ジオターゲティング
2013年11月28日(木) 17時05分52秒

特定秘密保護法案に賛成している人の本音はどこ???

テーマ:自民党憲法草案
特定秘密保護法案が衆議院通過してしまいました。

今頃になって、マスコミなどは「知る権利を侵される」などと騒いでいますし、一方、安倍首相は「国民の知る権利を尊重しつつ、特定秘密の保護を図る。知る権利が狭まることはない」と発言しています。

私は、安倍首相が仰るほど、善意で受け止める事は出来ませんし、その一方でまるで「“国民の”知る権利」の代行者としてきちんとその権利を行使してきたとは、お世辞にも言い難い新聞社の言うことも、「食い扶持に困る」という文句にしか聞こえないところもあります。

しかし、です。

今日、共同通信社が配信した記事が私の地元紙である「東奥日報」に掲載されました。その一部は、ネットにも公表されていますので、丸々引用します。

ここから====================
陸自が独断で海外情報活動 首相、防衛相に知らせず

 東京・市谷の防衛省。陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(別班)が身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことが分かった

 陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(別班)が、冷戦時代から首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせず、独断でロシア、中国、韓国、東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことが27日、分かった。

 陸上幕僚長経験者、防衛省情報本部長経験者ら複数の関係者が共同通信の取材に証言した。

 自衛隊最高指揮官の首相や防衛相の指揮、監督を受けず、国会のチェックもなく武力組織である自衛隊が海外で活動するのは、文民統制(シビリアンコントロール)を逸脱する。
2013/11/27 20:16 【共同通信】

ここまで====================

東奥日報では、「共同通信社が2008年4月から約5年半にわたり、防衛省・自衛隊現役幹部やOB、元別班員など延べ約50人に対し取材をし」(要約)判明したと説明しており、「別班員を海外に派遣する際には自衛官の籍を抹消し他省庁の職員に身分を変える」「日本商社の支点などを装い、社員になりすました別班員が協力者を使って軍事、政治、治安情報を収集。」など生々しい記事です。

更には防衛省情報本部長経験者と陸上幕僚長経験者に対しての一問一答まで公開しています。

「秘密裏に引き継ぐ」とか「聞かない方が良かった」などの小見出しも踊ります。

さてはて、このケースの場合は確定的に特定秘密に該当するでしょう。

どうなるのか、想像を巡らせてみます。

もしこれが、ありもしない事を書いた「飛ばし記事」だとすれば、政府は「事実無根」などと否定するだけのことですし、逆に特定秘密に指定された真実に近い記事だったとしても、政府は「事実無根」と否定した上で、まず、約50人の証言者の追跡が「密かに」始まることになります。

なぜなら、「密かに」行わなければ、秘密の存在を政府自らが暴露してしまうからです。更に言えば、秘密はこれを含む広範囲に設定されていることが前提となりますから、この秘密の漏洩容疑での捜査は、進捗状況は疎かそもそも、捜査や逮捕情報まで秘匿されることになりかねません。

逮捕しても、裁判そのものを秘密裁判で行わざるを得ません。なぜなら、裁判の中では、容疑がかけられた情報そのものが、実際に特定秘密そのものであるのかを立証されなければならないからです。

ここまで来て、もう一度考えますが、類推に基づく「飛ばし記事」であったとしてもその内容が特定秘密に近いものであれば、秘密裏の捜査が始まり、それが「類推に基づくもの」であることが証明されるまで監視が続くと言うことになります。また、この監視はその人を中心とした交友関係の徹底した洗い出しを意味します。

こうなれば、「私は関わる気がないから」「関わることがないから」は通用しません。

先程の陸自に関するスクープではないですが、例えば、国家公務員などはどこから疑われるか判りませんので、極力人付き合いを限定して行かざるを得なくなります。特定秘密を取り扱う事を求められた人にしてもそうです。もし、「その秘密が漏れたかもしれない」となれば、いの一番に調べられるのは彼らですから。

なおさら「特定秘密の指定期間にしても30年から延長有り」という人の人生にしては、残りの人生全てに匹敵する時間を沈黙を守らなければ行けなくなるわけですから…。

さて、こう考えてみてはどうでしょう。

特定秘密法案は、人々が繋がることを抑制することを意味していると言うことではないかしら?

