ジオターゲティング
2008年06月10日(火) 14時20分12秒

とにかく悲しい

テーマ:犯罪
とても大変な事件が起こった。日曜日、礼拝後テレビを見ていたら、速報が入ってきたのが、秋葉原の通り魔事件でした。「まだ、詳細は不明ですが」との速報でした。丸一昼夜を過ぎて、三日目の今朝は、容疑者が、リストラされたと勘違いしたことが発端だとか、犯行にいたるまでの様子を携帯ブログに逐一載せていたとか、様々なことが報道されるようになりました。

各社一斉に取材に走り、様々な報道をして、もう話題は「身勝手な犯行、赦すまじ」なんてことになっていますが、その前に、この事件の犠牲者を悼むことと、負傷者の回復を祈ることが一番にされるべきことだろうと思います。報道合戦が白熱するほどに、犠牲者に対する哀悼の念、被害者に対する同情と癒しは忘れさられて、置き去りにされて、追いやられてしまいます。命からがら逃れた人たち、愛する人、家族や親友を失った人たちは、報道という好奇の目にさらされ、また、居合わせた人たちが撮った映像を繰り返し見せられ続けるという苦しみを負うのです。とにかく、少しの間、そっとしておいてあげたいと思います。

日本の国民みんなが、まず、この事件でダメージを受けた人たちに寄り添っていただきたい、そう思います。そしてそこから、始めて頂きたい、そう願っています。他人事ではなく、自分のこととして関わるその一歩を踏み出したいと思っています。

「喪に服す」という言葉があります。この事件の重大性を思うならまず、亡くなった人々のため、傷を受けた人々のため、悲しみの中に居る人々のため、祈りを合わせることから始めましょう。




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2008年05月08日(木) 16時53分24秒

酒と女と煙草と薬と

テーマ:犯罪
最近、米兵による犯罪が沖縄に頻発していると報道されています。そして、「綱紀粛正」がどうして徹底されないのかということが問題になっていますし、町村官房長官は「(米兵は)たるんでる」と怒ったそうです。

どうして、このような事件が起こるのか…。それは、軍隊とその中に居る兵士の特殊な事情に由来する問題です。

兵士は一般的に出撃が近くなって来ると、「次は生きて帰ってこられるだろうか」という不安に教われます。派遣される先での命の危険が高くなればなるほど、その不安も大きくなります。そこでその兵士たちの不安を、どうやって取りのけるのかが軍隊の戦闘力を高める上での一つの課題となります。

今日のタイトル「酒と女と煙草と薬と」は、その課題を解決するための方策として古来より軍隊で用いられて来たものを列挙したものです。

まず、酒。出撃前夜などは、酒を飲んでドンちゃん騒ぎなどという光景は古来からあちこちの軍隊で行なわれました。出撃前の不安をそうやって払拭したのでしょう。旧日本軍や自衛隊では、売店のことを「酒保」と呼んでいます。これは、戦争と酒が深く結びついていた時代の名残でしょう。

それから、基地の周辺にはかならず花街がありました。男所帯の軍隊にあっては口にできない出撃前の緊張や不安などを花街の芸妓と過ごすことによって癒された人も沢山いたようです。

そして、煙草。煙草の鎮静作用と覚醒作用が前線においては何より役に立ちます。また、「恩賜の煙草」というのがありましたがこれは、戦闘開始の直前に下賜される煙草のことで、これを一服ずつ回し飲みしたそうです。

最後に、薬…。暗殺者を意味する「アサシン」という言葉をご存知でしょうか?このアサシンという言葉の語源、一説には「ハシューシ(大麻)を吸う者」という意味合いがあるとも言われます。

そして更に、メタンフェタミンという薬をご存知でしょうか?商標名を「ヒロポン」、俗名を「シャブ」と言えば、ご存知の方も多いでしょう。いわゆる覚醒剤という薬です。このメタンフェタミンは日本で開発された薬剤です。ギリシア語の「労働を愛する(philoponus)」という意味という説が有力だそうです。

開発当初は強力な覚醒作用により、疲れや眠気を一掃し、労働力が上がることから重宝されました。疲れず、眠くならず、集中力が増した状態が持続するのですから、殊に、軍隊では重宝しました。この薬が旧軍では、吶喊(とっかん)錠・突撃錠・猫目錠と名付けられて兵士に配られていたことは有名な話です。日本のみならず、ドイツでもアメリカでも、イギリスでも兵士たちに配布していました。自衛隊法の115条の3に(麻薬及び向情神薬取締法等の特例)が規程されています。これも、同上の理由でしょう。戦場ではきれいごとを言っていては勝てないことが如実に分かりると思います。

