遊びに来てください。
2008-01-15

淀川長治 映画塾

テーマ:読書
淀川 長治
淀川長治映画塾


アテネフランセ文化センター で行われた「映画塾」の講演録音をおこしたもの。
29回行われた時点で本書が編集されており、割愛された9編は監督ではないテーマ、概要的なもの歌舞伎やバレエ、スラップスティックなどだそうだ。

僕が映画を一生懸命に観始めたのはジョン・カーペンター監督作品「ゼイ・リブ」をもう一度みたいという一念であったのだが、このゼイリブ、日曜洋画劇場で放送されていたので、自然と最も観たテレビ映画となった。
当時、映画の冒頭には解説者が紹介するスタイルで、金曜は水野晴朗、土曜は高島忠雄、木曜は木村奈保子 さんという時代だった。
今になって思うと、淀川氏亡き後は後を追うようにテレビ映画の解説はなくなってしまったわけで、こうした日本の映画文化の支柱であったことが端的に感じられる。

毎回、特定の監督をテーマにしているし、前回はこう話したという語り方を避けている(のだと思う)ので、好きな監督、知っている監督から掻い摘んで読んでいくことができる。淀川氏の解説は特徴があって、映画のワンポイントとなるシーンを事細かに再現することがあるので、できれば一度その作品を観た上で解説にふれるほうが良いとおもうことがある。 実際、収録されている講演会はテーマとなっている監督の作品を上映した後に行われているため、その傾向が強い、そんなことを思ったのは、淀川氏が亡くなった際に「徹子の部屋」では追悼として淀川氏が最後に部屋に来た時の放送を前編放送しているのを観ていたからだ。



そのときに話していた内容、ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」、ジョン・フォード「果て無き航路」を語っている。
実は「徹子の部屋」で語られた2作品については、本書でもほぼ同じ内容で語られているのが面白い。

黒柳 徹子
徹子と淀川おじさん 人生おもしろ談義


記憶によれば「いつみても波乱万丈」へも出演されたことがあるが、その放送では「駅馬車」の宣伝に成功した話、ジョン・フォードと初めて出会った時の思い出、及び、「さよなら」を三回言うようになった理由が紹介されていたと憶えている。こうしたエピソードも本書には掲載されているが、番組の内容と当然ながら非常に一致している。こうしたことから、淀川氏の解説は非常に再現性の高いレベルで氏の脳内に完成されていたのだと思う。

さて、本書についてどこから読んでもよろしいとは言ったものの、諸所の理由でとりあえずちょっとだけ読もうというのであれば、必読の1項は「ウィル・ロジャースとジョン・フォードのアイルランド魂」だろう。なぜか、既出と通り、淀川氏はジョン・フォードの「駅馬車」の宣伝で成功したことが重要な転機となっている。また、氏の座右の銘だったという「私はかつて嫌いな人にはあったことがない」はウィル・ロジャースの作品中に登場する台詞でありウィル・ロジャースの碑に刻まれていると語っている。また、20章-黒澤明でも、黒澤監督がジョン・フォードのフリークであること、クロサワ作品のどれがどのジョン・フォード作品と影響関係があるのかが語られているのだ。 もうひとつ、セシル・B・デミルも別章でも頻繁に登場する、これらについては映画史のほんとに初期のもので、入手もしずらいから観てから云云は割り切ってしまっても仕方ないように思う。各章の冒頭では講演当時公開されていた映画についていくつかふれているがその評のなかでも「アイルランド」というコトバが飛び出すことがある。本書でも説明されているが、アメリカ映画の黎明期はアイルランドからの移民が多く映画業界にいた。黎明期、ほぼアイルランド映画ともいえそうなほどの密度で移民たちが制作したフィルムを観て育ったことが淀川氏の映画原体験となるようだ。そのため、アイルランド的な人情性を淀川氏は価値基準として持っているらしく(少なくともテレビでは共有しずらいキーワードとして封印していたように思うが)これを意識しておくことは、淀川氏とそのほかの映画評論家との違いをみる上では重要だろう。

