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2016-05-03 16:59:10

ヒトのこと

テーマ:思ったこと
田植えのために耕す。
煙が出たので、整備の方に電話した。
開けていじったら直った。ようには見える。
整備の方に電話して断った。
と思ったら、急に停まった。
ひくにひけないので開けていじったら直った。ようにはみえる。
耕した。オーバーヒート。
開けていじってみている。たぶん。これだというところまできた。

送信できなくなっていたメールアカウントも2年ぶりに使えるようになった。佐藤さんありがとう。

ファミコンで配線というものを知ったことから始まって、こんなとこまできた。

金は、トランプのジョーカーのようなものだと思う。

子どもの可能性は無限。あれは少し間違っていると思う。金が使えないから無限に自分でやるしかないだけじゃないか。金で済ますことができる大人が、子どもの試行錯誤を見逃して結果だけをみて言っているだけに聞こえる。

子どもは、興味の範囲がない。できることとできないことを自分で決められない。時間の感覚がない。
自己決定をせず、ただ、やる。
これは、生物の根端分裂組織と同じで、いわゆる「本能」というやつではないか。
おそらく、これが成長の核なのだよ。

人はなぜ生き残っているのか。
動物と比べると生物として一番と言えるものがないのに。
力も、すばやさも、高さも。特徴のない生物なのだ。
それでも生き残っている。
強いて挙げるなら、四肢、五指の器用さ。万能さと知恵だろうか。
一応断っておくが、これがないからといって劣っているとか、人間らしくないとか、そんなつまらないことをいうつもりはない。それに、ないからといって本質が変わるとは思っていない。それは一つのパターンで、ある。ということと、ない。ということは同価値。残るか残らないかは、その時の環境にあっていたかでしかない。人間の一生では、それを知ることはできない。


もう一つ、最近、武田鉄矢がラジオで言っていた。足の形だと。それも本で読んだらしいのだが。人は長距離を走れるようになっているらしい。
じつはこれを聴いてこれを書こうと思ったのだが。


ダーウィンの進化論。
これは、生き残れる方に生物が変化していくのではなく、
一見そう見えるが、生と生が性によって掛け合わさることによって、無数の種類が生まれ、その中で生き残った者同士が掛け合わさり、また無数の種類が生まれる。
こうした、量と淘汰によって少しずつ変化が起こった。
ということらしい。

となると、我々に残されているものというのは本当に宝のようなものであって、特徴というのは、その種がその種らしく生きる答えそのものなのだ。
我々に残されているのは、万能さ、移動距離、そして知恵。

おそらく、我々の祖先は、特徴がないために、あらゆる環境で、あらゆる方策を尽くしたのではないだろうか。つまり、いろんなところで、勝てる点を模索したのではないか。
場所変えては試行錯誤。その繰り返しによって脳が大きくなり、二足歩行になり、道具を使うようになり、つたえられるようになり、集団で生きられるようになり、残せるようになった。我々は、いろんなところで、いろんなことができるようになっている。つまり、これが答えなのだ。

現代社会。
仕事、金、成功、才能、徳。

逆じゃないですかね。
一つのことをやり、試行錯誤せず、結果を求める。
だから、趣味とかプライベートってものを求めるのでしょう。
いろんなことをするようにできているのに、多くの時間を一つのことにかけているから。そういえば、ここ10年ほどランニングとか、マラソンが流行っていますよね。自身で移動する感覚までも失われ始めているということかもしれませんね。旅行ってだからするのかもしれませんね。

金は腐らない。自分の欲しいものを主張しなくとも手に入れられる。なにより、自分の興味のない範囲をバッサリと切り捨てて、興味のあるところに時間をかけることができる。
そんなわけで、おれは金が大好きだ。


しかし、興味がどこまでなのか正確に計ったことのがどれほどあるであろうか。
例えば、家を建てる。
まずできるのか。DIYでできそうなところだけ。安全なところだけ。あるもので。

それで興味範囲って正確に計れるのか。
土台は。伐採は。製材は。足場は。道具は。法律は。塗装は。設計は。
それをさらにさらに……。

金は好きだけど、必要以上に欲しいわけではない。

自分の可能性の端っこの根端分裂組織を、興味の範囲の端っこを切り落としてヒトのヒトたりえる部分をまだ捨ていくのか。

自分を知らない人間は、金の使い方を知らない人間は、ヒトのヒトたり得る部分を食いちぎられてしまう。
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2015-04-13 23:12:58

時間と言葉

テーマ:思ったこと
言語力の高さと時間感覚の長さは比例するのではないか。こう考えて、動植物を眺めていると楽しい。今しか捉えられない動物。過去を捉えて、今に活かせる動物。時間を捉える必要もない植物。

