「むんっ!」
アレクは剣の柄を両手で持ち振り上げ、魔物の鎌を振り払った。
魔物は、得体が知れないこの戦士に警戒したのか、後方へ飛び去る。

「動けるか?」
痺れが取れてきたケインは、その痺れのお陰で痛みが和らいでいた事に気が付く。
どうやらあばらが数本折れ、右足の脛を骨折しているようだ。ヒールポーションを使ってもそう治るような状態ではないがそれでもポーションによって話が出来る程度には回復できた。
強烈な痛みを抱えつつ、それでも動こうとするケインに、「無理はしなくて良い、そこにいろ」とアレクは声を掛けた。
アレクは立ち上がって、数歩魔物のほうへ向かい、あまり驚いた様子も無く魔物の名前を呼ぶ。
「バフォメットか」
「(妙だな・・・こいつは召喚しない限り、地上界には出現しないと思っていたんだが)」
そう思い、ケインに声を掛ける。
「ケイン、お前がここに入る前に人が入った痕跡はあったか?」
「い、いや」
「・・・そうか」
入り口の事を聞かれたケインも、ふと、アレクがどうやって扉を通過したのか疑問に思ったが、細かい事が苦手なアレクが取った方法は容易に予測出来たので聞かなかった。
アレクは魔物を見据えながら左足を半歩引き、体をやや前傾に低くして、剣を腰の辺りでスッと水平に構える。
そして、剣先をやや後方へゆっくりと引く。
「気を付けてくれ・・・こいつの動き、普通じゃない」
「ああ、そのようだな!」
そう言い終えると大地を蹴る。
間合いを詰め、渾身の力で右から薙ぐ。
限界まで鍛え上げられたツヴァイハンダーは、その力に呼応するようにキィィィィンと共振して白く輝き、うなりを上げた。
バフォメットは、その攻撃に応戦しようとするが、水平切りから剣を返して上段振り下ろしに移り強烈な突きに繋がる多段攻撃に、鎌で受け止めるのが精一杯だった。
アレクは鎌に弾かれた反動を利用して、くるりと時計回りに回転し、今度は左側から攻撃を打ち込んだ。
バフォメットは鎌の柄でなんとか回避するがバランスを崩す。
左足を踏ん張ってなんとか倒れることを堪えたバフォメットは、前方にいる敵の動きを捉えようと顔を起こした。
そしてバフォメットが見たものは、大剣を上段に構え、今まさに撃ち込まんとする戦士の姿だった。
「ディレイ・・・」
「クラッシングッ!!」
バフォメットはとっさに頭をかばうようにガードするが、アレクはガードの上から構わず撃ち込んだ。
8体に分身して仕掛けてくるような怒涛の攻撃に、上半身が下半身にめり込むように体は折れ、膝は揺れ、堪え切れずに片膝を地面につく。
バフォメットは攻撃が止んだ隙にたまらず距離をとるために後方へ飛ぶ。
しかしアレクは、その動きを読んでいた。
「はっ!」
そう気合を込めるとツヴァイハンダーは薄緑色に輝く。
霊波を帯びた剣を下から真上に振り上げると、剣先が描く弧に合わせて三日月形の巨大な霊波刀が具現化し、ゴゥと地面を切り裂きながら魔物を目掛けて飛ぶ。
霊波刀は、それを受け止めんと思わず伸ばした魔物の左手を容赦なく吹き飛ばし、主から切り離された左腕は、のた打ち回りながら地面に落ちやがて動きを止めた。
バフォメットは、一旦は両足で着地したが、勢いを殺し切れず仰向けに倒れこんだ。

アレクは剣を中段に構え、大きく、長く息を吐き呼吸を整え、敵を見据えた。
鎌を支えにようやく立ち上がった魔物の体は、アレクの連続攻撃により身体は無数に切り裂かれ、吹き飛ばされた左腕の根元からどす黒い体液が流れ出ていた。
バフォメットの悲痛にも似た表情をしてアレクを睨み付け威嚇するが、実力の差は明らかだった。

岩壁に寄りかかって座り、体力回復に専念していたケインは、その一方的な戦闘に言葉が出なかったが、なによりアレクがここまでの戦士とは思っていなかった。
戦闘は間もなく終わりを迎える判断したケインは、痛みを耐えながら壁伝いに立ち上がろうとする。
「待て」
立ち上がり近寄ろうとするケインを静止した。
「何か様子がおかしい」

