ジオターゲティング
2009年12月27日(日) 06時47分04秒

歳晩礼拝

テーマ:教会あれこれ
「歳晩礼拝」…あまり最近は聞かなくなった言葉のようですが、私を指導してくれた元上司は

「歳晩礼拝はな、とっても重要や。一年の守りを感謝するときなんやから…」と言っていました。


一年の最後の礼拝を「歳晩礼拝」と呼ぶのですが、クリスマスと正月に挟まれたこの日曜日は、私たちそれぞれの家庭の忙しさも相まって、「とても重要」という扱いにはなかなかなれず、教会でも大掃除をする日だったりと…。

私たちの木造教会では、大掃除はアドベントに入る前にやってしまうことにしています。それは、クリスマスを新鮮な気持ちで迎えたいから。

ですから、今日は大掃除礼拝ではなく、歳晩礼拝です。

更には、89歳の方が、特に希望して今日洗礼を受けられます。


一年の恵みを感謝しながら、来年を望む礼拝が歳晩礼拝。

今日の礼拝の上に、主の祝福が豊かにありますように。

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2008年09月24日(水) 16時40分02秒

クライマックスのないお祭り

テーマ:教会あれこれ
最近、ハロウィンにちなんだ行事が日本にも紹介されて来ています。とても大雑把に言ってしまうと、「キリスト教のお盆」と言うことができます。

ハロウィンについてはウィキペディア「ハロウィン」を参照してください。

ハロウィンは10月31日ですが、もはやお店ではハロウィンの文字が躍っています。先日研修の折に立ち寄った「ネズミの国」でも、9月12日からハロウィンです。もっともこの「ネズミの国はクリスマスも11月7日から始まりますね。お店などは大体一ヶ月以上も早いわけですが、これは、家庭での飾りつけなどを提供する為です。

もし、家庭でクリスマスケーキを11月の初旬から飾っていたりしたらどうでしょう?もし、日本のお盆やお月見、正月のお飾りがどっかの国で人気が出て一ヶ月以上前から飾られていたり、お月見を一ヶ月前からしていたらどうでしょう?

お祭りは、最後、家庭や地域にあってクライマックスを迎えます。家や地域でそのお祭りを受け入れるからこそ前の段階からの騒ぎも意味があるわけです。クリスマスでもそうですね。12月24日にプレゼントをしたいからこそ、一ヶ月以上前からプレゼントを物色し始めて、いろいろ用意をするわけです。

商業主義の中では、日本に根付かせたいと思う人たちは多いようですが、日本の教会でもあまりハロウィンは普及していないことを見ても、もともとハロウィンは日本の習慣に取り込まれる要素は余り多くないと思います。特に10月31日の意味づけは難しいでしょう。家庭で受け入れられていないお祭りはクライマックスがないということと同義で、日本のハロウィンではそのクライマックスに対する理由付けが未だにできていません。だからこそ一ヶ月以上前からの前段の騒ぎだけをお買い物などで「楽しむ」のだと思います。

何か、最近、クリスマスやハロウィンは「ネズミの国」の都合で展開しているような気がします。ハロウィンが広まったのも1980年代ですし…。でも、日本に輸入された「アメリカのお祭り」(もしくはアメリカ流キリスト教の祭り)は大量消費の文化の中で発展したものです。商業主義は大量消費の文化としてクリスマスやハロウィンなどの文化を輸入したと言えなくもないなと思います。

お祭りに望むことは、地域や家庭にあってクライマックスを迎えること。飲み屋や何とかランドでクライマックスを迎えるようなお祭りはやっぱりどっかが違っていると思います。

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2007年08月24日(金) 13時33分38秒

葬儀

テーマ:教会あれこれ
以前、葬儀を行なった際、葬儀社の担当の方に言われました。

「先生、大変ですよね」

はい、正直大変です。教会式の場合、礼拝の一つの形態として葬儀は行われます。プログラムを決め、讃美歌を選び、遺族の相談に乗り、説教を考えるのはもちろんのこと、葬儀社さんの質問まで受け付けます。キリスト教式の葬儀は、お経を読むだけという訳には行きません。葬儀の最中も司会進行から、ひょっとすると弔電の朗読まですることがあります。

