ジオターゲティング
2017年07月03日(月) 13時43分39秒

お節介と「めやぐ」

テーマ:説教

私が面白いと思っている津軽弁の一つが「めやぐ」と表記されるものです。当然「迷惑」の津軽弁化したものなわけだけど、その用法が気に入っています。何でかといえば、感謝の思いを込めていう言葉だからです。標準語では、「迷惑だよ」と言えば「止めてほしい」となるわけですが、津軽弁では「迷惑を掛けたね。ありがとう」とう意味合いで使われるからです。その一方で、遠慮をする時にも「ご迷惑」と言う用い方もあるようで、そこが興味深いことでもあります。


津軽の人付き合いは、「つうと言えばかあ」と言う言葉で言い表せるかもしれません。この「つう、かあ」も昭和40年代から使われるようになった言葉だそうですが、その語源は「~~つぅことだ」と言った相手に対し「そうかぁ」と答え、内容を言わなくても伝わ関係を表しているとする説が有力なのだそうです。

 

つまり、相手がやって欲しいと思いながらも言えないでいる事柄を気を利かせて行うと言う文化が成り立っていたからこそ「めやぐ」が感謝の言葉に置き換わって行ったと言うことなのでしょう。逆に言えば「~~しましょうか?」と言えば「ご迷惑」と言われて断られるので、知らないうちにやってやろうという精神文化が営まれてきたということでもあるでしょう。それに対して、その行為を受けた人は喜びながらも、そうさせてしまったことに恥じ入りながら感謝をしていたので、「メヤグ」というわけですな。ややこしいと言えばややこしい、まどろっこしいと言えばまどろっこしいと思いますが、だけど、そういう文化は、とても味がある文化でもあります。冬にでもなれば、地吹雪に巻かれるような地域でおいそれと人に頼むことは、その人の生死に関わるわけですから頼めない。だからできる人は気を利かせて勝手にやってあげる。それが地域の人を結び合せ、地域を動かしてきたのでしょう。自分の出来ることで他人に貢献するという、そいういう文化なのでしょう。津軽のような文化の中では、責任なんて概念がなかったはずで、みんながそれぞれにできることをやってきたという証明として「めやぐ」を見ることができると思うのです。

 

しかし、一方で、現代の日本では、「本人がして欲しいとを言わない限り、してやることはダメなこと」が一般的になってきました。昔は当然だった事柄にも、お金が付きまとい、その結果、責任が付きまとい、そして自主的な思いやりは潰れてきています。互いに見逃しあっていた部分に目くじらを立て、声を出す事が求められ続け、その結果は「助けて」と言えない人々が干されていく時代になってきたということでもあります。

 

教会教職者となってから22年、牧師として相談に乗る時、多くの人が異口同音に語るのが、見捨てられた体験です。「誰も助けてくれない、どうしたらいいんだろう」と相談に来るのです。教会が世に提示していかなければならないことは、津軽流のお節介なのかもしれません。隣人たちの様子を見守り、声なき声に耳をそばだて、平時は「見ざる聞かざる言わざる」を貫きながら、支援が必要なことに気がつけばお節介に走る…そういう事です。

 

神様から教会とそこに集う私たちが求められた持つべきものは研ぎ澄まされた感性なのです。そして、聖書はその感性を磨く指針であろうと思います。

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