東京 新小岩 キネシオロジー サロン “アメージング”

キネシオロジーとカウンセリングを用いて、心身のバランスを整えます。


テーマ:
こんにちは。

坂本 桂佑です。


真実の理解3(根本の理解)の続きです。



今回は、

「虚偽のブロック」
「真実のブロック」
「中庸のブロック」


についてです。

虚偽のブロックは、間違いを積み重ねることで生まれるもの
真実のブロックは、自我と共に生まれるもの
中庸のブロックは、自己の限界を越える為に生まれるもの




どういうことかと言うと、

虚偽のブロックは、
自分が正しいと思っていたことが間違いであった時に生まれ、積み上がるものです。

真実のブロックは、
生まれた時から持っている性質に囚われることで、生まれ、積み上がるものです。


真実と虚偽のブッロクは、

自分を守る意識が強い程に、虚偽に繋がって行きます。



なので、
虚偽のブロックと真実ブロックを外すには、
真実を知り、自我を克服するしかありません。



虚偽のブロックは、
真実を理解することで外れる、意識的要素の強いもの、

真実のブッロクは、
自己を理解し乗り越えることで外れる、行動的要素が含まれるものです。




そして、
次の段階が、中庸のブロックです。

中庸のブロックは、
正しく積み上げることで自己の限界を越え、可能性を広げるものです。


真実のブロックと虚偽のブロックを越えることが、全ての基礎となり、
基礎を活かせることで、自己を越えることが可能となり、
自己を越え続けることで、限界(枠)を越えて成長することができます。


なので、
中庸のブロックとは、自己を律することで外れる、総合的要素が含まれるものとなります。


こう考えると、
ブロックの解除には段階があることが分かります。

第一段階が
虚偽を知ること(真実を理解すること)

第二段階が
真実を知ること(自己を越えること)

第三段階が
中庸を知ること(自己を律し、真実を積み上げること)