犯罪を犯し、逮捕された米兵たちはひょっとすると、「出撃を逃れたい」とか「不安で落ち着かない」そんな思いで犯罪を犯したのかもしれません。犯罪を犯せば不名誉除隊となったり臆病者といわれることはあっても戦場に送られないで済むのですから。

アメリカでは未だにベトナム戦争によって、傷ついたベトナム帰還傷病兵の多くが従軍帰還の非人間的な扱いや死闘とも言うべき劣悪な戦場の経験を通し、心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、PTSD; Post-traumatic stress disorder)を発症し、社会問題化したことは有名な話です。


先日も、子犬を谷に笑いながら投げ落とす米兵の動画がインターネットの動画サイトに流失して問題になりましたが、「戦場で人を殺す」ということが、そして、「殺し合いをする」ということが、「兵士」と呼ばれる人々の人間性を奪い、破壊し尽くすという結果をもたらします。

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2006年06月07日(水) 23時55分12秒

投資家?投機家?

テーマ:犯罪
ハルさん
かずあきさん
コーノマンさん

コメントありがとうございました。村上容疑者の逮捕により様々なカラクリが明らかになってきました。法の隙間をかいくぐると言うよりも、「ばれなきゃOK」という姿勢が見え見えになってきました。「メモ、録音、メールなどは残さない」という村上容疑者の姿勢はそういうことを裏付けるものでしょう。インサイダー取引どころか、株価操作も当たり前の手法が見えてきました。

彼も会見の中で、「儲けすぎたのがよくなかった」ということを言っていました。儲けすぎたからやっかみを買ったのだと言わんばかりの意味に聞こえました。しかし、彼の「儲ける」と言う言葉の意味は、「株の売り買いで儲ける」ということ(=株式投機)であり、それには多くの人たちの損害が直結していると言うことです。投機は博打です。

投資というものは産業を興し、社会を育てるものですが、それが投機になる時それは単なる博打となってしまいます。そして、その博打で、イカサマをした彼は、投資家などではなく、また博徒としても失格だったのです。世直しという高邁な理想を掲げて株式市場に参入した村上容疑者は、今、イカサマ博徒として退場せざるを得なくなったのです。

金というのは人を変えます。ちょっとやそっとの信念なんか結果的には吹き飛ばされ、金に振り回されて最後には「人の心は金で買える」などと言い切ってしまえるほどにその人自身を変えてしまいます。仏教用語では「喜捨」という言葉があります。「寺社や困窮する人に金品を差し出すこと」ですが、ここには「自分の大事なものを喜んで捨てる」という概念が含まれています。与えるではなく、捨てるのです。敢えて捨てることによって自分を保ち初心を取り戻すと共に、その捨てたモノを頂いて救われる人たちがいました。献金、募金などとは違う概念がここにはあります。しかし、今、「喜捨」の精神は、この日本では滅亡寸前です。

寄付でさえ、ボランティアでさえ宣伝の一環として行われるこの国で、「人を騙したって儲けた者勝ち」という理解はなかなか食い止めることができないと思います。それにしても日本にだって昔は良い言葉がたくさんありました。

「損して得取れ」「情けは人のためならず」「先憂後楽」「罪を憎んで人を憎まず」…挙げてみて良く考えればこのどれもが、現代流に置き換えられ、それが周知されているのに気が付きました。

時代の変遷なのか、それとも亡国の兆しなのか…投資と投機の区別が付かない現代は、分別がない時代だということだけは言えそうです。

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2006年02月19日(日) 21時07分01秒

思い遣り

テーマ:犯罪
ムハンマドの風刺画問題が今、世界を揺るがしています。反発が強まる中、その反発に対して更に挑発して儲けている人までいるようですし、その一方で激昂して暴徒化しているイスラム教徒の話も聞いています。「言論には自由がある。それを力で封じ込めるのはおかしい」と言う一方で、でも「言葉の暴力はどうなんだ」という問いもあります。自由と配慮のバランスを取ることが難しいのが現代の姿です。特にマスコミが絡む問題では、この辺りのことがいつも問題にされます。

 最近、様々な事件の犠牲者たちとその遺族に対する過当な取材合戦が問題視され、この報道のあり方が問われることが多くなりました。遺族の家には等しく「家族の気持ちを察して頂き、取材等をご遠慮いただきます様お願い致します」と書かれた紙が張り出されます。なぜ被害者たちがこんなことをしなければいけないかと言えば「嫌ならいやと断って下さい。そうでないと判りませんから取材してしまいますよ」という姿勢が取材陣に見え見えだからです。

