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2017年04月16日(日) 07時54分44秒

社会をどうする?

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資本主義社会では、リーダーには賞味期限がある。
 

リーダーは自分の生存をかけて社会を守らなければならないからだ。

それは、長期間そこにとどまることを意味するのではなく、自分がリーダーになって気がついたリソースの欠けを補うために任期を区切るということ。その人がリーダーから外れてからこそ、その人がリーダーであったことの価値が現出する。


つまり、リーダーそのものも一つのこなさなければならないキャリアに過ぎないということ。


もし、仮にその職位に満足し、天職だと思い、そこに長く留まることを許されてしまえば、組織の大小に関わらず傲慢にもなるし、独裁も自ずから求めてしまう。


キャリアは半自動的に次に譲っていかなければならないものなのだし、だからこそ、その組織の構成員は、誰がリーダーになっても、たとえ、リーダーがいなくても動くことができるようにキャリアの構築を求められる。

コンプライアンスとガバナンスの構築は、そのようなスタイルを構築すること。


それが市民教育と言われるものであるし、それが義務教育の必要性にも繋がる。

アメリカ市民はその辺をしっかり理解している。

何も、日本がアメリカ流になれという話ではない。でも、アメリカに追従する限り、私たちは「真の資本主義社会」になるために、今まで保ってきたことを捨てることをこれまで以上に求められるのは受け入れるしかない。

もし、それが嫌なら、私たちは人間というものの罪深さに向き合いながら自分達で自分達を処するやり方を、紡ぎださねばならない。

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2017年03月03日(金) 11時56分32秒

ガバナンスとコンプライアンスと

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組織は、定期的にトップを入れ替えなければ、窒息します。だから、アメリカの大統領だって2期8年の任期を終えれば何歳であっても年金生活者にならざるを得ないのです。

 

「あの人以外の誰にトップを任せられる?」

 

そういう言葉をよく耳にするけど、本当は誰でもできるようにしなければならないのが組織のガバナンスとコンプライアンスを構築ということです。

 

「あの人」以外にできる人がいないのであれば、その組織は、その組織の構成員が無責任に「任せる」という状態に陥り、他律主義の自動思考に陥っているということを意味します。

 

その中で「(任された)あの人」は組織を維持するために、その責任に応えるために冷徹に振る舞い続けなければなり、一方で、自分を無条件に受け入れてくれる人を渇望するようになります。

 

結果は4年ほどで誰でも独裁者になってしまうでしょう。

 

でも、それで痛い目に遭ってしまったとしても、一度他律主義の自動思考に陥ってしまった人たちは、自分の立ち位置と価値を認識することはとても難しいのです。結果的に、新たに独裁者を求め、育成してしまいます。

 

今、その必要を認知され、構築を求められるガバナンスもコンプライアンスも、それぞれが自身の立ち位置を熟知し、その立ち位置でそれぞれが最高のパフォーマンスを提供するために必要な仕組みなのです。

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2017年02月07日(火) 18時33分29秒

時代だなあ。

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先日、ままごとコーナーの園児の仕草が目に付きました。

赤ちゃん役の年少子を年長児が、寝かしつける素振りで添い寝をしていました。右手でトントンしながら、左手には、紙で作ったスマートフォン。

時代だなあ。

「だから保育所は頑張らなきゃ」と思う出来事。
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2017年02月04日(土) 15時39分19秒

自らをひっぱたきたい…学び続ける理由

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「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」という文章を読みました。衝撃的な文章でした。


この文章を書いたフリーライターの赤木智弘さんは、「平和な現代」が「流動性」を欠いたものであって、「社会の格差」を「大きく、かつ揺るぎないもの」にしている時代であるととらえています。そして、その解決策として彼は、「極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する」と論を進めていきます。

 

そして、

 

「国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。

 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる『持つ者』の傲慢であると受け止められるのである。」

 

と語ります。

 

タイトルは軍国主義の日本を批判した社会学者であり東京大学卒の丸山眞男が、二等兵という軍隊では最も低い階級で徴兵され、当時の中学校も出ていない上級兵にいじめられたという戦中の話に由来したもので、赤木さんは「一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、『丸山眞男』の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光」と彼は言います。それは、復讐とも呼べるものなのでしょう。

 

私たちは、この文章に対してどう答えるべきなのでしょうか。「言っていることは分かる気がするけど、何かが違う」と思うのは私だけでしょうか。

 

彼はこの文章の中で「窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう」と語ります。それはその通りでしょう。

 

しかし、私には、それを得るための手法論が間違えていると思えてなりません。つまり、その根底にある思想には「愛」という概念が決定的に欠けていることに注目したいと思うのです。「窮状を脱する」ためには、誰かからの愛される必要があるでしょうし、「社会的な地位を得る」にも、「家族を養う」にも周囲の人を愛する必要がありますが、彼の文章には、全く愛の存在が感じ取れません。「迷惑をかけも、かけられたくもない」というのが彼の意味する「尊厳」なのではないかと思えてなりませんが、それは孤立でしかありません。

