遊びに来てください。
2009-08-19

SFコンクエスト/魔界の制圧<未>(1984)

テーマ:イタリア映画
ルチオ・フルチ1984年の作品

この映画、冒頭からいきなりソフトフォーカスというかフォグフィルターがかかっていて非常に見る側にストレスを与える。 また、敵側として登場する魔女や狼男もエフェクトのかかった声になっている。 音楽もエレクトロノイズのようなものが大半だ。 あらゆるものが歪んでいて、主人公たちがどこに向かっているのかがわからない。というかあらゆるものがどこに向かっているのかがわからないというものすごい映画だった。

ストーリーを僕なりに解釈すると、霧のかかった水辺でエリアスという青年が魔法の弓をたずさえて魔女退治に送り出される。 魔女は集落を襲い大虐殺の末に女を股裂きにさせた後に頭を割って脳みそを啜ったのち、部下の狼男たちとコカイン的なものを鼻から吸引し自慰をしている途中、エリアスの弓によって自分が殺される夢を観る。 エリアスは別の霧のかかった水辺で魔女の部下に襲われる途中、額にマークを入れた男メイスに救われ友達になる。 ついでに怪我をした鷹を助ける(メイスが)。 メイスが猪を運んでいる狩人を弓で撃ち殺し猪を横取りしてエリアスと二人で食べる。エリアスがヘビに教われてメイスが救う。メイスが狩人らしき男から羊を盗みエリアスと食べる。 エリアスが誘拐されて先だって救った鷹の導きでエリアスを救い出す。エリアスが毒矢にうたれてメイスがゾンビのいる沼地から薬草を取ってきて救う。 エリアスは魔女討伐のためさらに先を目指すがメイスは地元に残りたいという理由で分かれるが、形容し難い容姿の魔物につかまりレベルアップして光の弓を打つ事ができるようになったエリアスによって救われる。 エリアスが穴に落ちる。救出に向かったメイスは首を切断されたエリアスを発見し魔女への復讐を誓うため、エリアスを焼きその灰を身体に塗って白っぽくなる。 エリアスを殺し安心した魔女だったが、メイスはエリアスの能力を継承したらしく弓を念力で引き寄せて光の矢で敵を殲滅し、魔女も射抜く、魔女は狼になり雄の狼と一緒に荒野に消えて行く(幸せに暮らしましたっぽい感じ) 

これまでの間、基本的に女は半裸(身体は全裸で顔はマスクをしたり白塗りをしている)があまりうれしくない。 

音楽をシモネッティが担当しているというところが興味深い、シモネッティといえばゴブリンのリーダーなわけで、ロメロのゾンビで音楽を担当していたわけだから、ロメロゾンビとフルチゾンビの接点となる作品という位置づけになるのだ。翌年にはフルチは「マーダーロック」でキース・エマーソン(アルジェント「インフェルノ」で音楽を担当)を迎えていて、アルジェントとの対立という目でも興味深い。

本作の全編にフォグフィルタがかかっているのもそうだが、翌年のマーダーロックも明るくなったり暗くなったりという点滅が終始画面を支配していて、観ていて気持ち悪くなる。当時のフルチはどうかしていたのに違いない。実験的だったと観るのか、悪意を持ってやっていたと観るのか、それいぜんの「マンハッタンベイビー」を最後にサンゲリア以降の絶頂期の映画チームを維持できなくなったための試行錯誤と観るのか、変なクスリでもやっていたのか、色々と勘繰ってしまい、興味のつきないところだ。まあ、その全部だという気もする。
フルチのカメラに異変があったのは間違いなくて、それ以前のフルチの映画ではレンズの焦点を前後に移動させて、手前のものを写しそのままワンカットで奥のものに焦点を合わせて再び手前に戻すという複雑なカメラワークを得意としていた。これは一回撮影すると上書きできない当時のフィルム式カメラでは怖い撮影で、失敗すると数万円のフィルム代がオジャンになる。 実際このNGが度重なったときのフィルム代が馬鹿にならないというところで自殺未遂をするというのが、つかこうへいの「蒲田行進曲」のエピソードで登場するのだが、コンクエストでフルチはこうしたリスキーなカットがなくてベタッとしている。 それでも、フルチらしく焦らすようにしつこく描写していく感じは健在で、この人にしか撮ることができない味わいの映画になっている。
2005-09-03

みんな元気 stanno tutti bene

テーマ:イタリア映画
stano tutti bene
みんな元気 は「ニューシネマパラダイス 」のジュゼッペ・トルナトーレ監督作品、マルチェロ・マストロヤンニ主演の老人が成人してすっかり家によりつかなくなった子供たちに会いに行ってみるという話だ。いざ会ってみると、皆、幸せに暮らしていると電話や手紙で言っていたことは全て嘘で、離婚してるわ、無職だわ、オーケストラの指揮者ではなく下っ端だわ、あげく最愛の息子は行方不明で死んでいるわで、子供たちからは「あんたの育て方が悪かった」と言われる。
老い先短く、これから挽回することもできぬどうしようもないタイミングで、自分の人生が間違っていたことに気がつく、だからこそ、老人は子供たちを最後に責めることもできず、おとなしく立ち去って、最後に妻の墓前で嘘をつく、「みんな元気だった」と

これは、全編で行われる子供たちの嘘に対する老人の回答で、いままで子供たちの現実を拒否してきた老人に、理想の嘘を見せてきた子供たち、特に、死んだ最愛の息子を老人の死まで隠し通そうとしていた悲しい愛情を老人が受け入れたということだろう。

上の画像は映画のポスターらしいが、個として確立した老人の周りにダリのようなタッチで歪んだ仮面が積み重なっている。仮面は嘘をつく子供たちを表していると思われる。人間というものは偉くなればなるほど、周囲には嘘の仮面が出来上がるものではないだろうか?
そこで思い出すのは「仮面の告白」だったりもするが、ブログの性質上、カテゴリ分けして記すことにしようと思う。

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