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2012年06月12日(火) 11時41分13秒

大阪市・家庭教育支援条例 (案)を読んでみた。…親学って何だ?

テーマ:大阪市・家庭教育支援条例 (案)
大阪維新の会が提出を試み、断念し、「白紙撤回」した大阪市・家庭教育支援条例(案)ですが、その前文には、

「このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである。 」

とあります。市の条例なのになぜ「本県」なのか?

その答えは大阪維新の会から「ある県で提出された条例案を議員団総会にて所属議員に配布したものであり、今後の議論の材料として提出されたものです(抜粋)」

つまり、この内容と同じ条例案が、「ある県」で提出されたか、されている状態であると言うことを示しています。つまり、大阪では問題になりましたが、「ある県」では問題にもなっていないと言うことが問題なのです。

さて、「私たち親自身の成長を期して、本条例を定める」とありますが、それが条例(案)ではどこに出てくるかというと第2章の中に具体的に書かれています。

(保育園、幼稚園等での学習の場の提供)
第7条
すべての保育園、幼稚園等で、年間に1度以上、保護者会等での「親の学び」カリキュラムの導入

(一日保育士、幼稚園教諭体験)
第8条
すべての保育園、幼稚園で、保護者を対象とした一日保育士体験、一日幼稚園教諭体験の実施の義務化

(学習の場への支援)
第9条
保育園、幼稚園、児童館、民間事業所等での「親の学び」等の開催支援


とあります。保育園の園長としてはとても迷惑な話です。単純計算して、園児が90名いれば保護者は180名。更に、第3章では、「親になるための学びの支援」として「中学生から大学生までに対して、保育園、幼稚園で乳幼児の生活に触れる体験学習を義務化する」とあります。守秘義務てんこ盛りの保育園にあって、一日何人の「一日保育士体験」を受け入れろと言うのでしょう。土台無理な話ですから、あまり突っ込みません。

でも、その先では、突っ込まなくてはなりません。第5章(親の学び・親育ち支援体制の整備)
において、

(民間有資格者の育成に対する支援)
第21条
親としての学び、親になるための学びを支援、指導する「親学アドバイザー」など、民間有資格者等の育成を支援する

(「親守詩」実行委員会の設立による意識啓発)
第22条
親と子がともに育つ実践の場として、また、家族の絆を深める場として、親守詩実行委員会を設立して発表会等の催しの開催を支援し、意識啓発をおこなう


とあります。

「親学」って何かと言えば、

第一講座「子供の発達と親の関わり方」、第二講座「親として大切なこと」、第三講座「親学とは何か」、第四講座「親子のコミュニケーション」なんてことをやっていることが親学推進協会のホームページに報告されていました。

まあ、一財団法人がどんな講座をしようと良いのですが、この条例案では、「親としての学び、親になるための学びを支援、指導する「親学アドバイザー」など、民間有資格者等の育成を支援する」とあります。

親学アドバイザー資格を得るには、親学基礎講座をすべて修了(全4講座で13,000円(税込み、別途テキスト代1,680円))した上で、全6講座(25,000円(税込、認定審査料5,000円を含む。別途テキスト代1,680円))が必要となるそうで、合計で4万円を超えてしまいます。

「育成を支援する」と言うことですから、公費支出で、市の教員や保育士、保健師などに受講させるのでしょう。そうすると、一体いくらになるのでしょう。百人で400万円。千人で4000万円。1万人で4億円…。独占的な利権が生まれる構図を作っていると思われても仕方がありません。

そもそも、大人の都合で子供の環境が劇的に変化している事については、全くと言っていいほどに省みられていません。

学校は私たちの頃とは全く違い、教員に持たされる裁量はとても小さくなっています。点数主義、成果主義の中にあって、教員の裁量で行える教育的配慮は切り捨てられ、また、教員自体がそんな事を行うことが出来ないと信じてたりします。

でも、どうなのでしょう?