 

尊厳とは自らが尊いと思うものを、自身の全存在をかけて護り、育て続けることであり、愛そのものだからです。家族然り、仕事然り、地位然りです。故に私たちはいかに「平和な時代」なのだと言われても愛し、愛される者として学び続けざるを得ないですし、その結果「社会の流動性」は担保され続け、私たちはその中で愛し、愛される者としての尊厳を担保されるのです。だから私たちは、経済ではなく、自分自身を成長させ続ける必要に目を逸らせないのです。

 

愛の中に身を置き、多くの人々と交わることは、私たちの生涯を通じて絶えず問いかけられ続ける課題なのですから。

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2016年10月21日(金) 10時20分59秒

リーダーというもの

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資本主義的な経営を考えていくと、結局、どこかで、最終的には世代交代を考える必要が出てきます。

 

資本主義社会では、リーダーの入れ替えが行われないと組織は窒息してしまいます。プロスポーツなどの監督がその良い例ですね。その組織とのマッチングが完璧であれば、急に勝ちが続き始めます。それは、その組織が足りない何かをキチンと埋めることができたからです。しかし、対抗するチームも同様な状況で、突然化けるでしょう。

 

だから、連勝を続けていたと思っても、ある日ある時から全く勝てなくなってしまいます。直近では、なでしこジャパンが「世界トップからの転落」を経験しました。求められる組織のスキルアップに対し、リーダーの実力は無制限にアップし続けることができません。また、その手法のメリットは時を経るとともに希釈されていきます。

 

ボロ負けを体験してからリーダーを入れ替えるか、それとも頃合いを見計らってリーダーを入れ替えるのか。後者の方が良いのはわかっていても、それを実施するのは相当の勇気を誰かが振り絞らなければ、それは実現しません。

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2016年08月23日(火) 17時12分03秒

消えるお手伝い

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「子供の育ちを保証する」ことはなんと難しいものなのだろうと思います。

 

自分が子供の頃に当たり前だったものが、当たり前ではない時代、しかし、その一方で、「現代の当たり前」が子供の育ちを奪っていることは、まかり間違いようのない事実です。お手伝い一つにしてもそうです。掃除も洗濯も、ボタン一つで終わらせられる世の中になってくると、子供に巡ってくるお手伝いのチャンスが消えるわけです。

 

大人も忙しくなってきましたから、子供に手伝わせるのは非効率的だというふうに思う向きも増えています。そんな中、保育所は第二の家庭としての機能を求められ始めました。

 

園児はみんなお手伝い好きです。

 

「先生、お手伝いしたい」とみんなが訴えてくるのは、そういう理由かなあと思います。生活習慣をはじめとして、様々なことをこれからも経験してもらう努力をしなければいけないと感じています。

2016年08月22日(月) 17時29分24秒

コミュニティーススペースにじの樹

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「保育支援センターにじの樹」内に、妊産婦サロン(仮称)の部屋を確保しました。

コンセプトは以下の通りになります。

 

対象:①妊婦もしくは産後の母親
   ②子育て中の母親

目的:対象者の居場所の確保を前提に、母親同士の情報交換、産前産後の相談支援や情報提供などを行う場所とする。

 

設置にあたって:
つがる市の「子ども子育て支援」の実態は、子供の処遇については、保育料の軽減策や、医療費の中学までの無償化など数多くの支援策が盛り込まれていますが、産前産後の支援については、まだまだやるべきことが山積しています。

 

特に、産前産後については保健師の巡回指導などしか実施されておらず、初産の母親にたいする支援はまだまだ拡充しなければならないと考えています。

 

私事になりますが、転勤族の我が家では、一人目の子供が生まれた時には退院後の生活は試行錯誤の連続でした。病院で数回練習しただけで、授乳や沐浴などを退院したその日から行うことは相当勇気のいることでもありました。

 

そのような経験から、産休入りしたお母さんたちの居場所の確保と伴奏支援の必要性を実感し、妊産婦を中心にした母親のコミュニティースペースとするべく、この部屋を整備しました。

 

なるべく早期の正式運用を考えておりますが、現在は、上記コンセプトを実現するために、試用期間として解放してまいります。お近くにお越しの際は、ぜひお寄りいただければ幸いです。

 

 

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2016年07月10日(日) 07時00分00秒

選挙に行きましたか?

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現在、ちょうど朝7時です。

今日は、大切な国政選挙が行われる日です。

選挙に行きましょう。

最近は、何かと言えば「政治的な問題」と指摘され、「中立を守れ」ということを言われます。

「中立」という概念をどのように捉えるべきなんでしょうか?

