ジオターゲティング
2005年04月15日(金) 23時45分14秒

教育実習生として その4

テーマ:学校の先生として
お待たせしました。久しぶりの教育実習ネタです。

ところで、やっと方針が決まったのですが、結局生徒たちに興味を持ってもらわない限り、難しいことに気がつきましたので、少し自分の人生を織り込むことにしました。

ここで自己紹介が威力を発揮。私の人生が、どの様なものであったかをまず考えてもらうことにしました。よく考えてみれば小さい頃には、医者になりたいとか、父の影響を受けて科学者になりたいとか様々な夢を持っていた私ですが、結局は成績も追いつかずに神学部に入ってしまった私です。進路のことを少し話せば、彼らのこれからの人生という部分にリンクできそうな気がします。

要は

1)夢がどれほど実現しないか

2)それでも、それはそれで面白いと思うこと

3)でも、今までの道のりは決して偶然の産物だとは思えないこと

この3点が大切だろうと思いました。そうしてみれば、彼らも彼らなりの夢からはじまって、将来の人生を考えるだろうと、そしてこれまでの人生を振り返るだろうと考えました。

そこで以前、私が見つけて大喜びした、旧約聖書の「わたしはあなたと共にいる」という統一メッセージとリンクしそうです。

まず、自己紹介で先述の3点を織り込み話します。そして次に、聖書の統一メッセージとして「わたしはあなたと共にいるBy神」なんて、黒板に大きく書くことにしました。旧約聖書は、ユダヤ人たちが神様と自分たちのことを考えて、長い間かかって完成した書物だと紹介した上で、現在私たちの手元にある旧約聖書は39冊であることを伝えます。

板書には、39冊の書名を書き出します。覚えさせるためではなく、それぞれの区分を説明するために書き出します。

前回の考察で、判るとおり、

1)天地創造から現在に至るまでのユダヤ人と神の約束との関係の記録。約束の言葉は「わたしはあなたと共にいるBy神」というものなのだ。

2)そういう約束を与えられた人たちが一体どのように歩んだかと言えば、なかなか一緒に歩んでくださっていることを自覚できないどころか、疑い、離れていこうとした結果、歴史書に見るようにイスラエルは南北に別れ、そしてそれぞれが滅ぼされていった。

3)それぞれが生きるときにも現実的に直面する問題への言及。例えば、何も悪いことをしていないのに、悪いことが続いてしまったりする現実。

4)その様なイスラエルに対する神の叱責と呼びかけとしての預言と、その後与えられるであろう希望の世界に言及する預言。

オプション)4)に語られている事が新約聖書に語られていることを示す。

こういう流れでやっていこうと思いました。

もともと、新約聖書は、旧約聖書との関連を強く意識して編集されています。やはりキリスト教主義の学校としては、旧約聖書を新約聖書に結びつけておきたいと思いました。

このような指導計画を立て、指導教諭に持っていき説明しましたら、「いいでしょう。それでやってみよう」と言われました。さて、いよいよ、授業開始です。



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2005年03月23日(水) 21時54分20秒

教育実習で その4

テーマ:学校の先生として
さてはて、聖書の構造を少し勉強して、「これでいける!」などと有頂天になりましたが、実際には問題が生じてきました。

現在、書店などで簡単に手に入る聖書のほとんどは、七十人訳聖書 と呼ばれるものが原型になります。無論、キリスト教で使っている聖書もこれを原型にしています。そうすると、収録されている本の順番が問題になってきます。「トーラー・ナイビーム・ケトゥビーム」という順番になんかなっていなかったわけです。

TG様にもご指摘ただ来ましたが、もともと旧約聖書は、長い歴史の中で書きつづられた書物を少しずつ加えながら、聖典となっていったので、ある日ある時39冊が突然書かれて、それが一括で聖典になったわけでもありません。更に、順番にしても、色んな思想や必要性から順番も現在日本で私たちが読んでいる聖書とは違うものもあります。さて、弱りました。…ということで、もう一度聖書の構成の分析からやり直しになってしまいました。