その時だった。
バフォメットはビクン、ビクンと痙攣を始めたかと思うと「ガッ・・・カッ・・・」と、かすれた声を上げ苦しそうにもがき出す。死を前にした断末魔かと思ったが、なにか違う。
グガアアアアア!
悲鳴のような叫びを上げ、まるで操り人形のように鎌を持つ腕をダラリと下げたまま胸部を突き出すように立ち上がると、大気が揺れ、バフォメットを中心に竜巻のような突風が起きる。
ビクビクと痙攣するバフォメットの胸部が裂け、その裂け目から黒く光る石のようなものが迫り出すように現れた。
「何が・・・!?」
誰に答えを求める訳でもなくケインが叫ぶ。
風で舞い上がる小石をガードしながら黙って見ているアレクだが、目の前で起きてきる壮絶な光景に驚きを隠せない。
バフォメットの肌の色が徐々に黒く濁り始め、胸部の石を中心にして放射状に体中の血管が浮き出る。
ガハァァ・・・
徐々に平静を取り戻すと、今までにない禍々しい邪気を放ち、数刻前まで戦っていたそれとは明らかに違った。

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バフォメットはその場で鎌をゆっくりと振り上げ、もの凄い速度で振り下ろすと、強烈な衝撃波が空を走り隠れていた岩壁がえぐり取られる。ケインは咄嗟にその場から飛び、腰に差していたダガーを両手に取ると同時に投げつけた。
しかしバフォメットは、振り下ろした鎌を素早く振り上げて飛んできたダガーをいとも簡単に吹き飛ばす。
そして間髪入れず再び鎌を勢いよく振り下ろした。
魔物との距離はおよそ10mあったが、ケインは思わず頭の前で腕を十字に組み、両足をやや開いてその場に踏ん張った。
直後、ゴウッと突風がケインを襲う。
突風と衝突した直後、その衝撃に鎧がきしみ、カマイタチのような現象で武装されていない手の甲や頬が切れて血が飛散する。
「グゥッ・・・!」
なんとかそこで踏ん張る事に成功し前方を見ると、魔物は体をグッと低くしてからケインの方に飛び掛かってくる瞬間だった。
バフォメットはケインがそこで耐える事を予測していたのだ。
バフォメットは空中で鎌を振り上げ、ケインを目掛けて振り下ろす。
ケインは無我夢中の横っ飛びで、なんとかそれを回避すると、空を切った鎌は地面に突き刺さり、地面が大きな悲鳴を上げる。
直後、バフォメットは地面から鎌を引き抜くと同時に薙ぎ、ケインに向かい衝撃波を放った。
「な!?」
至近距離に防御の体制を取る間もなく、衝撃波の直撃を受けたケインの体は十数メートル吹っ飛び、岩壁に衝突してズルッと力なく地面に落ちた。
「ガハッ」
衝撃に肺が押し潰されて一時呼吸が止まり、そこから回復すると無理やり肺に空気を取り込み咳き込んだ。
立ち上がろうとするが、体が痺れて動かない。
それを見て勝利を確信したのか、魔物はゆっくりと向かってくる。
ケインは痛みを堪えながら薄目を開け、荒く呼吸をしながら魔物を見つめる事しか出来なかった。


魔物と対峙してたった数分。
一時前では予測も出来なかった最悪の状況にケインの思考は停止していた。
必死に回避する方法を考えようとするが、身体はダメージを負っている上に麻痺もしているので、ベルトポケットに入っている強化解毒剤やヒールポーションを手に取る事も出来ない。
もはやこの状況を回避する方法など無く、迫り来る最悪の結末を受け入れるしかないように思えた。

「ここで・・・・・・」
ケインは、受け容れ難い現実にその先の言葉を言えなかった。
ケインは、ハノブで初めて人の温もりを感じた。
親もなく素性の知れない自分をハノブの人々は皆、笑顔で迎え入れてくれた。
だから、ここで暮らす人たちの笑顔は大好きだった。
鉱山が疲弊し、その笑顔が消えそうで・・・自分を救ってくれた人たちになんとか恩返しをしたかっただけなのに。
「何やってんだ・・・俺は・・・」
ケインは、悔しさと、後悔と、否応なしに押し寄せる恐怖が交錯し、流れる涙が止まらなかった。