となります。



勿論この段階を飛び越えて行くことも可能とは思いますが、


飛び越えることは、体感の理解となり、
体感の理解は、痛みと引き換えです。


右脳系は、感覚から学び
左脳系は、理論から学び


個人によって受け入れることが難しいことは違い、
受け入れることが難しいことは、
「痛みから学ぶ」と言った方がしっくりくるかも知れません。



その努力が、明確な理解となり、
意識を次の段階に進めるのです。




それが、
根本を知り、繋げて行くことです。






根本を繋げて行くことは、
「今までの学びが繋がる」と言うことであり、
思考が広がって行くものです。



思考の広がりを遠ざけるものは、
自分の中のブロックが原因なんです。




なので、
ある程度の知識がある人は、
必要以上に知識を詰め込もうとする必要はありません。


ブロックを外すことが重要です。



ブロックを外すことが、思考の飛躍と自由となり、

自由な世界に飛び立つ為の、
「スタートラインに立つこと」
に繋がっているからです。


これより先の世界は、
全てを乗り越え、考える力を養うことで掴み取れるものです。




知識は、その為に活かすのです。

知っている、知らないは考える為の基礎でしかありません。




知って応用し、乗り越えることが全てです。



思考は広がることで、
見えている世界を変えます。




見える世界が変わるとは、

子供の頃に見ていた世界
現在の自分が見ている世界


の違いのようなものです。




知らないからこそ、見えなものがあり、
知るからこそ、見えるものがあり、
受け入れるからこそ、見えるものがあり、



世界は、様々な要素を乗り越えることで、
見え方が変わるのです。



本当の学びは、
「今見えている世界を変えること」です。


見えている世界が変わることは、
自分の中の何かを越えた時です。



越えることで理解は広がり、
それに伴う知識が自分の中に流れ込んでくるのです。



抽象度が上がり、意識が高くなった為、
それに伴う知識が外界から自然と入ってくるようになるのです。



それが、

「繋がりを感じる」
と言うことです。



根本の理解とは、
自然と流れ込んでくるものであり、



ブロックを外すことは、
繋がりを感じる世界に導かれることです。




坂本 桂佑 でした。



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こんにちは。

坂本 桂佑です。



深層の極みとは、


目に見えない領域を、どこまでも掘り下げることです。


まさに、
「達人」と言われている人々が住んでいる領域のことです。




達人の技術(深層)は、
素人が見ても何が良いのか全く分からないものです。


何故分からないのかと言うと、
深淵が深く、細かすぎるからです。


無駄を省き
効率を上げ
常に進化を目指し


行き着く先は、
理解を越えた、先の読めない実践の領域です。



この実践の領域を深めることは、
見る目を養います。


見る目とは、判断基準となるものです。
判断基準とは、基礎を知ることです。
基礎を知ることは、根本を知ることです。


全ては掘り下げ、自己を乗り越えることで見えてきます。



ちなみに、ここを間違えることが、
成長に限界を生み、道を見失うことに繋がっています。



でもこれを乗り越えることができれば、
2つの道が見えるようになります。


改善の軌道と成長の軌道です。


乗り越えたことが知恵となり、
先を見通す目となるのです。



その結果、判断基準が生まれ、
判断基準がどういうものなのか、分かってくるのです。




どういうことかと言うと、


凄く上手いなと思っても、
「何が凄いの?」と聞かれると、
説明って案外できないものです。


ですがこれは、
判断基準が曖昧だからこそ起こることです。



上手い下手には、明確な理由が存在し、
細かく観察することで、実際は様々なことが分かるのです。


分かりやすいもので言うと、
性格やクセ、身体の状態です。


この3つが分かるだけでも、
確かな判断基準となるのです。


何故かと言うと、
性格やクセ、身体の状態とは、

現状の状態を表しているからです。


性格は、内面の状態を表し
クセは、特徴を表し
身体は、自己管理能力を示しています。


本当はもっと細かく見えますが、
伝わりにくくなるので、分かりやすい程度に抑えておきます。



これは見方を変えると、成長過程です。


成長過程とは、
理想から現状を繋げれば、今の状態の判断が可能になることを示しています。



なので、理想を知り近づく程に、判断力は上がって行くのです。


最終的には、乗り越えたものの量が見る目となり、
見れば分かると言う世界に到達します。


これが、
「改善の軌道と成長の軌道が分かる」
と言うことです。




でも本当に重要なことは、
それ以外のことも表現されていることを知ることです。


それ以外とは、自分にない要素を知り、受け入れることです。



それ以外を知ることは、
限界を越え、世界観は広がり、

「枠のない領域を知ること」に繋がっています。


枠のない領域には、
本当の真実が溢れています。


これを掴むことが、真実を掴み続けることであり、
限界を越える為の要素となるものです。



それ以外のことを理解するには、

自分よりも大切な何かを見つけることです。



それ以外のこととは、

自分を越えることが可能な要素を持つことで、はじめて開く扉です。

自分と言う狭い枠の中で生きていて、枠の外になど行ける訳がないのです。



それは、
自分を乗り越えることで、今までの全ての価値観を書き換えることができ、
全く新しい価値観を手に入れることができる、と言うことです。

