ジオターゲティング
2005年07月08日(金) 23時52分31秒

七夕に想う

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当教会に4月4日生まれの女子高生がいます。彼女はこの日生まれを非常に気にしているようです。なんでかって、3月3日が雛祭りで女の子のお祝いの日、5月5日が端午の節句…じゃあ、4月4日はどうなる?っていうのが、昔から彼女へのからかいだったようなので…。

昔、母から「奇数日のぞろ目の日は五節句と言ってね、それぞれ関係のある草木を備えて祝うんだよ」と聞かされたことがありました。

1月1日正月で松、3月3日お雛様で桃、5月5日端午の節句は菖蒲、7月7日は七夕で笹、9月9日は重陽の節句と言って菊という具合で聞かされまして、妙に感心したことを思い出しましたが、調べてみる1月1日はどうも勘違いな様で、1月7日に七草の節句という風に行われていたようで、私達が食べる七草粥はここから来ているようです。

7月7日は七夕様。笹の葉に願い事を書いた短冊を下げた人も多いのではないかと思います。これって、一年に一度出会うことが許された牽牛星と織女星とが、その喜びから願いを叶えてくれると言う風に聞いたことがあります。庶民のささやかな願いがそこには込められていると行っても良いかも知れません。

ところで、この7月7日は、星が出ないので有名な星祭りになっているのは周知の事実です。それは、この節句の発想が旧暦に由来しているからで、グレゴリウス暦になってもなお、日付に由来するのでこういう自体になっています。これは元日にも言えるわけで、大寒の前に「新春のおよろこびを申し上げ」なければならなくなってしまいました。

もっとも、七夕に関しては、私の出身地仙台ではこのずれを考慮して8月に行います。この時期は晴れて星空も見えますが…仙台七夕では豪華な吹き流しに目が行くことが多く、ほとんど夜空なんか眺めてませんでしたね。(^^;

今年の七夕も私の住んでいるところはどんより曇り空…。笹飾りが夕立に空しく打たれていました。季節とお祭りは、実際には切っても切れない関係にあります。それは、多くの人々が農業と密接な関係を持っていたからに他なりません。

今、濃厚から断ち切られた私達は、日付だけを頼りにいろんなお祭りをやっています。だからこそバレンタインデーやクリスマスなど日付の決められたお祭りは増えていくのに対し、イースターなど季節に関連したお祭りは衰退していくのでしょう。

でも、私達も自然の一部です。自然を意識すること…これが私達と神様との間では大切なことなのだと思います。

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2005年04月12日(火) 17時28分02秒

秘めたる桜の名所

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秘めたる桜の名所…。ウチの教会にもありますよ。

私たちの教会は、墓地を持っています。近所の山の中腹にあるので、私たちもなかなか行きづらいのですが、この墓地にある桜は絶品です。

ウチの墓地の5~6倍の面積があるカトリック教会の墓地と隣接していまして、合計5本の桜の木がありますが、何故かウチの墓地にある桜一本だけが、20日ぐらい遅れて満開を迎えます。

多分、山桜なのでしょう。全ての桜が散りかけた今、まだ蕾の状態です。私は、見頃を見計らって弁当を持って一人で花見に行ってました。本当に、秘めたる名所…自分だけのお花見を楽しめます。

結婚して初めての見頃がもう少し出来ます。今年は妻と二人で弁当を持っていきたいと思っています。今から楽しみです。


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2005年04月01日(金) 20時53分49秒

嘘吐き?!

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「うそつき」って「嘘吐き」と書くとは知りませんでした(^^;嘘を言うことは、最も戒められる事であることは、古今東西共通の価値観の筈です。ただ、今日4月1日だけは、嘘を吐いても良い日だという風習もありますし、「嘘も方便」なんて言葉もありますよね。

講談師、見て来た様に、嘘を言い

誰が読んだかわかりませんが、こんな川柳がありましたが、自分が牧師になってみて、つくづく自分の説教ってそんなもんだなあと思います。
行ったことのない、2000年前の出来事をまるで当事者のように語るわけですから、そう思っても当然かも知れません。

牧師は、毎週説教というものをつくらなければいけません。
当然、聖書を読み、そして、気になる部分は調べ、そして自分の生活で得た経験などと照らし合わせ、取り入れて、説教を作り上げていきます。

ところがです。説教というのは、週に一回というペースがあるので、色々な下準備が出来ますが、信徒の方からの質問や突発的な会話で、説教めいたものを即興で語らなければならない時があります。実は、これがやっかいなのです。

以前、教会で温泉旅行に行ったことがありました。星野富弘美術館、温泉を経由して帰る日帰り旅行でしたが、その旅行の最後にある信徒さんがみんなの前で、「先生、せっかく星野さんの絵を見て温泉に入ったのですから、「絵」と「温泉」の二つのテーマで説教してくださいよ」…つまり、即興で説教しろと言うわけです。

