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2015年04月19日(日) 09時19分16秒

新制度への移行

テーマ:保育
昨日、こんな記事が目にとまりました。

社員の最低年収を830万円に、自らの年収は1億円削る 30歳CEOの大胆改革

木造保育所も、3月末に、給与規定を更新しました。

認定こども園化すると、保育士とか職員という一括りの給与の算定では、どうしても対応できないと思ったからです。

全職員、基本給制を導入し、細かく手当をつけて、職能を明確化しました。全職員の給与が下がらないようにしようと、相当苦労しました。在職期間が長い職員が多いこともあり、給与の開きは結構あったものの、それに近づけるように手当を設定していくと、職員それぞれに求めなければならない職能が見ることが出来て、私も勉強になりました。

何よりも、職員それぞれに給与の根拠を示せたので、職員それぞれも、求められていることが「見える化」されたようで、それぞれの働き方が変ったように思います。

結果、職員の昇給は下位ランクほど上がり、上位ランクの職員は微々たる金額。全員なんとか昇給したものの、園長給与は年10万円ほどのダウン。そうだよなあ。園長ってだけで、これだけ貰っているっておかしいよなあと思っていたことと重なりましたので、思い切ってそのまま採用しました。

でも、貰っても課税対象になり、さらに職員に(奢るとかなんとかで)還元していたことを考えると、10万円給与を下げてもあまり気にならないかもと思った次第。

そんなこんなで、昨日読んだのが冒頭の記事でした。

桁が違いすぎるんですけどね。

どうやって働いてもらうか、どう働くか、その賃金の根拠は何なのか…それを知ることはどんな立場にあったとしても大切なんだと思った次第です。
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2015年04月02日(木) 21時17分45秒

一つのものを

テーマ:保育
昨日から始まった新学期。

去年から、木造保育所では、3歳以上児と3歳未満児それぞれを縦割りクラスとして考え、また、一斉保育なしをスローガンとして一年間保育を行ってきました。現場の保育士たちはとても苦労したようです。それまで、園児一人一人に道具セットを入れた棚を用意していましたが、去年からは、それを取りやめ、敢えて最低限の文房具を置いています。

園児たちはそれを共有して使わざるを得なくなります。当然のごとく「貸して」「ダメ」のトラブル起こります。

今日も保育室に入ってみると「園長先生、ピンクを貸してくれない」と訴えてくる園児がいました。すると訴えられた方の園児は「だって、貸したらずーっと帰ってこないんだもん」と反発。よく見ると、別々の机でそれぞれに色塗りを楽しんでいての衝突のようでした。

色鉛筆のセットを一度取り上げて「ねえ、色鉛筆これしかないんだもの、こっちの机でみんなで色塗りしたら?」と提案すると、

「そっか。だったらみんなで使える!!」と閃いた子が、早速イスを持って移動して色塗りを始めました。それからはお互いの絵を評価しあったり、お喋りをしながら、楽しそう。

一つしかないんだから、真ん中に置いて、みんなで使おう!!

これって、人生の大切な知恵だなあとつくづく思わされました。


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2015年01月16日(金) 10時29分18秒

無駄吠えをする犬

テーマ:保育
無駄吠えをする犬に手を焼く飼い主の方が多いですが、ドックトトレーナー曰く、「多くの場合、飼い主の顔を見るのが目的で無駄吠えをする」のだそうです。
どういう事かというと、

いつも寂しい
 ↓
吠える
 ↓
飼い主が叱りに来る=(飼い主の顔を見ることができる)

と言うことなのだそうで、犬にとってみれば、たとえ叱られても①飼い主の顔を見ることができると言う目的を達成できること、②叱る行為そのものを手荒い遊びのように受け止めるという二つの意味合いが重なり、悪循環に陥っている可能性が少なくないんだとか。

こういう場合、①普段、遊んでやったりして接する機会を増やすことと、②吠えている間は顔を出さず、吠えなくなったらすかさず顔を出すということを数日繰り返せば無駄吠えはなくなるそうです。
そう言えば、知っている方のところの無駄吠えする犬は、飼い主が叱ろうとすると嬉しそうにしていました。

何を望んでいるか、何を喜んでいるのかを見極める目と、理解する心と、そして何より、愛が必要なんだなあと言うお話し。
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2015年01月10日(土) 10時07分45秒