もう一度、旧約聖書に収録されている順番を調べてみることにすると、ある程度、歴史的を追いかけていることに気が付きました。なるほど、そっか、信仰の歴史と捉えて授業を進めてみればどうだろう?と考え始めました。

イスラエル民族の成立に関わる過去の部分…これが、律法にも関わってきます。世界最初の人間として登場するアダムとエバの話、カインとアベルの話、ノアの方舟の話、イスラエル民族の祖アブラハムの話などが収録されている創世記などもこの中に入ります。

余談になりますが「イスラエル民族」と言う言葉は、人種を指す言葉ではありません。イスラエル民族の祖と言われるアブラハムはメソポタミア地方で生まれ、現在のパレスティナ地方まで神の導きによって流れ着いた人で、その時に神と契約を結んだことから、一つの宗教をもつ民族として自立したものです。ですから、ユダヤ人とか、イスラエル人と言う言葉は、人種を指すわけではありません。

つまり、どのように神と契約を結び歩んできたのかを示すのが、聖書の初めの部分になります。そこには、神に従う民族としての義務や取り決めなど(これを律法と呼びます)が詳細に示されています。

その次に来るのが、国を造るまでと国を持ってから、その国が分裂したり、滅びたりという歴史を書いた部分が来ます。その歴史にどのように神はイスラエル民族に関わったのかという視点で書かれています。二代目王ダビデ、三代目ソロモン王の名前は有名です。

その次に来るのが、知恵書と呼ばれるもの。これはジャンルがごちゃ混ぜです。神への讃美の詩である詩編、教訓書として扱われる箴言、教えると、男子生徒がニヤニヤする雅歌、信仰問題の思考実験的な文書ヨブ記 や、コヘレトの言葉 などがあります。

三つ目のグループが預言の書。王国が造られる前後から滅ぼされるというイスラエルの歴史の中で、神は預言者を通じて何を訴えたのかということが、書かれているものです。さらに、イスラエル人に対して与えられる未来の希望などがなどが書かれています。

さて、こういう順番を追っかけてみると次のようなことが言えるのではないかと思う世になりました。

1)イスラエル成立…神の約束が与えられる

2)歴史…その約束に従い得たとき、従い得なかったときの記録

3)現在信仰している問題…神への讃美や、信仰の世界観、約束の通りに生きていても報われなかったりすることに対する考察。

4)そんなイスラエルに与えられる預言…預言者を通して語られる神からの叱責や希望。

そしてオプションとして、キリスト教では、その希望を引き継ぐものとして新約聖書に結びついていくという風な流れです。

さて、やっとここまで辿り着きました。これを、どのように生徒の現実と結びつけていけばいいのか。まだまだ、問題は山ほどありました。

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2005年03月16日(水) 23時10分09秒

教育実習で その3

テーマ:学校の先生として
七転八倒の末に見つけた旧約聖書の中の神様の名台詞「わたしはあなたと共にいる」これが見つかったから、それで良いかと思ったら、大間違いでした。

旧約聖書が39冊から成り立っていることは、前回書きましたが、もともと、39冊の本を合本にして旧約聖書を編纂したのは、ユダヤ人達でした。ユダヤ人の信仰的ルーツが示されているのが旧約聖書なのです。余談になりますが、ユダヤ人にとってはこの旧約聖書こそが「聖書」です。旧約聖書と呼んでいるのは、キリスト教の考え方から来ているのです。

また、ユダヤ人は、旧約聖書のことを「トーラー・ネイビーム・ケスビーム」と呼ぶときもあります。これは、直訳すると「律法・預言・諸書」という意味です。これは旧約聖書の構造的な内訳をそのまま呼んでいるわけです。つまり旧約聖書は、全体を大きく3つに分けることができるということです。