一番怖いのは、地下に潜った団体であることは容易に想像がつきます。つまりです。

この特定秘密保護法案は、秘密を守る法案ではなく、人々が繋がらないようにするシステムも織り込まれている…。知る権利よりも何よりも、集会、結社、思想、信条の自由を無力化していく…そう言う狙いがあるのではないかと疑わざるを得なくなったわけで…。

なるほど。

自民党憲法改正草案第21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」との現行規定に、更に第二項「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」を追加したことを考え合わせてみると、やはりそこのところに狙いがあるのだと思えてなりません。



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2013年03月30日(土) 19時19分58秒

自民党憲法草案を後ろから読んでみる(その5…誰がどうお金を使うか)

テーマ:自民党憲法草案
現行憲法と自民党の憲法改正草案とを比較するのももう5回目。ついに第七章に辿り着きました。この第七章は財政のことを書いているものです。

この中では、新設されたものがいくつかあります。新設された部分だけを抜き出すと

第八十三条に2項が追加、更に第八十六条に2,3,4項が追加されています。それから、八十九条が二項に分離されています。

具体的に追加されたところは、

第八十三条の
2 財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。

第八十六条の
2 内閣は、毎会計年度中において、予算を補正するための予算案を提出することができる。
3 内閣は、当該会計年度開始前に第一項の議決を得られる見込みがないと認めるときは、暫定期間に係る予算案を提出しなければならない。
4 毎会計年度の予算は、法律の定めるところにより、国会の議決を経て、翌年度以降の年度においても支出することができる。

これは、どちらも現在の会計運用状況を見て追加したものといえると思います。八十六条などは典型で、補正予算についての規程を憲法に盛り込んでいます。さらに4項では、予算の支出を翌年度移行に持ち越すこともできるという規定がありますが、これはちょっと引っかかります。


それから、八十九条が二項に分離されていることも考えて見ましょう。

自民党憲法改正草案によれば

(公の財産の支出及び利用の制限)
第八十九条 公金その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供してはならない。
2 公金その他の公の財産は、国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して支出し、又はその利用に供してはならない。

とあります。現在の日本国憲法では、

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

ですが、どこが違うかと言うと、現行の八十九条が理由で、ちょっとややこしいことになっているからです。どういう事か。

「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」の部分が引っ掛かっている訳です。ちょっと捻くれて読めば、「私立学校、私立の社会福祉施設などに公費を支出することは憲法違反だ」と言うことになってしまうようで、これが憲法改正の必要性を訴える根拠になっているからです。

平成17年01月31日に行われた参議院予算委員会で、時の内閣総理大臣小泉純一郎氏は

「憲法八十九条というのを、これで本当に日本は憲法を守っているのかどうかよく考えていただきたい。せっかくの機会だから読み上げますよ。憲法八十九条、『公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。』。私立学校、公の支配に属してないですね。公金が支出されてないんでしょうか、私学助成。その他博愛事業、慈善事業、私は憲法九条ばかりでなくて本当に憲法を守らなきゃならないのかと。

と言っています。

逆に言えば、

「保育所も幼稚園も学校も社会福祉施設も公立しか認めないと言うことになれば、みんな困るだろ?現行憲法はそんな間違いを孕んでるんだよ。だから憲法を変えましょうよ」と言いたい訳です。

で、自民党改正案では、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し」という部分を、「国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して」という風に変えた訳です。

しかし、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」が「公立でない慈善、教育若しくは博愛の事業」と同義ではありません。「公の支配に属する」ということは、「国が必要だと認める慈善、教育若しくは博愛の事業を行う」という事を意味するのは当然です。保育所も同義であろうと思いますが、公の基準や指導を受け入れなければ、行うこともできません。