前回の葬儀では、火葬場の都合で、いつもは1時間半ほど見ている葬儀時間を1時間に短縮してくれという話になり、更に大変でした。「弔電は朗読ではなく展示しましょう。説教は短くします。」と一つ一つ指示を出しながらプログラムをショートバージョンにして、印刷物の作成をし、会場に行って、葬儀社やお花屋さんの相談を受け付けます。「弔辞のマイクはどちらに置きましょう?」「会葬御礼の文案はこれでよろしいでしょうか?」と会葬御礼の文案にも目を通します。その一方で教会関係の手配も忘れてはいけません。訃報を伝える手配、オルガニスト、受付などお手伝い下さる方の手配…。説教も前夜式(通夜)用と告別式用の二つを用意します。

式の30分ほど前から、控え室に引きこもり精神を整えます。この控え室の名前が「導師控え室」…昔は「住職控え室」などと書かれていましたが、宗教が多様化して来たため、導師となったのでしょう。なるほど、これなら牧師だろうがなんだろうが大丈夫ですね。

10分前に式場に入り、葬儀の流れを参列して下さった方々に説明し、讃美歌等を歌って下さるようにお願いをしてから始めます。歌ってくれと言われても、気恥ずかしいのかもしれません。ちょっと独唱みたいになって…。しかし、その内、皆さんも歌ってくださいます。

葬儀って言うのは、「亡くなったその人を偲ぶ儀式」という理解が一般的かもしれませんが、私達の立場で言わせていただければ、葬儀とは、「亡くなったその人が滞りなく死後の世界に旅立つための儀式である」のです。ですから、悲しいばかりでは葬儀は成り立ちません。

「俺の方が先に死ぬのは確実だから、死んだら天国に先に行って『いい場所』をとっておいてやるよ」と夫から言われたと教えてくれた方が居ました。天国に『いい場所』があるのかどうかはわかりませんが、死ぬというのは「死後の世界に生まれる」とか「死後の世界に返る」という理解がどの宗教でも共通の概念です。つまり、葬儀において死とは「命や関係の断絶」ではなく、「命や関係の始まり」の意味を持つのです。

ですから、確かに「故人とのお別れ」ではありますが、それはいずれ死ぬであろう私たちそれぞれの始まりでもあり、そのために故人から引き継ぐべきものを受け止めようとすることはとても大事なことなのです。

キリスト教のジョークにこんなのがあります。

「牧師先生。なんで、こんなにいい人が若くして亡くなるのでしょう」と聞かれた牧師は、ちょっと考えて答えました。「天国で、彼のようないい人が必要なのでしょう」


「たった一度の人生」という言葉がありますが、その背景には、「たった一度の人生」=「権利」という考え方が見え隠れします。「たった一度の人生、楽しまなくてどうする」なんて言葉を聞くたびにドキッとします。本当は、たった一度の人生なのだから、死に向かって進んでいななくてはいけないこと、そして自分に訪れるであろう死を意識することが葬式においては大切なことだと思うのです。

私は、そういうつもりで、葬儀を行なわせていただいています。

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2007年06月08日(金) 22時40分57秒

教会の痛手

テーマ:教会あれこれ
6月2日、息子をあやしていた時に、電話が来ました。

「先生。今、Oさんの家に来てみたら、Oさんが倒れていびきかいてる。」

即、駆けつけると台所で、Oさんが倒れていびきをかいていました。即、脳溢血だと悟りました。いびきをかくのは、気道が確保されていないから。体を横に傾け、私の膝の上に支えながら救急車を待ちました。数分後、救急車が駆けつけました。ガスコンロの上で、鍋が火にかけられていました。即消化。鍋の中身は炭になっていました。

