テレビもスポナビも石井慧の話題で持ちきりですが、

あえて魔裟斗 について書きます(笑)


そもそも魔裟斗はどの様な道のりを歩いてきたのか。



<<MAX誕生以前>>

魔裟斗は全日本キックでキックボクシングデビュー。

デビュー戦では「キックのプロテストをKOで合格」という前評判で試合もKO勝ち。


しかし、二戦目で小比類巻貴之 と対戦。

首相撲からのヒザ蹴りでKO負けを喫し、早くも挫折を味わう。


その後の三戦目からは連戦連勝。

一気に全日本ウェルター級王者に昇りつめた



だが、2000年3月14日に全日本キックと所属していた藤ジムを脱退

フリーとなって自主興行の「Wolf Revolution」やタイ遠征、K-1のワンマッチに出場し、勝利を重ねる。


当時の魔裟斗は「キックの薄暗いイメージを変えたい。有名になりたい。」と常に考えていた。

そのためにはチャンスが来るまで結果を出し続けなければならない。

魔裟斗はムラッド・サリやモハメド・オワリなどの強豪選手をKOで沈め、機を待っていた。



<<2002年MAX誕生、2003年世界王者に>>

2002年とうとうチャンスはやってきた。

K-1 WORLD MAXの誕生である。

魔裟斗とコヒのライバル関係に注目されていたが、主役はまさしく魔裟斗であった。


初回の日本代表決定トーナメントで、

「勝って当たり前」、「みんなKOで倒す」などとビッグマウス連発の魔裟斗だが、

盛り上げるため、自分を追い込むために発したセリフだった。


その言葉通り一回戦、準決勝をKOで勝利。

決勝ではライバルといわれた小比類巻に完勝し優勝

有名になるために巡ってきたチャンスを見事ものにした。


そして迎えた世界一決定トーナメントでは、

一回戦にアメリカのドゥエイン・ラドウィック からダウンを奪い完勝。

順調な滑り出しだったが、

準決勝で後に初代王者となり、魔裟斗と4度も対戦することになるアルバート・クラウス に、

ダウンを奪われまさかの敗北。

魔裟斗は悔しさからの涙を隠せずにいた。

後に「負けて泣いたのは初めて」とコメントしているほどだ。


世界王者のクラウスに標的を絞った魔裟斗は、

10月に行われた世界王者対抗戦でリベンジマッチに臨むも、惜しくもドロー。

かくして2002年の魔裟斗の戦いは終わった。



2003年に入り、また日本代表決定Tから出直しだが、

他をまったく寄せ付けず日本Tを二連覇。

「こんなところで負けてられない」、「はっきり言って本番は次(世界T)」という発言からも世界一への気持ちが伺える。


そして迎えた2003年世界一決定トーナメント。

一回戦にマイク・ザンビディス に辛勝した魔裟斗だが、

準決勝のサゲッターオ・ギャットプートンにKO勝利し、決勝へ。

決勝で待つは初代王者クラウス、最高の舞台が整った


魔裟斗は自信がみなぎっていたように思えた。

クラウスの攻撃をさばき、自分の打撃を当ててゆく。

そして2R中盤左フックをクリーンヒットさせKO勝利。

念願の世界王者に輝いた。


「やっと世界最強の男になることができました」

魔裟斗は中量級のキックボクシングの人気をK-1ヘビー級以上の高さに押し上げた。



K-1 MAXは魔裟斗のために作られたと言っても過言ではないが、

その魔裟斗自身がビッグマウスで自ら注目を引き、

しっかり結果を残したからこその人気高騰であった。




やっべ、文章長いな

続きはまた明日にでも

次回は、<<2004年王座陥落、2005年迷走>>




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