「国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない」とトーンダウンしたのはなぜなのか。

本当は、別のところにありました。現行の憲法第89条によれば、本当にあやしいのは政党助成金の方です。政党活動は果たして国の支配に属しているのでしょうか?そうだと胸を張って言える状況にはないのは、私立学校や私立幼稚園、私立保育所などよりもハッキリしています。

だから、「国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督」が及べば良いという風に解釈できるようになっています。更に、「第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き」とあるのは、どういうことかとフライングして読んでみれば、

(信教の自由)
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

とあり、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」という部分を指摘しています。

つまり、「『社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては』、『宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供し』ますよ。」ということになってしまいます。

これじゃあ、「公の支配に属してない」私立学校や私立幼稚園、私立保育所、その他の博愛事業や慈善事業に「公金その他の公の財産」を支出するための目的で変えたと言うこといにはなりえません。

結局は、当初訴えているようなものとは全く別物の「自分たちのために公金を支出したいがための改正である」という臭いがぷんぷんしてきました。

さらに、第八十六条の4

「毎会計年度の予算は、法律の定めるところにより、国会の議決を経て、翌年度以降の年度においても支出することができる。」

と組み合わせて読めば、国会議員が必要だと思った予算については、使い切れなくても翌年に持ち越し支出することができるということになります。

こんな、国会議員にとっての打ち出の小槌みたいな改正でいいのかしら。なんともカントモ…。


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2013年02月02日(土) 14時43分59秒

自民党憲法改正草案を後ろから読んでみる…その4(憲法は政治家の労働協約?)

テーマ:自民党憲法草案
12月16日に行われた衆議院の総選挙で、比例代表の自民党の得票率が話題になっています。

読売新聞によれば、
 「自民の比例得票率、大敗した前回選とほぼ同じ」
比例選(定数180)では、自民党の得票率が27・62%で、大敗した前回2009年衆院選の26・73%とほぼ同じだった。

 民主党は16%で、大勝した09年の42・41%から大幅に減らした。

 自民、民主両党の得票率の合計は43・62%。03年衆院選以降は、両党の得票率の合計は7割程度で推移してきたが、今回は大幅に下がった。

 日本維新の会は40議席を獲得し、民主党の30議席を上回り比例選で第2党になった。得票率は20・38%で、全11ブロックで議席を獲得。特に、地盤とする近畿ブロック(定数29)では10議席を得て、自民党など他党を抑えて第1党となった。

 みんなの党は8・72%で、09年の4・27%から伸ばした。日本未来の党の得票率は5・69%だった。


さてはて、この結果を皆さんはどう考えるかは置いといて、今回はこの憲法草案に盛り込まれた「有効投票」というものについて考えて見ましょう。

「有効投票」とは「デジタル大辞泉」によれば、有効投票数の用語解説 - 投票総数から無効投票数を差し引いた票数。白票や候補者の氏名以外を記入した票、複数の氏名を記入した票などは無効票となる。有効投票数は法定得票数の算出基準としても用いられる。とあります。

ところで、先の選挙ではもう一つ気になる記事があります。

投票率最低なのに…選挙区の無効票「過去最高」(朝日新聞)

つまり、各候補者の得票総数が有効投票数ということになります。「有効」ですから、「無効」もあるわけで、その無効票の意味をどう考えるかと言うことが問われる必要も出てきます。

で、件の自民党の憲法改正草案では、「有効投票」という文言が2カ所に織り込まれていることに注目してみたいと思う訳です。実際には草案の九十七条と百条に入れられています。

ここから======================
(地方自治特別法)
第九十七条 特定の地方自治体の組織、運営若しくは権能について他の地方自治体と異なる定めをし、又は特定の地方自治体の住民にのみ義務を課し、権利を制限する特別法は、法律の定めるところにより、その地方自治体の住民の投票において有効投票の過半数の同意を得なければ、制定することができない。

第百条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。
ここまで======================