言葉は、時間があるから存在する。
「今」しか存在しなかったら、言葉は存在し得ない。書くことも、読むことも、思うことも、時間という土台があって成立する。
しかしながら、「時間」は「言葉」があるから認識できるのだろう。一般的に、記憶は3歳前後で形成され始めると言われている。これは、一定量の単語を覚えて、それを組み合わせ、文が作れるようになる頃と重なるそうだ。
確かに、記憶は「言葉」で形成していると思う。身体で感じたものを「言葉」を使って留める。長く留めて、取り出せるようにしたもの。それを「記憶」と呼んでいる。
あらゆるものを記憶している。動作、味、匂い、像、音、…。全ての感覚は記憶、つまりは言葉によって、今より先に運ばれていっている。どんどんスタートラインを前に進めていっている。こうせねば、自分の種を保てないからだろう。
物事を生み出すのは、意味合いとして、子を産むのに非常によく似ている。多様性の確保。絶滅を避ける行動。それを我々はよく「うむ」と表現している。可能性を抱えた生物が、なにかと接触することで、その瞬間までなかったものを生み出すことがある。この瞬間のために「言葉」を生み出し、いや、発見し、「時間」を捉え、感覚を持ち運び始めた。
我々は、いまだここにいる。ここから、なにも進化などしていない。
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2014-12-10 00:16:59

ひとつの結論

テーマ:思ったこと
ずっと思っていた。
ある人がAと主張し、またある人はBと主張する。二人が話をしてもその主張は変わらない。ただ、決定機関がある場合、どちらかに決まる。それでも二人の主張は変わらない

じゃあ、主張を口にすることに意味はあるのか。そういう主張者がいるということを知らせることにはなる。しかし、決定機関と同じ主張ではない場合、その主張は選択されず、実現されない。
では、選択ってなんだ。正しい選択ってどうやったらできるんだろうか。
そもそも、選択以外に決定の方法はないのか。
ここ数年考えていたことの一つの結論が出たので書いておくことにする。

祝島という漁業と農業が主な産業の島の近くに原子力発電所がつくられようとして20数年。その間、反原発を掲げて千回を超えるデモが島民によって行われている。
しかし、原発に賛成する島民も少なからずいる。これにより、島民は真っ二つに分かれている。議会には原発推進派が多いようだ。決定機関は議会だ。

どうしてこんなことが起こっているのか。そんな状況をつくったのはだれだ。どこかに悪意があるのか。

原発ができたら困る人と、できたら助かる人がいる。
ただ、それだけではないのか。

では、原発推進派は原発のリスクを知らないのか。
反原発派は、原発推進派の事情を知らないのか。
例えば、産業がない。それでも高齢化による介護があるためその場所を離れられない。そんな目の前の差し迫った問題がある。そんな状況を知らないのか。
おそらくお互いによく知っている。しかし、相手より自分の主張が正しいと思っている。自分の事情を優先させたい。だから強く言う。デモ。議会。
そして、衝突が起こる。人と人が離れていく。話をしなくなる。憎しみ合うようになる。これじゃだめなんだ。

じゃあ、どうしたらいいのか。
まずは、相手のことを知る。なぜ自分がリスクだと思っていることを許容しようとしているのかを理解する。そうしたら、その問題を取り除いてやる。そうすると、自分の感じているリスクの優先順位が、その人の中でもあがる。そうすると主張は変化する可能性がでてくる。この過程で自分の主張が変化していく可能性もあるが。

例えば、原発が必要だという人が、仕事がないからと言うなら仕事を作ってやる。仕事の不安がなくなったら気持ちよく「なくていい。」と言うようになるかもしれない。
原発反対という人が、放射性物質の危険性と廃棄物が不安だと言うなら、その危険性と廃棄物が出ないようにしてやる。今のところこれはできなそうなので、原発推進派側が変化する可能性があるように思えるが。もしできたなら、反対派も推進派になる可能性がでてくる。

これを「政治」というのではないか。
政治家はそういう人々の状況を聞き取って、どちらかに変化させられる人がなるべきで、選挙ではそういう人を選ぶべきだ。政治に関わるのは政治家だけではない。あらゆる事が、あらゆる人の主張に影響を与えている。目の前の困っている人に寄り添い、いいと思うことをする。これはまさに「政治」だ。

個人の投票行動ではなにも決定できない。国民投票以外は代表者、代表政党を決めるのだから、自分の想いと同じ意見の人というよりは、自分と違う意見を言う人の意見を変えられる人を選ぶのがいい。そして、その変化の手段は矯正や強制であってはならない。遺跡の発掘作業のように、一つの問題に対して、相手の真の想いや素直な善意が出せるように、口に出しにくくしている、それ以外のものを除去していく。そうすることで、意見や主張は変わっていく。
これは話し合いだけでなく、行動や変化として起こしていく。生活者が変化するには現実的な変化がいる場合が多いだろう。
その過程で自分の主張も変わっていくかもしれない。理想を言うなら、これをお互いできたらいい。そうすることで主張や意見は集約していく。

選択して決定することは、選択されなかった選択肢のメリットとリスクと踏み潰すことでもある。だから、選択肢があって悩む時点で100点ではない。本当の正解は問題に対して解決法は一致する。そこに団結が生まれる。ああ、一致団結はそういうことか。な。わからん。もっと言うと問題がないのがいいんだけど、それはそれで人生を味気なくする気もする。

わたしは、
「選択しなくていい状況に向けて動く人間になる。」
決断も、声高に叫ぶこともしない

これがひとつの結論である。
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