「ご家族ですか?」
     「違います」
「何歳だか解りますか?」
     「79歳だと思います」
「住所は?」
     「あ、ここに葉書があります」
「今、救急車内で処置しながら病院を探していますが、何処がいいですか?」
     「かかりつけの総合病院にお願いします。」

そうこうしている間に、電話が鳴りました。私が出ました。

「はい。Oです。」
    「あれ?…ええと、…あ、先生ですか?」
「そうです。実は、今、倒れているのを見つけまして、救急車が来たところです。
 今から、病院に搬送しますので、
とにかく戸締まりに来て下さい。」

その内、救急車の音を聞きつけて、ご近所さんが集まってきました。みんな、心配そうです。

「どうしたんですか?Oさんに何かあったのですか?」
    「Oさんが倒れていたので、救急車を呼びました。ご家族が来ますから詳しくは、あとから説明します。」

妹さんが来たので、戸締まりを頼み、救急車を追いかけて、病院に入るとすぐに処置が始まりました。急を聞いた息子さんが病院に到着。しばらくして、「蜘蛛膜下出血で残念ながら手の施し様がありません。このタイプは出血した段階で即病院につれて来てもダメなタイプです」との医師の説明があり、ICUに運ばれていきました。

それを見送り、最初に発見した方と共に教会に帰ってきました。

「話を聞いてもらおうと思って行ったんだけど返事が無くて…。帰ろうと思ったのだけどラジオの音がするので、ドアを開けてみたら、中からいびきの音が聞こえたので、入ってみたら、倒れていたんです」

彼女にすれば大きなショックだったに違いありません。暫く、お互いの思いを話し合い、お祈りをして解散しました。その後、教会の役員に連絡しましたが、みんな一様に大きな衝撃を受けた様子でした。

翌3日。礼拝時、説教に於いて教会員に報告しました。突然の報に、教会員も衝撃を受けた様子で、泣きながらの辛い礼拝となりました。夕方、お見舞いに伺うと、会うことができました。顔も少しむくんだ様子でした。耳元で旧約聖書の23編を暗唱し、頭に手を置いて小さな声で祈りました。

「主はわが牧者なり、
   われ乏
(とも)しきことあらじ。
 主はわれをみどりの野にふさせ、
   いこいの汀
(みぎわ)にともないたもう。
 主はわが魂を活かし、
   御名のゆえをもて、我を正しき道にみちびきたもう。
 たといわれ死のかげの谷をあゆむとも、
    わざわいをおそれじ。
 なんじ我と共にいませばなり、
   なんじのしもと、なんじの杖、われをなぐさむ。」(詩編23編:文語訳版)

教会で中心的なメンバーであるOさん。教会の受けた痛手はとても大きなものでした。


「私ね、先生の説教より息子さんに会いに来るのが楽しみで教会に来てるのよ。うっふっふ。」なんて言いながら私を支えて下さいました。そして、全ての教会員がOさんの薫陶を受けて育ちました。自分のことを後に考えて、周囲のことに気を配って下さる方でした。彼女の言葉や行いが、周りの人達を明るくし、力づけていたことを今思い返します。
ご家族も大変でしょう。代わる代わる病院に詰めていました。疲れも出ていたでしょう。でも、Oさんの陽気な性格を話し、泣き笑いしながら、必死に看病しておられました。

6月7日午前4時34分に家族が見守る中、静かに息を引き取られました。死に顔は穏やかで、湯灌が終わった後、お顔を見た私はとても驚きました。仕事柄、多くの方々の死に顔を見ますが、これほどに満足げに眠っている顔を見たことがありませんでした。今にも目を覚ましそうなお顔は湯灌をしてくれたスタッフの働きもあるでしょう。

今日、通夜(教会では前夜式と証する場合が多いです)を行いました。150名を超える多くの人と共に、彼女が残して下さった良い感化を周りの人達に、次の世代に引き継いでいくことができますように祈ります。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
 しかし、人は、神が行なわれるみわざを、はじめから終わりまで見きわめることができない。 」
(伝道者の書3章11節)