これって、重要な話です。因みに、現行の日本国憲法では

ここから======================
第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。


第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
ここまで======================

となります。もう一度、

「有効投票の過半数の同意」(自民党憲法改正草案)
「過半数の同意」(現行日本国憲法)

憲法は確かに変えやすくなります。この変えやすくなると言うのがポイントです。

有効投票とは、白票・無効票を除いた票と言うことです。現行の日本国憲法ではただ、過半数と書かれています。この違いはとても重要です。有効投票という一文が入れば、極論で言えば、1票が賛成であったとしても、他がすべて白票・無効票であれば賛成多数、可決ということになります。

無効票というのも厄介で、例えば、○をつけるのにも、「α」のように線が出た場合、判定の仕方いかんによっては「×」かも知れないとされて、無効票にカウントされることもあります。その判定をするのが、選挙管理委員会という組織なのですが、それにしてもあらかじめ委員長から判例を渡されての判断ですから、無効票の数もある程度なら、コントロールすることができます。逆に言えば、手書きの投票というのは無効票を産みやすいシステムである事は確かです。

そこまで極端じゃないにしても、変えやすくなれば、憲法自体がその時々の都合でころころ変わりやすくなってしまいます。

現行憲法では国会議員は、国民が投票により選んだ国の管理職であり、その仕事を付託するときに「こういう約束で働いてもらいます」というものを表した契約書のようなものと表現することができます。ところが、自民党草案を見ていると労働協約…つまり、「働く時にこうして欲しい」と要求するような感じになっています。そして、その権利を使用者である国民に対し保持したいというのが、憲法を変えやすくしようとしている主な狙いであるとも思えてきます。

要するに、国を維持するために働く人(=「国会議員などの政治家」だと思っているらしい??)の権利を擁護するのが、憲法だという主張を基に成立させたいものが、自民党憲法改正草案というものなのだろうと思ってみたりします。

雇用主である国民をあごで使いたがる被雇用者である政治家って、一体なんなんでしょう?


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2013年01月24日(木) 00時15分05秒

自民党憲法改正草案を後ろから読んでみる…番外編(人間の尊厳…麻生発言に思う)

テーマ:自民党憲法草案
「出来る限りの手を尽くしましたが…、残念です」と医師が臨終を宣告し、それに対して家族が「ありがとうございました」と涙ながらに深々と頭を下げる…一昔前のドラマなどで、看取りのシーンによく聞かれた台詞ですが、30年ほど前までは、私達は治療は死との闘いであるという風に思っていました。

医師が足りない時代、まだ、医学が進歩していない時代、臨終の際のこのやり取りに象徴される人間の尊厳とは、死の瞬間まで医師が立ち会い患者と共に死と闘ってくれることだと多くの人が受け止めていたことを示します。

ところで、麻生財務相がその終末医療について、下記の様な発言をしたことを知りました。

ここから===================

 やっぱり現実問題として、今経費をどこで節減していくかと言えば、もう答えなんぞ多く(の方)が知っておられるわけで。高額医療というものをかけてその後、残存生命期間が何カ月だと、それに掛ける金が月一千何百万(円)だ、1500万(円)だっていうような現実を厚生(労働)省が一番よく知っているはずですよ。
 チューブの人間だって、私は遺書を書いて「そういうことはしてもらう必要はない、さっさと死ぬんだから」と渡してあるが、そういうことができないと、あれ死にませんもんね、なかなか。
 死にたい時に、死なせてもらわないと困っちゃうんですね、ああいうのは。いいかげんに死にてえなと思っても、とにかく生きられますから。
 しかも、その金が政府のお金でやってもらうというのは、ますます寝覚めが悪いんで。ちょっとさっさと死ねるようにしてもらわないと、いろんなこと考えないと、これ一つの話だけじゃなくて、総合的なことを考えないと、この種の話って解決がないんだと僕はそう思っているんです。(時事ドットコム2013/01/21-19:27)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301%2F2013012100565&g=pol