温泉上がりのいい気分があっという間に吹き飛んでしまったのは言うまでもありません。
でも、私も未熟ながらそれを生業としているわけですから、喜んで(?)させて頂きました。

しかし、牧師をやっていて時々体験するのは、自分自身が気がつかされながら説教を書いているという体験です。自分が書いているにもかかわらず、むしろ、「ああ、そう言うことなんだ」と感心することがあるのです。まるで、レールがひかれているようで、すらすらと出てくる感じです。

ただ、これも、牧師特有のものではないのかも知れません。キャンプで参加者達が少しずつ自分の言葉で色々なことを語り始めるその時にも、なんか「話さずにはいられない」と言う感じを彼ら自身が感じているようです。

確かに聖書にある現場には行ったこともいたこともないかも知れません。でも、聖書を書いた人たちの「心の震え」が、それが時々「私たちと一致した!」と感じられるときがあります。その時に、私たちは、沢山のことを語り、そして感動を共有することが出来るのだと思っています。

自分が理解し得ない外国語であっても、良いと感じる歌もありますし、人間は、そう言う超越性があるのかも知れませんね。そして、私は、そう言うものがあると信じたい者の一人です。


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2005年03月26日(土) 13時04分23秒

卒業式とえば

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代表「さわやかな、春の日差しに誘われて、道ばたに顔を出した小さ   な蕗の薹は新しい門出の道しるべ。今日は、僕たち、私たちの   卒業式」

一同「卒業式」

なあんてのが小学校の卒業式でした。
代表が一人ずつ色んな思い出を言って、節々に全員で声を揃えるパターン、皆様方もご記憶にあるかも知れません。

今思い出すと笑える思い出ですが、ハタと気が付きました。私たちの礼拝では、交読文というものがありますが、これはほとんどこんな感じ(^^;

中学校ではどうだったのかといえば、私は公立中学校に在校していたのですが、私の母校では、在校生が全員合唱で卒業生を送ることになっていました。


その曲はなんとヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」でした。


練習は、1月から音楽の授業で行われました。楽譜を読めない人もいますし、大体にしてやる気もないやつまでいるわけで、在校生およそ350人にハレルヤを歌わせるなんて至難の業です。

そんなことをたった2ヶ月弱でやってのける事が出来るのですから、学校教育恐るべしです。

同級生には、寺の住職の息子までいましたが…。なんか、結構、平和に…彼はバスパートを歌ってたかなぁ。

ハレルヤコーラスは、大作曲家ヘンデルが書いたオラトリオの傑作メサイアの最後の方の曲。イエスの復活に出会い、改心した人々が神の国の到来を賛美するのがハレルヤコーラスです。

多分、古くはミッション校などで、卒業式と同時期にあるイースターを意識してハレルヤコーラスを卒業式に取り入れたのではないかと思います。そしてまた、その様な学校を卒業して公立学校の先生となった人たちが、何の疑いもなく自分の経験からハレルヤコーラスを卒業式に取り入れていったのでしょう。

案の定、次の年からは、「信教の自由に鑑みて好ましくない」というクレームがどこからか寄せられたようで、ハレルヤは取り止めと相成りました。で、2年生の時から使われ始めた曲がグローリア…。

誰が作った曲なのか思い出せませんが、「♪神の宮に額ずき、祈りをささぐ、さかえあれ、よろずよまで」なんて、歌詞こそが日本語にはなりましたが、根本的には変わってませんよね。どっちもキリスト教の背景バッチリです(^^;次の年には卒業してしまいましたから、その後はどうなったのかわかりませんが…。

でも、これは、あくまでも私の感想ですが、あの時に曲がりなりにもハレルヤコーラスという大きな合唱を体験できたことは、素晴らしかったと思います。350名余りでの大合唱なんて、大人になった今、やりたいったってなかなか出来ないじゃないですか。

未だにハレルヤは耳にすると歌うことが出来ます。合唱団のコンサートなどでハレルヤコーラスを聞くとき、ちょっと周りを見回すと、観客席でも句千都さんでいる人たちが結構います。この人達も、そう言う卒業式を味わった人なのかなと思ったりもします。

芸術って、宗教性を帯びているものだと思います。名画にしろ、音楽にしろ中世までの西洋芸術にはキリスト教的な影響が色濃くあります。芸術を鑑賞するとき、その様な背景を排斥してしまったら、何のおもしろさがあるのだろうって思ってしまいます。