そう思える時が来ますように。全てを神の御手に委ねつつ、みんなで、共に祈って歩みたいと願っています。
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2006年10月28日(土) 22時25分02秒

バザー

テーマ:教会あれこれ
今日は、教会でバザーを行いました。
利益は10万円ちょっと。この利益は、新潟中越地震で被災した教会の再建費として送金します。

さてはて、毎年この時期に実施しているバザーですが、献品の申し出も結構あって、今週はほぼ毎日、朝玄関を開けると献品が玄関前に置かれていました。なんか、毎日サンタクロースが来てくれている感じです。

でも、その一方で、在庫もどんどん増えていきそうなので注意が必要です。バザーであってもお客さんに売るわけですから、仕分けは結構シビアです。テンポよく仕分けていきますがそれでも時間がかかります。毎回、バザー前と後に婦人会が中心になって仕分けをします。売れ残りでもリサイクルショップ等に持ち込めるものはそこで換金しますが、残念ながら売り物にならないものは廃品回収に回します。

それにしても、今年は町内会の区長さん等も顔を出してくれました。ご近所さんも増えているように思います。そして何より、今年は農家の方が野菜を大量に下さいましたので、まるで気分は八百屋さん。ネギや大根、白菜、水菜などが山積みでしたがものがしっかりしているのと安いので、朝からポンポンと飛ぶように売れました。

教会員たちも、お客さんの中に知り合いを見つけ、大喜び。喫茶コーナーでコーヒーなんかを飲みながらの笑い話があちこちに見受けられました。「先生、○○さんです」とあちこちからご紹介がかかり、挨拶に大忙しでした(^^)

楽しいバザーでしたよ。でも、疲れたけど…。何よりも、教会員が一番疲れたでしょうね。ご苦労様でした。
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2006年10月13日(金) 23時09分50秒

僧侶と牧師

テーマ:教会あれこれ

先日、高崎で超宗教の会合があり参加してきました。一緒に受付の仕事をしたのがお坊さんでした。

一段落ついてボーっとしていましたら、彼が口開きました。「キリスト教っていうのも宗派っていくつもあるのですか?」っていうのから始まりましてお互いの教団の人事の事に話が及びました。

私たちの日本キリスト教団では個々の教会と牧師が契約に基づいて行う召聘制と言う方式です。教会、牧師の双方の希望が活かされやすいという利点がある反面、給料等待遇面に大きな差がつきやすく、また中央や都会に牧師の人気が片寄る傾向があります。また、人事に関する情報が不足しがちになってしまいます。

一方、お寺は世襲制が多いそうです。代々の付き合いになるため、地域の人と深い関係を持つことができるという利点がある反面、経済的には成り立たない場合、跡継ぎがいなくなり、無住(住職がいない状態)になってしまう場合が少なくないそうです。この場合でも地域間格差が問題になります。

カトリック教会等の場合には、監督制という制度をとります。これは、教団に強力な人事権があるタイプで、様々な状況を見極めて辞令によって人事異動が行われるというもの。配置バランス等に偏りが出ない反面、教団の都合によって人事が執行されていくため、現場の都合や声が無視される場合も少なくありません。

つまり、どのような人事制度を持っていても一長一短があるわけですが、やっぱり、最後に問題になるのは、出会いに込められた信仰でしょう。出会うべき相手がいることについて、お互いに感謝を持つことが出来なければ、どんな人事であったとしても、利点は出てきません。