魔物はすぐ目の前にいた。
完全に戦意を喪失している人間の全身を嘗め回すように見てから嘲笑い、奥の歯茎まで剥き出して赤く光る目を細めた。
目の前にいる人間の息の根を止めるべく、鎌を振り上げる。

ガァァァァァァッッッ!
精神は高揚し頂点に達して全身が震え、快楽のあまり叫ばずに入られなかった。
バフォメットにとって、まさに至福の時だった。
そしてケインの頭部をめがけて振り下ろす。
ギィィィィン!
瞬間、黒い巨体が疾風の如く近づき、とどめを刺そうとしている魔物と、力なく横たわる人間との間に立ちはだかった。
そして振り下ろす鎌を、2メートル近くあるだろう長身の剣ツヴァイハンダーが受け止める。
バフォメットは、予測も出来なかった割り込みに呆気に取られたが、至福の瞬間を邪魔された事に気が付き、鼻筋にしわを寄せ介入者を睨み付けた。

「遅くなったな」
睨み付けて来る魔物を冷静に見据えながら、一呼吸置いて黒い巨体は言った。
聞き覚えのある声に、ケインは薄目を開ける。
目の前に見えるのは漆黒のフルプレートアーマーに身を包んだ戦士、アレクの姿だった。

「・・・頼んで、ねぇよ・・・」
力弱く言ったケインの瞳からは涙が止まらなかった。
それは安堵のものへと変わっていた。

「ふー、やっと着いた」
若い剣士はそう言うと、入り口にある背の高い木の幹に手を付いて、何かを懐かしむような眼差しで樹木のてっぺんとその先にある青い空を見上げた。
正午を過ぎて日が傾きだした頃、傭兵らしき2人は廃坑の入り口にいた。
「歩くと遠いんだねぇ、疲れちゃったよ」
微笑みながらそう言う剣士に、
「歩こうと言ったのは貴方ですよ、ルイス」
と冷静に、やや呆れ顔で答えるのはビショップのジェラルドだ。
ルイス【ルイス ローゼンフェルド】はハノブ出身で、ローゼンフェルド家の次男で20歳。12歳の時に兄アッシュに触発されて剣技を習い始める。鉱夫になるのは歳とってから、という独自の思想で2年前にハノブを出た。
ジェラルド【ジェラルド カルゼン=ブラッカー】は神聖都市アウグスタ出身のビショップでルイスの同僚。年齢は不詳だが見た目は20代後半である。
2人はブルンネンシュティグが有する軍に所属している。
今回はエルベルグ山脈ハノブ西部地域付近にて空に伸びる閃光を目撃したという情報があり、その調査に派遣されたのだ。先行隊の話では、エルベルグ山脈西部の荒地に大きな穴が確認でき、明らかに内側から強い力が働いて出来たものだという。位置としてはおそらく廃坑、もしくはパブル鉱山内部で発生したと言うのが見解らしい。
ルイスとジェラルドはその現場の確認及び調査が任務だった。

「剣の稽古にね、よく来たよ」
「変わってないなぁ」
入り口付近から見える景色を眺めながら十数年ぶりに訪れたようなルイスの口ぶりに、ジェラルドは質問を投げかける。
「ここへは何年ぶりになるのですか?」
「んー、2年かな」
2年じゃそう変わらないでしょう、とジェラルドは思ったが口には出さず、「そうですか」とだけ言い苦笑した。

心地よい風が2人の頬を伝い、抜けていく。
ここで異変が起きたなどとは思えないぐらい静かで、風になびく草木が奏でる和音は心を落ち着かせた。
顔をやや俯き加減に目を閉じ、ただ風に身を任せていたルイスは、やがてゆっくりと瞳を開く。
「何か妙な感覚なんだ」
「たいした任務でもないのに、震えが止まらない・・・」
ルイスは両手を広げて篭手で包まれた掌を見つめる。それは、これから起きる何かを予見しているのだろうか。それとも光の柱に対して意識下で恐れを抱いているのだろうか。
今のルイスには判らなかった。
ジェラルドはただその言葉を聞くだけで何も答えなかった。答えを求めているのではないと察したからだ。

ルイスはもう一度目を閉じ、強い決意と共に見開いた。
そこには先ほどまでの笑顔は無く、剣士の顔があった。
「いこう」
ルイスの声にジェラルドは肯き、廃坑へ足を踏み入れた。