ここまで===================

ふーん、なるほどなあとは思いますが…。

ただし…。

「その金が政府のお金でやってもらうというのは、ますます寝覚めが悪いんで。」というのはお門違いだと思うのです。だって、そう言う制度を作ってやってきたのは政府ですし、そもそも、「政府のお金」って理解自体がおかしいと思うのです。話は逆で、政府が「高額医療というもの(中略)に掛ける金が月一千何百万(円)だ、1500万(円)だ」って掛けても生すことが大切だと考えているからこそ、そう言う制度を作り、そこに国民が納めた税金を振り向けているだけの話です。制度が悪いのに、無駄遣いだと言うのは、それこそ人生の終末期を迎えている人たちの尊厳を踏みにじる行為だと私は思います。人を人として扱うということそのものが尊厳を守ると言うことです。

冒頭に書いた様な国民感情の中ではそれが認知を得ていましたが、医療技術の進歩や、医療制度の競争化によって、生物学的な死と、国民感情とは遙かにかけ離れた状況になってきたと言うことです。

もし結果的に、「非延命型医療」の方が経費がかかるようになったとしてもその様に言うのでしょうか?

ウィキペディアフリー百科事典には、緩和ケアの定義を下記の様に定めています。

ここから===================
世界保健機構(WHO)は2002年に次のように定めた。

緩和ケアは、生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的、心理的、社会的な問題、さらにスピリチュアル(宗教的、哲学的なこころや精神、霊魂、魂)な問題を早期に発見し、的確な評価と処置を行うことによって、 苦痛を予防したり和らげることで、Quality Of Life(人生の質、生活の質)を改善する行為である、としているのである。

また上記の定義文に続いて次のようなことも記述されている。

・痛みやその他の苦痛な症状から解放する。
・生命(人生)を尊重し、死ぬことをごく自然な過程であると認める。
・死を早めたり、引き延ばしたりしない。
・患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する。
・死を迎えるまで患者が人生をできる限り積極的に生きてゆけるように支える
・患者の家族が、患者が病気のさなかや死別後に、生活に適応できるように支える
患者と家族のニーズを満たすためにチームアプローチを適用し、必要とあらば死別後の家族らのカウンセリングも行う。
・Quality Of Life(人生の質、生活の質)を高めて、病気の過程に良い影響を与える。
病気の早い段階にも適用する。延命を目指すそのほかの治療(例えば化学療法、放射線療法など)を行っている段階でも、それに加えて行ってよいものである。臨床上の様々な困難をより深く理解し管理するために必要な調査を含んでいる。

すなわち緩和医療とは、生命を脅かす疾患の患者やその家族にたいして、現在の治療の目的を認識し、予後の見通しをたて、患者が現在何に困っているかの見極めをおこない、その苦痛を緩和することにより、患者や家族の現在のQuality Of Lifeを最大限まで高めることを目標とする医療行為といえる 。

ここまで===================

このところ、人間の尊厳を守る「尊厳死という権利」さえも「経費の問題」で考えられていることについては、異を唱えなければならないと思っています。最近では、尊厳死を選ぶことのブームというのを生み出そうと躍起になっているような世論形成が見受けられます。「なかなか死なない」とか「死にたい時に死ねない」という問題を経費で語る前に、人間の尊厳をどう考えるかが、論じられるべき問題です。

そうでないと、終末期だと判断された患者はすべて、その意思を問われることなく、自動的に治療を打ち切られてしまうでしょうし、反対に、生きることさえ経費で算定されることになりかねません。「国民の死に方を決める権利は政府にはない」と言うのが、基本的人権の根幹であったはずです。

例えば、いじめで追い詰められたお子さんが自殺を図ったが植物状態になってしまったと仮定して、その人に対し、「政府のお金でやってもらうというのは、ますます寝覚めが悪いんで。ちょっとさっさと死ねるようにしてもらわないと」と言えるのでしょうか?