 最近、人の痛みを理解しないことで起こる問題が沢山あります。当然、犯罪はそのようなことから起るのですが、私達の日常自体にもそのようなことが言えるのではないでしょうか?周囲の人に思いを巡らすことがなくなり、見えることだけで判断してしまう世の中になってしまっています。「判ってたらしなかったのに」という言葉が私達の世界の理論の根本になっています。

思い遣りとは文字通り「思い」を「遣る」こと。気持ちを、心を向けるということです。人に思いを向けず、ひたすら、正当性や興味よってのみ突き動かされる世界は殺伐とした世界だろうと思います。想像力をほんのちょっとでいいから、周りの人に向けましょう。その人たちの素晴らしさが見えてくるはずです。

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2005年04月07日(木) 16時21分48秒

困ったことです。

テーマ:犯罪
最近、いきなりプロテスタント教会が注目されています。しかも一番困った形での注目のされ方です。何せ、自称であれ現役の牧師が、何人もの少女に対して自分の立場を悪用し、性的暴行した疑いで逮捕されたって言うんだから私としても一大事です。私たちの教会にも被害は甚大なような気がします。


しかし、報道されているとおりだとすれば、全国に沢山の教会がありながら、どうしてその様な怪しげな教会に人々とお金が殺到するのだろうか?という素朴な疑問が沸いてきます。これは、オウム真理教などが問題化したときにも思いました。


小さいながらも一生懸命歩んでいる教会などは相手にもされません。しかし、怪しげな教会のとばっちりは、しっかりと教会にも及ぶでしょう。せっかく子供達を教会におくって下さるご両親にしてみれば、「あの教会も?」と思うだけで、子供達を教会には行かせたくなくなるでしょう。


また、様々な問題に疲れ果て、自殺したり、一家心中したりする方々のニュースを聞いてもそう思います。「教会に行ったって、何かだまされて、更にいいように使われるだけだ」とそうなってきたら、もし、死ぬほど悩んだとしてもその人は、教会に行くことはなくなるでしょう。


近代日本では、信教の自由が保障されました。しかし、その“信教の自由”が教育の現場では、反対の意味で使われてきたと思わざるを得ません。その結果が宗教教育の排斥です。このブログでも“教育実習ネタ”を書いていますので読んでくださった方はおわかりだとは思いますが、教員免許には、宗教科という科目があります。これは、国の免許ですから、宗教教育については国も当初、その必要性を認識していたはずです。しかし、現実問題として、公立学校で「宗教科」なる授業がある学校は一つもないのではないかと思います。つまり、宗教とは一体何なのかという共通理念さえも、学校教育からは導き出されずにむしろ宗教は「危ない団体」という風聞だけが頭の中に残っているという現実があります。


それにしても、何故あのようなカルト宗教にはまってしまうのでしょうか?一つは、宗教に対する反抗姿勢を利用されると言うところがあります。「宗教なんて所詮金で動いてる怪しい団体」なんていう風に漠然と全体像を捉えていますと、「ウチはそんなことない。全く新しい宗教だから…」「是非一回来てみて。悪いところがあったら教えてくれれば、なお嬉しいじゃない?」なんて言われて、「じゃあ行って、見て、指摘してやろう」なんて興味を持ったりするとまずアウトです。毛嫌いしていた宗教とは違うものが現実にあるように見せられ、そこでは先生と呼ばれる人が、手を触れるだけで人を吹き飛ばしたりするのを見せられたら誰でもコロッといくでしょう。


宗教の対立も、カルト宗教も、実は現在の日本のような宗教的な空白から生まれるものです。お互いに対する無知、お互いに対する誤解は私たちにとって大切なものを失わせる原点です。しかし、そうすることによって得をする人もいるのです。戦争なんて、こういうものの最たるものじゃないですか。


何はともあれ、本物を見ること…これに勝ることはありません。宗教と関わるのは、困ってからでは遅いのです。そこにカルトの付け目があるのです。普通の時にこそ宗教と関わっているからこそ見分けもつきますし、そうだからこそ本当に必要なとき、本当に必要なものに出会えるのではないでしょうか?