パブル鉱山は、閉山してからすでに10年。
入り口は頑丈な鉄の扉で閉じられており、鍵が掛けられている。
ケインはパブル鉱山の入り口に来ていた。なぜここに来たのか、ケイン本人にもよく判らなかった。ただ、ハノブのためにという人一倍強い気持ちがここへ来る事を駆り立てたのかも知れない。
とにかくここまで来たのだ。鉱山の状態を見て安全を証明し、この鉱山の採掘再開を促そうとケインは考えた。
ゆっくりと扉に近づくケインは鍵に気が付くが、それを特に気にする事もなく扉の周りを念入りに調べる。
「罠はない、か」
鉱夫ぐらいしか近づかないこの扉に、罠があったとしたらよほど意地が悪い。
扉の鍵穴に右手をかざし、目を閉じる。
数秒後にカシャと開錠した。
「ふう」
鍵開けのスキルを使ったのは何年ぶりだろうか。腕は然程鈍っていない事にケインは少し安心した。
安全を証明する、などと思いながらも武装しているケインなのだが、中に入っても何故か魔物の姿を確認出来ない。
安堵しつつも不思議に思い辺りを見渡すと、岩壁や地面に無数の引っかき傷のようなものがある事に気が付いた。
嫌な予感はするが、いまさら後に引くつもりも無い。
念のために気配を消しながら奥へと進み、魔法円が床に描かれた場所にでた。
「これは・・・」
過去に魔法都市スマグのウィザードギルドマスターであったゲンマが施したという魔法円。
その存在を知らなかったケインはこんなところに魔法円が存在していた事にも驚いたが、更に驚かせたのは魔法円を切り裂くように大きな引っかき傷があったからだ。
そのためか、この封印はほとんど機能していないようだった。
ケインは魔法円の中央にしゃがみ、えぐり取られた地面の傷を確認する。
「この傷・・・まだ新しい」
何者かによって破壊された封印の向こう側に、奇妙に岩が転がる一角があった。
崩落でも起きたのだろうかと思ってそこへ向かうが崩落の跡は無く、周りにもいくつか岩が転がっている。
不思議に思い更に奥へ進むと、そこには驚愕の光景が広がっていた。
天井には直径およそ5メートルの穴が、どこまで続いているのか確認できないぐらい上に空いており、そして地面にも同じ大きさの穴があり、穴に発生した煙のようなガスで底が見えない。
「これって、酒場で話していた・・・」
ケインは得体の知れない恐怖に全身に鳥肌が立ち、息苦しくなり呼吸が荒くなる。
ここに居てはいけない。何かとんでもない事が起きている。
縺れそうになる足を無理やり動かしてその場から立ち去ろうとしかけた時、鉱山内に響き渡る不気味な音にゾクッと背筋が凍る。

オオオォォォン・・・
ケインはとっさに一番近くの岩壁に移動し、壁を背にして辺りを注意深く見回す。
然程動いてもいないのに全身から出る汗が止まらない。
近い。
岩壁の向こう側におぞましい気を感じる。なぜこんな気配に今まで気が付かなかったのか。
ケインは恐る恐る岩壁から向こう側を覗き込み、徘徊する魔物の姿を見てはっと息を呑む。
「バフォメット!」
「そうか、こいつが封印を・・・」
手に持つ鎌を見て封印を破壊したのがこの魔物である事は容易に推測できた。
ただこの魔物に封印を破壊するほどの力が・・・
「!」
そこまで考えて天井を抜ける穴が脳裏を過ぎり、戦慄した。
「こいつ、何か得体の知れない力を・・・!」
ケインはその魔物に恐怖し、消していた気配が一瞬だけ漏れる。
バフォメットはそれを見逃さなかった。
ゆっくりとケインの方へ振り向き赤く光った目をクワッと見開くと、天井に向かって吼えた。

夜明け。
朝霧が光を反射して大気は白く輝き、静かだが森や大地は生気に満ち溢れている。
朝を迎え、静寂に満ちた町はにわかに活気付いて、木造建築の屋根にそびえる煙突から白い煙が上がり、それがかすかに香ばしい。