中立とは概念的には「何もしないこと」というふうになってしまう風潮が強いと思います。
「時代の変化を望まない思想」こそが中立なのだと思っていないでしょうか?

でも、中立とは時代の変化を受け入れることではないでしょうか?

時代の変化をどのように受け入れるかを「中立」は問われているのです。

人間は生きています。

生きるということは、多くの人に世話になり、多くの人に迷惑をかけることです。
そして、多くの人の世話をし、多くの人の迷惑を引き受けることが生きるということです。

時代は絶えず、難問を私達に突きつけながら変化していきます。

私達は、その変化をどのように受け入れるかを数年に一度、国政選挙で表明するのです。

そして、実際、その変化は私達に結果として負わされていくのです。
選挙に行っても行かなくてもです。

だから、選挙に行きましょう。

中立を自認するからこそ、選挙に行かなければなりません。

選挙に行きましょう。
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2016年03月13日(日) 08時03分24秒

独り言

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世の中、どうしてこんなにお金お金と騒ぐようになったのだろう。もはや命の価値さえお金で換算されるような時代になってきた。

福祉を展開するはずの保育業界にあっても「経営戦略」などという言葉が当たり前に飛び交っている。

感動さえ、憎しみさえ、お金を生み出す道具に使われ始めてはいないか。

作り話としか考えられない逸話に感動の拍手を送り、自分たちは関係ないと孤立化の一途をたどる。

人と人の結びつきは国を強くし、国の強さはお金の価値に現れる。

でも、お金は人を結ばず、切り離す。

お金は人を結ばない。愛が人を結ぶのだ。
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2016年02月07日(日) 08時52分14秒

3Kとの付き合い方

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「汚い、危険、臭いの3K」はリスクの代表格です。最近、保育の内容が「行政から求められている」と勝手に思い込みで解釈した「無臭、清潔、安全」の環境を提供することしか考えなくなっているように思います。そして保育所はどこも安全、清潔(そして無臭)を売りせざるを得なくなっています。

 数年前、「猫アレルギーの猫っているかなあ」という冗談を言っていたことがありましたが、先日、数名の小学生が大騒ぎをしていました。聞いてみるとトイレがウンチの臭いで臭くて入れないということでした。その中の二人は「吐きそう」と騒ぎ、本当に吐き気を模様していたのには驚きました。子供達の遊びが、大人主体に切り替わって「臭い、汚い、危険」は徹底的に除去されながら、育てられてきた訳で、そのツケは、思春期に差し掛かる頃顕著に現れます。そういえば、最近では排便の後、「汚い」といって自分のお尻を紙で拭くことを嫌がる子がいるのも気になっていました。

 包丁そのものが怖くて触れない、他人のウンチの臭いに耐えきれず吐き気を催してトイレに入れない、汚れることを気にして仕事に専念できないなど今までの生活では想像もつかなかった、しかし具体的な生活での困難を招いている人が現実にいます。

 「汚いから触った後は手を洗おう」、「危ないから気をつけて使おう」、「臭いけど我慢しよう」と教えることがその子の将来の生活の幅を広げる訳ですが、もう既に、そのようなものに耐えきれない大人が親や保育士になっている以上、保育の中からそのような要素の遊びは徹底的に排除したいという潜在的な思いが働き、結果として保育は室内遊び中心、そして早期教育中心として展開するのが自然な流れになっています。最近では「汚いから、臭いから、危ないから」という理由があれば、最近では人を避けても良いという風潮も世の中に見受けられるようになってきました。冒頭の子のように具体的に身体症状に出るほどになってしまえば、「臭いがするようにしているのが悪い」、「身綺麗にして臭わないようにするのが常識でしょ??」、「自業自得!!」と強く出る人もいます。「猫アレルギーの猫」ならぬ「人アレルギーの人の存在」が冗談では語れない時代になるのかもしれません。

 しかし、生物としてみた時に「臭い、汚い、危険」のいわゆる3Kは、幼児の頃に体験しなければいけないものに該当します。最初にたくさんの人に抱かれて「人間の臭い」を覚ます。保育園のお泊まり保育でやっている肝試しの時、お化けに抱きつかれた一人の園児が、「あ、この臭い、◯◯先生だ」とお化けの変装には全く気も留めずに抱きついたことがありました。

 「お手伝い」という大人の真似事をしながら危険を身につけます。年下の子達に、「こうやると危ないから、こうやって」と教えていた子がいました。

 驚くほど泥まみれ、砂まみれになって遊んで、手が汚れるのを嫌がる子に対して「汚れても最後に洗えばいいんだよ」と平気な顔をしていた子がいました。 平時にあっては安全、安心、良い香りばかりの生活は大切です。しかし、一つでもその歯車が崩れた時に、その快適性が奪われた時にも支障をきたさないだけの生活力を身につけなければいけないのです。

 3Kと付き合う方法を身につけた人は自身と周囲の人を幸せにできるのです。
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