これは、私達の日常の出会いでもそうだと思います。出会いって尊いものです。双方向でその出会いに感謝できることが大切なのです。

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2006年09月22日(金) 23時41分10秒

町内会と教会

テーマ:教会あれこれ
教会があるってこと…外部からの目で見ればあの建物の中はどんな人が住んで、どんな事をやっているんだろうか?って疑問に思っておられる方の方が多いんじゃないかと思います。「中で怪しげな修行や集会をやっているんじゃなかろうか?」「毎週日曜日に通ってくる人はどんな人で、どこからくるんだろう?」と思うはずです。私は、せめて教会の周囲に住んでいる人達に関心を持ってもらおう、できれば「教会がここにあって良かったなあ」って思って頂きたいものだと思って、日曜日の町内会の清掃活動などに参加したり、ご近所付き合いをやって来たのですが、最近やっと実現してきました。そして、教会は一体どんな資金繰りで運営されているのか、どんなシステムで牧師は教会に赴任するのか、更には「牧師の給料っていくらぐらい?」といったことを聞かれるようになりました。

実は、この4月から、町内会館の鍵の管理をする事になりました。何でも、若い夫婦はみんな共稼ぎで、鍵の管理など出来る訳もないそうで、頼み込まれてしまいました。もともと、町内会館からも遠くない事もあり、引き受ける事にしました。

それにしても町内会の役職は殆どが高齢の方で、私の前に管理人をやっていた人は90歳を超えておられるという事でしたので、私が地区の委員会なんかに顔を出すと、一番若いわけです。しかも、それが教会の牧師をやっているという事で、皆さん興味津々。いろんなお話をさせて頂きました。

夏、町内会館の駐車場を中心に毎年行っている夏祭りで、今年から模擬店とバザーを出店する事になりました。その時に町内会長さんが「教会にもバザーを出店して頂きたい」と声をかけて来て下さいました。

私「場所代はいくらくらいですか」

町内会長「いやいや頼んでるんだしいらないよ。儲けだってどうせ教会ってのは寄付に使うんだろうから、全部教会でとったらいいよ」

私「でも、宗教ですよ。問題になりませんか?いいんですか?」

町内会長「ああ、この町内会にはお宅の教会しかないんだから、それでいいんだよ」

こっちが心配になるくらい、ザックバランな依頼です。さて、教会員に相談しましたら、「ああ、いいですねぇ。儲けなんてなくてもいいからやりましょう」って事になりました。とりあえず利益は東ティモールの地震と、レイテ島の地滑りに送金する事に決定して、参加する事になり、当日は23000円余りの売り上げになりました。早速、町内会に報告です。

「いや、良かった良かった。教会さんが参加してくれて、盛り上がって良かったよ。その利益を東ティモールとレイテに寄付してくれるんだろ?この祭りに参加している町内会はたくさんあるけど、その売り上げを寄付するなんて、ウチだけだよ。市長に言って感謝状でも出してもらおう!」と大盛り上がり(^^)/

更に…、町内の育成会が「秋にもバザーをするんでしょう?良かったら教会で売って下さい」と、バザーの売れ残りを教会に寄付して下さいました。

後日の反省会でも、

「教会が地区にあるって、よく考えたら勿体ないよなあ。来年も夏祭りに参加してくれよ。」

「夏だけじゃなくてさ、どうせ町内の人達だってクリスマス祝っているんだし、町内会で教会のクリスマスに相乗りさせてもらってもいいんじゃない?」

「先生さ、一人暮らしの年寄りが沢山いてさ、そんな人達に、宗教抜きでなんか聞いて良かったなあって話はできないかい?」

などなど、いろんな声をかけて頂きました。

教会前で煙草を吹かしてたりすると、道を行き交う方々が声を掛けて下さいます。この地域に子供が少ない事もあり、息子が生まれたことを知ったお向かいさんは、「赤ちゃん抱かせて」と遊びに来て下さいました。やっと少しずつ、地域の隣人として教会が受け入れられて来たようです。

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2006年09月14日(木) 23時32分40秒

本物?偽物?

テーマ:教会あれこれ
一月程前、ある人にこんなことを言われました。

「ひょっとして…牧師さんですか?