鉱山町ハノブ。
エルベルグ山脈北端の麓に位置し、採掘した金属で生計を立てている小さな町。
現在より450年ほど前、フランデル大陸西方に位置する大帝国エリプトより大陸極東地方へと、レッドストーン探索のために、多くまた長きに渡り部隊が投入されたが、捜索中にエリプト帝国は魔物たちによって襲撃を受け壊滅。帰る場所をなくした捜索部隊は大陸極東地方を彷徨い、やがて現在よりやや南方に根を下ろしたのが起源という。
やがてハノブはフランデル大陸極東地方最大の都市ブルンネンシュティグに続く規模の都市にまで成長したが、突如として魔物の襲撃を受ける。民衆は鉱山に逃げ込む事で最悪の事態は免れ、なんとか現在の位置を町として再建する事に成功した。
エリプト、ハノブが魔物の襲撃を受けた原因について数々の憶測が飛交ったが、実際のところ定かではなかった。


ゴウンゴウンゴウン・・・プシュー
町外れにある鉄鉱山の地下深く伸ばされたエレベーターが数人の鉱夫を乗せて地上に到達した。
アレクは、朝露で輝く大地に目を細め、瞳に降り注ぐ朝日を太くたくましい腕で遮った。
やがて目が慣れ、マスクを外しながらエレベーターから降りる。
すがすがしい天気とは裏腹に、鉱夫たちの顔は浮かなかった。
鉄鉱山は40年ほど前に開拓された比較的新しい鉱山で、現在の主鉱山である。しかし、徐々に採掘量は少なくなっており、新たな採掘場所を探すべく更に地下へと掘り進んではいるのだが、現在のところ期待出来るような成果は上がっていないからだ。

みな自宅へ戻り一眠りした後で、特に打ち合わせた訳でも無く、正午過ぎに何人かは酒場へ集まっていた。
アレク、ゼルゲイ、ケインはテーブルに着いて、麦酒と適当なつまみを注文する。

アレク【アレク ローゼンフェルド】は、そろそろ50歳を迎えるのだが、見た目は若く40代前半に見られる事も多い。傭兵をしていたが、27年前の大戦以降、その活動に見切りをつけて鉱夫となった。
ケイン【ケイン バルザック】の出身は新興王国ビガプール。現在20歳で、鉱夫として2年目を迎える。物心ついた頃には既に両親はおらず、名と性、及び年齢は教会の神父から本人に告げられたものだ。とある事で教会を飛び出してビガプールのスラムで荒んだ生活をしていたが、アレクと出会いハノブで暮らすようになる。
ゼルゲイ【ゼルゲイ ガザエフ】はハノブ生まれのハノブ育ちであり、代々鉱夫の家系を持つ。現在39歳であるが争い事が苦手で何かと仲介役に回る事が多く、苦労人な為かやや老けて見える。

3人は運ばれてきた麦酒を手にして乾杯のような仕草をした後、一気に飲み干した。
酒場では光の柱の話題が上がっていた。数日前の深夜、山脈のハノブとは反対側になる位置あたりで、光が柱のように立ち昇ったという。この話は、ブルンネンシュティグからもたらされた話で、実はハノブからは山が邪魔をしてその現象を確認する事は出来なかった。しかし、光が立ち昇った時と同じ頃、ハノブおよび鉱山にて滅多に起きない地震が発生しており、何か関連があるのではというのが主な話題だ。
「山の反対って言うと、廃坑のあたりかな?」
ゼルゲイは興味があるらしく楽しげに話し掛けるが、アレクはたいして興味が無いようで「さあな」と答えるだけだった。
集まっても仕事の話はしない。話をしたところで問題は解決する事はないし、なにより鉱山以外では仕事のことは忘れたいというのが本音であり、それだけ追詰められていた。
いつもなら適当な雑談をしながら酒を飲み、つまみを食べて有意義という訳でもない時間を過ごし別れるのだが、今日は違っていた。
「あのさ、(鉄鉱山は)これ以上掘っても期待出来ないんじゃないかな」
ケインはテーブル上に手を組み、うつむきながら口を開いた。
2人は暗黙で禁句としていた言葉に少々驚いたが、その真剣な表情に、聞き流す事は出来ないと悟った。
「しかし・・・他の場所といってもなぁ」
ジョッキの底に溜まっていた麦酒を飲み干しながらゼルゲイが言った。