広汎性発達障害は急に増えたわけではありません。それを支える学校制度が崩壊してしまっていることから目を背け、親のせいにしようという論拠でしかないことはまるわかりです。

ある規格に基づき子供を選別し、それをもって親を規格化し、子供の規格化を進めようとしているようにしか思いません。

トンデモ教育論「親学」を推進する人々

では、もっと詳しく紹介されています。読んで見て下さい。



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2012年05月11日(金) 23時51分11秒

大阪市・家庭教育支援条例 (案)を読んでみた。…親になるってどういうこと?

テーマ:大阪市・家庭教育支援条例 (案)
白紙撤回したのだからもう勘弁して欲しいと大阪維新の会は思っているわけでしょうが、そうは問屋が卸しません。

大阪維新の会でも強調しているように、前文には「本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために」と書かれている部分を強調し、「(事実かどうかは別にして)『たたき台のたたき台』として配布したもの」と言っていますが、これはこれで問題です。

なぜなら、大阪市以外でも、少なくても一つの県において、条例案として提出されたと言うことを意味しているからです。つまり、大阪だけではなく、他の県においても同様の条例案に魅力を感じる人が多いと言うことでしょうし、これからも繰り返しこの様な考え方は、手を変え姿を変えて、あちこちからわき上がっていくものであると言うことを意味しています。

(親になるための学びの支援の基本)
第10条
これまで「親になるための学び」はほとんど顧みられることがなく、親になる自覚のないまま親になる場合も多く、様々な問題を惹起していることに鑑み、これから親になる人に対して次に掲げる事項を基本として、学びの機会を提供しなければならない。
(1) いのちのつながり
(2) 親になることの喜びと責任
(3) 子供の発達過程における家族と家庭の重要性


「これまで『親になるための学び』はほとんど顧みられることがなく、親になる自覚のないまま親になる場合も多く、様々な問題を惹起していることに鑑み」とあります。

惹起…?調べてみました。

デジタル大辞泉の解説
じゃっ‐き [名](スル) 事件・問題などをひきおこすこと。「独立問題が民族紛争を―する」


とありましたが、この文章には主語がありません。文章として成り立っていません。無理矢理読んでみますが、誰が「様々な問題を惹起している」というのでしょう。また、様々な問題とは何でしょう。続く(1) いのちのつながり、(2) 親になることの喜びと責任、(3) 子供の発達過程における家族と家庭の重要性を見ると、見えてきます。

つまり、発達障害は「親になる自覚のないままになってしまった親」に育てられることによって引き起こされ、その結果として発達障害者・児が「『新型学級崩壊』、ひきこもりや不登校、虐待、非行等などを惹起している」と言うのがこの第10条の理解となるのでしょう。

この条例案でもそうとう持ち上げられている「親学」を提唱している親学推進協会理事長 高橋史朗氏は家庭教育支援条例案 に対する緊急声明 の中で、下記の様に述べていますので引用します。

~前略~その意味で、発達障害児・者の親の心情に最大限の配慮をしなければなりませんが、親を責め傷つけることにつながるという理由で、環境要因や育て方が二次障害に関係するとの見解までもタブー視し、「疑似科学」と不当なレッテル貼りをしてしまうことは、子供の「発達を保障」することによって得られる子供の「最善の利益」を損ねることになるのではないでしょうか。

親の「人権侵害」だと声高に叫ぶ人たちには、子供にも発達段階に応じて親から保護される権利があり
~中略~混乱を招いた一部不適切な条例案のために家庭教育支援条例の全体を葬り去ることは将来に禍根を残すことになります。~後略~

馬脚を現すというのはこういう事を言います。「子供にも発達段階に応じて親から保護される権利があ」る…つまり、「子供を発達障害にするようなダメな親から『保護される権利』が子供にある」と恫喝しているような書き方ですが、やれっこありません。大体、誰が保護するのですか。