終末医療とは、「一人一人の人間の尊厳を守るか」という問題で語られるべきで、そういうことは、まず、経費抜きで語られなければならないでしょう。尊厳とは、人権そのものを意味しなければなりません。そして尊厳の本質は、それぞれの人がどう命の終わりを迎えるか…逆に言えば、どう、有意義な人生をその人に送らせる事が出来るのかというその一点に尽きると思うのです。

「尊厳を守る」と言うことは、「命を守る」と言うことであり、「その人の人間らしさを守る」ことです。それをどのように考え、理解しているのかと言うことを問われているのです。日本国憲法では、尊厳を土台にして基本的人権が語られます。政権中枢部の人からこんな言葉が飛び出したり、人権が大切にされない限り、死の尊厳を守るなんて事は、夢のまた夢なのかも知れません。


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2013年01月09日(水) 19時16分49秒

自民党憲法改正草案を後ろから読んでみる…その3(主語の不在。政治家が作ると…)

テーマ:自民党憲法草案
自民党の憲法改正草案は現行の憲法を土台としているだけに一緒の文言も入っています。例えば、(憲法の最高法規性等)と題された第百一条は、現行憲法の第九十八条と同一の文言になります。
=======================
憲法改正草案
第百一条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
=======================
日本国憲法
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
② 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
=======================
さて、この両者は一言一句変わらないので、ここのところを今回は観察してみることにします。

なぜ、自民党は憲法改正草案を残したのか…。

それは、単純に「変える必要を感じなかったから」と言うより、「変えない必要を感じた」と言うことになります。

特に、一項では「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」とあります。

さて、国の最高法規と言うことは、どういうことか。総てにおいて優越性を認めると言うことです。ですから、「その条規に反する法律、命令、勅諭、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と言うことは、この憲法を作った人々が一番偉いということを意味します。

もうちょっと遡ってみますと、自民党憲法改正草案では丸々削除された現行憲法の第九十七条を見てみます。

=======================
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
=======================

つまり、この憲法を作った人々は、「日本国民」と言うことになります。つまり、この憲法は日本国民の総意で作ったもので、その相違に反するものは、どんなものでも拒否しますと、いう意思表示だった訳です。

その総意とは何かを憲法第九十七条は、「この憲法が『人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利』である基本的人権を土台にしてつくられたものである」と、憲法の性格を保障しています。

これを削除したということは、由々しき出来事です。この一条が削除されたと言うことは、憲法を作った人々が何を土台にして作ったのかを不明瞭にすると言うことであり、それは、そのまま憲法そのものの理念というものを不明瞭にすることでもあります。

前回触れた自民党憲法改正草案第百二条を思い出して下さい。

第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

と言われてから百一条を読んでみれば、この憲法を造った人が一番偉くなってしまいます。

つまり、憲法改正草案を作って必要性を訴えている人たち(自民党とその仲間の人たち)が、「私達が作った憲法が最高法規なのですから、それに反する『法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を』認めない」と宣言することが出来る訳です。

何かと「天皇陛下」を担ぎ出す方々ですが、その一方で「この憲法は全国民が尊重しなければいけない『法律』で、その『法律』に基づけば、内閣総理大臣の決定には天皇陛下も従わなければならない」と言う訳です。

もうちょっと遡ってみますと、反対に新設、追加された条文に行き当たります。全文を引用します。

自民党憲法改正草案=============
第九章 緊急事態
(緊急事態の宣言)
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

(緊急事態の宣言の効果)
第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
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なんかもう善意的に読み込めません。「『緊急事態の宣言』は内閣総理大臣の判断によって行われ、その内閣総理大臣は国会の多数派によって支持されていて、この憲法によって宣言された『緊急事態の宣言』が効力を有する間、内閣総理大臣の支持母体である政党が過半数を占める『衆議院は解散されない』、更に『両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる』」って一体どういうことでしょう。与党の都合によって「ねじれ国会解消」だって可能になるってことも範疇に入りそうな気がします。