「パブル鉱山なら・・・」
「あそこは駄目だ」
と、だらしなく背もたれに寄りかかったアレクはケインが口を開いた途端、間髪いれずにその言葉を遮った。
ケインは即座に否定された事にムッとして、勢いよく両手をテーブルに付いて立ち上がる。
「あそこなら希少金属だって多く採掘出来るんだろ!?」
「そうだな」
目を閉じながら答えるアレク。
「なら・・・!」
「ケイン・・・10年も前に閉山してるんだ、今更持ち出すな」
アレクはやや苛つく心を静めるために深く息をつき、椅子に座りなおしながら向き直ってそう言った。
ケインはこぶしを強く握り何かを言わんと唇を震わせたが、何も言わずその場から出ていった。

パブル鉱山はもともと鉱山ではなく魔物の住処だった。
エルベルグ山脈の西側の麓、ハノブとは山を挟んで反対側にあり、今は廃坑と化した鉱山から偶然魔物の住処を掘り当ててしまった場所だ。住処を荒らす外的を排除すべく魔物は鉱夫たちに襲い掛かるが、強靭な身体を持つ鉱夫たちに返り討ちに合う。
かくして魔物の住処は鉱山と姿を変えたのだった。
その後も魔物は存在したが、鉱夫たちとってはさほど脅威でもなかった。
それよりも、14、5年前から鉱山内にガスが発生するようになり、そのガスの為か頭痛や目眩、吐気を起こす者が多数出た。時には死に至る事もあってハノブの長であるクレルは、これ以上被害を拡大させないために、10年前にやむなくパブル鉱山の閉山を宣言した。

出て行くケインを見ながらゼルゲイがいう。
「まあ、気持ちは解かるが」
「未だ若い、か」
ジョッキを目線の高さまで持ち上げ、中で踊る麦酒の泡を眺めながらアレクがそう言い、ゼルゲイに視線を移して目配せをする。
ゼルゲイは控えめに両腕を広げてやれやれと肩をすくめて言った。
「あんたが行くのが一番だと思うがな」

日も落ち、家々には灯りがつく。夕飯を食べ終わり、アレクは娘のカレンとくつろいでいた。
「あたしもコウフになる!」
「ほぅ?そりゃ頼もしいな」
「よし、腕相撲で父さんに勝ったら鉱夫にしてやろう」
「負けてあげればいいのに」という妻であるシャロンの言葉に、「冗談じゃない、鉱夫なんかにさせてたまるか」と真顔で言う。
アレクは3人の子がいる。
長男のアッシュ、次男のルイス、末の長女がカレンだ。
カレンはまだ幼く家にいるが、ルイスは剣士として2年前からブルンネンシュティグ正規軍に、アッシュは戦士道を極めると、5年前に出ていったきり音信不通となっていた。

騒がしい団欒を過ごす家族が住む家のドアが叩かれる。
「夜分すまん」
扉を開けるとゼルゲイの姿があった。
ゼルゲイの普段はあまり見せない険しい表情に、アレクは只ならぬものを感じる。
「ケインが、いない」
普段であれば気にするような事ではないのだが、酒場での件で何か嫌な予感がしたのだ。
アレクも同じ思いを感じ眉間にしわを寄せ、腕を組みながら闇の中にそびえるエルベルグ山脈の方を見た。
山は静かに、だがいつもと違う不気味な何かを放っているように思えて無意識に肩をすくめた。

1.闇の胎動

伝説の石、レッドストーン。

500年以上前に発生した伝説は、現実のものとなってその物語の終焉を迎える。
小さな欠片となり各地に散らばったレッドストーンを探し当てたのは、それ取り戻そうと捜索していた天界の天使でも、それを奪い取らんとしていた魔界の悪魔でもなく、地上界の「人」であった。

しかし「人」は、その石に秘められた能力を解放する術を持ち合せていなかった。
それを知る天界や魔界の者は、「人」に対して、我らであればその力を引き出す事も可能であると噂のように流し、石を獲得する為に「人」との接触を図ろうとした。
案の定、石の解放を委ねるしかない「人」は天界や魔界を訪れ、天界と魔界の者達は喜んで力の解放に手を貸した。
ただ、両者が叶える事が出来る願いはそれぞれ異なり、石の欠片を持つ者たちは選択肢に迫られた。
天界の者によって解放された力を得るか、魔界の者によって解放された力を得るか・・・解放しないという選択肢もあったが、それを選ぶ者たちは殆どいなかった。