僕がもっとも観込んでいるフェリーニ、ヴィスコンティを読んでいると、淀川氏が描いているシーンが非常に正確であると同時に僕が記憶している台詞とかけ離れた台詞が紹介されていることに気がつく、淀川氏は「おいら、あたい」という人称を使ったりいくつかの心理描写を台詞であるかのように紹介している、意訳しているのだ。おそらくは映画の流れを記憶していて、それを語るときに再構成しているからなのだろう。

ホラーやサスペンスではない映画でも「怖い」が連発されているところや、カメラマンなどのスタッフについても非常に詳しかったらしいことが伺えるとこも興味深い、話をさかのぼって、ウィル・ロジャースやジョン・フォードのアイルランド魂はヒューマニズムであるところとあわせて考えると「死ぬ」や「痛い」が怖いのではなく、人間性が裏切られ、傷つけられるのが「怖い」と氏は言っているのだ。なるほどヴィスコンティやフェリーニは怖い怖い映画となる。


2007-07-04

7月6日は押切祭り

テーマ:読書

ゆうやみ特攻隊 1 (1)

カースダイアリー、悪霊ドリルの延長線上にあるような設定の作品


でろでろ 10 (10)



短編集おばけのおやつ


ぼくと姉とオバケたち一巻
4コマ専門誌、まんがタイムというと植田まさし先生とか大人向けという感じがしてましたが、施川先生など新人もとりこんでおもしろくなっていそう。



http://www.kinet.or.jp/osikiri/

押切蓮介氏の単行本が2007年7月7日に一挙4冊販売開始となる。
しかも、僕が知らなかった連載のものが大半で、いまから愉しみだ。
2007-04-21

伊藤潤二 恐怖博物館9

テーマ:読書
伊藤潤二 恐怖博物館9
伊藤 潤二
伊藤潤二恐怖博物館 (9)
判型:A6
発行年月:2002年12月
ISBN 4-257-72187-1
定価650円(本体価格619円)


おぞましい作品群が楽しくて仕方が無い。
昨日買って来たこの文庫版第9巻を読んでいると発見も多くとても楽しい。
僕が初めて読んだ伊藤潤二作品は本巻に掲載されている「地獄の人形葬」のようだ。当時は学生で8、9年前に雑誌を立ち読みしたのだ。そのため作者が伊藤氏であるとすら知らなかった。とにかく不快な読後感が忘れられず今日に至って再開した際にもその一コマ一コマを詳細に覚えていたのみならず、当時立ち読みした様子まで思い出されるのだからよほどの印象強さだ。ラストの2ページなんかはページを触りたくないくらいだ。

本書は「押切シリーズ」、メアリー・シェリー原作「フランケンシュタイン」、他短編4編という構成だ。

「押切シリーズ」
本書を購入した収穫であると思う。
押切という名前といえば、注目しているホラー漫画家、押切蓮介氏を思い浮かべてしまったが、本シリーズの主人公「押切トオル」君は両親が外国に仕事で滞在しており、大きな洋館にたった一人で住んでいる。洋館は異次元とつながって多重化しており、異次元に住む邪悪な押切君やその他異形な者達と次々出会うことになる。
この家庭環境はまさに押切 蓮介氏の作品

でろでろ
の家庭環境と似ているではないか!
「首幻想」は特に手書きの感じがすごく好きだ。1作目の富江もそうだけど、素描っぽい感じでこれも良い。初期の絵はひどかったなぁと思わされる漫画は多いが伊藤潤二は別で初期のペンから素晴らしさを持っている。伊藤氏は日本の古典妖怪はそれほど描かないがやはり引き出しには入っているんだなぁと(一妖怪ファンとしては)安心感や親しみを持つ事ができた。

「フランケンシュタイン」
最古のSF作品でもあるメアリー・シェリー原作をかなり原作に忠実になぞった作品
ボリス・カーロフによるフランケンシュタイン像にとらわれず、それでいて魅力的な怪物を描いている。特に怪物の花嫁の奇妙なでかさは見事だ。
古典作品を題材にした作品は初見だったが、非常に素晴らしい、機会があればラヴクラフトやポーの作品も氏の手によって蘇生させてもらいたいと思ってしまう。