本当の強さとは、そういうものです。



人は、自分1人で限界を越えることなどできないのです。

自分よりも大切なものを見つけることで、何倍にも光輝くものなんです。



その積み重ねが枠を越えていく要素となり、
理解は際限なく高まって行くのです。



「何かに秀でること」

それは、ただのはじまりです。




坂本 桂佑 でした。



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ご訪問ありがとうございます。
中川 智子 です。


久しぶりのブログ更新です。



ゴールデンウィークに、福岡の祖母のところに行ってきました。

幸い祖母の住む場所は、さほど被害はなかったようですが、
祖母も80年以上生きていて、あそこまで大きな地震は初めてだと言っていました。


ともあれ、祖母も親戚も、無事でよかったです。





さて、最近私達と共通の友人と食事をした時、こんなことを言ってくれました。


「さっち(私のあだ名です)とけいすけの前だと、
なんか全部受け入れてくれる感じがして、思わず何でもしゃべっちゃうんだよね。

カウンセリングのテクニックも大事だけど、
そういう雰囲気の方がもっと大事だと思うから、

ぜひ売りにしていった方がいいと思うよ。」




少々持ち上げてくれたのかもしれませんが、

自分達のことをそのように思ってくれていることを知り、
とても嬉しく、ちょっと自信になりました。



自分だと、やはり自分がどういう雰囲気を醸し出しているかなんてなかなか分かりませんし、独りよがりの場合もあるので、

やはり、第三者の評価は貴重だな、と思います。



友人の言葉をありがたく胸に秘め、
来てくださった方々が、無理をしなくても自然と言葉が出てくるような雰囲気を醸し出せる自分達でありたいと、
思いを新たにしました。





3月末に、自宅サロンにしようと引っ越しをして以来、
だいぶ家具などもそろってきました。



私の親は、あまり口には出しませんが、
やはり今度のサロン再開はうまくいくのか、軌道に乗るのか、
色々なことを心配しているようです。




しかし、いわゆる安定した道もあるのかもしれませんが、
私自身の生き方として、やはりそれだけでは片手落ちのようにいつも感じます。



やはり人間は、人の役に立つために人は生まれてきたと思うので、

もし今の自分が人の役に立てるなら、
最大限に自分の経験や能力を活かせる生き方を選びたいのです。



それが例えたやすい道でなくても、
そちらを選びたい。と思ってしまうのです。



あまり口うるさく言わずにそっと見守ってくれている親には、
日々感謝しています。




人生を終える時に、
良い人生だったと思えるかどうか。


それが、私自身の生き方の全ての基準。





二人で心と力を合わせ、
もう一度、一歩一歩つくり上げていこうと思っています。



友人の言葉は、これからまた始めようと思っている私達に、
自信と希望をくれました。


ありがとう。





ゴールデンウィークに大好きな祖母と




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

中川 智子 でした。



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こんにちは。

坂本 桂佑です。



真実の理解2(真逆の器)の続きです。




根本の理解とは、物事の本質を見抜く目となるものであり、

一般的の人が触れようとしない扉を開け続けることです。



見抜ける領域が増えることは、
世界の在り方を深く感じることです。




世界の在り方は、
今まで学んできた学びを活かすことで理解が深まるものであり、
自己を越えることで視野は広がるものです。




何かに縛られている思いが強い人は、
触れることができない領域です





根本を理解するには、

「あるがまま」に物事を観察できる能力が必要です。



あるがままに見えることは、「悟り」の境地であり、
「子供の頃に帰る」と言った方が、分かりやすいかも知れません。




子供は常に物事を純粋に捉えます。

経験がなく、そこには、余計な思いが何もないからです。

根本を理解するには、その状態を維持することが必要です。





しかし大人になることは、経験を積み重ねることです。


大人と子供の大きな違いは、
経験が「ある」「ない」です。


「囚われている」「囚われていない」とも言えます。


この違いが、あるがままを遠ざけるのです。





どういうことかと言うと、



経験を重ねることは、

困難を知ること
感情を知ること
思い通りに行かないことを知ることです。




それがしがらみとなり、
乗り越えることができなければ、

コンプレックス
罪悪感
劣等感


などの思いが生まれます。



あるがままは、

自分に負けること
欲望に囚われること
心を偽ることで遠ざかり、


ニュートラルでいることができなければ、全てが偽りとなります。



だからこそ多くの人が、
「気が付かない内に」道を誤ってしまうのです。




生きることはたやすいことではないからこそ、自分に囚われることは必然的ですが、
自分に囚われる程に、偽りを生んでしまうのが事実です。





この矛盾を乗り越えた先に事実はあります。




矛盾を越えるには、知るしかありません。



知らないことがそもそもの問題を生み、
知らないことが数多くの心のブロックを生んでいるからです。



知らないことは、「できない」に繋がり心にブロックを作り続けていくんです。



悪循環もそこから生まれてしまうのです。




そうならない為にもに枠を越え、根本を理解して行く必要があるのです。





長いので次回に続く(*'ω'*)



