教師時代のことを書いていて、メールとかいただくのは、
「パワハラでしたね」
とか、
「先生自身が また教師に戻るのが不安だから 書いているんですね」
とか、
なかなか みなさん スルドイ反響ですね~~
教師時代の私は、全然目立たない どこにでもいる 影のうすい教師でした。
生徒に対して 一生懸命なだけで
職員会議で 発言したことは、2回しかありません(意見を言ったことが 教師生活20年でわずかに2回だったんです)
後のことは、決まったことを 決まったようにやっていました。
外界がどうだろうと、その中でやっていくしかないじゃないですか。
2回の発言は、2回とも 不登校の生徒に関するものでした。
ここだけは、譲れませんでした。
2年半ぶりに 学校に行ってみようか という気になってくれた生徒に対して、
「制服をちゃんと着なきゃいけない。
授業が受けられないのなら、保健室で 勉強しなきゃいけない」
などと、よく言えたものです、と思って、
そこは 譲れませんでした。
「移行期間」というものが あるはずなんです。
そんな、学校に来たら 必ず勉強しなきゃいけないなんて
ルールはないはずなんです。
教室にいる生徒たちだって、ぼーっとしたり、聞いてなかったりするんです。
なぜ、保健室登校の子たちが 保健室で 目の届くように 勉強しなきゃいけないんでしょうか??
ここですね。
学校を息苦しくしているのは、すべての教科、嫌いな教科まで
全部まじめに おとなしく やらなきゃいけない ということだと思います。
しかも、いっせいに・・。
意味が分かりません。
(だんだん暴走してくるのが分かりますから、ちょっと カームダウン(落ち着かなきゃ!!))
教師たちは 自分たちが優等生だったために、
いやな勉強にも耐え、さわがずにやってきました。
これって、元気のいい子にとっては苦痛な 罰ゲームみたいなものなんですよ。
昔の学校は 今ほど制約がなかったために
授業をエスケープしたり(山学校)、
聞かなかったりしても そんなに お咎めがなかったんです。
だんだん 監視が厳しくなって、
与えられたことを 与えられただけ やるようになってきてしまったんです。
人の成長は その人 独特のカーブを描くのに、
すべて 一直線上で 一段ずつの 階段を上るカリキュラムに収れんされているから
ややこしくなるんですよ。
自分は 中学校2年生まで 300人中 100番から150番でした。(成績)
ノートが取れないし 授業中は おしゃべりや いろんなことに忙しくて
ほとんど聞いていなかったので・・。
中学校3年になって、受験が近くなると 一気にがんばって
全校で1番になりました。
他のクラスの生徒たちが わざわざ 見に来たほどでした。
「ごめん、俺ら、 お前のこと、バカじゃと 思いよった」
「いや、ええんよ。馬鹿じゃ、私は。」
ただ、覚えることは できたんよ」
と 言っていました。
今の成績は、考えることよりも 覚えることが主体なので、
逆にいうと、覚えさえすれば いい成績が取れるんです。
そのときの入試科目は 国数英だったので、その3教科だけしました。
ですから、大学に入っても、知らない県名があったくらいで、わりに社会や理科は無知でした。
(のちに、29歳の時 通訳ガイド国家試験を受けたとき、初めて 日本の県名をすべて覚えました)
そして、今 人体の研究をするので、うまれて初めて 理科をやっています。
このように、その時その時で 研究対象が変わるのが 普通なのに、
18歳の地点で すべての基礎を測定する センター試験などがあるので、
そこまでに いかに 大量の知識を暗記しているか、で 大学に 入る 入らないが決まってしまい、
大学に入ったら 遊んで そののちも 勉強しない人が増えているんですね・・
自分は、自分のことを アホとか バカとか 思っていますので、
同じような生徒の気持ちが分かりました。
(本質は、教師に向いていなかったのかも・・)
英語は はじめっから 頭に入ってきたんですが、それは 私が将来 英語を使うという 使命があったから だと思っています。
外国人と結婚したり 外国に行ったりする人は、英語がはじめっから 好きだった人が多い・・・
そういう運命を どこかで 予期されているかのように。
必要あるものは どうしても 覚えられますし、
必要ないものは 覚えなくても そのたびに 辞書や地図を見ればいいんじゃないでしょうか。
それを 一時間 一時間 きちん きちんと やっていくのは・・
どうも しょうに合わない 生徒もいるんです・・。
おっと、会計士さん 来ました。