■短編
「地獄の人形葬」
人生にはどん底というものがある。「もうこれ以上落ちる事はないよね」「明日からは上向いて行くしかないんだから頑張ろうよ」 is NOTという作品、これより下があるのか、もっとあるのか、、、まだあるのか、、というわずか6ページ

「顔面固定」
歯科技師だった同氏ならではの着想、どちらかというとギャグに属するテイストの作品。個人体験ですがMRIとかCTスキャンをやったときの永遠に続くような恐怖感が思い出されます。

「ノンノン親分」(2編)
めずらしい日記漫画的なもの、セツコ・山田「一丁目のトラ吉」 を彷彿とさせられるちょっぴり切ない作品。
伊藤潤二先生、お母さんと同居されているんですね。。

2007-01-22

バジリスク ~甲賀忍法帖~

テーマ:読書
山田 風太郎, せがわ まさき
バジリスク―甲賀忍法帖 (1)


伊賀と甲賀の20人の忍者が潰し合いをする。最後まで読んだ感じだと、忍者版のレザボア・ドッグス という感じだ。
しかし、5人仲間内の潰し合いという芸の無い真似 などはしていない。
見事!そして贅沢なストーリーだ。

以前、江戸川乱歩の小説「赤い部屋 」について「それぞれ一つの短編として成立しそうな殺人トリックを次々と独白させる贅沢すぎるストーリー」
と評しているものを読んだ記憶があるのだが、それと同じような感じを受ける。いずれも一筋縄ではいかぬ妖術を使う忍者たちだが、
冒頭からどんどん死んでいく。いずれも奇天烈、奇怪な術の持ち主ばかり、彼奴と此奴が戦っていたらどのような結末になっていたかと思わずにはいられない無限のifがあるのだが、なにしろ命は一つだけ、妙に生き延びて各人が総当たり戦となるような話にしなかったところに作者の潔さを感じた。

ストーリー展開も先が読めない、なにしろ冒頭にお互いのリーダー格が相撃ちに果ててしまい戦いの真意もわからずに戦う。
しかし、そこに葛藤はない、さすが忍者である。次に互いに眼力だけで術を破ることができる忍者がいるが、目を封じられてしまう。
この二人が何事もなければ本来結婚する仲であり、引き裂かれた恋の結末や如何にというところも互いの精鋭が先細りしていくだけに
後半の焦点として効いてくる。

などと書いたところで、wikipediaを検索してみると、山田風太郎による原作で1958年作品の漫画化とある。

山田 風太郎
甲賀忍法帖―山田風太郎忍法帖〈1〉

我ながら知らずに文案を模作するとはと恥じ入るところだが、作品として面白いのは間違いないので、書き始めに細工することは
あえてせずに文を続けることにしようと思う。

話は変わって、女技というものがある。これは男を暗殺するためにわざと躯を契り無防備な相手をとり殺すというものだ。作品中では肌から血を吸ったり、
毒の息を吐いたりと人間業ではないことをするが、実際のところどのようなものなのか気になる。そういえば「あずみ」でも
主人公の女忍者が女技をもっているのではと警戒するなんてシーンもある。
おそらくは柔術を基本としつつ、やはり針のような小物で急所を刺すようなものだろうと想像するが、、、忍術の中でも継承されることもなく
資料も少ないまさに秘術中の秘術だろう。そのトレーニングともなれば男性としては想像し難い、作品中でも女技的なものがいくつか
登場する。騎乗位からのマウントポジションとか下から三角締めを狙うとかを黙々と練習してたような気もする。

服部半蔵が登場するが、ハットリくんの印象のため伊賀の忍者と思って妙に思う。せっかくなので調べると確かに服部半蔵は
伊賀同心を率いたとあり、徳川の部下であったそう、ただ、本作の時代の服部半蔵は4代目あたりになり、豊臣系だった甲賀も統合
した後の物語であるようだ。また、東京に行くと利用する半蔵門線の半蔵は服部半蔵から来ているとか、