最初に来る律法の部分…これは、アダムとエバの話や、バベルの塔、ノアの方舟、モーセの話などが納められ、神とユダヤ人とがどのような契約を結んだかがメインテーマに書かれている部分です。当然、神によって与えられた十戒をもとに、いろんな取り決めも事細かに収録されている部分もあります。歴代の王様の記録といった歴史もここで明らかにされます。

2番目が預言の部分…普通に言われている予言は読んで字の如く「予(あらかじ)め言う」という意味で、未来を予測し語ることを指します。ここで言う“預言”とは、読んで字の如く「言葉を預る」という意味で、誰の言葉を預かるかというと、神の言葉を預かったということです。そして「神様はこの様に考えて、こう仰っているぞ。○○するって言ってるぞ~」と言う人が預言者です。この預言者が、ユダヤの歴史の中で大きな働きをしました。彼らが与えられた言葉や、彼らの活躍を収録しているのがこの部分になります。

3番目の諸書の部分…ここには、いろんな神学的な書物が収められています。前衛的な思想を持った文章、詩、思考実験的なもの、散文的なものなどが納められています。

こういう3つに大別される構造と、私が探し出した「わたしはあなたと共にいる」というテーマを重ね合わせていかなければ、うまく教案にはならないわけです。本当はここからが勝負なのでした。

トホホ  _| ̄|○

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2005年03月15日(火) 10時06分13秒

教育実習で その2

テーマ:学校の先生として
「教育実習で その1」の続きです。

宗教科といえども他の教科と同じように教育実習を行います。取得過程も一緒ですが、私の場合は、母校は公立高校でしたので、母校では教育十種が受けられませんでした。仕方がないので、私の場合は弟が行った学校に頼み込んで教育実習をすることになりました。

朝6時には家を出て7時過ぎには着くようにします。8時30分には、担任として割り当てられたクラスに顔を出し出席を取ります。授業が始まれば、指導教諭の授業を見学する合間を見計らって、他の教科の授業や、実習生仲間の授業を見学したり…。昼休みや放課後には、控え室に生徒が遊びに来たり、勉強しに来たり…。そして夜は部活動の手伝いをしてそれから実習簿などを作成し、指導教諭の机の上に置いて学校の門限すれすれに家路につきます。家に帰り着くのは23時前後。こんな生活を実質2週間続けました。2週間という期間は、あっという間に過ぎ去りました。そんな中で出された研究授業のテーマが「旧約聖書」だったのです。

さて、旧約聖書を貫くテーマというものに注目したわけですが、それが一体なんだろうかというのが、しばらくさっぱり判りませんでした。旧約聖書は、ときどき神様が出てきて語りかけるシーンがあります。その時に必ず出てくる言葉があることに気が付きました。

「わたしはあなたと共にいる。」

これだ!と思いました。旧約聖書を通しての神様の約束はこれだ!!と…。

さあここから先は勢いに任せて教案を練れば良いはずで…。さてどうなる?

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2005年03月13日(日) 23時55分58秒

教育実習で その1

テーマ:学校の先生として
旧約聖書は、1500ページぐらいあると、先日書きましたが、その1500ページの内容というものを知らない方も多いかと思います。中には、法律書や六法全書みたいに、「~してはならない」「~しなさい」と項目立てで、延々1500ページ書いてあると誤解する人もありますが、それは大分違います。

実は、旧約聖書は39冊の本の合本です。創世記、出エジプト記からはじまって、歴代の王の歴史を書いたもの、詩集など様々なジャンルがそこには入れられています。

アダムとエバの話や、ノアの方舟(はこぶね)、バベルの塔の話は創世記、最近ミュージカルが来日して有名になっている十戒の話や、海が割れる話などは、出エジプト記に収録されています。

39冊の本を毎授業で一冊ずつ紹介していったとしても39週もかかってしまい一年では到底教えることができませんので、大幅に端折って教えざるを得ません。

私が教育実習に行ったとき、指導教諭は私の研究授業のテーマに「旧約聖書」を指定しました。期限は5日後。困りました。

「旧約聖書って…どこの部分を教えればいいのでしょう?」

「どこって、全部だよ」と指導教諭はにこやかに答えます。

さあ、とんでもないことになりました。授業時間は50分。一人一人出席を取るように言われましたから、ごたごたしていると40分弱でこの大きなテーマを教えなければいけません。

