ジオターゲティング
2016年11月13日(日) 09時22分30秒

「生き残る」ではなく「生きる」

テーマ:説教

最近、様々な現場で「どう生き残るべきか」なんて言葉を耳にします。自然に考えれば「生き残」れなければ、死ぬしかないという事になりますが、なぜ、そんなに生きることが難しいのだろうと不思議に思ってしまいます。もはや世の中はそんな生存競争をしなければならないほど一人一人が追い詰められているのでしょうか?

 

確かに、私たちは世界の激しい変革に晒されていると感じる場面は多くなりました。求められる事が増大し、それに追いつくのに必死である事は否定できません。でも、その変革そのものは、私たちが望んでいる事であったはずです。

 

私たちには、得手不得手があります。そしてそれが私たちの個性であると考えて今まで歩んできました。しかし、その一方で、その得手が通用しない時代の入り口に立っている様な不安を抱いているのが現実だという事が出来るのでしょう。

 

結果として、自分の取り分を守りたいという過剰な反応が出てきます。「ウチよりあっちがひどい」と互いに互いを貶め合う事しかできなくなります。更に言えば、「何もしない事が何よりも大切」だと思い込んでしまう場合だって出てくるわけです。そうなってしまえば、自分の全てが秘密の対象になってしまいます。出来ること、出来ないことを混ぜこぜにして全てに沈黙をしてしまわざるを得ないでしょう。目立たない、やらない方が意味のある時代に向かっています。制度が複雑化すれば、理念や希望といったものは忘れ去られてしまうでしょうし、これまで蓄積した常識などが通用しなくなるのですから「やらない方」を選びたくなるのは人情です。しかし、だからこそ、そこからの選択が大切なのです。複雑化したり陳腐化した制度を前に、「どうやって生き残るか」と問う人の多くは、そもそも、現状にさえ、他者の存在に対してさえ、満足していない事が多い様に思います。

 

「もっと良い世界に!」と他者に望む一方で、自分には変わる余地がないと堅く信じている人たちを多く見受けます。「生き残り」を求める人たちの多くが、実は自分の現状を変えたくないと思っていたりするのです。ですから「生き残らなきゃ!」と考え始めると、他人のことは構ってられなくなります。強がり、突き放し、迷惑をかけること、かけられることが苦痛になります。生きることは迷惑をかけたりかけられたりすることそのものなのにです。

 

迷惑をかけない、かけられたくないという思いは、私たちに、他に出し抜かれる事を恐れを抱かせ、その結果私たちは他を出し抜く事しか考えられなくなってしまうのです。他人の善意さえ悪意と捉えざるを得なくなります。

 

でも本当は、猜疑心が諸悪の根源である事は歴史によって証明されています。その事は人間社会が始まって以来繰り返され続けた大きな過ちなのに、猜疑心に支配された結果、多くの人を巻き込んだ自滅に行き着いてもなお、自分は被害者であると思い込ませられ続けます。

 

こんな現在に立つ私たちがやならければいけない事は、理念や希望、夢を語り合う事です。「これから失うだろうもの」に目を向けるのではなく、「これまでに失ってきたもの」に目を向けるべきなのです。失ってきたもの…それは、「生きることの喜び」です。「生きることの喜びと」は、他者と交わり支え、支えられて歩むことだったはずなのですから。

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