数年前、アフガニスタンでタリバンという組織がシルクロード時代の仏教遺跡を破壊して、世界中から非難を浴びたことがありました。

そう言うものを見ることに、歌うことに、演奏することに、聞くことに信仰的な苦痛を感じるのであれば、仕方がないかも知れません。それを拒否することは信仰の自由において保証されなければいけません。でも、そうだからといって、そのもの自体を消し去ってしまうことは、間違った自由だと思います。

理解し合い、認め合い、尊敬し合って、相手を受け入れていくこと…。これは、私たち庶民一人一人にあって、本当にどんなときにも大切なことではないかと思います。

そして、これこそ、新しい道に進み始める卒業生の皆さんに送りたい言葉でもあります。

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2005年03月01日(火) 10時40分22秒

お雛様。

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私の実家は母を除いて、飼っている動物まで雄ばっかりの男家族でした。それでも、毎年2月末になりますとお雛様が登場しました。母のお雛様で、もう今では結構な骨董品だろうと思います。

それぞれがとても小さい木目込み人形で、3段の雛壇も一辺が30センチほどだったと思います。私の家では五月人形や鯉のぼりの類は存在もしませんでした。でも、毎年お雛様は登場しました。

今年、結婚してはじめて私の家にもお雛様が出てきました。掌に乗るような猫のお雛様です。

ところで私や父はどうだったろうかと、ふと考えました。子供の時からの鯉のぼりや五月人形を大人になってからも飾っている男って聞いたことないです。独身時代、友達の家に行ったってそんなことはありませんでした。それどころかもし、五月人形や鯉のぼりを飾っている友達が居たら、冷やかしていただろうと思います。

男の世界観って捨てる世界観であるように思います。絶えず前に進むために、「卒業」という言葉で切り捨てていく発想を求められてきたようにも思います。大切なものは常に未来にあると思っていました。

でも、毎年母が「♪明かりをつけましょぼんぼりに~♪」と歌いながらお雛様を飾っている姿を思い出す時、“大切な過去”というものがあるのだなあと思わされます。

「思い出」…捨てる対象にはしたくないものです。
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2005年02月23日(水) 09時44分06秒

神頼みといえば…

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今から15年前、仙台在住の一人の高校生が「牧師になりたい、神学部に行きたい」ということを言い出しました。これが、私です。

目指した学部は同志社大学神学部でした。何となく、京都にあるのが仙台の高校生にとってはあこがれでした。

しかし、問題は成績…。高校時代は進学校として有名でしたが、私自身はそのなかで毎回追試と格闘しておりました。先生曰く「お前は、年中実力試験だもんな」

まあ、そんなこんなでありましたから、同志社大学なんて入れないに違いないというのが大方の予想でした。

ただ、教会というのは恐ろしいところです。

「神学部行くんだって?」
「は、はあ」

「牧師になるんだって?」
「なれれば…」

教会のおばちゃん達が入れ替わり立ち替わり私に声を掛けます。そして、最後には決まって「私、神様に毎日お祈りしているからね」と約束してくださいます。教会のおばちゃん達の祈りのパワーってすごいというのは教会では常識の話。

更に、父の親戚が「神学部受けるんだって?」と“手拭い”を送ってきました。「家内安全」とか書いてあります。それを預かってきた父。

「特別にお祓いした手拭いだからって。これを鉢巻きにして受験勉強すれば必ず合格するって言ってたぞ」

お祓いって…、必ず合格って…

私は一体何学部を受けるのでしょう?と一人でツッコミを入れてしまいました。

中学時代の同級生に坊さんの息子が居ました。彼は、仏教学部を受けて坊さんになるという話でしたが、彼からも「うちの寺のお守りだから…」とお守りまでとどきました。

さて、私の受験、結果は

見事合格でした。

浪人確実といわれてた私が合格…しかも滑り止めを含めて合格率はなんと100パーセントでした。

自分でも、この合格は自力ではないように思えます。

じゃあ一体、何のお陰だったのか…

宗教の枠を越えて一つのことをなしていこうという活動のことをエキュメニカルといいます。

ということは、私の合格はまさにエキュメニカルの手本ということになるのでしょうか?

ありがたいような、何か違うような、そんな複雑な、不思議な受験体験でした。
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2005年02月19日(土) 17時40分36秒

同姓同名

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意外と狭いキリスト教の世界、日本のキリスト教人口は日本の総人口の1パーセント…つまり百人に一人ほどの割合だと言われています。これは、カトリックからプロテスタントまで、キリスト教と名のつく教会の総会員数です。

私の属している日本キリスト教団ですと、信徒総数は2002年の統計で196,044名。これは日本人総人口の0.15パーセント。その内牧師としての資格を持つ人の合計は、3,258名だそうです。

つまり、私の属している教団に限っての話をすれば、私の職業というのは、総人口の0,0025パーセント、40000人に一人の珍しい職種の人間という事になるでしょうか。