現在、せがわまさき氏は同じく山田風太郎の忍法帖シリーズから『柳生忍法帖』を連載しており楽しみだ。

最後に先ほど知ったばかりのwikipediaの記事によると原作者、山田風太郎は江戸川乱歩の弟子であり、奇しくも2人供7月28日
を命日とするそうだ。
2007-01-14

14歳 楳図かずお

テーマ:読書
楳図 かずお
14歳 (1)


楳図先生のストーリー展開は端的だと思う。
それは、氏が作品を描き始める以前にあらかじめストーリーを完成させ、描き始めたからには途中で思いついたようなものは一切入れない、アドリブ無しに描ききるというスタイルに起因するのではないかと思う。
大学ノートに文字で書かれるというから、コマやページの割までは決まっていない。ストーリーの流れが決まっているのだ。これが、大長編ともなると、氏の頭の中には既に完成した結論までが常にあり、その上で作業が進むのであろうから、忍耐の必要な作業だと思う。
そのため、「早く描ききりたい」という感情がやがて情念となり、僕たち読者の前に押し寄せてくる情報の洪水となっていくのだ。

端的はやがて短絡的になる。

「私は真悟」では、子供はどうすれば産まれるのかという質問にコンピュータは「333から飛び移れ」と回答する。この
とてつもないショート(短絡)こそ実は機械ではなく人間的ならではなのだと示唆しているわけだが、氏の現在のところ最新作となっている「14歳」ではこの方向がさらに加速している。
短絡による短絡は子供漫画教室や作文で習ったストーリーの基本「起承転結」から承転が制作過程の中に浮き、描かれる事なく起結だけがマシンガンのように打ち込まれる。
僕が思うに14歳という作品のベースとなるノートを余すところ無く描ききった場合、さらなる冊数を要するはずなのだ。

しかし、この作品が駄作ということではない、まぎれも無い氏の集大成であり、後世に行われるであろう楳図かずお研究において重要な位置を占め続けることは間違いない、
ひとつ言える事は、この「短絡」こそが氏の作品の多くに共通するテーマでもあるのだ。
漂流教室のような現在と過去の短絡や、神の左手悪魔の右手における夢の構造を利用したテレビスタジオと病院と物部村の短絡など枚挙に暇が無い程だ。

そして、こうした短絡のように見える思考法によって僕らのような凡人よりも遥かに遠い未来まで思索を広げて行く、まさにこれこそ天才の思考法の一端なのかもしれない。


楳図 かずお
漂流教室 (1)
楳図 かずお
神の左手悪魔の右手 (1)
楳図 かずお
妄想の花園 3冊セット―単行本未収録作品集
楳図 かずお
わたしは真悟 1 (1)
 
楳図かずお大研究

2006-10-31

LASTNIGHTSPARTY

テーマ:読書
Merlin Bronques
Last Nights Party: Where Were You Last Night?
ニューヨークの写真家マーリン・ブロンクスの写真集、彼は夜な夜なクラブに遊びに行っては一晩に300枚ほどの撮影をするという。ニューヨーカーはここまで気持ちよくコワれているのか!ここまで心につきささってくる写真群に驚かされamazonに取り寄せ注文して発送待ちの状態です。まずはネットで見つけたプレビューを観て楽しみにしています。なんといっても表紙の舌だして笑ってるコに驚かされ、彼が撮影をすると翌日には公式サイト· LastNightsParty (lastnightsparty.com)
にアップロードされるのだとか!アメリカのクラブのもっともリアルな姿なのだろう。ぞろぞろと酒をビンで持ってる女の子やおっさんやにいちゃんが大騒ぎ、トレインスポッティングの世界一汚いトイレに負けないような便器も出て来るし、、、、動画系もぜひチェックして欲しいTGっぽい音とか久しぶりに聴くとまたこのパーティには似合っているなぁと思う。どこまでも快楽に下品でどん欲な姿だ。でも僕はこういうのってすごい素直な感じがして愛らしいと思う。

myspaceに作者のアカウントもあったので早速友人登録した。(とはいっても何千人の中の一人になっただけだが)
現在写真集のプロモとしてプリンスのカバー曲がアップされているんだが、これも素晴らしい、ダウンロード可なので、iPODに登録してあります。この写真集に先立って同名の写真雑誌が2冊出版されているらしく、そのコンパイルということになるようだ。