39冊全ての本の名前を教えようかとも思いましたが、

「そんな授業、生徒は面白いと思うかい?」というにこやかな先生の切り返しにあい、あっさりと撤回しました。

二日ほど悩んで、結局、旧約聖書の流れを説明することにしました。39冊を合本にしてあるのですから、それを収録した人たちというのが居るはずで、その意図を探れば何とかなるに違いないと思いました。

何か、統一されたメッセージがあるはずだ。一体それは何なのか…。聖書に収録された本の順番を睨みながら、それぞれに書いてあることを思い返しました。

ところで、旧約聖書と新約聖書を2冊合本にしたものを私たちは「聖書」と呼びます。「“しんやく”とか“きゅうやく”っていいますが、翻訳が古いとか新しいとかでそんなに変わるんですか?」という質問を受けるときがあります。

しかし、これは大きな間違いです。「訳」ではなく「約」が正解です。残念。「約」は、「約束」とか「契約」を意味します。つまり、神様が人間にした約束を伝える書物が聖書だということになります。

さて、一体どのような契約を旧約聖書の中で神は結んでくださったのと書かれているのか…。これが判れば何とか旧約聖書のメインテーマが判るに違いありません。

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2005年03月11日(金) 20時02分45秒

聖書の授業

テーマ:学校の先生として
今から5年前、あるキリスト教主義の中学校の先生をやることになりました。キリスト教主義の出身者はおわかりでしょうが、キリスト教主義学校では、授業に宗教の時間というものがあります。

そもそも、教員免許には数学や英語、国語、科学などとともに「宗教科」というカテゴリがあります。宗教科は読んで時のごとく、宗教を教えるのが仕事です。

公立学校では、「道徳」という時間があります。それと入れ替わる形で宗教科というものが授業に繰り入れられます。

余談になりますが、宗教科の免許というのは、あくまで宗教科です。つまり、仏教だろうが、イスラム教だろうが、キリスト教だろうが免許自体は宗教科一つです。ですから、私が教職課程を勉強する時にも、キリスト教だけということではなかった訳で、仏教学などという科目もカリキュラムには入っていました。原理的には、キリスト教系の学校だけではなく、仏教系などさまざまな学校で宗教科の授業を行うことができますし、公立学校でも教壇に立つことは可能ですが、結論から言えばそんな要請は現実的にはあるわけがありません。

私の担当は中学2年生を教えることになりました。内容は旧約聖書の概説…。これが大変です。聖書は全体で2000ページほどの本です。この本の1500ページほどを旧約聖書が占めます。授業は毎週一回ですが、…夏休みなどの休みや試験などで最大でも35~6回しか授業はできません。授業時間全部を読むことに費やしたとしても一回あたり50ページも読み進めなければならなくなります。また、読んで面白い部分もありますし、何が何だか分からない部分もあります。結局、教科書を用いて、その内容を精査した上で授業へ展開して行きます。

教科書?教科書があるのか?と思う方も居られるかも知れません。それがあるのですよ。ただ、中学向けは需要が少ないらしく、どの教科書も、内容、書き口はどちらかと言うと高校生かそれ以上向けですから、教科書も参考程度にしかなりません。さらに、「聖書科なんて受験に関係ない科目は時間の無駄」という生徒もいます。この辺りは難しいものです。むろん生徒にだって信仰の自由は存在します。まあ、本当にキリスト教が受け入れられなければ、キリスト教主義学校になんて行かなければいいのですが、でも、やっぱりそう言う生徒もいると聞きました。

そして、一番の問題は私自身が、高校まで公立学校でしたので、道徳の授業がありましたが、宗教の時間自体体験したことが無かったこと。う~ん前途多難(--;

さて、一体一年間にどれだけのことができるのか…できたのか…。

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