ジオターゲティング
2017年08月06日(日) 09時22分47秒

光栄ある席?

テーマ:ブログ

先日、東京出張の帰り、飛行機に乗ろうとしたら、座席に「非常口座席のお客様へ」と書かれたカードがついていました。つまり、非常口の前の座席に座った場合、緊急脱出時に乗務員の手助けをすることになっているので、協力してほしいという依頼文な訳ですが、この書き方がどうにも興味深い書き方でした。一部を引用いたしますが、「迅速な脱出の援助をしていただくため、非常口座席に着席されるお客さまには、万一の場合、客室乗務員の指示のもと、緊急脱出時の援助をお願いいたします。なお、当てはまらない項目がある場合、非常口座席の着席ができません。」つまり、非常時には、乗務員の指示に従い、乗客の脱出を手助けすることが求められているわけです。ですから、荷物も足元には置けない、リクライニングやテーブルは使えないということになります。また、緊急脱出の時などは、他の乗客を静止したり、脱出を助ける義務を負うわけですから、その分、生存率も低くなるかもしれません。普通に考えれば制約が多いわけですから、少しは見返りをつけても良さそうなもんですが、文章ではその逆で、「緊急脱出の援助を実施することに同意」しないとその座席には座らせることはできませんよというなんだか高飛車な感じの書き方で驚いたわけです。

 

どうしてこのような発想なのかと辿ってみれば、欧米流の考え方がその中心を占めているからだということができます。もともと旅客機の歴史は欧米で熟成されてきました。そして、欧米の考え方の中心にあるのは「市民」という考え方でした。この場合の市民とは、自治体のことではなく「主体的に政治や社会に参加する人」、「近代社会を構成する自立的個人」、「政治参加の主体となる者」という意味で使われます。憲法で保障される主権在民の「主権者」たる人々が市民です。「特別ではないが、知識や人格、力などを備え持ち、他の人々を助けることは自分の当然責務だと考えている人」のことを「市民」というわけで、「あなたは、尊敬されるべき人であり、そうだからこそこの席に座ることができるのです。そういう方でなければお座りいただけませんよ」というのが、このカードの考え方な訳です。こう考えると、この席に座るのはなんとも誇らしい気持ちにもなれるから不思議なものです。

 

このような考え方は、教会の歴史とも重なります。なぜ、教会は今日まで存在してきたのでしょう。週に一度の休みに、献金を持って教会に集い、面白くもない説教を聞くっていう作業を毎週繰り返すことは、世の人々から見れば不思議なことでしょう。でも、教会は、2000年もの間、先達たちが「神の国」に国籍を持つ者、主の業を担うことを許されている光栄を想いながら歩んできた歴史でもあります。「主がご入用です」との言葉に衝き動かされ、見返りを求めずに主の業と信じる良き行いを当たり前のこととして行ってきたのではなかったでしょうか。

 

私たちには人に与えられた義務や責務とは別に、自らの命と直結する何かがあることを感じています。それに対して「何故?」と問いつつも、最後にはそれが志に変えられ使命とされて行くのであろうと思います。人々とともに平和を作り出すということは、武力によって押さえつける者ではないのです。一人一人に与えられた志や使命に基づいて手を取り合って行くことから平和は形作られて行くのです。

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