僕の中ではクラブというとシカゴとデトロイトが大きくて、ニューヨークはあまり意識していなかったけど、ここまで楽しそうなら是非行きたいと思わせるこいつはまるでソドムの百二十日であり、フェリーニの甘い生活だ。


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タイトル「lastnightsparty」というのは同じくニューヨークのクラブシーンを紹介した下の書籍を意識してのものだとおもう。

Anthony Haden-Guest
The Last Party: Studio 54, Disco, and the Culture of the Night

マーリン・ブロンクスは日本でもMTVJAPANで紹介されたことがあるそうだ。(記事のスクラップ)
mtvjapan

最後に同じくマーリン・ブロンクス撮影のビデオを紹介、流れている曲も僕の好みなのですが、ダウンロード、、、できないなぁ、、、、

追記が遅れてしまいましたが、写真集が到着しひととおり堪能しました。写真集到着前に書いた記事だったのでフォローですが、紹介したとおりニューヨークのクラバーたちのぶっ壊れた遊びっぷりだけではなくクラブでのセレブたちの写真もいろいろ掲載されていて、それを探すのもなかなか楽しいです。特にキャプションがないので気づいた範囲ですがネプチューンズの人やJay-Z、デヴィッドボウイなどが見つけられました。サイト側の方でよく見かける人ではハンナ・ヘディックスという女の子がいて、その子は最近は画家を目指しているらしく、案外この写真集に掲載されている中から未来の有名人が、、なんてこともあるのかもしれないですね。下のムービーは当写真集のプロモーションツアーとしてフロリダでクラブパーティを開いたときのものらしい、、、、フロリダも壊れてますね。冒頭に出てくる女の子と dance the floorという歌詞の辺りで右端の壁にいる女の子が個人的に好みです。あと、前半にでてくる安全ピンで胸にピアスしてるのを見せてる女の子が目に焼きつきますね。
2006-08-30

でろでろ + 押切蓮介劇場マサシ!!うしろだ!!

テーマ:読書
押切 蓮介
でろでろ 1 (1)
押切 蓮介
押切蓮介劇場マサシ!!うしろだ!!

このまま俺は死んでいくのか、、、怖い!抜け出したい!
それはクリエイティブパワーを奮い立たせる重要な要素だと思う。

押切蓮介の場合、「仕事」が怖いというのがひとつの要素のようだ。(実際、短編集「マサシ!後ろだ」に掲載されているコラムでもそのことが感じられる。でろでろに登場する怪奇は案外仕事に関係していることが多い、それも、喧嘩見物のために安くてうまい牛丼を出す店や、1円を食べるために1円均一をやる店、ひたすら目玉をセットする単純労働など、社会貢献度ゼロの仕事が次々と出てくる。

最近の仕事はその結果がどこにいくのかわからないものが確かに多いと思う。
自分のやっている仕事が意味を持たなくて、誰も知らない、なぜか給料が支払われる。
そんな奇妙さが怖くなってしまうと、ニートになってしまうんじゃないかな。
やりがいのない仕事って気持ち悪いし、それを不満を言いつつも辞められない人たちはまるで憑かれているみたいだ。

そういった意味では、でろでろに登場する妖怪の多くは、床に落ちた消しゴムが消えるような他愛のない怪奇に混ざって、世相を反映したシニカルなものも多く、ユーモラスに描かれていて、スマートな感じがする。
願わくば現実に世の中に役立たない金儲け方法なんて(別サイトのコピペでインセンティブを儲けようとしているサイトとか)妖怪みたいなものは耳雄のようにワンパンチでけりをつけたいものだ。