「そうですが…見えませんか…」

「イエイエ」とその人は否定して、しかしその先…

「今まで牧師と言われる人とはたくさん出会ったけど…」と一言。

それってどういう事でしょう?今までその人が出会って来た牧師とは大分イメージが違うのでしょうか(^^;

今日、結婚式の司式をしてくれという依頼を受けました。あるレストランで、レストランウェディングをやる事になって、それでぜひ「本物の牧師」に司式をしてほしいという事でした。

ところで、この「ホンモノ」という言葉の響き、結構複雑なものがあります。今から十年程前に、結婚式業者が建てた教会の広告が新聞に入っていました。この広告に、「本物の教会、本場の雰囲気での結婚式」というフレーズがありました。読んでみますと、ざっとこんな事が書いてありました。

1)教会の建物は建材から調度品に至るまで、全てキリスト教の本場アメリカから取り寄せました。本物の教会が持つ雰囲気を味わって下さい。

2)毎週日曜日に行われる礼拝は、アメリカから来た宣教師たちによって、全て英語で行われています。

なんだって??(-""-;)

「アメリカがキリスト教の本場で、本物の礼拝は英語で行われる」って…。イエスはユダヤに生まれ、聖書は旧約聖書がヘブライ語、新約聖書はギリシャ語で書かれています。宗教改革者マルティン・ルターが翻訳した聖書はドイツ語です。大体、アメリカ合衆国という国が成立する遥か昔からキリスト教は成立してるのですが…。突っ込みどころは満載です。(^^;

まあ、そんな事は置いといて、「世間一般の皆さんが考える本物の牧師」「教会関係者が考える本物の牧師」は全く違う事に気がつきました。

世間一般が考える牧師は、多分、片言の日本語をしゃべり、心が広い外国人というイメージ。それに対して、教会関係者が考える牧師とは、「神学に精通し、教会の運営(これを牧会といいます)するのに相応しいと資格が与えられ、その職に任じられた人の事」を言います。客観的に見れば、後者の方が本物だという風に認定される訳ですが、しかしその一方で映画などで牧師=外国人という牧師像を自分の中に育てた人達にとっては、私の様な牧師は、嘘っぽく見えるのでしょう。さて、果たして本物っぽい偽物と、偽物っぽい本物…牧師は一体どっちが好まれるのでしょうか。ご意見募集します(^^)/

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2006年09月09日(土) 23時28分52秒

子育てとママゴト

テーマ:教会あれこれ
私の教会では、月に一度「CS土曜学校」というのを行っています。大きな教会ですと、毎日曜日に子供用の集会などもしているところは多いのですが、私のところでは、月に一回土曜日に実施するのが今のところ精一杯です。

今は、三人の女の子が中心やってきています。学校でも同級生のこの三人娘。…一人が弟を連れてきていますので、大体この4名で来ています。で、今日はその「CS土曜学校」の日でした。8月はお休みだったので、久しぶりでした。

さて、彼女たち、我家に生まれた息子に興味津々です。4年生ぐらいにもなると身近に赤ちゃんがいないのだそうです。…で、我家の方針としては、その子たちには出来るだけ赤ちゃんというものを見せてやろうということにしました。NICU(乳児集中治療室)に入院している時にも、面会に連れて行ったりしていたので、私が出張でいなかった間に、連れ立って見に来たそうです。

ということで、今日のお楽しみは、「赤ちゃんの世話をやってみよう!」という事にしました。まず、抱っこの仕方を教えます。

「そうそう、この子はまだ首がグラグラするから頭をね、肘の内側に乗せて…そうそう、上手上手」一度覚えたら、彼らは怖さを知りません。重たくなってくると友達にバトンタッチ…とても上手に抱っこしていました。

「じゃあ、ミルクを飲ませてみたい人は?」というと三人とも勢いよく手を上げます。

「う~!!じゃあ、じゃん拳ね」と真剣勝負で三人の順番が決まりました。

自信がないのやら、友達に気を使っているのやら、ちょっと飲ませると即交代…これでは、息子もたまったもんじゃなかったでしょう。でも、息子の顔を見ていると結構ご機嫌。若い(!?)お姉さんたちに構ってもらったからでしょうか?(;^_^A