一つ大切な事は、この騒ぎで「人権を否定された」のは、親ではありません。当事者は発達障害を持っている人達一人一人なのです。更にいえば、子供にも親と共にいる権利だってあります。「君は発達障害を持っているから親と一緒に住んではいけない」と強制的に引き離す事が人権侵害でないわけはないでしょう。

また、「ダメ親」の「予防、防止」のためにやろうって言うのが、親学というものであり、その実践は以下によって行うそうですが、そもそも「伝統的子育て」とは一体何を指しているのでしょう。


(保育園、幼稚園等での学習の場の提供)
第7条
すべての保育園、幼稚園等で、年間に1度以上、保護者会等での「親の学び」カリキュラムの導入

(一日保育士、幼稚園教諭体験)
第8条
すべての保育園、幼稚園で、保護者を対象とした一日保育士体験、一日幼稚園教諭体験の実施の義務化

(学習の場への支援)
第9条
保育園、幼稚園、児童館、民間事業所等での「親の学び」等の開催支援


ですから呆れます。

第7条ではすべての保育園、幼稚園で「『親の学び』カリキュラム」を導入し、そのカリキュラムに基づき、第8条「保護者を対象とした一日保育士体験、一日幼稚園教諭体験の実施」しろと言うのですから暴論も甚だしい。

私の保育所のことを考えてもそれは不可能です。90名の園児の保護者に対し「一日保育士体験」を年に一度実施することを考えて見て下さい。90名の園児がいる中に何人の保護者を「一日保育士体験」として丸一日受け入れる事が出来るでしょう?単純に計算すれば夫婦で90組、合計180名に対し実施しなければいけません。そんな事が可能なわけがない。

更には

(乳幼児との触れ合い体験学習の推進)
第14条
中学生から大学生までに対して、保育園、幼稚園で乳幼児の生活に触れる体験学習を義務化する


ここまで来ると、保育園に対しても、「子供と遊んでいればいい楽な仕事」という考えているんじゃないかと本気で考えてしまいます。ボランティアが入るんだから、逆に人件費が浮くとか言う簡単な問題じゃありません。保育士は子供の命を預かるための資格職であり、チームを作って保育を行う場です。守秘義務だって存在します。園児の発達を見極め、個別の保育計画を作り、記録していく場です。そんなところに一年の半分以上も一日保育士が入られれば業務が回らなくなることぐらいわかっていただきたい。「命の大切さ」を考えるのにすべての病院で一日看護師とか、一日医師をやらせたらと言っているようなもんです。

そもそも、「保護者支援策」そのものであるはずの「保育園や幼稚園での保育」が「ともすれば親の利便性に偏るきらいがあった」としているにも関わらず、保育園の保育を一日体験させなければいけないというのは大きな矛盾であると言うしかありません。まり、この条文で言っている「親になるための学びの支援の基本」は結局、「伝統的子育て」に頼らなければ成り立たないと言うことを示しています。

是非、保育園などには頼らずにやって頂きたい。


この条例案を支持している人(大阪維新の会ではない)が今回の撤回騒動に対し、

>これで子育て支援の流れがおかしくなることを危惧しています。
>木を見て森を見ずの議論にならないことを願います!

と言っていますが「木を見て森を見ずなのは、あなたです」と言いたい。自分たちがするべき責任を感じているようには思えません。結局は発達障害をターゲットとし、自分たちが異質だと感じる人たちを、自分たちの目につく範囲から(保育所などに)追い出してしまいたいということでしかないように思います。





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2012年05月08日(火) 01時06分42秒

大阪市・家庭教育支援条例 (案)を読んでみた。…番外編

テーマ:大阪市・家庭教育支援条例 (案)
大阪市会議員 村上栄二氏のオフィシャルブログ「家庭支援条例案についてのお答え 1500の566」(http://ameblo.jp/murakamiblog/entry-11242351847.html
が掲載されていました。引用すると、「敲き台で某県の資料を使っただけで、まだ私たちも初耳の状態です」とのことでした。また、たぶん、準公式な声明として下記のように報告されています。

