2008-01-15
淀川長治 映画塾
テーマ:読書
- 淀川 長治
- 淀川長治映画塾
アテネフランセ文化センター で行われた「映画塾」の講演録音をおこしたもの。
29回行われた時点で本書が編集されており、割愛された9編は監督ではないテーマ、概要的なもの歌舞伎やバレエ、スラップスティックなどだそうだ。
僕が映画を一生懸命に観始めたのはジョン・カーペンター監督作品「ゼイ・リブ」をもう一度みたいという一念であったのだが、このゼイリブ、日曜洋画劇場で放送されていたので、自然と最も観たテレビ映画となった。
当時、映画の冒頭には解説者が紹介するスタイルで、金曜は水野晴朗、土曜は高島忠雄、木曜は木村奈保子 さんという時代だった。
今になって思うと、淀川氏亡き後は後を追うようにテレビ映画の解説はなくなってしまったわけで、こうした日本の映画文化の支柱であったことが端的に感じられる。
毎回、特定の監督をテーマにしているし、前回はこう話したという語り方を避けている(のだと思う)ので、好きな監督、知っている監督から掻い摘んで読んでいくことができる。淀川氏の解説は特徴があって、映画のワンポイントとなるシーンを事細かに再現することがあるので、できれば一度その作品を観た上で解説にふれるほうが良いとおもうことがある。 実際、収録されている講演会はテーマとなっている監督の作品を上映した後に行われているため、その傾向が強い、そんなことを思ったのは、淀川氏が亡くなった際に「徹子の部屋」では追悼として淀川氏が最後に部屋に来た時の放送を前編放送しているのを観ていたからだ。
そのときに話していた内容、ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」、ジョン・フォード「果て無き航路」を語っている。
実は「徹子の部屋」で語られた2作品については、本書でもほぼ同じ内容で語られているのが面白い。
- 黒柳 徹子
- 徹子と淀川おじさん 人生おもしろ談義
記憶によれば「いつみても波乱万丈」へも出演されたことがあるが、その放送では「駅馬車」の宣伝に成功した話、ジョン・フォードと初めて出会った時の思い出、及び、「さよなら」を三回言うようになった理由が紹介されていたと憶えている。こうしたエピソードも本書には掲載されているが、番組の内容と当然ながら非常に一致している。こうしたことから、淀川氏の解説は非常に再現性の高いレベルで氏の脳内に完成されていたのだと思う。
さて、本書についてどこから読んでもよろしいとは言ったものの、諸所の理由でとりあえずちょっとだけ読もうというのであれば、必読の1項は「ウィル・ロジャースとジョン・フォードのアイルランド魂」だろう。なぜか、既出と通り、淀川氏はジョン・フォードの「駅馬車」の宣伝で成功したことが重要な転機となっている。また、氏の座右の銘だったという「私はかつて嫌いな人にはあったことがない」はウィル・ロジャースの作品中に登場する台詞でありウィル・ロジャースの碑に刻まれていると語っている。また、20章-黒澤明でも、黒澤監督がジョン・フォードのフリークであること、クロサワ作品のどれがどのジョン・フォード作品と影響関係があるのかが語られているのだ。 もうひとつ、セシル・B・デミルも別章でも頻繁に登場する、これらについては映画史のほんとに初期のもので、入手もしずらいから観てから云云は割り切ってしまっても仕方ないように思う。各章の冒頭では講演当時公開されていた映画についていくつかふれているがその評のなかでも「アイルランド」というコトバが飛び出すことがある。本書でも説明されているが、アメリカ映画の黎明期はアイルランドからの移民が多く映画業界にいた。黎明期、ほぼアイルランド映画ともいえそうなほどの密度で移民たちが制作したフィルムを観て育ったことが淀川氏の映画原体験となるようだ。そのため、アイルランド的な人情性を淀川氏は価値基準として持っているらしく(少なくともテレビでは共有しずらいキーワードとして封印していたように思うが)これを意識しておくことは、淀川氏とそのほかの映画評論家との違いをみる上では重要だろう。
僕がもっとも観込んでいるフェリーニ、ヴィスコンティを読んでいると、淀川氏が描いているシーンが非常に正確であると同時に僕が記憶している台詞とかけ離れた台詞が紹介されていることに気がつく、淀川氏は「おいら、あたい」という人称を使ったりいくつかの心理描写を台詞であるかのように紹介している、意訳しているのだ。おそらくは映画の流れを記憶していて、それを語るときに再構成しているからなのだろう。
ホラーやサスペンスではない映画でも「怖い」が連発されているところや、カメラマンなどのスタッフについても非常に詳しかったらしいことが伺えるとこも興味深い、話をさかのぼって、ウィル・ロジャースやジョン・フォードのアイルランド魂はヒューマニズムであるところとあわせて考えると「死ぬ」や「痛い」が怖いのではなく、人間性が裏切られ、傷つけられるのが「怖い」と氏は言っているのだ。なるほどヴィスコンティやフェリーニは怖い怖い映画となる。



