しかも「緊急事態の宣言」の根拠が「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」ってありますけど、その他の法律で定める緊急事態って例えば、法律さえ通してしまえば、倒閣運動なんかも含めることができるということで、一旦緊急事態が宣言されてしまえば、どう考えたって、緊急事態が一度宣言されてしまえば、国会は解散されず、この憲法改正草案すら自由に変えることができると言うことになります。

これって、自民党こそが与党であり、永久に絶えることなく自民党が与党であり続けたいと思って作られた憲法改正草案なんじゃないか、と言う思いまで沸いてきます。そう考えてみると、多分、この憲法改正草案は来るべき本格改正の踏み台として考えているような気がしてきました。

多分、この草案を作った人たちは、そんな事するつもりもないし、考えてもいないと仰るでしょうし、こういう指摘をされたいからこそ「草案」なのだと仰るのでしょうけど…。

今回の感想。

自民党が自分たちのために作った憲法の臭いがぷんぷんしてきました。

でも、「人を呪わば穴二つ」と言います。

もし、何か手違いが起きたと仮定して、これが自民党に敵対する政党で、憲法として採択されたら一体どうなるんでしょう?

草案として出すにしても、やり過ぎだとしか言いようがないと個人的には思いました。

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2012年12月22日(土) 19時06分23秒

自民党憲法改正草案を後ろから読んでみる…その2(非国民・売国奴と呼ばれるカラクリ)

テーマ:自民党憲法草案
前回は、自民党の「憲法改正草案」の第百二条「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」と、現行憲法の第九十九条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」を比較しましたが、これを土台に遡ってみると、

現行憲法の

第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

に対応する部分が、丸々削除されています。

ここでは、現行憲法が立脚点を、基本的人権に置く事が明示されています。そして、それは日本国民のみならず、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」ことを踏まえて、憲法が作られていると証しします。

ところで、欽定憲法なる考え方があります。

これは、君主が決めた憲法ですから、その内容は「我が国民はかくあるべし」というような内容になります。具体的には、人権などは、国家が認めて初めて行使できるというのが、欽定憲法の考え方です。従って、表現の自由、思想信条の自由、男女同権などの問題は、憲法が認めない限り、著しく制限される事になります。つまり、国家が求めない主張や生き方をしている人たちは当然、日本人と認められず、売国奴・非国民と罵られることになります。

日本国憲法では、基本的人権そのものを土台にしている訳で、国家が個人の基本的人権を抑圧することは極力避けることを求めています。その姿勢は、現行憲法の発布の詔にもはっきりと示されています。

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御名御璽
昭和二十一年十一月三日

として布告された訳ですが、「日本国民の総意に基づいて」とあるように、憲法を決定したのは国民であり、それを受けて天皇は「大日本帝国憲法の改正を裁可し」「布告せしめる」ということで、帝国憲法に於ける帝国議会の議決…「主権を国民に認め、その論拠を基本的人権に求めて下さい」という議決に同意したということになります。

しかも、「新日本建設の礎が、定まるに至つたことを深くよろこび」とあり、それに御名御璽を賜った昭和天皇は、大日本国帝国憲法における天皇の権限において布告しているのです。

ところで、もうちょっと、遡って検討してみます。

憲法改正の項目です。自民党の憲法改正草案では以下のようになっています。

第十章 改正

第百条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

現行憲法では、

第九章 改正

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

となっております。比較すれば、「各議員の総議員の三分の二」が「両議員のそれぞれの総議員の過半数」に変更され、また、承認については「有効投票」という言葉が追加されています。

自民党の安倍総裁は、こんな風に説明しています。

「3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば国民が指一本触れられないのはおかしい」

しかし、ちょっと待って頂きたい。

前回の憲法改正草案の第百二条「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」

と書いてあります。つまり、「憲法を尊重」する義務を負わされた国民が、憲法をおかしいと言うことが出来るのでしょうか?そうなれば実質的に、「過半数を取った政党が、『憲法改正』を行うことが出来る」と言っているようなものです。後ろから読めば、「憲法なんて、優秀な政治家が決めるんだから、あなた方はそれを選ぶことに専念してたらいいのさ」とか「憲法は時の政権が決める、国民はそれを尊重し従うように」と言っているようにも思えるのですが…。