やってみようとする心

テーマ:保育
木造保育所では、去年の4月から、「一斉保育」を廃止しました。一斉保育とは、クラスで担任がやるべき事を決めて一斉に制作などを行うことを意味しますが、敢えてそれを止め、その一方でコーナーを作り、お子さんが興味に基づいて集中して遊ぶ事ができるように環境を整えようと言うことを意味します。

一斉保育の場合、保育士に求められるのは、絶えず子供達の注意を自分に惹き付けておくことが必要な(クラスの中心であり続けなければいけない)技術になります。やるべき事を提示し、それを全体でどのようにスムーズに行わせるかと言うことが問われる一方、「先生、先生」と子供達から絶えずあてにされるという優越感を味わうことができるのを醍醐味と感じる人もいるかも知れません。

しかし、この4月から、木造保育所ではそれを廃止した訳ですから、保育士の役割も正反対の働きになります。絶えず子供達の様子を観察し、記憶や記録に留め、また、遊びの様子を見極めて環境を整えていくことに尽力しなければなりません。

この8ヶ月余りを通して感じたことは、子供達の集中力のすごさを感じたことでした。例えば積み木。例えばママゴト、例えばお絵かき、例えば工作…集中して遊ぶ姿は、その内ひらめきへと姿を変えてきます。

先日、園内を見回っていましたら、古代文明の遺跡みたいな積み木の作品を見かけました。

遺跡?

四人ぐらいで、毎日一生懸命積み上げています。そして、彼らはその上にスーパーボールを転がして遊んでいます。

昨日、園庭に目をやれば、園児達が保育士が削った雪のかけらを集めて、一生懸命積み上げています。

イグルー1

よく見れば、イグルーを作ろうとしているらしいです。

イグルー2

ただ、この材料では、屋根までは作れそうにないので、私の方も少し仕掛けることにしました。円の駐車場の除雪のついでに除雪機で雪を吹き付けておきました。これで、隙間も埋もれ、壁自体の強度が増す筈です。

イグルー3

さあ、ここから果たして完成に到ることができるかどうか!!

毎日が楽しみです。
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2014年11月15日(土) 22時07分25秒

子ども子育て支援新制度

テーマ:保育
あと4ヶ月後に迫った、「子ども子育て支援新制度」。

子供を親の就業状況等に応じて「1号」、「2号」、「3号」の各認定に分けて支援していく訳ですが、その一方で、参入障壁も極力排すると言うことも盛り込まれています。

全国版の概要はほぼ決定し、後は細かいところを12月ぐらいに発表する訳ですが、津軽のような過疎地に住んでいると「新制度は大都市向けに作られた制度」で「こちらにとっては迷惑千万」という反応が殆どです。

その一方で制度の概要を細かく見ていきますと、過疎地などに対しては「地域版子ども子育て支援計画」というものをそれぞれの自治体で策定することが盛り込まれています。

無論、幼児施設の根拠となる法律などが改正・制定された訳ですから今のままでOKと言う訳にはいきません。その制度を用いてその地域の子供達の福祉をどのように厚くするかを考える事が必要ですが、過疎地域にあっては、各施設がギリギリの状況の中で何とか保っている状況ですから、それをまとめようとしても簡単にまとまるものではありません。

しかし、その地域の最後の一人にまで支援が行き渡るようにすると言うのもまた、この新制度が求めているものです。だからこそ、それぞれの知恵とスキルを出し合って、一体的な連携体制を構築しなければならないのです。

これに関連した研修会等に行くと「どのようにして生き残るか」という言葉を最近よくみみにします。しかし、これでは共倒れしか招きません。

保育所がなくなることは、その地域にとって子育て支援の資源が壊滅してしまうことを意味します。去年から、木造保育所では、統廃合の結果使われなくなった施設を市から借りて、病後児保育を始めました。

その保育所の閉園時にそこから転園してきた園児の保護者さんが、「あそこでの夏祭りって地域にとっては楽しみだった」と伺いました。

大げさに言えば、「子育ては地域の文化」と言うことができると思います。制度に振り回されて地域の文化たる子育ての支援拠点を失うばかりでは悲しすぎます。

市民、行政、施設が一体となってこれからの子育て支援を語り合わなければいけない…その時期が今なのだと強く思わされています。
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2014年10月06日(月) 15時13分28秒

心のやり取りという教育

テーマ:保育
今から12年ほど前、バウリンガルという「人と犬とのコミュニケーションツール」が発売されたことがありました。

愛犬家の知人が、当時、早速それを買って試したそうです。そして得た感想が面白いものでした。

「よく考えてみたら、何もこんな機械使わなくたって、飼っている犬の気持ちなんてよく判ってるわけで、本当に必要なのは、飼い主の言いたいことを犬に通訳する機械だって気が付いた」