家庭教育支援条例案について、ご報告させていただきます。

本条例案は、維新案ではなく、ある県で提出された条例案を議員団総会にて所属議員に配布したものであり、今後の議論の材料として提出されたものです。会派内での議論はこれから進めていきます。

また、5月議会で提出する方針を固めたという報道が一部で流れましたが、そのような決定は議員団総会で行われた事実はございません。


つまり、「マスコミが事実誤認をして大騒ぎになったけど、そのこと自体誤解です」と言いたいのでしょうが、それで事は済みません。

「本条例案は、維新案ではなく、ある県で提出された条例案を議員団総会にて所属議員に配布したものであり、今後の議論の材料として提出されたものです。」とあります。

どこの県で提出された条例案なのか、審議中なのか、可決されたのか、それとも否決されたのかは重要なものです。「ある県」と件名をぼかしたのは否決されたからではないのでしょうか?そんな条例案を「議員総会にて(中略)今後の議論の材料として提出」するとは一体どんな態度なのでしょう。

条例案の中身自体は、先日来ご紹介している通りとんでもないものですが、その一方で「今後の議論の材料として提出」するということは、強い反発があったところだけを書き換えて提出するということを考えているということではないでしょうか。

更に今日の報道(http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012050701001374.html)によれば、

「大阪維新の会大阪市議団は7日、総会を開き、議会提出する意向だった家庭教育支援条例案を白紙撤回し、内容を抜本的に見直す方針を決めたX。発達障害がある子の親らでつくる市民団体などが強く反発、条例案提出の中止を要望していた。

 市議団の美延映夫幹事長は総会後、記者団に『全くの白紙に戻して考える。専門家の話を聞いてから、提出するかどうかも含めて決める』と述べ、提出取りやめの可能性も示唆。『(市民団体から)いただいた意見を大事にしなければならない。その一点に尽きる』と強調した。」(共同通信)

という風に報告されています。

>総会を開き、議会提出する意向だった家庭教育支援条例案を白紙撤回し、

先の村上栄二氏のオフィシャルブログの報告とは全く矛盾しています。やっぱり提出するつもりだった訳だ…。

この姿勢から鑑みれば、「全くの白紙に戻して考える。専門家の話を聞いてから、提出するかどうかも含めて決める」って言うんですから、まだ、提出の余地は十分残していると見るのが妥当でしょう。そもそも、専門家とは誰を想定しているのでしょう。まさか、「親学」の専門家であったり、「予防、防止は可能」と言っている人を専門家と呼んでいるのかも知れません。

ここまで来ると、批判の強かった部分を削除、もしくは表現をぼかして、これに類する条例の可決を目指す動きがあると考えるのはあながち間違った考えではないと思います。

例えば「発達障害は予防、防止できる」という項目を外しながらも、「発達障害は親の責任で早期発見、早期通報、早期療育に努める」というような義務化規定を盛り込んでみたり、「親学は必要だ」となるのでであれば、結果は同様のものが出来上がります。

「『発達障害』が困った存在である」とか「『発達障害』は親がキチンと対処しろよ」という誤った基礎的認識の下に物事を動かそうという人たちが後を絶たちません。そして、そういう誤った基礎的認識を改める責務は全く果たされることがありません。むしろ、そういう誤った認識を改めようともしていないどころか、助長している現実があります。

そんな現実の中、もぐら叩きのように、あっち(ある県から)からひょっこり、こっち(大阪維新の会)からひょっこりと様子見のように顔を出してくるのが、この「条例案」の本当の姿です。



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2012年05月05日(土) 22時46分52秒

大阪市・家庭教育支援条例 (案)を読んでみた。…発達障害って何?