シュワルツェネッガー主演の映画「プレデター 」で登場する目に見えない敵の血痕をみて「血が出るなら、、、殺せる」という台詞がある(テレビで観たからここでCMが入った)
押切ワールドを端的に説明するならこれが当てはまると思う。

暴力で全てが解決する世界というのは、案外に求められているファンタジーでもある。北斗の拳がヒットし続けるのも、あらゆる問題が指先ひとつでダウンしてくれるからだろう。当の「でろでろ」も大概の怪奇は耳雄の暴力によって解決されていくのだから、非常に安心感がある。これはブルータルな極楽なのだ。

知的なユーモアで世相を切れるだけではなく、同氏はカイキドロップというバンドもやっているし、清水崇監督とも交友があり、いくつかの作品が映像化もされている。できれば、短編ものについてはいろいろと映像化されていって欲しいそんな気がする。



押切 蓮介
カイキドロップ


東宝
怪奇大家族 DVD-BOX

2006-08-26

うずまき 伊藤潤二

テーマ:読書
伊藤 潤二
うずまき (2)

なんども読み返してしまうような人間のクレイっぽさの質感がありつつ、僕はいつも「こわくないなー」と思っていた。
僕はいつも、ホラーは人間が生理的に怖いものの構造をなぞっていると思う。
この場合はなんなんだろう?昨日、クラブでVJをやり、帰りがけにまた「うずまき」を読んで気がついた。レコードって高密度なレコードなんじゃないか?
そうだ、僕の大好きな映画だって、ビデオテープ、フィルムリール、DVD、全て「うずまき」構造なんだ。
うずまきは最初は断片的なうずまき現象からはじまるが、最初の主人公の父親が「うずまき」に凝りだして、最後は「うずまき」になって死ぬというのはからして怖くないのだ。思えば運動会にでもなればどこの父親もビデオテープ片手に「うずまく」のだ。
僕だってフィルムリールを作ってみたいし、曲を作ってレコードも作ってみたい、つまり、僕は「うずまきたい」のだ。親父が家族に「おまえもうずまけ」というのは至極あたりまえのことだ。なぜなら、家族の歴史は記憶したいし、そのために記録したい、もしかすると歴史に残って欲しいというのもあるかもしれない、

伊藤潤二の作品は他も人間が変形することをモチーフにしていることが多いが、そういったものも、大人になることへの嫌悪感が基盤のような気がするのだが、とりわけ「うずまき」は人間が死んで記録になるというあたりをモチーフにしているような気がするし、それはけっして悪いことでは無いような気がしてしまう。

もっとも、漫画や書籍類は概して渦巻ではなく四角の積み重なりだ。つまり伊藤潤二の創作フィールドは「うずまき」ではないのだから、そこについてどう思っているのか興味がある。

「うずまき」に記録された音によって踊ったり、ロボットダンスしたり、なんだかいい雰囲気になっちゃったり、それは楽しいことなんじゃないかな?それはもちろんその「うずまき」の中に記録されてた人がひょっとすると。もう他界しているなんてこともあるかもしれないけど、レノンのうずまきで世界平和を想ったり、マーヴィンゲイの「うずまき」でなんだかやさしい気持ちになったり、素晴らしいことじゃないか!

キューブリックがシャイニングを撮るときに、死後の世界があるのならそれは人類にとって素晴らしいことじゃないかとキングに語ったそうだが、僕もそう思う。


おまけ:
女体渦巻というわけのわからないタイトルの映画が偶然見つかったので併記して紹介しておきます。うーん、、、


ビデオメーカー
女体渦巻地帯 SPIRAL ZONE
バップ
女体渦巻島
映画のほうはかなりつまらないですが、、一応映画のトレイラを紹介しておきます。
2006-04-03

日本のみなさんさようなら

テーマ:読書

Amazon.co.jp:日本のみなさんさようなら文春文庫PLUS: 本


本屋で面白そうな本を物色中にリリーフランキーの本が目に留まった。ページをめくってみると、映画についてのコラムと1コラムに対して1つのイラスト数ページ読んでいて、フト気がつく、
ああ、これは「ぴあ」に連載されていたコラムだ。