坂本 桂佑 でした。



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こんにちは。

坂本 桂佑です。



前回の真実の理解1(真逆に位置するもの)の続きです。




物質と空間は、

表面的な理解が物質的理解
深層的な理解が空間的理解

とも言います。



見えるからこそ、物質は表面的であり
見えないからこそ、空間は深層的である

と言うことです。


これは、
抽象度を下げて説明すると分かりやすく、

目に見えるもの(表面的)は、見て直ぐに理解できるもの
目に見えないもの(深層的)は、見ても直ぐに理解できないもの

と言うことです。



例を上げると、


目の前にリンゴがあるとします。

表面的には、リンゴだと直ぐに理解できます。



しかし
触れてみたら、熟していなかった
匂いをかいでみたら、臭かった
食べてみたら、腐っていた

など、



表面的に見ただけでは、
本当のことが分からないのです。




これは、人間関係でも良く起こることです。

結婚したら、性格が変わった
家と外では、性格が違う
表と裏の顔がある

など、




人には多種多様な顔があり、
見ただけでは分からないことが沢山あるのです。





それが分からないことは、
「見る目が養われていない」
と言うことを示しています。



どんなに隠そうとしても深層を知れば、
簡単に見抜かれてしまうことだからです。



なので、
深層を知ることは、より良い人生を送る上でとても重要なことです。




見る目を養うには、
深層を理解するしかありません。




深層とは、表面から分析し、
中身の理解まで到達するものです。



人で例を上げると、

行動を見て、性格が浮かび
言動を聞いて、性格が見え
裏と表を知り、全体が見えます。


ここまで見えれば、
「安易な失敗は起こらない」のです。



見た目からだけでは分からない要素を掴み、
事実を繋げることが、実践的であり、


実践から生まれるものが、深層の領域です。




これが、
見えるもの(表面的理解)と
見えないもの(深層的理解)の、違いです。




このことから、
物質的(表面)な理解だけを深めても、
空間的(深層)を深めることができなければ、
本当の理解が深まることがないことが分かります。


物質(表層)と空間(深層)は、
2つで、1つです。



なので、
本当の理解を深めたいと考えた場合は、
物質的(表層)理解だけに偏るのではなく、
真逆に位置している空間的(深層)理解も知る必要があるのです。





この考え方の抽象度を上げることで、
物質と空間の性質が見えてきます。



抽象度を上げることは、
意識を高め、理解を高め、求められることも高度になります。




深層を深めるには、
「意識を高めること」
が必要不可欠なんです。





意識を高めるとは、
今まで否定していたものに対して
「光を差し込む」と言うことです。

「真逆にあるものを知り、受け入れる」のです。



なので、意識の高まりと共に、
「現実を受け入れる器を作って行く必要がある」
のです。




この器を作るには、
物質的(表面)な考えと、空間的(深層)な考えを調和させ
確かな事実を掴み、実感を重ねるしかありません。




でも空間的(深層)な理解とは、
物質的(表層)な理解と違い、説明が難しいものです。


空間的(深層)なものは、物質的(表層)なものと違い、
常に変化し、定まることがないからです。



これが、
目に見える物質的(表層)な理解と
目に見えない空間的(深層)の最大の壁となっているのです。





でもこれは、「考える力」を養うことができれば、
そんなに難しいことではありません。



この世界にある全てのものには、
法則と言う「流れ」が存在します。


その一連の流れを理解すれば良いのです。



これが、「定まっていないものを理解する」
と言うことになります。



説明が難しいものは、定まっていないものであり、
定まっていないものは、自分で理解し掴み取るものです。




これ以上先の理解は、
確かな経験を積み重ね、その実感を深めて行くことで手に入れることが可能になる領域なんです。




この事実が腑に落ちることは、
「あるがままの世界を受け入れる準備ができた」と言うことです。


それは、
「悟り」のはじまりでもあります。




見えないもの(空間的理解)は、見えるもの(物質的理解)変化と繋げてこそ実感となるものであり、
悟ることで、その実感を重ねることが可能になります。




あるがままに見えるとは、そういうことです。





あるがままに見ることは、
次第に更なる深み(根本の理解)に繋がって行きます。





坂本 桂佑 でした。



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