つまり、犬の方は機械に頼らなくても意思を飼い主に伝える事が出来るのに対し、飼い主はいつまで経っても犬に意思をうまく伝える事が出来ないと言うことですね。コミュニケーションは、双方性のものでなければいけませんので、これではやっぱり意味がありません。これでは、困っているのは、犬ではなく、飼い主と言う事になります。

研修の講師などを行うようになって最近思うのは、教育そのものが、得てして上記の考察のようなコミュニケーションの過程を無視したものになっていることが少なくないことでした。

例えば、絵カードによる視覚支援等も、これからやることを知らせることのみに目的をおいて使われているケースが多かったりします。本当は支援ツールは、支援を必要とする人が自立する切っ掛けでしかありません。それがなくても伝えられるようになれば、それが良いに越したことがないわけですから。

時々、「支援は本人のためだ」と声高に叫ぶ人が居ます。結果、支援は支援ではなく、強制になってしまいます。それができなければ、一人前になれないという思い込みが更にそれを後押しします。結果、コミュニケーションツールを持たせることにのみ視点が行ってしまいます。

もしも、支援ツールに頼り切った支援を展開してしまえば、支援を受けていた人は、その支援を受けられない状態になったときに、再び何もできない状態に追い込まれてしまいます。

「困り感」と、言う言葉があります。これは、「困っている事柄を認知、表現できずに困っている状態」のことを指します。

例えば保育園などで、箸を忘れて、じっと給食を見つめている子がいたとします。

その時に行う支援は、箸を差し出すことではありません。この場合の「困り感」というのは、「ご飯を食べることができるようになる状況をどうやってつくり出したらいいか判らない状態」であって、箸がないことではないからです。

この場合の支援は、それを解決する過程を、その事一緒にやっていくことなのです。

ですから、ベテランの保育者は、そう言う状態のお子さんを見つけた場合、「どうしたの?」と声を掛け、本人の視点に並び立ち、彼が困っていることを「あ、お箸がなくて食べられないのね」と声に出し解釈し、そしてそ「こういう時にはね、先生に言えばいいよ」と解決する手段を伝え、その「困り感の表出」を促し、必要であれば一緒にそれを実行します。その子がたとえ、小さな声で「先生」と一言言えるだけでもその第一歩は成功です。あとは、その子が陥る似たような状況を察知しながら、徐々に独り立ちするのを支えていけばいいのです。

支援は、支援を必要とする人の可能性を広げようとするモチベーションによってのみ、展開されなければなりません。そうでなければ、支援をされる方もする方も、「支援というサービス」のやり取りをしているだけという概念になってしまいます。

ここら辺が、これからの支援の課題にされなければいけないと最近強く思わせられています。

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2014年09月25日(木) 20時22分44秒

「新制度に向けて」

テーマ:保育
伊藤園の「缶入り煎茶」には、伊藤園が主催する新俳句大賞の句が掲載されていますが、その一句が目に止まりました。

 「かざくるま ため息だけでは 回らない」
 
第23回の佳作特別賞受賞句で沖縄市在住の18歳仲宗根大喜さんの句と紹介されていました。

私は牧師であるのと同時に、教会が経営する保育所の所長であるわけですが、保育所の現状を見れば見るほどため息をつきたくなりますし、その一方で、ため息ばかりついてたってダメなんだなあと思っていたところにこの句と出会ったわけです。

旧木造町での年間出生者数を見ると、この数年20名を切っている状況のようです。旧木造町内には、4つの保育所と2つの幼稚園の6施設がありますので、均等割すれば、1園平均3人ちょっとということになるでしょうか。一学年3人を6学年預かるわけですから、18名にしかなりません。こんな中で、90名定員の保育所を維持していくことは不可能に近いです。

そんな中、来年度から、新制度が始まります。保育関係者から見れば、現行の保育制度とは、まるで裏が表になるほどの激変です。

新制度では、保育所の機能と幼稚園の機能を合体させた幼保連携型認定子ども園というものが保育の主体を担っていくことになります。待機児童対策の切り札として登場した認定子ども園構想は、その後のやり取りの中で、学力低下対策や子育て支援機能を付加された上に、自由経済主義の手法を取り入れた形に変換され、来年度の実施を待っています。