今なぜか、「現行」憲法を忠実に守ることを志し、守る事を国に対して求めようとする人々が非国民とか売国奴と呼ばれるような風潮があります。そして、現行の憲法で「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とされる国会議員がなぜか、憲法を軽んじ、扱き下ろしている現実はおかしいと思うのですが…。

昭和天皇、今上天皇が憲法に忠実に生きようとして来られたことをもう一度考えて見る必要があると思うのです。

現行憲法で天皇が天皇としてあることが出来るのは、憲法を尊重するからです。それと同様に国会議員が国会議員であるためには、現行憲法を尊重し擁護するからでなければ、国会議員そのものの資格を失ってしまわざるを得ないはずなのですがね。

もし、現行憲法に対する改憲派国会議員の姿勢を「尊重」していると捉えるのであれば、国民は憲法に楯突いて良いと言うことを意味するわけですから、自民党の憲法改正草案第百二条は、意味をなさなくなってしまいます。

鶏が先か、卵が先かみたいな話になってきました。

なんともかんとも。

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2012年12月21日(金) 18時43分27秒

自民党憲法改正草案を後ろから読んでみる…その1

テーマ:自民党憲法草案
本を読むときに、前から読んでいくのと後ろから読んでいくのでは、読後感が相当違います。というか、作者の性格が見えてきます。特に、レポートなどを見るときには、最初に結論を見て、それに至る道を逆に遡って辿っていくと、作者の検証が緻密なのか雑なのかも判ってきます。

さてはて、自民党の「憲法改正草案」なるものをご存知でしょうか?

存在はご存知だろうと思います。

では、どんな内容かご存知ですか?ご存じなければ、

『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・(http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm)


に、現行憲法との対比表があるので、ご覧いただければと思います。

さて、この憲法論争、いろいろと出ていますが、「日本国政府が自主的に作ったのではない『押し付けられた』憲法だからダメだ」という言い方から始まって、「日本は軍事政権化しなければいけない」なんていう風に公に言いながら、そのような憲法改正を望んでいる人までいろいろ居ます。

で、今日は自民党の「日本国憲法改正草案」なるものを後ろから遡って読んでみるわけですが、

第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。


これって、現行憲法99条に相当する部分です。

現行憲法では

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

となっています。

立憲君主制の基礎に関わるものですね。主権が国民にあり、その主権者に対して「 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」となっていたものが、自民党草案ではひっくり返っています。

誰のために「すべての国民はこの憲法を尊重」を求められるのでしょう?

もっと言えば、国民でなければ(外国人であれば)「この憲法を尊重」しなくてもよいという意味にもとることができます。

これって、在日外国人に対して圧倒的に有利な条文であるということができます。

パスポートに、大臣要請文というのがあります。文面は、

『日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。 日本国外務大臣(公印)』

というものですが、外国人が持つパスポートにも、同様の文章が書かれているはずです。これは、外交書簡の一つであり、これを持つ者に国としてしっかりと保護扶助を与えることを求めているわけです。密入国でない限り、これを持つ限りにおいて自国民相当の待遇を保障する義務が受入国にはあるのです。

そう考えてみれば、日本人に対しては「憲法を尊重」する義務が求められるのに対し、外国人には…どんな国の人であろうとも国交を持つ国のパスポートを持つ外国人に無条件で保障されるということになってしまいかねません。保守派の方々に最近何かと評判が悪いC国であろうが、K国であろうが、国交がある限り日本人より一段階高い特権を有することになってしまいます。

「これからは観光立国で行くしかない」と思って「すべての日本人は外国人をお客様として受け入れよう」と考えているのであれば、理解できるような気がしますが、そういうつもりでもありますまい?

なぜ国民に、「憲法を尊重」することを求めなければならないのか、そのことを問うて、次回はもうちょっと遡ってみたいと思います。


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