあたりがちょっぴり不快な感じがして、頭も心なしかボーっとしている感じ。
ひょっとして、これって風邪の初期症状?久しぶりの体調不良だ。
昨夜温泉にいって何度も冷水につかったのがわるかったのだろうか?それとも、家に戻りワインを少々飲みながら食事したあと、こたつで30分ほどうたた寝したのがわるかったのだろうか?原因は不明だが、とにかく気分がすぐれない。
本当は朝方ずっと寝ていたかった。しかし、今日は母親がデイサービスに行く日。彼女の外出の準備を手伝わなければならない。
さらに今日は、あるNPOの人たちと会合がある。おちおち寝ているわけにもいかない。
結局、その会合は11時過ぎから1時前まで続き、帰ってきたのは2時ごろ。あまり食欲はなかったが、何も食べないとからだに悪いと思い、うどんをこしらえて食べる。
退屈になってきたので、テレビにスイッチを入れたところ、たまたまNHK教育の「この人に会いたい」という番組に行き当たる。これは、NHKが過去に放送した番組の中から厳選したものを再放送しているものだ。
そこに出てきた初老の女性に目が釘づけになった。
石垣綾子。
面倒なので、NHKの番組紹介に書かれていた文章をそのままコピーすることにしたい。
石垣綾子は、女性問題や反戦平和を訴え続けた評論家である。1920年代の世界大恐慌から第2次世界大戦と、4半世紀にわたる激動の時代をアメリカで過ごし、その生活体験から生まれた発言は常に議論の的になった。大正デモクラシーの中で少女時代を過ごし、閉そく感の高まる日本から、先進的な空気を求めてアメリカに渡った。大恐慌時代の体験や、戦時中アメリカで行った反戦平和運動、そして新しい女性の生き方について語った。
この人の何に惹かれたかというと、彼女の次のような言葉だった(そのままの引用ではないが、だいたいこのような内容の言葉だったと記憶している)。
当時は恋愛するということがとんでもないことだったので、そのことによって逆にエネルギーが出てくることになった。
つまり、家が結婚相手も決めてしまうような時代において、恋愛とはそれだけである種の「反乱」というか「反社会的行為」と見なされたわけであって、その当事者は、そうした社会の無理解、反発に耐えて生きなければならなかったということなのだろう。
しかし、この石垣綾子という女性は、それを逆にバネにして創造的な活動を展開してきたわけだ。
彼女の話を聴いていて、いろいろなことが連想された。
一つは、日本を代表する映画監督、小津安二郎の生誕100周年を記念してつくられたドキュメンタリーに出てきた小津組の一人の回想。確か、カメラマンだったと思うが、その人が次のようなことを言っていた(と記憶している)。
カメラのレンズにはここからここまでという(タテ・ヨコの)制限があります。でも、その制限があるからこそ、その制限の中でいかに作者は自分の創造性を発揮するか、工夫し、頭を悩ませるんです。
そして次が、ロンドンで編集長をしていたときに取材した人の話。その人は新聞記者を辞めて、世界で日本の「Haiku(俳句)」を広めようと活動している人だった。
その人いわく。
完全な自由は放しょう(勝手きままなさま)につながります。
つまり、俳句には五・七・五という制限があるからこそ、その形式の中で自らの美意識や感性を発揮するわけであり、それゆえに尊いということを彼は言いたかったのだろうと想像する。
よって、真の創造性とはある程度の不自由さや束縛があるところに表れてくるものなのかもしれない。
その意味で、今の日本社会(そして多くの先進国と呼ばれる社会)は不幸な社会だといえるかもしれない。特にそこで生きる若者にとっては。
自由でありすぎるがゆえに彼らの創造性が発揮されずにいる――そういう考え方も十分成り立つような気がする。
であれば、何らかの不自由を彼らに与えるべきではないか。
もちろん、そういうと、世の中には「だから徴兵制を復活させろ」という乱暴な物言いをするものが出てくる。そういう短絡的で危ない方法ではなく、別の方法で、真の創造性に目覚めさせる場所、機会はつくれないものなのだろうか。
今日の石垣綾子の発言を耳にしながら、そんなことをボーっとした頭で考えるのであった。