テーマ:大阪市・家庭教育支援条例 (案)
最近、何かと話題になっている発達障害。でも、ここで言おうとしているのは、多分、広汎性発達障害の事でしょう。

そもそも、この広汎性発達障害が日本で有名になったのは、今から12年前の豊川市主婦殺人事件でセンセーショナルに紹介されて以降のことです。その結果、「広汎性発達障害は問題を起こす」と言う不幸な誤解が最初にすり込まれてしまい、その結果、その思い込みだけで論じている人が多いのが実情です。

そんなもんだから、「保育、家庭教育の観点から、発達障害、虐待等の予防・防止に向けた施策を定めること(第1条2項)」、「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる(第15条)」なんて書かれた「家庭教育支援条例(案)」なんてものを大阪維新の会大阪市会議員団が提出しようとするのです。

「自閉症スペクトラム」という言葉をご存じでしょうか。

ある教会の牧師室
↑自閉症スペクトラムの概念図…概念の整理が行われている最中であるため、暫定的な分類(wikipedhiaより引用)

自閉症、アスペルガー症候群、特定不能の広汎性発達障害などの各疾患を広汎性発達障害の連続体の一要素として捉えようとした概念のことです。

この場合、「スペクトラム」とは自閉症から健常への連続隊のことを意味してるようです。

虹の様なグラデーションをイメージして付けられた名称です。

ある教会の牧師室-スペクトル


上記は、太陽光のスペクトルですが、この場合、どこからどこまでが何色か確定できるでしょうか。目に見えない光も連続してた黒色として両端に示されています。

もう少し判りやすい様に黒から白へのグラデーションで見てみましょう。

ある教会の牧師室


どこら辺からどこら辺までが黒でしょう。どこら辺からどこら辺が白でしょう。黒から右に見ていったり、白から左にみていったりしてみて下さい。白や黒、灰色の基準が付けられないことが判ります。

人が100人いれば、そのどこに位置するのかというのは難しい事柄です。更偏差値として表すことが出来ますが、定型というのは、数の山の部分を示していることになります。

ある教会の牧師室-正規分布曲線


グラデーションと合わせてみて頂ければ、白の方に至っても、黒の方に至っても存在はマイノリティーと言うことになります。

しかも、人間は様々な能力を有します。保育所での指標に基づけば、運動機能を見る粗大運動、手先の器用さなどを見る微細運動、生活技術、対人技術、表現、理解の6分野について、それぞれにこのグラデーションが存在すると考えて頂ければいいと思います。

レーダーチャートと言うのを想像してもらえればいいかも知れません。上記の6領域を設定した適切なレーダーチャートを用意した時に、みんなが正確な六角形になるわけがありません。その部分について、他人との差違が明確化されます。

ところで、この差違とは、何でしょう。小さな差違であれば、得意不得意とか個性とかで済まされるものです。みんな違うのが当たり前なのです。

でも、これが大きくなると、その人と周囲に軋轢が起きる…これが、障害と言われる由縁です。

ちなみに、発達障害を持っていると言うことは、「社会性の獲得やコミュニケーション能力の獲得といった、人間の基本的な機能の発達遅滞」があると言うことで、現代社会に対し、非常に適応しにくい困難さをかかえていることを意味します。

その結果、生活のあちこちで衝突が起こり、自分自身に強いコンプレックスを抱え、うつ病を発病したりするなど、深刻なケースも報告されています。これは広汎性発達障害であったとして、生きづらさを覚えたり虐めの被害者になりやすいと言うことを意味するのであって、社会的な要因による二次障害とも言うべきものです。

「増えてきた」と言われる広汎性発達障害ですが、その概念そのものが日本で知れ渡ったのが12年前です。それ以前には、存在しなかったのかと問えば、そんなわけはありません。落語の主人公などは、ちょっと価値観がずれた人がほとんどですが、そういう人が楽しく暮らしている情景を映し出しています。昔だっていたのです。でも、それほど問題にはならなかっただけです。

「日本のゴッホ」と評された漂白の天才画家山下清もそうですし、また、近年、商売の神様として紹介される様になった仙台四郎も知的障害者でした。それまでの日本の庶民文化では、そういう人達の存在を受け入れてきたわけです。事実は「増えた」のではなく、「目につく様になった」ということでしかありません。