オムツ換えはさすがに怯んでおりましたが、沐浴も彼らの目の前でしてみせる事にしました。「へ~、赤ちゃんってこうやってお風呂に入るんだ~」と覗き込んでおりましたよ。

一人の子は末っ子だそうで、赤ちゃんを見るのも抱くのも初めてと言ってましたが、一度抱かせたら、相当に嬉しかったらしく、息子が彼女の胸でウトウトした時にはとても誇らしげな顔になっていました。

そう言えば、いつの時代からか、「子守り」が子供の「お手伝い」の中から姿を消しましたね。私は、「小さい子供の面倒を見るのは大きい子の務めだ」と思い込彼らしたが、それって、「お手伝いとしての子守り」をさせられていたからこそ形成された概念であるように思います。

彼女たちは、今はママゴトのようにして我が子と遊んでいます。でも、それが彼女たちの経験という大きな宝になるのだと思います。

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2006年09月02日(土) 22時55分32秒

眠たい説教

テーマ:教会あれこれ
説教をしていると大体、聴衆の様子というのは全て手に取るようにわかるものです。私のところみたいに25人くらいだともう、一人一人をゆっくりと観察する時間まであります。特に睡魔と戦っている様子なんかは、とても共感できるので説教しながら心の中で、「がんばれ」なんて思ってしまいます。

ところで、新任当時、先輩牧師に冗談まじりに聞かれた事があります。

「君のところの教会は、そろそろ居眠り出たか?」

「いえ、まだです。」

「そりゃ良くないよ。聴衆は、警戒している証拠だよ。早く居眠りする人が出るようになりなさい。」

それまでは、居眠りをさせない説教というものを目指しておりました。笑い話などをふんだんに取り入れて、全ての人が説教中生き生きと聞いている状態というものを目指していた訳です。でも、その先輩の言葉を借りると、「この牧師は何言い出すかわからんぞ」と思っている時というのは、居眠りも出ないということで、逆に言うと、安心感とか信頼感があるからこそ居眠りするのだという事なのでしょう。なるほど。そう言われてみればそうです。確かに、一人も居眠りがない説教というのは、意識しても無理な話です。

となれば、今までとは逆のアプローチってどうだろうかと思ってしまうのが私の悪いところ…つまり、全員が居眠りをしてしまうような説教ってどうだろう?と…。

以前行っていた夜の聖書研究会では、一人の青年がまじめに毎週通ってきて、一対一で行っていましたが、彼は仕事がハードなのか、この一対一の聖書研究会で居眠りしてました。(^^;それですめばいいのですが、彼の居眠りにつられて、私も一瞬、記憶が飛んでしまったなんて事もありましたが…。

別の先輩牧師が、飲んでいる席で私達に向かって、「説教の打率ってどれくらいだ?」と聞いた事があります。「う~ん。3割ぐらいのヒットが出ればいいように思うんですけどね。なかなか…」

「だろ。多分、自分の事を考えると打率は大体1割やねん。つまり、10回説教やって一回あたりが出るかどうかってことだろ。で、だから、教会員には『私の説教は打率1割くらいですよ。良い説教にあたろうと思ったら毎週でなあきませんよ』って言ってんねん。」

う~ん。言い得て妙ですね。

説教壇から見ていると、ある人は涙ぐみますし、ある人はニコッとします。またある人は大きく舟を漕ぎ、ある人は聖書の別の部分を読んで暇をつぶしています。一つの説教でも人の数だけ受け止め方はあるのでしょう。ある人にとっては凡打でも、ある人にとってはヒットなんでしょうね。これってもはや、説教者の力ではなくて、その説教を用いて下さる神様の力に相違ないなと思わざるを得ないのです。さて、明日の礼拝にはどんなドラマがあるのでしょう。楽しみでもあり、怖くもある土曜日の夜です。

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