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2005年03月14日(月) 23時38分58秒

生きる楽しさ

テーマ:犯罪
最近、殺人事件がやたらと増えています。最近、自殺がやたらと増えています。最近、少年犯罪が増えています。そして、少年の自殺も増えています。少年の殺人事件も増えています。動機は至って単純、短絡的であまり計画性の見られない犯罪に世間は脅えています。

彼らの犯罪の短絡的な部分は、そのまま彼らの人生観、世界観に結びついています。借金が返しきれなくなって困り果て強盗殺人を犯したとしても、そこで得た金は遊興費として使い果たしてしまう…。

「一体、何が楽しくて人生を歩んできたのか」と不思議になります。でも、よく考えてみると多分彼らは「何も楽しまずに人生を歩んできた」のではないかと思うようになりました。つまり、人生の価値観が「人生の楽しみとは金と地位のみ」という人が多くなってきているのではないかと思うわけです。

でも、考えてみれば、大人の背中を見て育つ子供達は当然「人生の楽しみ方」を、その大人から学ぶわけですから、私たち大人の責任が重大なことは語るまでもないことだろうと思います。

私たちは、毎日をどのような顔をして、どのようにすごしているでしょうか?私たちのどの部分が子供達の目に触れ、どのように影響を与えているでしょうか?私たちは「生きる楽しさ」というものを本当に味わっていると子供達から見なされているでしょうか?

私たちは等しく、次代に、生きる楽しさ、生きる喜びを伝えていかなければならないのです。

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2005年02月19日(土) 22時22分02秒

学校襲撃事件について

テーマ:犯罪
最近、学校襲撃が相次いでおり、学校のセキュリティーが問題になっています。先日の寝屋川市の小学校襲撃で、学校のセキュリティー強化が大きく叫ばれています。

今朝のテレビでも突如の襲撃に学校側がどう備えるかという対策の取材をしたテレビを見ました。連日のように各地の学校で行われる訓練のレポートも大きくテレビで報じられています。

その中で、対策として、警察官の定期巡回を導入するとか、子供に非常ベル、またはGPS装置の無料貸与を決めた地域、更には、警備員の導入を決めた地域もあると言うことも報じられていました。

さて、ここで私が問題だと思うことは、未だに学校襲撃事件や児童に対して行われる犯罪の備えが抑止を重点としているということです。警察が出入りするならば、とか、警備員を配置すれば抑止できるだろうという考えのもとに行われていると言うことです。しかし、これは、あくまで甘い観測にしか過ぎないと思います。

事件を詳細に振り返ってみますが、今回の事件の場合、刺殺された教師の鴨崎満明さんは、この生徒を怪しいと察知し、別の場所に誘導しようとしていたところを刺されたらしいということが報道されました。

だとすれば、この先生は、子供達を守るために機転を利かせ、また、その為に命を落とした(殉職)ということになるわけで、これは、時代が時代なら「教師の鏡」として語り伝えられるべき話ではないかと思います。この先生の人柄も事件後に伝えられましたが、本当に熱心な、熱血先生であったということです。

また、同様に刺され、重傷を負った栄養士の福島明美さんと教師の友村瑞枝さんお二人は、刺されながらも必死で火災報知機の警報ボタンを押したといいます。また、火災報知器のベルを聞いて事件を悟った他の先生方の行動も完璧であったことに疑問の差し挟む余地はありません。

犯人である少年は、警察官が来るまで睨み合いつつ包丁を片手に煙草をふかしていたことようですが、このことは、逃げることは最初からこの少年の念頭にはなかったということになります。事実、学校襲撃事件を起こした犯人は、事件後すぐにその場で取り押さえられているからです。彼は捕まることを見越して事件を起こしているということです。

捕まることを覚悟の上で行うのであれば、どのような抑止であれ効果がないということになります。もし、警官や警備員であったら彼らを難なく取り押さえることができると踏んでいるのであればそれも甘い判断だろうと思います。襲撃を決行しようとした犯人によって殺される人が生徒や教師から、警備員や警官になるだけではないかと思うのです。

また、凶器のことも心配です。この手の事件で使われる凶器は現在はまだ包丁などの刃物類ですが、銃器が多数国内に出回っており、またある程度簡単に入手できる時代になっていることを考えると、そのうちに警備員やボランティアでは、全く歯が立たないと言うことになりかねません。

現在、どの学校に於いても抑止に主眼が於かれるセキュリティー強化ですが、それはつまり、事件が起こったあとしか対応が取れないと言うこと…もう少し細かく言えば「事件を起こそうか」とか「逃げられるかな」と迷っている犯人に対しては現在の防犯カメラや警官の立ち寄り、警備員の配置などが一定の抑止力を持ちますが、現在までの学校襲撃事件犯たちの行動からは、それでは抑止効果はほとんど期待できずに、むしろ誘発する可能性すら秘めているように私には思えてならないのです。