では、近年どうしてこんなに問題となっているのかと言えば、人間の規格化がもの凄い勢いで始まっているからです。高卒、大卒が当たり前の世の中になって、学校教育のシステムは、急速にマジョリティー(多数派)の定型発達という規格に準拠しているかどうかが問われるようになってきた事により、当初は障害だと思われなかった部分まで、問題として考えられる様になってきたわけです。国語も英語も数学も歴史も理科も体育も一定の基準をクリアすることが大事とされた結果、逆にその基準に追いつけない子達は学校のお荷物とされ、ひいては世間の荷物の様に考える人達が世に溢れたと言うことです。それほど、私たちの世間は、少数派にとって息苦しく生きづらいものになってきたと言うこともできるでしょう。

結果、広汎性発達障害はなぜ生まれるのかと言う原因探し(犯人探し)が始まりました。そもそも新生児は全て同一の規格だと考えたい人達にとっては、原因がなければ困るわけで、行きついた先は「原因は親の愛情不足」ということになり、「発達障害は予防できる」とかなどと言う人達が出てくる事にまでなってしまうわけです。

大阪維新の会大阪市会議員団の家庭教育支援条例(案)によれば、


(伝統的子育ての推進)
第18条
わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する

(学際的プロジェクトの推進)
第19条
保育・教育・福祉・医療等にわたる、発達障害を予防、防止する学際的研究を支援するとともに、各現場での実践的な取り組みを支援し、また、その結果を公表することによって、いっそう有効な予防、防止策の確立を期す


話は逆です。「保育・教育・福祉・医療等にわたる、発達障害を予防、防止する学際的研究を支援」した結果、「予防、防止」が出来るか否かが決まるわけですが、もはや「予防、防止できる」とまで断言しています。もし、この「我が国の伝統的子育て」を実行したとして、それでもなお「発達障害が予防、防止」出来ない場合、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」(教育基本法第10条、家庭教育の独立規定)と言うことにするのでしょう。

でも、同じように育てたからと言って違ってくるのが人間です。誰もがイチローになれるわけでもありませんし、誰もが天才になれるわけでもありません。でも、誰もがその人らしさを持っています。兄弟の関係であっても、全く違うじゃないですか。出来る事、できない事、得意なこと、不得意なこと、好きなこと、嫌いなこと…そんな違いがあるから人間なのです。

100メートルを9秒台で走れれば、泳げなくたって、マラソンを完走できなくたってトップアスリートです。トライアスロンや、10種競技の優勝者だけが尊敬されるわけではありません。更に、そこに数学が何点かとか、外国語は話せるかなんて問う必要もないことでしょう。他の人が真似できないそのものにその人の価値があるのです。

天才とは個性です。生命の神秘の中で与えられる資質と言うこともできます。

「発達障害は予防できる」というのは人間の個性を認めないと言うことであり、「山下清の才能も、予防できる」と言っている様なものです。もっと言えば、個性のない人間を求めていると言うことに他なりません。

こんな「発達障害を予防、防止しよう」なんて考え方は、個性を否定することと同義です。

つまり「発達障害の人達に優しくない世界は、天才と言われる人達に対しても優しくない世界である」ということになるのです。



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2012年05月03日(木) 10時30分35秒

大阪市・家庭教育支援条例 (案)の前文を読んでみた。…「子育ては誰の責任か?」

テーマ:大阪市・家庭教育支援条例 (案)
「大阪維新の会」が大阪市・家庭教育支援条例 (案)【http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html】