まあ、そんな世界での話ですので、名前に関してもいろいろとあります。友達の友達ぐらいまで辿ると、大体どこかでつながってしまうようなこともしばしば…。ですから、牧師という事になるともっと顔は知られていたりします。

また、牧師の世界でも結構2,3代牧師が続く家系なんてのも存在していますので、名字ですぐにどこのつながりの牧師かなんて想像がつく方もたくさんおられます。

私の場合は、父は物理教師の無宗派、母は祖母から続く2代目のクリスチャンですが、牧師の家系ではありませんでした。ただ、私の名字は実は私の教団の中では、結構有名な牧師一族の名字ですので、どこへ行っても、そんな風に聞かれ、その度ごとに「違います」と言っておりました。

さて、3年前、ある教会に説教をしに行きますと、待合室として歴代牧師の写真が飾ってある資料室と言うところに通されました。お一人お一人の写真を見ていると、名前の漢字は違うものの同音の名前を持つ先生の写真がかけられていました。

説教後お茶を頂きながらその教会員さん達と少し話す機会がありまして、そのことにびっくりした旨を話しますと、その教会員さんも驚いたと言うことでした。「うちの先生とは全く関係ないんですよね?」と念を押されちゃいました(^^;

そう言えば、うちの父は、一度犯罪者と同姓同名だったことがあります。当時は呼び捨て(容疑者なんてついてませんでした)でしたので、ニュースで名前がでるたびごとに嫌な顔をして、ぶつぶつ言っていました。

たかが名前、されど名前…どんな名前にしろいろんなハプニングがあるのが名前というものなんでしょう。
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2005年02月09日(水) 13時52分11秒

パソコン教室を教会で…

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私が現在居る教会では、牧師の仕事って毎日曜日の礼拝の説教、それと毎週水曜日の聖書研究会の担当となっていますが、それ以外は、あまり決まっていません。
まあ、決まっていないから、教会に来る人の話を十分に聞くことができるわけですから、決まっていない時間も仕事ということになります。

そう言う理解のもとで、この教会で生活していますと、今度は、いろんな雑用に追われるようになります。試験の時期には子供達が来て勉強を教えることになったりもします。また、パソコンを教えて欲しい、欲しいのでアドバイスして欲しいなどなど…。

もともと、パソコンは好きでしたし、中古のパソコンを直しながら使ってたこともあり、使えるパソコンは5台ほどありましたからそれを並べて、一頃パソコン教室をボランティアでやっていたことがあります。

参加者は、子育てを終えてそろそろ趣味を…と考えているご婦人方、八十歳代の男性ですから、「立ち上げる」とか「クリック」などといったパソコン用語なんか判るわけもありません。

「ここに矢印をあわせて、このボタンをカチカチと押します」

「自分のやりたいことをする。自分でできるところまでは自分で…。」がモットーでしたので、年賀状を作りたい人や、家計簿を作りたい人、インターネットをしたい人など様々な人が一つの部屋に集まってやるわけです。

当然こっちは大忙し…。うっかりすると、いろんな質問が一挙に押し寄せてきますので、コーヒーを入れたり、雑談をしながら、一つ一つ覚えていただきこなしていきます。そうこうしていきますと、お互いに聞いたり教えたりの関係が成り立っていきます。

お土産を持ってきてくださったりする人もいて、みんなでわいわいコーヒーやお茶を飲みながらやっていくって、楽しいし、何よりも上達が早くなるようです。

今は、建物の増改築の関係でこのパソコン教室、休止状態ですが、そのうちどうにかして復活してくださいなんて話がチラホラ…。

今年も、参加者さんから、自作の年賀状が何通か届きました。

また、どうにかして再開したい集会の一つです。
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2005年01月25日(火) 22時42分36秒

ジャス…これは立派な死語だな

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「ジャス」って言葉が私の生まれ育った宮城県では今から24,5年くらい前まで存在していました。何だと思います?「ジャージ」のことです。

小学5年生のころだったと思います。それまで、私たちは「ジャージ」のことをジャスと普通に呼んでいたのですが、ある日先生が「運動着のことは、ジャスではなくてジャージと呼びましょう」と授業で言いました。私達としては「???」と頭の中で、何がなんだかわからなくなりました。だってそうでしょう?ジャスは外来語と信じていましたし、その外来語が、宮城県でしか通用しないなんて思ってもみませんでしたから…。突然そんなことを言われた私たちは、それ以後もしばらく、ジャスジャージって言葉を混在して使ってました。

テレビの中で運動着のことをジャージと呼んでいるのを知って衝撃を覚えたのは、それから間もなくのことでした。今では、仙台でも誰も使わなくなった言葉ですから、立派な死語といえるでしょう。
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