2001年に池田市で起こった小学校襲撃事件では、犯人の供述から「死刑になるため」にこの事件を起こしたような形跡がありました。その様な場合犯人の場合であれば、「校内に無許可で侵入した場合、射殺します」と警告されていたほうが、喜んで入ることになるかも知れません。

逮捕、刑罰などの抑止が効かないどころか、逮捕されること、死刑になることを望む犯人が増えてきている…集団自殺など、インターネットの自殺サイトなどがある現在の日本にあっては、これが日本の現実の姿ではないかと思えてなりません。

小学校などを襲うことは誰に問うても卑劣な犯罪であろうと思います。そしてまた、襲う方にすれば全くと言っていいほどメリットがないこのような犯罪が増加していることに、これからも今までの感覚で対処をしていくのであれば、更に大きなしっぺ返しが待ち受けている様に思えてなりません。私たちも、何もかもを学校や警察、警備員に任せる姿勢をそろそろ本気で改めるべきだと思います。

「最終的に子供達を導くのは学校や先生だけではなく、むしろ彼らの身近にいる私たち一人一人の大人が導くのだということ」を自覚すること…もう既に遅いかも知れませんが、もう一度そこからスタートし直したいと思います。

最後に、殉職なされた鴨崎満明さんに最大限の敬意を払うと共に、彼の魂とご遺族の上に主の慰めが与えられますように心からお祈り致します。また、負傷されたお二人の先生方と心に傷を受けた子供達、先生方お一人お一人の回復が少しでも早められますようにお祈りしております。
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2005年01月21日(金) 16時49分25秒

性犯罪の再犯防止??

テーマ:犯罪
性犯罪者の再犯防止が今、テレビニュースで盛んに論議されています。なぜ彼らは、再度罪を犯すのかと言うことと、どうしたら再犯を食い止めることができるかがだいたいの焦点のようです。被害者に対する感情などが極度に欠落しているそうです。でも、ここに問題があります。これは、何も性犯罪に限ったことではありません。その筋では、刑務所に行ったこと自体に箔がつく世界だってあるってことです。どうしてそうなるのでしょうか。要は、教育なのでしょう。再犯うんぬんよりも本当は、罪を犯す者を出さないことこそが求められているのではないでしょうか。

教育とは、何も学校の先生たちだけがするものではない。むしろ親や近しい存在の者しかできない教育というものもあるのです。巷では、教育の崩壊が言われています。

でも教育と言うときに二つの意味合いが存在するはずなんです。一つは、学力、技術の伝授…もう一つは、隣人を愛する人間としての基本を教えるもの。これは相矛盾するものだ。学校や塾などで教えるものは、学力や技術で、学校も塾もそれに特化してきたはずでした。逆に言えば「生き方」は学校で教えるべき事柄ではないのです。

「こどものにおいで判るんです…今日もいっぱい遊んだねって」というコマーシャルがあります。すごく子供のことを理解している父親の姿として、表現されているのだろうと思います。でも時々保育園の手伝いをしたりもする私にとっては、チャンチャラおかしくってと言う感じがします。確かに子供たちは保育園で先生や友達を相手に力一杯遊んでいます。でも、その子が1,2歳なんです。しょうがないのかもしれません。でも、保育園にいると判るんです。「夕べは寝るのが遅かったのね」とか「お父さん、お母さんの帰りは遅かったのね」という会話が保育士たちの間で交わされています。保育士たちこそ…親よりも…子供たちのことを理解しているのです。それこそ教育の危機ではないかと思います。

親や保護者の最大の努めは、子供たちに生き方を教えること…。学校でも、保育園でも先生と呼ばれる人々は、最大限の努力をしてそれを教えようとしますが、親にかなう訳はないのです。「親と先生、どっちとる?」と子供たちに問えば当然、大多数の子供は、親を選ぶわけですから…。

保育園に入れるのが悪いのではありません。しかし、保育園に入れたからと言って親の務めはなくなるわけではないのです。親たち一人一人が、自分の子供を罪を犯させないように守り育てていくことこそ、大切なことなのではないかと思います。

再犯防止も確かに重要なのですが、しかし、これ以上再犯を犯す可能性をもった初犯者をが出ることを私たちはどのように食い止めるかということが論議されない以上、再犯の度に凶悪性を増すという悪循環は基本的に断ち切れないと思うのです。
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