元々、個の強さを求める「人」は、個であるが為にその選択肢もまちまちだった。
徐々に天界、魔界に欠片が集まり、欠片の数はその全数をほぼ二分する。
時と共に天界、魔界に持ち込まれる石の数が減少すると、天界は魔界の、魔界は天界の欠片を手に入れんと考えるようになった。
お互いを合い受け入れぬ両者は、同じ時期にその方法を模索し、導き出した答えはまるで必然であるかように全く同じ答えだった。

それは「人」の利用であった。

「人」が誰しも持つ強さへの欲望を煽り、そして相手を攻撃する大義名分を与えることで、多くの「人」の意識を奪い人形のように操作する事は出来なかったが、意思を操作する事ぐらいは両者にとって造作もない事だった。
そして、フランデル大陸極東地方を舞台とした「人」による天界と魔界の代理戦争が勃発する事になる。
急激に広まっていくその戦火は、天界も魔界も予想を超えるものとなり、大戦といって過言ではないほどになった。
「人」は利用されているとは知らずに挙って最前線へ赴き、命を散らしていく。
大陸はまさに「人」の血で覆われる勢いであった。
利用されている事に逸早く気が付く者もいたが、彼らは臆病者扱いされて、その言葉は完全に無力だった。
強さを得ようと戦闘に明け暮れ、血で手を赤色に染めていく。
弱いながらも結ばれていた同属の絆という糸は途絶え、自分以外はたとえ親子でも敵という意識が精神を蝕む。
そんな彼らに休まる時は全く無く、心身ともに疲弊していった。
天界の者も魔界の者も、そんな彼らに手を差し伸べることは無く、ただ傍観するだけだった。
まるで「人」と「人」が殺し合う事を嘲笑うかのように。

「人」はようやく、この戦いの先に何もない事に気が付くが、既に手遅れの状態となっていた。
「人」にはもはや、両者を憎むことすら出来ないぐらい疲れ切り、まして立ち向かう事など到底出来ることではなかった。

結局「人」に得るものは何も無く、ただ空虚だった。

その後、天界と魔界の戦争は停戦となり、レッドストーンは、まるで始めから仕組まれていたかの様にあっさりと天界へ返還される。
だがその事は、空虚に支配された「人」の心において知りたくもない出来事となっていた。
大戦は1年にも満たない短いものだったが、「人」が失ったものはとてつもなく大きかった。


月日は大戦から25年が過ぎる。
フランデル大陸極東地方は驚くほどの早さで再建していた。
かつての栄華を取り戻すほどとなり、復興が進むにつれてそこに生きる人々の顔には笑顔が戻り始める。
あの忌々しい記憶はなかなか消えるものではなかったが、時は人の心をゆっくりだが確実に癒していた。


そして更に2年が経過した。

時は深夜、パブル鉱山最深部で頭からローブを被った老人と思われる人物がよろよろと歩いている。
老人は暗闇の中で手を岩壁に着きながら、歩くのがやっとという足取りで何処かを目指し進んでいるようで、何度も崩れ落ちそうになる体を精神力で動かし、やがて少し開けているように思われる場所にでた。
その場所の中央付近でまるで力尽きるように両膝と両手を地面につき、何かの呪文を唱え始める。
静かに詠唱を終えると老人を中心に魔法円が高速に描かれ、その描画を後追いする様に勢いよく赤い光りを放ち、老人自身とその周辺一帯を照らした。
魔法円の光によって照らされた老人の顔は、既に光を失っているのか瞳は窪み、頬は痩せこけて皮膚の付いた頭蓋骨の様だった。
間も無く、魔法円の力によって空間が歪み、老人の2倍はあろうかと思われる大きな魔物が現れた。
その魔物は鋭く細い目を赤く光らせ、頭には羊のような2本の角を生やしていて、足先に届きそうな2本の長い腕の右手には巨大な鎌のような武器を持っており、身長の半分を占めるカモシカのような足と、細身だが引き締まった全身濃い緑色の体を有していた。
下部から赤い光で照らされた魔物の姿は、その光によって不気味さが一層増し、ドーム上の天井には魔物の影が大きくぼやけて映る。
魔物は口から瘴気を吐きながら鼻筋から眉間にかけて大きくしわを寄せ、赤い目を細めて老人を睨み付けながら話し始める。

「ワレヲショウカンセシハオマエカ・・・」
老人はその問い掛けに答えず、ただほくそ笑む様に、皮と骨だけとなった顔の口元が吊り上ったように見えた。