そして、社会福祉法人立や学校法人立の認定子ども園がこれからの幼児保育・幼児教育の中心を担っていくことになっています。それ以外の設置者(個人立や宗教法人立の保育所など幼保連携型認定子ども園は設置を認められていない法人)はそう言う保育事業の表舞台から静かに立ち去っていく事になるやも知れません。時代の流れと言う事かも知れません。無論、旧木造町やそれ以前に過疎化に苦しむ自治体にとっては、そもそも、競合などは馴染むわけもなく、その対応に、苦慮しているというのが実態だと思われます。幼児の奪い合いなどは起こるかもしれません。しかしその一方で、地域から児童福祉の拠点が消えていくのです。そう言う現実を見ればため息ばかりが出ます。

しかし、木造保育所は児童福祉法が成立する以前から保育を行い、児童福祉法が成立した後は、この地域の最初の認可保育所として、町立保育所の設置などに積極的に協力してきた歴史があります。そんな歴史を持つ保育所の園長として考えた時、果たしてこれから先の児童福祉はどのようにあるべきかを、今、真剣に考えるべき役割を与えられているのではないかと痛切に感じています。

児童福祉法では「一八歳に満たない者」を児童と規定し、(第39条の2)で「保育所は、前項の規定にかかわらず、特に必要があるときは、日日保護者の委託を受けて、保育に欠けるその他の児童を保育することができる。」と定められています。

保育制度改革のこの時だからこそ、もう一度、子供の福祉を厚くするためにはどうしたら良いのか、考察を深め、今までの保育制度では補えなかったこと、そして新制度でも補い得ない部分を私たちは実践し、世に働きかけていかなければならないのではないかと思うに到りました。

新島襄は「教育とは国家100年が大計なり」と言いました。それに習って考えれば、保育も「国家100年が大計」であることは確かです。祈りつつ歩んで参りましょう。
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2014年08月26日(火) 08時30分17秒

夏を越えて

テーマ:保育
虫の音が響いてきて、秋の訪れが感じられる様になってきました。どのお子さんも、一夏の楽しい思い出と共に、一回り大きく成長したなあと実感します。みんな、自身と気力に満ちていますね。

ある日ある時、それまでの自分をポンと乗り越えるときがあります。子供達は、蓄えて、成長しての繰り返しです。食欲が増え丸々としてきたなあと思ったら、今度は食欲が落ちて背が伸びる…そうやって成長していきます。

これは心でも一緒です。色々なものに刺激を受け、ある日突然理解が広がるという風に成長していくのです。

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2014年06月23日(月) 17時21分35秒

叱るのではなく、教える

テーマ:保育
降園の時に「バイバイ、園長!」なんて声を掛けてくれる子がいますが、隣にいる親御さんが「ダメでしょ、園長先生でしょ!」と慌ててたしなめる場面にもう何回も経験しました。幼少期の子供達にとって一番難解なのが、人間の関係性です。

目の前の人が一体どういう立場の人なのかということを考え、それぞれの人々には自分の想像が及ばない背景があると気が付くのは小学校の5、6年生ぐらいでしょうか、子供はそれまでは親のやり方を見てのみ、人間関係を理解しようとします。

だから、もし強く叱られたとしても子供は「叱られた」という恐怖しか残りません。叱られても何が悪かったのか理解できないのですから、うんざりするほど叱り続けても、懲りてないかの様に繰り返し、その度に親はイライラしてしまいます。

子供は、叱られた理由を解説し、謝り方などを教える人を必要とするのです。お子さんを取り囲む大人は、だからこそお子さんを話題としなければなりません。人間は社会に生きる存在です。社会性の基礎はそれらの経験を通じて思春期に花開くからです。子育ては一人ではなくて、チームでするものです。このチーム構成が深くて広いほど、彼らが大人になった時の世界は広く、大きいものになるのです。

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2014年02月21日(金) 18時19分17秒

子供±X=大人?

テーマ:保育
最近、TEDカンファレンスというものにはまっています。

切っ掛けはNHKの「スーパープレゼンテーション」という番組でした。非常に面白いですから是非ご覧になってみて下さい。

TEDとは、テクノロジー(Technology)エンターテイメント(Entertainment)デザイン(Design)の頭文字を取ったもので、アメリカのカリフォルニア州ロングビーチ(過去にはモントレー)で年一回、大規模な世界的講演会を主催しているグループのこと。

このTEDが主催している学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、聴講するためには、年会費7,500ドルを支払って会員になる必要があるそうです。

日本円にするとざっと7、80万円!!