いまからもう10年以上前にお受験のため東京に出た。それまで家族行事でしかいくことのなかった東京なだけにそして、当時仲の良かった友人も同時期に東京ということもあって、受験が終わったらあっちへ行こう、こっちへ行こうともう受験そっちのけだった。当時は勉強しているつもりだったが、結局のところ浮き足立っていたんだなと思う。つまりは受験に落ちたんだ。
当時、勉強そっちのけで映画を観ていた。というのは僕は日本大学映画学科を目指していて、映画の学科なら映画の造詣を問われるに違いないと漠と思い込んでいたし、勉強より映画を観るほうが楽だったからだ。そんな僕の初めての東京ガイドは「ぴあ」&親戚のSおばさんだった。当時、北海道の空知の岩見沢に住んでいると「ぴあ」はあまりに役立たない情報の多い雑誌という感じがした。というのはぴあに掲載されている情報のほとんどは首都圏のスケジュールだからだ。

「役立たないのに片田舎の本屋にある」という違和感が逆に「東京に行けば役に立つ」というイメージにつながって、小遣いに余裕があるときに何冊か購入するという行動につながっていた。

とはいっても、実際に首都圏から程遠い北海道にいるわけで、観ることはできないがそういう映画があるというというそういったことをひたすら読み取って、あれこれと想像をしていた。そういった中で楽しめる記事というと限定されてくるわけで、当時の僕にとって「ぴあ」のエンタ比率の大部分を占めていたのは結局はリリーフランキーの「あっぱれB級シネマ」だった。吸血ゴケミドロは後家さんが主人公だと思ってたとか、梅宮辰夫の不良番長時代の好きな言葉は「人殺し」だとかユルゆるで脱力感がある。
うまいこと的をはずす感じは雑誌に掲載されて4分の1ページを占めているときにはまるで空気のような印象だが、こうして集積したものを読むと改めて「この人って何者なんだ?」と思わされる。

話は今に戻って、パラパラとめくっていると、力道山のドキュメンタリフィルムが嘘つきでがっかり、というコラムとイラストがあって、はっきりと憶えていた。映像の中のかっこいい力道山とは全く違うかっこ悪い力道山についてのコメントににやりとさせられた。最近も力道山を主人公にした映画が公開されていたが、その知らせを聞いたときに真っ先に思い出したのが、このコラムだった。多分リリーフランキーはこの映画についても不満におもっているのかなと思うんだが、是非コラムを読んでみたいものだ。
2005-10-23

散歩の達人 10月号神保町

テーマ:読書
 
散歩の達人 10月号 [雑誌]
職場の付近一帯の料理屋にはどういうわけか首都圏の情報誌が置かれている。散歩の達人BRIO (神奈川方面)どちらも、じゃらんや○○ウォーカーなどとは一線を画す大人しく洒落た志向の雑誌なんだが、昨年の出張の記憶もあり、何気に手に取ることが多い、多分この辺の地域はちょっと買い物に東京へなんて人たちが案外住んでいるんだろうな。
10月号の散歩の達人 は神保町がテーマ、古本から始まり、食、楽器、カフェ、深夜と抜かりが無い印象だ。
そういえばこの店で本を買ったなとか、そうそう楽器を物色すればよかったとか思う、神保町の思い出というと、VINTA の中村君と久しぶりの再会を果たしジャニス を紹介してもらったこと、それに、COZY君 との散策が深い、出張時の4ヶ月の後半はジャニスでCDを借りるようになっていたので、週1ペースで通っていた町でもある。
雑誌を読んでいて、カレーの店「カーマ」が紹介されている。この「カーマ」チキンとキーマ以外のメニューは書いてあるが受け付けてくれないのだという内容のコラム、そういえば野菜を頼んでチキンに変更してもらったようなもらってないような気がしてきた。なかなか楽しめる内容だったので、本屋で見つからない場合には足繁く通うことにしようと思う。

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