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                 京都御所外壁



日本は、もっともっと国際的発言力を持たなければなりません。

日本は、経済的衰退や、ましてや他国の侵略の憂き目に合うようなことがあってはなりません。


なぜならば、日本は世界にお手本を示す国だからです。


日本は世界に先駆けて、「人種差別をやめよう。」と訴えました。

それが先の大戦の、本当の理由です。


また戦後日本は、自国領土拡張なしの大繁栄という、世界史初の偉業を成し遂げ、それが世界から侵略戦争の必要性そのものをなくしました。



人種差別を根底にした植民地の時代。

略奪経済を肯定した侵略戦争の時代。


この悪しき戦いの時代を終わらせたのは、我々の国日本なのです。



            ヨーロッパの城の外壁



中国が盛んに覇権主義を行っています。

これは、時代遅れそのものです。

彼ら中国共産党には、そんなこともわからないのです。


そして今、世界ではユダヤ教・キリスト教・イスラム教の争いと、無神論共産主義による覇権主義という、いずれにおいても、思想信条、そう、宗教の争いの時代となっているのですね。



要するに今の世界は、植民地獲得がなくなり、他国領土を取ることがなくなったからこそ、宗教で争っているのです。



この宗教の争いの時代、思想信条、神の名が、人間の争いに利用される時代を終わらせるのも、やはり我々日本です。


なぜならば、日本はとっくの昔に宗教戦争の時代を経験し、それを克服した経験があるからです。

それは最近のことではありません。

遥か昔、飛鳥時代の、聖徳太子の時代です。


日本だけは、「世界よ、稚心を去れ!」と言える、大人の歴史を有しているのです。



街をぐるりと囲む、中国長安の外壁。 



聖徳太子は、十七条憲法によって、仏教を国教化し、仏教に帰依した宗教的指導者=天皇による国家体制を築きました。

これが、宗教戦争克服の実例なのです。


これによって、その後の日本に何がもたらされたか。

それは、完全なる思想信条の自由です。


思想信条の自由は、信教の自由から生まれます。

太子による仏教と日本神道の融合により、仏教の教えと、日本の古来からの価値観が共存できたのです。


その後日本では、鎌倉期の日蓮への弾圧まで、宗教への寛容性がありました。

日蓮聖人にしても、また豊臣秀吉のキリスト教弾圧にしても、それらは国防上の余裕のない時代であったという背景がありました。


しかしこれらの弾圧は、宗教指導者のみの弾圧であって、一般信者は対象外でした。

徳川政権下におけるキリスト教禁止まで、一般信者が対象とはならなかったのが日本です。


それはやはり、事実上の国主であり、日本神道最高神官が、他の思想である仏教に帰依したからだと思います。

それが日本に、精神的な、どでかい余裕を持たせたと思うのです。


思想信条の自由は、他の思想が少々まぎれ込んでも、まったく影響がない・・・という余裕から生まれるはずです。

中世キリスト教が、あれだけドSな拷問社会をつくったのは、やはりイエス様に3年間しか活動期間がなく、教えが少なかったことにあったはずです。



バチカン サンピエトロ寺院 要塞のようにも見えますね。



キリスト教社会が、思想信条の自由を手に入れたのは、18世紀になってからです。

イスラム教社会では、まだ一般的には、思想信条の自由社会にはなっていません。

中国や北朝鮮などの共産主義社会では・・・言わずもがなでございますよね。


日本は、もう1500年以上の昔には、完全なる、思想信条の自由がありました。


その精神的ゆとりは、万葉集の時代にはすでに、天皇も防人も、貴族も一般農民も、歌の前には平等という概念もあったし、京都御所など、天皇のお住まいの外壁が異様に低くて、超手薄な警備体制であることにもつながっているのです。


御所の低い外壁は、「誰も天皇の命を狙いはしない。」ということです。





教科書歴史において、血なまぐさい古代の歴史も習いますが、それは、珍しいことであったので、記録に残っているのです。

歴史は、超当たり前のことは、記録に残らないのです。

それが歴史です。


支配体制はともかく、思想信条において、国家も国民も、ともに神の子として尊崇し合える精神的な土壌のあったのが、古代日本なのです。


万葉集と、低い皇居の壁がその証です。


日本は、歴史を真摯に見直すべきです。

それこそが、「人類史の大転換」につながるはずです。



それでは、またのお越しを。(^O^)/




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