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就任以来執拗な反日政策を続けていた、韓国の朴槿惠(パク・クネ)大統領の対日政策が、ここに来て軟化の動きが見られるようになりました。


何はともあれ、良好な国家関係を模索し始めたことは、喜ばしいことではあります。


これはアモ~レの私見ですが、日韓関係というのは、日本の問題だと思うのです。

誤解されては困るのですが、要するに日本側が、これまで韓国や北朝鮮、そして中国に至るまで、言うべきことを言って来なかったのが、最近まで両国関係が、国交回復以来最大のドン冷え関係であった、最も大きな要因だと私は考えています。


それはやはり日本側に、先の大戦での間違った見解、つまり、「事実に基づかない自虐史観があったから」だと思うのですね。



「言うべきことは言う。」

「しかし、両国民が幸福になることなら、協力は惜しまない。」


これが正しい国際関係だと思うし、これが本来の日本のスタイルだったはずなのです。


戦後日本は、言うべきことは言いませんでした。

戦後の日本には、「正しさとは何か」という哲学があったのでしょうか?




日本はこれまで、数多くのお手本を世界に発信してきました。

それが「人種差別はいけないことだ。」という理念や、侵略戦争そのものを克服する具体的な術でした。


そして今世界が困っている、宗教戦争を克服する術も、日本の歴史には、とっくに存在しているのです。


仏教が朝鮮半島を経由したからと言って、日本が大陸より文化的に劣っていたわけではないのです。


日本の歴史において、大陸、限定すれば朝鮮半島よりレベルが低かった歴史は存在しません。


日本は歴史を誇るべきだし、失われている価値があれば、取り戻すべきです。

日本の失った歴史の中に、世界へのお手本があるからです。



さて、聖徳太子は事実上、仏教を日本の国教としました。
これは明文化されているわけではないのですが、十七条憲法の第三条「詔を承りては必ず謹め」の上位に、「篤く三宝を敬え」とあるからです。

詔とは、天皇の命令です。
それよりも、三宝(仏法僧)が上・・・という概念であり、これは憲法上は、天皇(神道)が仏教の指導を仰ぐ形となります。


これが何をもたらしたか。


天皇は、日本神道最高の神官です。

この、日本神道最高位の儀式を行う神官が、仏教に帰依したのが、聖徳太子以降の天皇のあり方でした。


通常ですと、最高位の神官が、他の宗教に帰依すれば、元の宗教はなくなるのですね。

違いますか?


国王が帰依したのなら、そういうことにはなりません。

しかし天皇は、国王ではなく宗教的な法王なのです。


通常ですと、天皇が仏教に帰依した時点で、日本の国体は途絶えていたはずだし、途絶えていなければいけなかったのです。





今ならば、現職ローマ法王が仏教に帰依したり、イスラム教に改宗すれば、ローマ法王がキリスト教社会から追放されるか、カトリックが消えるかのどちらかですよね。


言わば日本の歴史では、ローマ法王がイスラム教に改宗しながら、同時にカトリックの宗教儀式を行う・・・というようなことが、現実に起こったのです。

奇跡のような歴史ですが、これが世界史唯一の、宗教戦争克服の事例なのです。


この日本歴史で、現実に起こりえた、奇跡のようなことが、今現実に起こりさえすれば、宗教の争いは、歴史の教科書で学ぶこととなるのです。


ではそれは、どういう思考形態から来るものでしょうか。


ひとつは、

「大宇宙の神仏の意思が、ちっぽけな宗教組織ひとつに、収まるはずはない。」という、大いなる神仏への、本物の信仰心ではないでしょうか?


人間の作った組織の論理にこだわらず、大いなる神仏の心を忖度するからこそ、天皇の仏教への帰依はありえたはずです。


そしてもうひとつの論理は何か。

それは、


「根源の主なる神に帰依することが、我が神の意に沿うはずだ。」という判断だと思います。


つまり、

『宗教組織の論理に、原理主義的になるのをやめさせ、宗教者に、「これぞ主なる神の心」と思わせるだけのメッセージ性の強い宗教があり、それには今ある宗教が現実に帰依できるだけの自由性があって、なおかつ、伝統的価値をも大切するだけの、器の大きな宗教が出現すれば、世界から宗教戦争をなくせる可能性がある。』


ということです。



これが聖徳太子による、仏教の国教化によって、日本では現実に起こったことなのです。


世界は日本の歴史に学ぶべきだし、聖徳太子不在論など、世に混乱をもたらすだけです。


それでは、またのお越しを。(^O^)/



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