を提出しようとしているようです。今日はその前文を読んでみましょう。

前文
 かつて子育ての文化は、自然に受け継がれ、父母のみならず、祖父母、兄弟、地域社会などの温かく、時には厳しい眼差しによって支えられてきた。
 しかし、戦後の高度成長に伴う核家族化の進展や地域社会の弱体化などによって、子育ての環境は大きく変化し、これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方に暮れる父母が増えている。
 近年急増している児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題があると思われる。
 さらに、近年、軽度発達障害と似た症状の「気になる子」が増加し、「新型学級崩壊」が全国に広がっている。ひきこもりは70万人、その予備軍は155万人に及び、ひきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。
 このような中で、平成18年に教育基本法が改正され、家庭教育の独立規定(第10条)が盛り込まれ、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と親の自覚を促すとともに、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」と明記した。
 これまでの保護者支援策は、ともすれば親の利便性に偏るきらいがあったが、子供の「育ち」が著しく損なわれている今日、子供の健全な成長と発達を保障するという観点に立脚した、親の学び・親育ちを支援する施策が必要とされている。それは、経済の物差しから幸福の物差しへの転換でもある。
 このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである。



細かに読んでみましたが、前文を読んでまずぶっ飛びました。あまりにしょうもない…。突っ込みどころが満載で、しかも、この条例を作った人達の自己中心的な考え方がぷんぷんする。なんか、最期にとってつけた様に、「私たち親自身」などと書いてありますが…。

そもそも前文というのは「制定された背景」を書くのが普通ですが、この文章では「背景ではなく」理由…。特に現在値であったり、諸説あるものの一つを意図的に取り上げるなど、長く使われる公理としての自覚が全く込められていません。

まあ、でも、これで議員提出するっって言うんですから、付き合うしかありません。

さて、まず全体的に見て「子育ての定義と言うべき理解」で書いているのでしょうが、ざっとまとめれば、

「これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方に暮れる父母が増え、テレビや携帯電話を見ながら授乳している『ながら授乳』が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退が起こった。それに対し、国及び地方公共団体は、親の自覚を促すとともに、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援する」

となり、つまりは、「学力低下、少年犯罪の多発などは全て、学習と情報が不足し、親になる心の準備のないままに子供を持ってしまった親の責任であると言うこと」を明記したわけですね。親になるには、正しい知識、知恵、そして何よりも厳しい心の準備が必要だってことでしょう。

そして、今まで、行政が行ってきた「保護者支援策」を断罪していますね。

「保護者支援策は、ともすれば親の利便性に偏るきらいがあったが、子供の『育ち』が著しく損なわれている今日、子供の健全な成長と発達を保障するという観点に立脚した、親の学び・親育ちを支援する施策が必要とされている。それは、経済の物差しから幸福の物差しへの転換でもある。」

親の世代を甘やかしたのがそもそもの間違いだったと。それは、親が経済の物差しでしか子育てを考えない親というものを育ててしまった。

「軽度発達障害と似た症状の『気になる子』が増加し、「新型学級崩壊」が全国に広がっている。ひきこもりは70万人、その予備軍は155万人に及び、ひきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。」

おお、脅す脅す。煽る煽る。(「軽度発達障害」、軽度発達障害と似た症状の『気になる子』、「発達障害」など表記のブレが気になるのですが、これは、後日触れることにします。)

そこで転換する先は「幸福の物差し」であると明記していますが、その「幸福の物差し」とは何なのかは示されていない…。

でも、文章の流れからして、「子育てする時に経済的な利潤を求めるな。子供を育てるなら、ひきこもりや虐待、非行だの『軽度発達障害』だのにならない様に、責任を持って多少の貧乏に耐えながらも『幸せを実感しながら』育てるべきだ」と言うことのようです。つまり、平たく言ってしまえば「親の一人が家に入り、愛情を持って子育てをすべきだ。」という考えを開陳しているに過ぎないと言うこと。

また、この「親の一人」とは「テレビや携帯電話を見ながら授乳している『ながら授乳』が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退」などの記述を見れば、いわゆる「母親の役割」の喪失が原因を閉めていると言わんばかりです。

「このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである。 」

さて、「私たち親自身」がどう成長を期すのか、次回から、少し細かく観察してみましょう。




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