こんな会費を支払える人ですから、TEDの会員は皆一流の経歴や業績を持っている人であることが判ります。しかし、その一方で、この講演の内容は翻訳を付してビデオ化され、インターネットを通じて世界に配信されています。

色々と視聴していますが、アドーラ・スヴィタクの「大人は子供から何を学べるか」を聞いて、最近保育について、つくづく考えさせられています。
公開されている講演のビデオから引用してみますが、

ここから============
最初に質問があります。「子供っぽい」と最後に言われたのはいつのことですか? 私なんかは 「子供っぽい」ことはよしなさいと、しょっちゅう言われます。何か道理に合わない要求をしているときとか、無責任な行動を取ったときとか、そのほか何であれ普通にアメリカ人らしいことをすると「子供っぽい」と言われます。本当にうんざりです。世界の問題を考えてみてください 帝国主義に植民地支配、世界大戦にジョージ W ブッシュ、一体誰のせいでしょうか? 大人たちです。

一方で子供たちは何をしてきたでしょうか?アンネ フランクはホロコーストのことを力強い文章で伝え、何百万という人の心を動かしました。ルビィ ブリッジスはアメリカから人種差別をなくす力になりました。もっと最近ではチャーリー シンプソンが、ハイチのため小さな自転車に乗って12万ポンドも募金を集めました。このような証拠を見れば年齢なんか関係ないことがわかります。「子供っぽい」と非難される振る舞いは大人にこそよく見受けられます。この年齢差別的な言葉を、無責任さや不合理な考えを持つ振る舞いを批判するときに使うのはやめるべきです。
(後略)
ここまで============

子供が大人になるとは一体どういう事でしょうか。子供から子供っぽさを取り去れば大人なのでしょうか?それとも、子供に大人らしさを付加すれば大人なのでしょうか?はたまた、子供から子供っぽさを取り去り、更に大人っぽさを付加することなのでしょうか?

しかし、どう考えても、それでは子供が大人になることのプロセスは説明できないと思わされるのです。

子供から取り去るべき子供っぽさがあるとしても、大人にそれを見受けることはできます。その反対もあります。大人よりも実力、経歴、能力、収入が大きい子供などは世の中にたくさんいます。反対に、子供に付加すべき大人らしさを考えても、それは誰にも答えられない問題でしょう。

しかし、大人が教育を語るとき、子供を大人にするということを論じるとき、

子供±X=大人

という図式を頭に思い描いて話を進めていると覚しき人たちがたくさんいることを思います。

子供を大人にするためには、何を付け足すべきなのでしょうか。

子供を大人にするためには、何を取り去るべきなのでしょうか。

即答できないのであれば、皆が当たり前だと思っている教育の公式である

子供±X=大人

は成り立たないのは自明の理と言うことになります。

では、大人は何をして大人と呼ばれるべきなのでしょうか?体格、能力などでは大人と判定することは難しいでしょう。そこでは、年齢を根拠にして、天才児などと子供扱いされてしまいます。逆に子供っぽさがないから大人と言えるでしょうか?大人っぽいから大人なのでしょうか?

子供っぽさとは一体何でしょうか。大人に不都合なことをして、子供っぽいと呼ぶのであれば、そう言う大人のあり方はまさに子供っぽいとしか言いようがないと思います。古来「子供は授かり物」と理解されるのであって、子供は大人の所有物ではありませんし、大人は子供の支配者ではあり得ません。

しかし、現実はどうでしょう。子供は「子供±X=大人」という公式に当てはめられ、「大人になること」を求められ、子供っぽい好奇心や正義感、想像力などを捨てさせられているのではないでしょうか。

子供の子供たる由縁は、実は大人にあります。

いまよりほんの数十年前まで、大人の領域は、現代の子供の領域とされる年齢層まで大きく広がっていました。高校生などは、大人として扱われる部分が多かったと聞きますし、そもそも、本人達もそう言う自覚で生きていました。10代で結婚する人も多くいました。彼らが、大人として振る舞えた理由は何でしょう。

それは、自分より小さい者を慈しみ、愛で、守ることが自然と身についていたからに他なりません。子供を慈しみ、愛で、守る事によってのみ、大人は大人足り得、また、子供は子供足り得るのです。しかし、その大人は、子供に対し大人としての振る舞いをする意思がなくなっています。結果はどうでしょう、子供が、大人に対して声を上げ始めてます。

私たちは大人は大人なのでしょうか?子供から子供らしさを失った子供でしかないと言われないことを願わざるを得ません。


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